1997年〜 マルチメディア端末から始まったベンチャー創業
- 1997年 ディップを設立
- 1998年 IBMとの提携による人材情報事業の立ち上げと、端末IBM・コンテンツ自社という分担 同じ市場を狙う世界的大手と、資本金2,900万円の新興企業はどう向き合ったか
- 1998年 コンビニ端末での情報提供サービスを開始
- 2000年 インターネットによる派遣社員の求人情報サービス「はたらこねっと」を開始
- 2001年 「はたらこねっと」上でアルバイト情報の提供を開始
- 2002年 新サイト「バイトルドットコム」を開始
- 2003年 ヤフー依存からの脱却と、提携解消の通告を受けた上場辞退 集客をポータル最大手に預けたまま上場するか、自社で人を集める会社になるか
英会話スクールの集客難から生まれた「無料カタログ送付サービス」構想
ディップの源流は、創業者の冨田英揮氏が父から引き継いだ英会話スクールの運営にある。大学卒業後に不動産業界などで営業を経験した冨田氏は、父が新たに始めた英会話スクールの経営を任されたが、その矢先のバブル崩壊で資金繰りが悪化し、スクールは赤字に転落、自己破産寸前まで追い込まれた父はスクールの身売りを決断した。冨田氏は売却先を探す過程で新オーナーから現場の経営責任者として残るよう請われ、26歳で引き続きスクール経営に携わった。素人として飛び込んだスクール経営で冨田氏が突き当たったのは、生徒募集の費用対効果という壁で、折り込みチラシによる募集では一人の生徒を獲得する費用が年間授業料を上回ることも少なくなかった。 [1][2]
- [1]冨田英揮は不動産業界などでの営業を経て父の英会話スクール運営を任され、バブル崩壊による経営難で父がスクールを身売りした後、新オーナーの下で26歳から現場の経営責任者を務めた
- [2]英会話スクールの折り込みチラシ募集では、一人の生徒を獲得する費用が年間授業料を上回ることもあった
効率的な集客方法を探していた冨田氏が着目したのは、名古屋市内の国際センタービルに設置された英会話スクールのパンフレットコーナーだった。各スクールのカタログをまとめて並べ月額でラックを貸すこの仕組みからの入学申し込みや問い合わせの件数が突出して多く、広告効果がずば抜けて高いことに気づいた冨田氏は、こうした情報提供の仕組みを量産して各所に設置すればヒットするという発想に至る。これが起業の直接のきっかけであり、その構想は、各種スクールの生徒募集・ブライダル・自動車購入など多分野のカタログを専用の情報端末から取り寄せられるようにし、利用者へ無料でカタログを送付する代わりに、取得した顧客データを見込み客情報として企業へ販売するというものだった。紙のラックと違い情報端末なら設置場所を取らずカタログ補充の手間も要らない点に、量産と横展開の勝機を見ていた。 [3][4]
- [3]名古屋市の国際センタービルにあった英会話スクールのパンフレットラックからの申込・問い合わせが突出して多く、その広告効果への着目が起業の直接のきっかけとなった
- [4]無料カタログ送付サービスの構想は、利用者に無料でカタログを送る代わりに取得した顧客データを企業へ販売するというものだった
起業に専念するため冨田氏は英会話スクールの経営から退いたが、資本金もなく、事業プランを各企業に売り込んでも評価はされるものの商談には至らず、生活費を借金で工面しながら金策に走る日々が2年ほど続いた。転機となったのは、パソナグループの南部靖之氏とソフトバンクの孫正義氏が若手起業家を支援するために設立した「ジャパン・インキュベーション・キャピタル」(JIC)の存在をテレビで知ったことで、送付した事業計画書が認められ、パソナ社内に机を一つ置かせてもらえることになった。JICとパソナの後ろ盾を背景に東京都の保証協会から無担保・無保証の融資も受けられ、1997年3月、冨田氏は愛知県名古屋市中区にディップ株式会社を設立した。創業時の事業目的は、コンビニエンスストア店頭に設置されたマルチメディアステーション端末を媒介とした「無料カタログ送付サービス」の運営である。 [5][6][7][8]
