上場の場で多角化を否定するという表明は、成長の手段を自ら封じる宣言でもある。それでもこの選択が保たれたのは、二つの顧客層が制度に結び付いていたためと推察される。税制や商法が変わるたびに会計事務所の仕事は作り替えを迫られ、行財政改革が進めば市町村の電算化需要が生まれる。外から来る制度の変化が仕事を運んでくる構造のもとでは、新しい市場を探しに行くより、制度対応の速度と品質を上げるほうが合理的であった。
もっとも、狭い領域に居続ける判断が常に正しいと決まっていたわけではない。1982年の社内の激論が示すように、売り切り型に転じた競合が伸びる場面もあり、当時の判断が正しかったかは後になって初めて見えてきた。1986年のミロク経理の破綻は、多角化を進めた側の失敗であると同時に、市場そのものが痩せていたことの表れでもあった。事業領域を広げずに成長を続けるという選択が、顧客の数と制度対応の量が伸び続ける限りで成り立つものである点は、今日のTKCにも引き継がれた条件といえる。