パソナグループ の歴史

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創業 1976年
創業者 南部靖之
創業地 兵庫県神戸市
創業
1976年2月、関西大学工学部を卒業する直前の南部靖之氏が、大阪市北区でマンパワーセンターを設立した。資本金380万円の半分は化学会社の役員だった父の栄三郎氏が出し、残りはアルバイトの貯金と友人の援助で埋めている。着想は学生時代に開いた学習塾にあり、簿記や英会話ができる千里ニュータウンの主婦が1日4〜5時間だけ働きたいと望んでいることを知った。当時の職業安定法は労働力の供給事業を原則として禁じており、業務委託の契約の形で最初の4人を阪急百貨店へ送り出した。商号は1979年にテンポラリーセンター、1993年にパソナへ改めている。
決断
本業をいったん子会社へ移してから、資本市場に載せた。1990年代に南部靖之氏が広げた海外ブランド品のアウトレットと神戸の複合商業施設が本業の利益を侵食し、資金繰りへの憶測が広がった。2000年6月、人材派遣の本業を子会社へ移して同社をパソナと改称し、旧本体は創業者の資産管理会社へ退いた。2001年12月に大証ナスダック・ジャパンへ上場したのち買収で規模を積み、連結売上高はFY11の1,815億円からFY18の3,270億円へ1.8倍になったが、営業利益率は1.2%から2.9%までしか上がらなかった。2017年にオアシスによる上場子会社整理の要求を退けた創業者は、2024年5月にベネフィット・ワンの全保有株を第一生命へ譲渡している。多角化で傷んだ財務を本業の切り出しで直した会社が、24年後には本業の外で育てた子会社の譲渡で財務を直した。
現況
連結の売上は、ほぼ全額が人材の派遣と業務受託で立っている。2026年5月期の連結売上高は3,085億円、営業損失11億円、当期純損失34億円で、2期続けての営業赤字となった。構成を1期前の2025年5月期で見ると、BPO・エキスパートソリューションが2,693億円と87%を占め、キャリアソリューション145億円、グローバル111億円、ライフ81億円、地方創生・観光62億円が続く。地方創生・観光は19億円の営業損失で、FY18から赤字が続く。この分野は2020年9月に本社機能の約1,200人を淡路島へ移す計画を発表したことと一体で、淡路島には観光と農業の子会社を並べた。ベネフィット・ワンの譲渡で約1,200億円の特別利益を得た一方、上場以来初の連結営業赤字に転じ、派遣の外に稼ぐ場所をまだ作れていない。
競合
規模で並ばれた相手は、いずれも同業ごと登録者を取り込んでいる。派遣の売上は登録者数と稼働率と時間単価の積で決まるため、登録者の基盤を大きく取るほど有利になる。2007年に首位のスタッフサービスを買収したリクルートと、2008年にピープルスタッフと持株会社で統合したパーソルは、既存の派遣会社ごと登録者と取引先を引き継いで規模を作った。パソナグループも2009年から2018年にかけて三井物産ヒューマンリソース、AIGスタッフ、ビーウィズなど年2〜5件の買収を重ねたが、対象の多くは親会社向けの特命案件を主とする会社で、取引関係を引き継ぐことが譲渡の条件だった。取り込んだ登録者を別の取引先へ動かせないまま人数だけが増えたことが、規模1.8倍でも営業利益率3%に達しない構成を作った。

創業ストーリー 家事手伝いから事務派遣へ ── 人材派遣を産業として立ち上げる (1976年〜)

「専業主婦の社会復帰」を商品にした創業

1976年2月、創業者の南部靖之氏は関西大学工学部を卒業する直前に[1]、大阪市北区で株式会社テンポラリーセンター(後の株式会社パソナ)[2]の前身となる組織を立ち上げた[3]。発足時の商号はマンパワーセンターで、テンポラリーセンターへ改めたのは1979年である[4]。着想は就職活動の途上で生まれた。卒業の1年前から140社ほどを回った南部氏は、ある会社で、君を雇えば一生面倒をみることになるが忙しいのは今だけだと告げられ、それなら忙しいときだけ働く人を使ってもらえるかと切り返した[5]。資本金380万円の半分は化学会社の役員だった父の栄三郎氏が出し、残りはアルバイトの貯金と友人の援助で埋めている[6]

