オービック の歴史

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創業 1968年
創業者 野田順弘
創業地 大阪府大阪市
創業
1968年4月、野田順弘氏が大阪市西区阿波座南通に株式会社大阪ビジネスを設立した。会計機その他の事務機器の輸出入と国内販売を目的とし、中古の会計機を関西の中小企業へ売り歩く流通業から始めている。1969年5月に本店を大阪市東区常盤町へ移し、1971年11月に東京支店、1973年12月に名古屋支店を開設した。1974年1月、商号を株式会社オービックへ改め、ハードの代理店から自社開発ソフトの情報処理サービスへ商品を移した。1976年1月には東京・大阪の二本社制を採って福岡支店を開設し、同年7月にオービックオフィスオートメーション、1980年12月にオービックビジネスコンサルタント、1981年9月にオービックビジネスソリューションと機能別の子会社を相次いで設立した。設立当初は6人程度の技術集団で、専門技術者の集まりという性格は変えていない。
決断
外から人も製品も入れない原則を、一度だけ緩めて元へ戻した。1998年12月、創業から30年で東京証券取引所市場第二部へ上場し、一度だけの公募増資を挟んで1年3か月後に市場第一部へ移った。以後は借入金を持たず、2006年3月期の連結自己資本比率は85.7%に達している。2003年4月に野田順弘氏が会長へ移ると、後任の社長は四半期ごとの数字を重視する評価へ改め、年商1,000億円前後の大企業向けERPへ参入した。新卒だけを社内で育てる人員構成では大企業向けの工数を吸収できず、不採算の受注が積み上がる。2006年2月、野田順弘氏が社長へ復帰して大企業向けERPから撤退した。原則を緩めた3年で利益率が崩れたことが、内製と直販を動かさない根拠を社内に残した。
現況
売上でも利益でも、新しく作る事業より、入れたものを保守する事業が大きい。2026年3月期の連結売上高は1,352億円、営業利益888億円で、営業利益率は65.7%に達した。売上はシステムサポート715億円、システムインテグレーション552億円、オフィスオートメーション84億円、セグメント利益率はそれぞれ74.0%、59.7%、34.8%である。OBIC7はクラウドで配信する形を加え、2019年3月にはオービッククラウドサービスがSSAE18準拠のSOC1 Type2報告書を受領した。保守が新規構築を売上で上回ったのは2022年3月期で、以後は差が広がっている。入れ替えの難しい基幹システムを導入した企業から毎月の収入が立つ構成が、65%の営業利益率を支えている。
競合
人月で受託する同業が10%台の利益率で並ぶなか、オービックだけが65.7%にいる。直近本決算の営業利益率はTISが12.8%、電通総研が13.9%である。受託開発の同業が技術者の人数と単価の積で売上を作るのに対し、オービックはOBIC7という一つの製品を業種別に作り分けて配り、開発を社内に閉じている。関連会社のオービックビジネスコンサルタントは中小企業向けの「奉行シリーズ」を持ち、2018年に買い切りから継続課金の奉行クラウドへ入れ替えた。時価総額は2026年3月末で1兆9,143億円と、売上高が4.4倍あるTISの2.5倍に達する。製品を外から買わず、業種別の作り分けだけで需要に応じてきたことが、同業と一桁違う利益率を生んだ。
オービック:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

創業ストーリー 大阪の会計機販売から情報処理サービスへの業態転換 (1968年〜)

中古会計機販売とオリックス・リース提携──負担を下げる販売モデル

1968年4月、野田順弘氏が[1]大阪市西区阿波座南通に株式会社大阪ビジネスを設立した[2]。中古会計機を関西の中小企業へ売り歩く小さな商店からの出発で、メーカーから新品を仕入れる代理店業ではなく、中古品を捌く流通業の体裁を取った。野田順弘氏は同年、オリックスとリース提携を結ぶ。中小企業がコンピュータ・事務機を導入する際の初期投資負担を月額のリース料へ分散させる仕組みで、これにより月数万円のリース料を払える企業層まで顧客を広げた。リース方式の比重は時間とともに上がり、1979年には販売額の9割がリースに乗る形まで広がった。1969年5月に本店を大阪市東区常盤町へ移転[3]、1971年11月に東京支店を[4]、1973年12月に名古屋支店を開設して三大都市圏の販売網を整えた。

