2003年からの3年で試されたのは、大企業向けの製品が作れるかどうかではなく、中途を採らず外注も増やさない会社がどこまで受注を伸ばせるかであった。"OBiC7 EX"は200ユーザーの同時接続に耐える構成まで仕上がっていたし、売上も利益も減ってはいない。壊れたのは工数のほうで、四半期ごとの数字を追う評価が、社員の育つ速さより早く受注を集めてしまった。野田順弘氏が2006年2月に社長へ戻って止めたのは大企業向けの製品というより、人の準備を待たずに売る仕組みだったのだろう。
もっとも、創業者の再登板は、後継の失敗を創業者が引き受ける話として読まれやすい。この会社で実際に起きたのは、売上高が5期で21億円しか増えない一方、経常利益が152億円から203億円へ伸びるという、成長の物差しそのものの置き換えであった。戻ってきた野田順弘氏がその7年で用意したのは、自分の次に社長を務める人物と、その人物が動かす製販一体の現場である。2005年に横浜から呼ばれた橘昇一氏は2007年に専務、2008年に副社長、2013年に社長へ進んでいる。