TKC創業家2代目から生え抜き高田順三氏への社長交代
創業家が経営を握り続けるか、執行を社内から立てるか——30期連続増収増益の翌期に選ばれた体制
- 概要
- 2008年12月19日、創業家2代目の飯塚真玄氏が社長を退き、生え抜きの高田順三氏が社長に就いた。1966年の創業以来、飯塚家以外から社長を起用した初めての交代であった。飯塚真玄氏は代表取締役会長として残った。
- 背景
- 飯塚真玄氏は1983年に創業者の飯塚毅氏から社長を引き継ぎ、25年にわたり経営にあたった。直前の2008年9月期は連続30期の増収増益となり、連結売上高547億円・営業利益70億円を計上していた。世界金融危機の直後にあたりながら、税制改正対応と自治体システム保守のストック収益が業績を支えていた。
- 内容
- 会長となった飯塚真玄氏が経営理念の継承とTKC全国会との関係を受け持ち、日々の執行は高田社長以下に委ねる分担となった。2011年1月には会長が「これからの10年骨太の方針」を発表し、同年12月には高田氏から同じく生え抜きの角一幸氏へ社長が引き継がれた。
- 含意
- 理念と事業戦略の多くを会員組織であるTKC全国会が担う構造が、創業家以外の社長を可能にする条件となっていた。生え抜き社長の11年を経て、2019年12月には創業家3代目の飯塚真規氏が第5代社長に就いている。
理念を会社の外に置いた会社の承継
同族企業の社長交代では、創業家の理念をどう引き継ぐかが最大の難所となる場合が多い。TKCの2008年の交代がそれほど大きな軋みを見せずに済んだのは、理念と戦略の相当部分を会員組織である全国会が担う構造ができていたためとみることができる。会社の側が理念の唯一の担い手ではない以上、社長の職は執行の責任に近づき、社内で育った人物が引き受けやすくなる。創業家は会長として全国会との関係を保ち、長期の方針づくりに関わり続けた。
もっとも、この形が承継の答えであったと言い切ることは難しい。生え抜き社長の時代の業績は横ばいで推移し、増収増益の連続記録もこの時期に途切れた。11年を経て創業家3代目が社長に戻ったことを、経営の連続性を回復する選択とみるか、外部人材への道を狭めた選択とみるかは評価が分かれる。理念の担い手を会社の外に置いた設計が、次の承継でも同じように働くのかどうかは、今後の交代の場面であらためて試されることになる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
創業家二代で四半世紀
TKCの社長は、創業から42年にわたり飯塚家が務めてきた。創業者の飯塚毅氏は1966年の設立時に初代社長となり、1983年に長男の飯塚真玄氏へ社長を譲ったうえで、会員組織であるTKC全国会の会長を務めた。飯塚毅氏は2004年に世を去っている。1968年に入社した飯塚真玄氏は、以後25年にわたり社長の職にあり、東証2部上場から東証1部指定、情報センターの統合再編までを指揮した[1][2]。
交代の直前にあたる2008年9月期は、連続30期の増収増益となった年であった。連結売上高547億円、営業利益70億円、経常利益72億円、最終利益36億円を計上し、会計事務所事業が売上407億円・営業利益58億円と中核の位置を占めた。地方公共団体事業は売上102億円・営業利益7億円、印刷事業は売上39億円・営業利益5億円で、3事業とも黒字を保った。同年11月には記念配当も実施されている。世界金融危機の直後にあたりながら、税制改正対応と自治体システム保守という制度に結び付いた収益が業績を支えていた[3][4]。
会社の外に置かれた意思決定
TKCの経営を特異なものにしていたのは、顧客である税理士・公認会計士を会員とする全国会の存在であった。全国会は営利法人であるTKC本体とは別の非営利の組織で、「自利利他」を基本理念に、租税正義の実現や税理士業務の完璧な履行を目的として活動する。会員は2002年時点で約8,500人、その下に約55万社の関与先企業があった。年間20億円から30億円に及ぶ運営経費は、すべてTKCが負担していた[5]。