  • パソナグループ 有価証券報告書(役員の状況)
    • [1]創業者は南部靖之である
  • パソナグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [2]テンポラリーセンターは後の株式会社パソナである
    • [3]1976年2月にテンポラリーセンターの前身となる組織が大阪市北区で立ち上げられた
  • 月刊アドバタイジング 1996年6月号「冒険なきところに、我が人生なし」
    • [4]1976年に大阪でマンパワーセンターとして発足し、1979年にテンポラリーセンターへ社名変更した
  • 近代企業リサーチ 1995年5月10日号「創業者の軌跡7 世界の人材派遣企業『パソナ』を創設」
    • [5]就職活動で140社ほどを訪問した南部氏は、忙しいのは今だけだという企業の言葉から、忙しいときだけ働く人材を派遣する事業を着想した
    • [6]会社設立の資金380万円のうち半分は化学会社役員だった父が出し、残りはアルバイトの貯金と友人の援助だった

事業の発想は学生時代の学習塾から来ている。南部氏は大学1年の秋に学習塾を開き、千里ニュータウンに住む生徒の母親たちが簿記や英会話の能力を持ちながら働く場を持たず、1日4〜5時間、月に2週間だけなら働きたいと望んでいることを知った[7]。創業直後は信用がなく、どこを訪ねても相手にされない。父の栄三郎氏を社長に据えたのも対外的な信用を得るためで、最初の派遣先はお歳暮商戦の阪急百貨店だった[8]。南部氏によれば第一号の派遣は事務処理の仕事で4人、ほかの企業も1人か2人という規模だったが、ほとんどの会社が約束どおり受け入れた[9]。南部氏は営業部長として大阪の企業を回り、事務所の保証金を2年分割にしてもらうほどの資金繰りのなかで顧客を開拓していった[10]

  • 近代企業リサーチ 1995年5月10日号「創業者の軌跡7 世界の人材派遣企業『パソナ』を創設」
    • [7]学習塾に通う生徒の母親たちは能力を持ちながら働く場がなく、1日4〜5時間・月2週間なら働きたいと望んでいた
    • [8]父を社長に据えたのは信用のためで、最初の人材派遣はお歳暮シーズンの阪急百貨店だった
  • フリーワーカー 21世紀のベンチャー型人材(南部靖之、実業之日本社、1984年)
    • [9]第一号の人材派遣は阪急百貨店で事務処理の仕事に4人を派遣し、他社も1人か2人だったがほとんどの会社が約束どおり雇い入れた
  • 経営コンサルタント 1983年10月号(経営政策研究所)
    • [10]事務所の保証金を2年分割にしてもらい、百貨店へのタイピスト派遣が最初の顧客となった

労働者派遣法が成立するまで、この事業に派遣という法的な枠はなかった。職業安定法が労働力の供給事業を原則として禁じていたため、テンポラリーセンターは企業からの業務委託という形で契約を結び[11]、発注先へ出向く際も部屋から鉛筆に至るまで賃貸契約を交わす請負の形式を労働省から求められていた[12]。スタッフの社会保険や雇用保険を申し立ててもパートタイム扱いしか認められず、南部氏は一時的な雇用も終身雇用と並ぶ社会の仕組みとして認められるべきだと主張し続けた[13]。1985年7月に労働者派遣法が成立し、1986年7月に施行されると、南部氏はこれではっきり線が引かれたと述べ、法制化を業界の節目として歓迎した[14]