  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【役員の状況】
    • [1]創業者は野田順弘氏
  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [2]1968年4月 野田順弘氏が大阪市西区に株式会社大阪ビジネスを設立(中古会計機販売)
    • [3]1969年5月 本店を大阪市東区常盤町へ移転
    • [4]1971年11月 東京支店(現・東京本社)開設

1974年1月、商号を株式会社オービックへ改め、本店[5]を大阪市南区塩町通へ移した。事務機・会計機販売から情報処理サービス・自前開発ソフトウェアへの業態転換も、1974年の社名変更に合わせて動き出した。1976年1月に東京・大阪の二本社制を採り[6]、福岡支店を開設、九州拠点まで網を伸ばした。1976年7月に株式会社オービックオフィスオートメーション[7]、1980年12月に株式会社オービックビジネスコンサルタント[8]、1981年9月に株式会社オービックビジネスソリューション[9]と、機能別子会社を相次いで設立してグループ網を広げた。オービックビジネスコンサルタント(OBC)は、23歳で公認会計士2次試験に合格した和田成史氏がオービックの出資を受けて興した会社で、野田順弘氏とは家族ぐるみの付き合いを保ちながらも経営には互いに口を出さない独立関係を築いた。OBCは中小企業向け会計ソフト『奉行シリーズ』の母体となり[10]、1995年のウィンドウズ95登場を追い風に95対応版をヒットさせて、1999年10月に株式を店頭公開し、後に独立して上場会社(4733)へ育つ別ブランド子会社となった。[11]1982〜1983年には大阪・東京・名古屋[12]にオービックシステムエンジニアリングを設立し、SE機能を地域別に分散配置した。

  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [5]1974年1月 商号を株式会社オービックに変更し本店を大阪市南区塩町通へ移転
    • [6]1976年1月 東京・大阪の二本社制実施・福岡支店開設
    • [7]1976年7月 株式会社オービックオフィスオートメーション設立
    • [8]1980年12月 株式会社オービックビジネスコンサルタント設立
    • [9]1981年9月 株式会社オービックビジネスソリューション設立
    • [10]オービックビジネスコンサルタントは会計ソフト「奉行シリーズ」の母体(別ブランド子会社)。後の独立上場(証券コード4733)は資産で未確認
    • [12]1982〜1983年 オービックシステムエンジニアリングを大阪・東京・名古屋に設立
    • [11]OBCは1995年のWindows95登場を追い風に95対応版奉行シリーズをヒットさせ、1999年10月7日に株式を店頭公開した
  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【役員の状況】
    • [1]創業者は野田順弘氏
  • オービック 有価証券報告書 第57期(2025年3月期)【沿革】
    • [2]1968年4月 野田順弘氏が大阪市西区に株式会社大阪ビジネスを設立(中古会計機販売)
    • [3]1969年5月 本店を大阪市東区常盤町へ移転
    • [4]1971年11月 東京支店(現・東京本社)開設
    • [5]1974年1月 商号を株式会社オービックに変更し本店を大阪市南区塩町通へ移転
    • [6]1976年1月 東京・大阪の二本社制実施・福岡支店開設
    • [7]1976年7月 株式会社オービックオフィスオートメーション設立
    • [8]1980年12月 株式会社オービックビジネスコンサルタント設立
    • [9]1981年9月 株式会社オービックビジネスソリューション設立
    • [10]オービックビジネスコンサルタントは会計ソフト「奉行シリーズ」の母体(別ブランド子会社)。後の独立上場(証券コード4733)は資産で未確認
    • [12]1982〜1983年 オービックシステムエンジニアリングを大阪・東京・名古屋に設立
    • [11]OBCは1995年のWindows95登場を追い風に95対応版奉行シリーズをヒットさせ、1999年10月7日に株式を店頭公開した

