TKC東証2部上場時の「うちは多角化はしません」宣言と二本柱への専門特化
上場で得た資金を新事業に向けるか、既存の顧客層を掘り下げるか——飯塚真玄氏が示した経営方針
- 概要
- 1987年7月に東京証券取引所市場第2部へ上場した際、第2代社長の飯塚真玄氏は「うちは多角化はしません」という方針を示した。会計事務所事業と地方公共団体事業という創業以来の二本柱に専門特化する路線を、公開企業となった後も変えないという宣言であった。
- 背景
- 1970年代に各地へ設立された計算センターは、オフコンやパソコンの小型化・低廉化によって顧客が自前で計算機を持てるようになり、市場が縮小した。多くの同業がソフトウエアの受託開発や機器販売へ転じ、あるいは撤退した。TKCにもソフト開発の依頼や機器売り切りへの誘いが繰り返し持ち込まれていた。
- 内容
- 一般企業向けの営業も、コンピューターの売り切りも、企業買収も行わず、会計事務所とその関与先企業・市町村に対するサービスの深掘りに投資を集中する方針をとった。1980年から60億円を投じて最新鋭機を導入し、ネットワーク投資で計算時間の短縮を図る一方、1987年からはラップトップパソコンに意思決定支援システムを載せて会計事務所へ販売した。
- 含意
- 同じ会計事務所向け市場にいたミロク経理は1986年に自己破産し、TKCは残った市場を深く占めた。1991年9月期の売上高は1987年の1.8倍にあたる317億円の見込みとなり、2002年時点でも創業以来の連続増収と、M&Aを一度も経験しない成長が続いていた。
狭さを選び続けられた理由
上場の場で多角化を否定するという表明は、成長の手段を自ら封じる宣言でもある。それでもこの選択が保たれたのは、二つの顧客層が制度に結び付いていたためとみることができる。税制や商法が変わるたびに会計事務所の仕事は作り替えを迫られ、行財政改革が進めば市町村の電算化需要が生まれる。外から来る制度の変化が仕事を運んでくる構造のもとでは、新しい市場を探しに行くより、制度対応の速度と品質を上げるほうが合理的であった。
もっとも、狭い領域に居続ける判断が常に正しいと決まっていたわけではない。1982年の社内の激論が示すように、売り切り型に転じた競合が伸びる場面もあり、当時の判断が正しかったかは後になって初めて見えてきた。1986年のミロク経理の破綻は、多角化に手を広げた側の失敗であると同時に、市場そのものが痩せていたことの表れでもあった。事業領域を広げずに成長を続けるという選択が、顧客の数と制度対応の量が伸び続ける限りで成り立つものである点は、今日のTKCにも引き継がれた条件といえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
消えていった計算センター市場
計算センターとは、契約先の企業に置いた端末機と自社の大型計算機を通信回線で結び、給与計算や顧客管理を代行する情報サービスをいう。コンピューターが一企業では買えないほど高価だった時代には花形の成長業種であり、1970年ごろから各地に雨後のたけのこのように設立された。東京はもとより地方でも、放送局や銀行が我も我もと計算センターを立てた時期があった。TKCもその一つとして、会計事務所と市町村だけを相手に計算受託を続けていた[1]。
ところが、オフィスコンピューターやパソコンが小型化・低廉化するにつれ、企業は自前で計算機を導入できるようになり、計算センターに頼る必要が薄れた。市場は次第に縮小し、同じ業態を維持し続けた企業はほとんど残らなかった。他社はソフトウエアの受託開発や機器販売へ転じるか、撤退へ追い込まれている。1991年の時点で、飯塚真玄社長は、計算センターという旗を掲げて生き残っているのはTKCだけだと述べていた[2]。
繰り返し訪れた多角化の誘い
TKCが多角化に踏み切るかどうかで迷った場面は一度ではなかった。1970年代には企業にも自治体にもコンピューターが入り始めたものの、ソフトの作り手が足りず、早くから開発者を抱えていたTKCへ受託開発の依頼が次々と持ち込まれた。しかし、知り尽くした会計の世界と違い、受注のたびに業種と業務を一から勉強しなければならない。開発前の勉強に費やす時間が全体の効率の足を引っ張ると判断し、そうした依頼は断り続けられた[3]。
より深刻な揺さぶりは1982年に訪れた。会計事務所向け計算サービスを手がけていたミロク経理が専用オフコンを会計事務所に売り切る商売へ転換し、日本デジタル研究所(JDL)も専用オフコン販売へ参入した。これがよく売れ、「計算センターはそのうち博物館入りする」とまで言われた。TKCの社内でも危機感が募り、機器の売り切りに移るべきかをめぐって激論が交わされた。上場の5年前にあたるこの時期に、事業の形をどう定めるかという問いが正面から突き付けられていた[4]。
決断
上場の場で示された「多角化はしません」