  • 経営コンサルタント 1983年10月号(経営政策研究所)
    • [11]派遣法成立前の契約形態は企業からの業務委託だった
  • バンガード 1986年「ニュービジネスの旗手(4)〝人をコーディネート〟総合産業を生み出すベンチャー」
    • [12]労働省は請負形式を求め、発注先の部屋から鉛筆まで賃貸契約を結ばせた
    • [13]法制化前はスタッフの社会保険・雇用保険が認められずパートタイム扱いだった
    • [14]1986年7月の派遣法施行を南部氏ははっきり線がひかれたとして歓迎した
  • パソナグループ 有価証券報告書(役員の状況)
    • [1]創業者は南部靖之である
  • パソナグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [2]テンポラリーセンターは後の株式会社パソナである
    • [3]1976年2月にテンポラリーセンターの前身となる組織が大阪市北区で立ち上げられた
  • 月刊アドバタイジング 1996年6月号「冒険なきところに、我が人生なし」
    • [4]1976年に大阪でマンパワーセンターとして発足し、1979年にテンポラリーセンターへ社名変更した
  • 近代企業リサーチ 1995年5月10日号「創業者の軌跡7 世界の人材派遣企業『パソナ』を創設」
    • [5]就職活動で140社ほどを訪問した南部氏は、忙しいのは今だけだという企業の言葉から、忙しいときだけ働く人材を派遣する事業を着想した
    • [6]会社設立の資金380万円のうち半分は化学会社役員だった父が出し、残りはアルバイトの貯金と友人の援助だった
    • [7]学習塾に通う生徒の母親たちは能力を持ちながら働く場がなく、1日4〜5時間・月2週間なら働きたいと望んでいた
    • [8]父を社長に据えたのは信用のためで、最初の人材派遣はお歳暮シーズンの阪急百貨店だった
  • フリーワーカー 21世紀のベンチャー型人材(南部靖之、実業之日本社、1984年)
    • [9]第一号の人材派遣は阪急百貨店で事務処理の仕事に4人を派遣し、他社も1人か2人だったがほとんどの会社が約束どおり雇い入れた
  • 経営コンサルタント 1983年10月号(経営政策研究所)
    • [10]事務所の保証金を2年分割にしてもらい、百貨店へのタイピスト派遣が最初の顧客となった
    • [11]派遣法成立前の契約形態は企業からの業務委託だった
  • バンガード 1986年「ニュービジネスの旗手(4)〝人をコーディネート〟総合産業を生み出すベンチャー」
    • [12]労働省は請負形式を求め、発注先の部屋から鉛筆まで賃貸契約を結ばせた
    • [13]法制化前はスタッフの社会保険・雇用保険が認められずパートタイム扱いだった
    • [14]1986年7月の派遣法施行を南部氏ははっきり線がひかれたとして歓迎した

派遣法と東京進出 ── 制度と顧客を同時に開拓した10年

派遣法の施行を境に、テンポラリーセンターは規模を一気に広げた。1986年の時点で登録スタッフは未婚を含めて約3万人、人材派遣単体の年商は180億円、子会社21社を含めた連結では約300億円に達していた[15]。1989年には取引先が1万数千社、スタッフ約5万人、派遣事業の年商340億円となり、関連会社は30社を超える[16]。登録スタッフの9割は女性で、新たに設けた子会社の社長にも女性を据えることが多かった[17]。教育はテンポラリーカレッジが担い、派遣前に1週間の事前研修を課したうえで、成績のふるわない登録者には次の仕事を回さない運用を取った[18]

  • バンガード 1986年「ニュービジネスの旗手(4)〝人をコーディネート〟総合産業を生み出すベンチャー」
    • [15]1986年時点で登録スタッフ約3万人、派遣単体の年商180億円、子会社21社を含む連結約300億円だった
    • [18]テンポラリーカレッジで派遣前に1週間の事前教育を行い、うまくやらないと次の仕事を与えない運用をした
  • 月刊貿易と産業 1989年10月号「台頭するヤングパワー 国際的なビジネス展開をめざす 人材派遣業 テンポラリーセンター 南部靖之専務」
    • [16]1989年時点でクライアント1万数千社、スタッフ約5万人、年商340億円、関連会社30社以上だった
    • [17]登録スタッフの9割が女性で、新設子会社の社長もほとんどが女性だった