現場主義とソフト志向──6人の技術集団から自社ブランドOFFICEへ

設立当初のオービックは6人程度の技術集団から出発し[13]、専門技術者の集団という性格を創業以来変えなかった。野田順弘氏は『現場主義』を会社設立当初からの理念と位置づけ、ユーザー[14]の現場に飛び込んで泥臭い悩みを失敗を重ねながら解決してこそ市場のニーズを捉えられると考えた。一般のディーラーがメーカーから供給されたハードをそのまま売るのに対し、オービックはメーカーから受け取ったハードにソフトウェアを載せ、ゴルフ場やホテルの予約システムのように業種ごとの業務そのものを商品として仕立てる売り方を取った。[15]ハードは材料に過ぎず、ソフトの付加価値で稼ぐという発想である。ソフト開発そのものが利益源となったことで、1981年時点の売上高は80億円超・経常利益は10億円程度[16]、グループ売上は100億円を超え、業界内で高い利益率を実現した。

    • [13]設立当初は6人程度の技術集団から出発した
    • [14]「現場主義」は会社設立当初からの理念で、ユーザーの現場に入り込んで市場ニーズを捉える経営思想
    • [15]ハードにソフトを載せ業種ごとの業務を商品化する、ソフトの付加価値で稼ぐ販売モデル
    • [16]1981年時点で売上高80億円超・経常利益10億円程度・グループ売上100億円超

1978年ごろに始めた社内のソフト資産共有システム『フレックス・ライブラリー』[17]で各技術者のノウハウを会社の共有財産として蓄積し、開発と教育の時間を短縮した。1980年には過去に販売したオフコン用ソフトを集大成した自社ブランド『OFFICE』を、翌1981年には日本語対応の『OFFICE 0』を投入[18]している。三菱電機のMELCOMシリーズを主力ハードに据え、1981年中[19]には受注累計5,000台の達成を見込むトップディーラーへ育った。グループとしては横浜・京都・北九州に地域密着型の独立法人を設け[20]、各地域の現場に密着したきめ細かな体制を築いた。

    • [17]社内ソフト資産共有システム「フレックス・ライブラリー」(1978年ごろ開始)で技術者のノウハウを共有財産化
    • [18]1980年に自社ブランド「OFFICE」、1981年に日本語対応「OFFICE 0」を投入
    • [19]三菱電機MELCOMシリーズを主力ハードとし、1981年中に受注累計5,000台達成を見込んだ
    • [20]横浜・京都・北九州に地域密着型の独立法人を設立
    • [13]設立当初は6人程度の技術集団から出発した
    • [14]「現場主義」は会社設立当初からの理念で、ユーザーの現場に入り込んで市場ニーズを捉える経営思想
    • [15]ハードにソフトを載せ業種ごとの業務を商品化する、ソフトの付加価値で稼ぐ販売モデル
    • [16]1981年時点で売上高80億円超・経常利益10億円程度・グループ売上100億円超
    • [17]社内ソフト資産共有システム「フレックス・ライブラリー」(1978年ごろ開始)で技術者のノウハウを共有財産化
    • [18]1980年に自社ブランド「OFFICE」、1981年に日本語対応「OFFICE 0」を投入
    • [19]三菱電機MELCOMシリーズを主力ハードとし、1981年中に受注累計5,000台達成を見込んだ
    • [20]横浜・京都・北九州に地域密着型の独立法人を設立

中途20名独立事件と新卒採用一本主義への転換、特定業界への新規参入

1973年、オービックは同業他社から営業部隊20名を中途で採用した。入社直後にこの20名がそろって独立、オービックの競合会社を立ち上げてしまい、野田順弘氏は中途人材への不信を強めた。事件を受けて新卒採用一本主義へ切り替え、創業者が自ら面接で選考し、入社後に時間をかけて社内で育てる人事へ転じた。採用と教育に最も力を入れ、1980年度は約3,200名の応募に対して70名近くを採用[21]、入社後も繰り返し教育を重ねて一人ひとりにノウハウを蓄積させる方針を取った。1979年の売上高は60億円、従業員数は310名、人員構成は営業50名・残り260名がシステム・技術部隊という極端な技術寄りで、ハードウェアでなくソフトウェアの利用価値で稼ぐ方針が人員配置に表れた。