全国会の基本方針を決めるのは、会長と各地域会の代表で構成される理事会であり、TKCの経営陣は関与しない。飯塚真玄氏自身が、全国会はTKCの頭脳であり、そこで決まった戦略がTKCの経営戦略になると説明していた。全国会の会長職も1997年に飯塚毅氏から弁護士の松澤智氏へ、2002年からは会計学者の武田隆二氏へと創業家の外へ移っている。理念と大きな方向付けを担う機関が会社の外側にある構造は、社長職の性格を執行の責任者に近づけていた[6]。
決断
創業家の外から立てた社長
2008年12月19日、高田順三氏が社長に就任し、飯塚真玄氏は代表取締役会長へ退いた。飯塚家以外から社長を起用するのは、1966年の創業以来初めてであった。高田氏は創業初期からTKCに在籍した生え抜きの役員で、外部から招いた経営者ではない。事業領域を会計事務所と地方公共団体の二つに限り、顧客との協業で製品を作ってきた会社にとって、社内の事情に通じた人物を執行の責任者に据える選択は自然な形であった[7][8]。
会長に就いた飯塚真玄氏は、経営理念の継承と全国会との関係を受け持ち、日々の執行は高田社長以下に委ねた。会長が方向を示す役割を保ち続けたことは、2011年1月に「これからの10年骨太の方針」を自ら発表していることからもうかがえる。創業家が経営から離れたわけではなく、長期の方針づくりと執行とを別の職責に分けたところに、この交代の性格があった。会社の理念そのものは全国会が担保する構造にあり、社長の交代が路線の変更を意味しない体制が保たれていた[9][10]。
結果
生え抜き社長の11年
高田氏の社長在任は3年で、2011年12月22日に同じく生え抜きの角一幸氏へ引き継がれた。高田氏は副会長に移っている。角社長は、クラウド・コンピューティングの時代が到来したといわれるものの、TKCはもともとそれに近い情報サービスの基盤を築いており、むしろ時代の流れが追いついてきたと述べた。30年前からレンタル方式によるストック型の商売へ移ってきたため、クラウドへの移行が図りやすい環境にあるという説明であった。集中処理の設計が新しい潮流に符合したという認識が、この時期の自信を支えていた[11][12]。
業績の面では、交代の後にしばらく足踏みが続いた。連結売上高は2008年9月期の547億円から2009年9月期に533億円へ落ち込み、2011年9月期も536億円にとどまった。営業利益は2008年9月期の70億円から2011年9月期には52億円まで下がっている。連続30期で途切れた増収増益の記録は、世界金融危機後の需要の冷え込みと重なった。再び増勢に転じたのは2016年9月期以降で、売上高578億円・営業利益76億円を計上してから伸びが続いた[13][14]。
創業家の株式移転と3代目の就任
生え抜き社長の時代に、創業家は経営の職と保有株式の双方で立ち位置を改めた。飯塚真玄氏は2016年11月に会長を退いて名誉会長となり、2017年7月には創業者飯塚毅氏の生誕100周年を機に、個人が持つ株式100万株を5カ年計画でTKC全国会の会員へ無償譲渡する計画を公表した。創業家の持ち分を顧客である税理士事務所の側へ移すこの方法は、株主と顧客を同じ基盤に重ねる資本構成の作り方であった[15]。
2019年12月、創業家3代目の飯塚真規氏が第5代社長に就任した。飯塚真玄氏の長男で、就任時44歳。創業家からの社長就任は2008年以来11年ぶりであった。同年9月には任意の指名・報酬諮問委員会が設けられ、後継者の選定を制度の側から扱う仕組みも整えられている。事業の中身は創業以来の二領域のままで、2025年9月期の連結売上高は835億円、営業利益は161億円に達した[16][17]。
- TKC公式「沿革」(https://www.tkc.jp/company/history/)
- 週刊東洋経済 2002年11月2日号「特集 生き残る会社の条件「反」常識B:TKC 利益よりも理念追求 NPOと企業の両輪経営」
- クラウドWatch(2011年5月26日)「【クラウド特別インタビュー】クラウド時代が、ようやくわれわれのサービスに追いついてきた」
- TKC事業報告書(2008年9月期・2017年9月期・2019年9月期)
- TKC 有価証券報告書(各期・連結)