海外にも早くから出た。1983年に西ドイツの日系企業へ秘書を送ったのを皮切りに、香港、シンガポール、スイスへと派遣先を広げ[19]、1988年10月には南部氏自身が家族とともに米コネチカット州へ移り、東京・ニューヨーク・シンガポール・デュッセルドルフの四極体制を掲げた[20]。1993年6月、テンポラリーセンターは商号を株式会社パソナへ変更[21]する。創業20年を機に旧名を使わずゼロからやり直すという意図が込められていた[22]。制度の側も動き、1995年の法改正で対象業務は16業務、1996年に26業務へ広がり、1999年改正では原則自由化へ転じた。

  • バンガード 1986年「ニュービジネスの旗手(4)〝人をコーディネート〟総合産業を生み出すベンチャー」
    • [19]西ドイツの日系企業への秘書派遣が香港・シンガポール・スイスへの海外展開につながった
  • 月刊貿易と産業 1989年10月号「台頭するヤングパワー 国際的なビジネス展開をめざす 人材派遣業 テンポラリーセンター 南部靖之専務」
    • [20]1988年10月に南部氏が家族とともに渡米し、東京・ニューヨーク・シンガポール・デュッセルドルフの四極体制を掲げた
  • パソナグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [21]1993年6月にテンポラリーセンターは株式会社パソナへ商号変更した
  • 長銀総研L 1994年
    • [22]創業20周年を機に旧名を使わずゼロからやり直すつもりで社名をパソナに改めた

1993年に立ち上げた人材交流システム機構は、中高年社員の出向を仲介する事業だった。大企業から出向で受け入れ、さらに中小企業へ送るという当初案は二重の出向で雇用関係が曖昧だとされ、出向と派遣の組み合わせに改めても、派遣法は雇用を1社に限る前提で作られていると退けられる[23]。1994年3月、南部氏は派遣を諦め、出向者でチームを組んで企業の一部門を請け負う形へ切り替えた。派遣であれば4万から5万人分の働き口を見込めたが、請負では約3000人にとどまった[24]。制度の枠が事業の規模を決めた経験は、その後も繰り返し現れる。

  • 日経ビジネス 1994年5月2日号
    • [23]大企業からの出向を中小企業へ再出向させる案は二重の出向で雇用関係が曖昧とされ、出向と派遣の組み合わせも派遣法が雇用を1社に限る前提だとして退けられた
    • [24]派遣から請負に切り替えた結果、見込んでいた4万〜5万人規模の働き口が約3000人にとどまった
  • バンガード 1986年「ニュービジネスの旗手(4)〝人をコーディネート〟総合産業を生み出すベンチャー」
    • [15]1986年時点で登録スタッフ約3万人、派遣単体の年商180億円、子会社21社を含む連結約300億円だった
    • [18]テンポラリーカレッジで派遣前に1週間の事前教育を行い、うまくやらないと次の仕事を与えない運用をした
    • [19]西ドイツの日系企業への秘書派遣が香港・シンガポール・スイスへの海外展開につながった
  • 月刊貿易と産業 1989年10月号「台頭するヤングパワー 国際的なビジネス展開をめざす 人材派遣業 テンポラリーセンター 南部靖之専務」
    • [16]1989年時点でクライアント1万数千社、スタッフ約5万人、年商340億円、関連会社30社以上だった
    • [17]登録スタッフの9割が女性で、新設子会社の社長もほとんどが女性だった
    • [20]1988年10月に南部氏が家族とともに渡米し、東京・ニューヨーク・シンガポール・デュッセルドルフの四極体制を掲げた
  • パソナグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [21]1993年6月にテンポラリーセンターは株式会社パソナへ商号変更した
  • 長銀総研L 1994年
    • [22]創業20周年を機に旧名を使わずゼロからやり直すつもりで社名をパソナに改めた
  • 日経ビジネス 1994年5月2日号
    • [23]大企業からの出向を中小企業へ再出向させる案は二重の出向で雇用関係が曖昧とされ、出向と派遣の組み合わせも派遣法が雇用を1社に限る前提だとして退けられた
    • [24]派遣から請負に切り替えた結果、見込んでいた4万〜5万人規模の働き口が約3000人にとどまった