1980年代前半は急成長中の消費者金融(サラ金)業界向けシステムで業績を伸ばしたが、1983年成立・1985年改正の貸金業法施行でサラ金業者が次々に経営難に陥り、消費者金融向けの売り先を失った。1985年5月以降、オービックは消費者金融向けで蓄えた業界別パッケージのノウハウを、自動車教習所向け講習予約・銀行向け不動産担保評価など他の特定業界へ横転用した。子会社を通じた内製にこだわり、品質と納期を社内で握る体制で業界別パッケージのシェアを取りに行く構造である。1988年10月には地方都市に営業所・支店を相次いで新設、営業とシステム開発の両輪をもつ会社へ自己定義を改めた。1997年4月、中堅企業向けERP『OBIC7シリーズ』の提供を開始し、生産・販売・会計・人事・給与の業務別パッケージをCD-R形式で配り、業界を問わない汎用業務へ商材を組み替えた。

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オービックの沿革1968〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1968〜1997年大阪の会計機販売から情報処理サービスへの業態転換野田順弘大阪ビジネスを設立
野田順弘東京支店開設
野田順弘オービーシステム設立
野田順弘商号変更に合わせた会計機販売から情報処理サービス・自社開発ソフトへの転換

1974年1月、中古会計機と事務機器を売る株式会社大阪ビジネスが商号を株式会社オービックへ改め、本店を大阪市南区塩町通へ移した。同じ時期から、メーカーのハードを渡す代理店の商売を、業種ごとの業務システムを自社で作って売る情報処理サービスへ組み替えた。

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★★★
野田順弘東京・大阪の2本社制実施、福岡支店開設
野田順弘オービックオフィスオートメーション設立
野田順弘オービックビジネスコンサルタント設立★★
野田順弘オービックビジネスソリューション設立
野田順弘オービックシステムエンジニアリングを設立
野田順弘オービックシステムエンジニアリング(東京)設立
野田順弘横浜支店開設
野田順弘本店を移転
野田順弘オービックオフィスオートメーション・中部が同名母体を吸収合併
野田順弘本社を移転
1998〜2012年上場と直販モデルの確立、大企業向けERP失敗と創業者の社長復帰野田順弘創業30年での東証二部上場と一度きりの公募増資、1年余りでの市場第一部指定

1998年12月、創業から30年目のオービックが東京証券取引所市場第二部へ株式を上場した。2000年1月に600,000株の有償一般募集を行い、同年3月に市場第一部へ指定された。資本市場から資金を受け取ったのは、この公募増資の一度に限られている。

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★★★
野田順弘オービックビジネスコンサルタントの株式を店頭市場に公開★★
野田順弘東京証券取引所市場第一部に指定
野田順弘SE子会社3社を合併しオービックシステムエンジニアリングに統合
野田順弘オービックビジネスコンサルタントの株式を東京証券取引所市場第一部に上場
野田順弘東京新本社ビル竣工により本店を移転
野田順弘大企業向けERPと成果主義の見直し、創業者・野田順弘氏の社長復帰

2006年2月、2003年4月に会長へ退いていた創業者の野田順弘氏が代表取締役会長兼社長に就き、社長職へ戻った。年商1,000億円前後の大企業向けERPへ売り先を広げ、四半期の数字で社員を評価する体制を敷いた3年を、直販・内製・新卒育成という創業以来の型へ引き戻す判断であった。

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★★★
野田順弘オービックシステムエンジニアリングを吸収合併
野田順弘オービックビジネスソリューションを吸収合併
2013年〜クラウド転換と時価総額1兆円、創業家ガバナンスへの株主の問い(2013〜現在)橘昇一オービッククラウドサービスで「SOC1 Type2報告書」を受領
橘昇一大阪新本社ビル竣工により大阪本社を移転
橘昇一プライム市場へ移行
橘昇一オービーシステムの株式を東京証券取引所スタンダード市場に上場
出典・参考

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