1986年12月に定款上の商号を株式会社TKCへ改め、1987年6月に各計算センターの名称を情報センターへ変更したうえで、TKCは1987年7月に東京証券取引所市場第2部へ上場した。創業から21年を経ての資本市場への接続であった。上場時に飯塚真玄社長が社内へ示した方針は「うちは多角化はしません」というものであった。公開によって資金調達の道が開けても、異業種への参入や周辺領域への拡張は行わないという制約を、自ら経営方針として明文化したことになる[5][6]。
上場の翌月、飯塚社長は日本証券アナリスト協会の企業分析部会で講演し、同じ方針を投資家に向けて説明している。会計事務所とそのクライアント、および市町村の仕事に特化する方針を今後も継続し、その範囲を広げていくという説明であった。当時の顧客は会計事務所が年に400ほどずつ増えて約6,000、その関与先企業は約44万に達していた。市場の広さを新しい事業領域に求めるのではなく、既存の販売ルートを追い続けるという立場が、公開企業としての初めての場で示された[7]。
売り切らず、つないだままにする
機器の売り切りへ移るかどうかの社内論争は、センターとつないだままの計算サービスにとどまるという結論で決着した。飯塚社長は理由を二つ挙げている。計算センターの草分けとしてのこだわりがあったこと、そしてドイツに会計事務所だけを相手に計算サービスを行うDATEVという会社があり、それが成長していたことに勇気づけられたことであった。同じ業態が海外で成り立っている事実が、市場そのものが消えるわけではないという判断を支えた[8]。
踏みとどまると決めた以上、費用対効果でオフコンに負けない水準まで既存サービスを引き上げるほかない。TKCは1980年から60億円を投じて最新鋭の計算機を導入し、あわせてネットワーク関連の投資を増やして計算に要する時間の短縮を図った。多角化を行わない代わりに、システム開発・情報センター運営・印刷・会員サポートといった既存領域の内製と深掘りへ投資を集めるという資本の使い方が、この時期に固まった。上場で得た信用と資金も、その方向へ向けられた[9][10]。
結果
残った市場を独占する
防衛策は数年のうちに効いた。1986年には競合のミロク経理が自己破産に陥っている。CADやパソコンソフトへ急速に手を広げすぎた経営上の失敗に加え、オフコンメーカー間の競争が激しくなって安値販売に走ったことも要因とされた。TKCは計算サービスという自らの城を守り切り、JDLとは棲み分ける形で残った。1991年の時点で、約3万といわれた会計士事務所のうち6,600がTKCと契約し、JDLは約8,000の事務所と契約していた[11]。
業績も伸びた。1991年9月期の売上高は1987年の1.8倍にあたる317億円、経常利益は1.7倍にあたる30億円に達する見込みとなった。守るだけでは成長が止まるという認識から、TKCは1987年からラップトップパソコンに意思決定支援システムを載せて会計事務所へ販売し、会計士が訪問先で利益や資金の状態を分析して経営者に助言できるようにした。1990年からは会計事務所へブック型パソコン6,000台を無料で貸与し、顧客企業に置いてもらう仕組みも始めている[12][13]。
買わずに伸びる会社
専門特化の路線は上場後も変えられなかった。TKCは1996年3月に東京証券取引所市場第1部へ指定されたが、事業領域は会計事務所事業・地方公共団体事業・印刷事業の3区分に絞られたままであった。2002年の時点で、同業の情報サービス企業の多くがM&Aで業容を広げたのに対し、TKCは一度も企業買収を経験しておらず、創業以来の連続増収と、単独ベースで一度だけの減益という業績を保っていた。飯塚真玄社長は、二つの顧客に専門特化し、顧客との協業を徹底してきたと振り返っている[14][15]。
2007年の取材でも、飯塚社長は「M&Aでの企業成長は考えたこともない」と述べ、既存分野のままで成長を続けられるという見通しを示している。製品の改善や開発の方向を提案するのは会員組織であるTKC全国会のシステム委員会で、その提案を受けてTKCが開発を担うという分業が創業まもなくから続いてきた。利用者自身が開発に関わることで、求められる機能を外さない仕組みができていた。買収で事業を広げない代わりに、顧客と共同で製品を作るという形が、多角化しないという選択の裏側を支えていた[16]。
- 日経ビジネス 1991年3月11日号「[TKC]他社が逃げた計算センター事業「石の上にも25年」で独占」
- 証券アナリストジャーナル 1987年8月号「TKC——会計事務所と地方自治体の業務に特化」(飯塚真玄 講演要旨)
- 週刊東洋経済 2002年11月2日号「特集 生き残る会社の条件「反」常識B:TKC 利益よりも理念追求 NPOと企業の両輪経営」
- 週刊東洋経済 2007年11月17日号「特集 新・生き残れる会社 ケーススタディPART1」
- TKC公式「沿革」(https://www.tkc.jp/company/history/)
- TKC 有価証券報告書【沿革】
- TKC社内資料(1987年、東証2部上場時)