未払い社会保険料問題と成長鈍化 ── 急伸した派遣業界の構造的弱さ

急成長の裏側では、派遣会社の薄い収益基盤が社会保険料の未払いとなって表面化した。発端は会計検査院が1997年と1998年の2年続けて実施した社会保険加入調査で、調査した派遣会社の事業所のうち約3割で徴収漏れが見つかり、社会保険庁を通じて過去2年分がさかのぼって徴収された[25]。最大手のパソナとテンプスタッフも前年度に数億円を支払ったとみられている[26]。負担の背景には利益率の低さがあり、大手でも売上高経常利益率は1〜2%程度にとどまっていた。売上高1260億円で業界首位のパソナについて、南部靖之代表は自社は2〜3%の経常利益率を確保しており社会保険料の支払いで即座に赤字になることはないと反論した[27]

  • 日経ビジネス 1998年9月14日号
    • [25]会計検査院の調査で約3割の事業所に社会保険料の徴収漏れが見つかり、過去2年分がさかのぼって徴収された
    • [26]最大手のパソナとテンプスタッフも前年度に数億円を支払ったとみられる
    • [27]南部靖之代表は当社は2〜3%の経常利益率を上げているので社会保険料の支払いで即赤字にはならないと述べた

労働力の需給を調整する役回りとして不況下でも伸びてきた派遣市場にも、1990年代末には変調が現れた。日本人材派遣協会が首都圏の主要23社を対象にまとめた調査では、派遣実績の前年同期比の伸びが1997年1〜6月の29.8%増から、同年7〜12月には11.8%増へ縮んでいる[28]。この時期の業界大手はいずれも株式を上場しておらず、1997年度はパソナの1260億円を筆頭にテンプスタッフ670億円、スタッフサービス465億円と続き、資本金数億円規模の各社が低い利益率のまま売上の規模を競う構図にあった。パソナの上田宗央エグゼクティブバイスプレジデントは、急成長を支えた情報関連企業の需要が鈍り、正社員を派遣に置き換えてきた企業が第2のリストラ段階に入って派遣社員まで絞り込み始めたことを要因に挙げた[29]

  • 日経ビジネス 1998年9月14日号
    • [28]日本人材派遣協会の調査で首都圏主要23社の派遣実績の伸びは1997年1〜6月の29.8%増から7〜12月に11.8%増へ縮んだ
    • [29]上田宗央エグゼクティブバイスプレジデントは情報関連企業の需要鈍化と企業の第2リストラによる派遣社員の絞り込みを成長鈍化の要因に挙げた

株式を公開しない理由については、企業版のNPOを目指しており、公開会社であれば神戸の小売業などは株主代表訴訟になったかもしれないと説明している[30]。だが翌1999年、その閉じた経営に外から光が当たる。

  • 日経ビジネス 1998年9月28日号
    • [30]株式を公開しない理由として企業版のNPOを目指しており公開会社なら神戸の小売業は株主代表訴訟になったかもしれないと説明した
  • 日経ビジネス 1998年9月14日号
    • [25]会計検査院の調査で約3割の事業所に社会保険料の徴収漏れが見つかり、過去2年分がさかのぼって徴収された
    • [26]最大手のパソナとテンプスタッフも前年度に数億円を支払ったとみられる
    • [27]南部靖之代表は当社は2〜3%の経常利益率を上げているので社会保険料の支払いで即赤字にはならないと述べた
    • [28]日本人材派遣協会の調査で首都圏主要23社の派遣実績の伸びは1997年1〜6月の29.8%増から7〜12月に11.8%増へ縮んだ
    • [29]上田宗央エグゼクティブバイスプレジデントは情報関連企業の需要鈍化と企業の第2リストラによる派遣社員の絞り込みを成長鈍化の要因に挙げた
  • 日経ビジネス 1998年9月28日号
    • [30]株式を公開しない理由として企業版のNPOを目指しており公開会社なら神戸の小売業は株主代表訴訟になったかもしれないと説明した

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パソナグループの沿革1976〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1976〜1999年家事手伝いから事務派遣へ ── 人材派遣を産業として立ち上げる家事代行から始めた事務派遣 ── テンポラリーセンターの創業

