南部靖之氏の経営は、雇用の流動化という理念と、次々に打ち上げる事業構想の華やかさで知られてきた。だが1990年代後半のパソナが直面したのは、その構想が生んだ不採算事業と、開示を欠いた不透明な財務であった。新旧分離は、理念の旗を掲げ続けながら収益源である本業だけを救い出す現実的な選択であったと思われる。中山隼雄氏という外部経営者を迎えて初めて、その整理に踏み切れた点も見逃せない。
もっとも、この再建には影も伴っていた。負債と不採算事業を旧会社へ寄せる手法は、上場する新パソナの投資家からは見えにくく、連結対象外の創業家企業に上場益が及ぶ構図への批判も当時から出ていた。本業を市場の規律にさらす一方で、グループ全体の実態がどこまで透明になったのかは、なお問われる余地を残していたといえる。本業回帰という物語が、その後ふたたび広がる多角化路線とどう折り合うのかは、長く尾を引いた論点であったのだろう。