野澤宏

富士ソフト・元代表取締役社長

Nozawa Hiroshi(敬称略)

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社長就任 1973年5月
生年月日 —
学歴 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1970年5月、野澤徹氏とともに資本金300万円の株式会社富士ソフトウエア研究所を横浜市旭区に設立し、取締役に就任した。1973年5月に代表取締役社長となり、2001年4月に代表取締役会長へ移るまで28年を社長として過ごしたのち、2004年6月から2008年6月まで代表取締役会長兼社長として再び執行を担った。2007年3月末の所有株式数は3,231千株、発行済株式総数に対する割合は8.60%で、株主名簿の第2位に載る。同じ名簿には野澤徹氏が755千株(2.01%)、有限会社エヌエフシーが2,329千株(6.20%)を持つ。

社長に選ばれた経緯
抜擢

富士ソフトウエア研究所は野澤徹氏と野澤宏氏の2名で設立され、野澤宏氏が社長を引き受けたのは設立から3年目の1973年5月だった。有価証券報告書が設立の理由として挙げるのは、製造業や金融業でのコンピュータ導入が活発化する中でコンピュータ産業の将来性に着目したことのみで、社長交代の事情には触れていない。就任と同じ1973年に本社を横浜市から東京都品川区北品川へ移し、1977年7月と1983年5月の芝浦を経て、1985年5月に鎌倉市岡本の新社屋へ落ち着いた。

在任中の主な施策
施策

買収で事業の幅を広げた。1996年10月に株式会社エービーシと合併して富士ソフトエービーシへ商号を変更し、1999年に勧角コンピュータシステムとサイバネットシステム、2001年7月に株式会社ダイエー情報システム、2004年9月に株式会社東証コンピュータシステムを子会社に加えた。取り込んだ子会社は順に株式を公開させ、サイバネットシステムは2001年10月にジャスダック、2004年9月に東京証券取引所市場第一部へ、サイバーコムは2007年6月にジャスダックへ上場している。連結売上高は2002年3月期の1,128億円から2006年3月期に1,795億円へ伸び、退任直前の2008年3月期は1,707億円だった。

在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1970〜2021年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 1件
参考文献
  • 富士ソフト 有価証券報告書【役員の状況】(2007年3月期)

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