1976年2月、関西大学の学生だった南部靖之氏が、結婚や出産で退職した女性の再就職を掲げ、大阪市北区で株式会社テンポラリーセンター(後のパソナ、現パソナグループ)の前身を興した創業。労働者派遣がまだ法で認められていない時代に、家事代行と事務作業を半日単位で請け負う契約の形をとり、女性を企業の事務現場へ送り出す事業を設計した。日本の人材派遣という業態の草分けとなる。

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★★★
テンポラリーセンターの商号をパソナに変更
2000〜2007年経営危機からの本業分離と株式上場 ── 個人商店から組織経営への転換パソナに商号変更
「新旧分離」による本業回帰と株式上場

2000年6月、南部靖之氏が率いるパソナは、多角化の失敗で債務超過に陥った本業の人材派遣事業を『新旧分離』で別会社へ切り出し、2001年12月に大阪証券取引所のナスダック・ジャパン市場へ上場させた。不採算事業と負債を旧会社に残し、収益力のある本業を上場で再建する経営判断。

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★★★
南部靖之株式移転により持株会社パソナグループを設立★★
2008〜2019年矢継ぎ早の買収と物言う株主の登場 ── 総合人材サービスへの拡大南部靖之パソナが三井物産ヒューマンリソースを吸収合併
南部靖之パソナテックの株式を公開買付により追加取得し完全子会社化
南部靖之ビーウィズを子会社化★★
南部靖之パナソニック ビジネスサービスを子会社化
南部靖之ニジゲンノモリを子会社として設立★★
南部靖之パソナがNTTヒューマンソリューションズを子会社化
南部靖之「A Better Pasona」への応答——オアシスの経営改善要求と南部体制の維持

上場子会社の含み価値と低収益を突く物言う株主オアシスの公開キャンペーンに対し、南部体制を維持して要求に応じず、翌年総会で株主提案を不発に終わらせた資本政策・株主対応(論点は2024年に再燃)

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★★★
2020〜2025年淡路島移転とベネフィット・ワン売却 ── 派遣・紹介の規模競争から外れる選択南部靖之本社主要機能の淡路島移転——東京一極集中に背を向けた地方分散

2020年9月、パソナグループのグループ代表・南部靖之氏が、本社の主要機能を東京都千代田区から兵庫県淡路島へ移すと発表した経営判断。人事・経理・広報・経営企画などを担う約1,800人のうち1,200人を2024年5月末までに段階的に移し、コロナ下の分散型の働き方と地方創生を掲げた。

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★★★
南部靖之子会社であるビーウィズが東京証券取引所市場第一部に上場
南部靖之パソナグループによるベネフィット・ワンの第一生命への売却

2024年、パソナグループは連結で最大の稼ぎ頭だった上場子会社ベネフィット・ワンを第一生命ホールディングスへ手放した。医療情報のエムスリーとの争奪の末、第一生命が1株2,173円でTOBを実施。パソナが握る51.16%分は、ベネフィット・ワンによる自己株式取得を使い、税務メリットを一般株主のTOB価格に還元する形で譲渡した。パソナは連結で約1,120億円の売却益を得た。

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★★★
南部靖之パソナテックを吸収合併
出典・参考
  • パソナグループ 有価証券報告書(役員の状況)
  • パソナグループ 有価証券報告書【沿革】
  • 経営コンサルタント 1983年10月号(経営政策研究所)
  • 月刊貿易と産業 1989年10月号「台頭するヤングパワー 国際的なビジネス展開をめざす 人材派遣業 テンポラリーセンター 南部靖之専務」
  • 日経ビジネス 1994年5月2日号
  • 月刊アドバタイジング 1996年6月号「冒険なきところに、我が人生なし」
  • 日経ビジネス 1998年9月14日号
  • 日経ビジネス 1998年9月28日号
  • フリーワーカー 21世紀のベンチャー型人材(南部靖之、実業之日本社、1984年)
  • バンガード 1986年「ニュービジネスの旗手(4)〝人をコーディネート〟総合産業を生み出すベンチャー」
  • 長銀総研L 1994年
  • 近代企業リサーチ 1995年5月10日号「創業者の軌跡7 世界の人材派遣企業『パソナ』を創設」

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