- [5]創業前の冨田は資金難で約2年金策に走り、南部靖之・孫正義が設立したJIC(ジャパン・インキュベーション・キャピタル)の支援でパソナ社内に席を得て、東京都保証協会の無担保・無保証融資を受けて起業にこぎ着けた
- ディップ 有価証券報告書【沿革】
- [6]1997年3月、愛知県名古屋市中区にディップ株式会社が設立された
- [8]創業時の事業目的は、コンビニ端末を媒介とした「無料カタログ送付サービス」の運営だった
- ディップ 有価証券報告書 第28期(2025年2月期)【表紙】
- [7]ディップ株式会社の設立者は創業者の冨田英揮である
- [1]冨田英揮は不動産業界などでの営業を経て父の英会話スクール運営を任され、バブル崩壊による経営難で父がスクールを身売りした後、新オーナーの下で26歳から現場の経営責任者を務めた
- [2]英会話スクールの折り込みチラシ募集では、一人の生徒を獲得する費用が年間授業料を上回ることもあった
- [3]名古屋市の国際センタービルにあった英会話スクールのパンフレットラックからの申込・問い合わせが突出して多く、その広告効果への着目が起業の直接のきっかけとなった
- [4]無料カタログ送付サービスの構想は、利用者に無料でカタログを送る代わりに取得した顧客データを企業へ販売するというものだった
- [5]創業前の冨田は資金難で約2年金策に走り、南部靖之・孫正義が設立したJIC(ジャパン・インキュベーション・キャピタル)の支援でパソナ社内に席を得て、東京都保証協会の無担保・無保証融資を受けて起業にこぎ着けた
- ディップ 有価証券報告書【沿革】
- [6]1997年3月、愛知県名古屋市中区にディップ株式会社が設立された
- [8]創業時の事業目的は、コンビニ端末を媒介とした「無料カタログ送付サービス」の運営だった
- ディップ 有価証券報告書 第28期(2025年2月期)【表紙】
- [7]ディップ株式会社の設立者は創業者の冨田英揮である
IBM提携によるコンビニ端末事業の立ち上げと人材情報への転換
会社を設立しても、「無料カタログ送付サービス」を実現する最大の難関は、大量の専用端末をどこにどう設置するかだった。人が集まる場所として大手外食チェーンに的を絞って営業して回るなか、かねて交渉していたマクドナルドの担当者から、同じような端末設置の話をIBMが持ち込んでいると聞かされる。資本力で正面から戦える相手ではないと判断した冨田氏は、IBMに対抗するのではなく提携を申し入れ、IBMが端末というハードを、自社がコンテンツを担うという役割分担に活路を求めた。IBMの端末はすでに都内1000店舗のコンビニエンスストアに設置済みで、あとは参加企業を集めて運用システムを開発するだけだったが、その開発費用は自社負担という条件であり、冨田氏はシステムが未完成のまま年間契約料を先払いで受け取る形でクライアントを集め、開発資金を捻出した。 [9][10]
- [9]端末設置先を探す中でマクドナルド経由でIBMの同種計画を知り、対抗ではなく提携を申し入れ、IBMがハード・ディップがコンテンツを担う分担とした
- [10]IBMの端末はすでに都内1000店舗のコンビニに設置済みで、ディップは開発費を自社負担し年間契約料の先払いでクライアントを集めて開発資金を捻出した
英会話スクール時代に培った生徒募集のノウハウを転用し、半年で必要な資金とクライアントを確保した冨田氏は、1998年1月、首都圏の各コンビニで「無料カタログ送付サービス」の運用を開始した。翌1999年にはトヨタ自動車や本田技研工業など全116社の参加を得て、早くも約1億円の売上を計上するまでに事業は立ち上がった。設立翌年の1998年5月には本社を名古屋から東京都渋谷区へ移し、同じコンビニ端末を使った「人材派遣お仕事情報サービス」を開始している。コンビニ店頭の端末を情報インフラと見立ててそこへ商材を載せるという、当時としては先進的なチャネル発想が、紙メディアからネットへ移る過渡期の一手として機能した。 [11][12][13]
- [11]1998年1月、首都圏の各コンビニで「無料カタログ送付サービス」の運用を開始した
- [12]1999年にトヨタ自動車・本田技研工業など全116社の参加を得て約1億円の売上を計上した
- ディップ 有価証券報告書【沿革】
- [13]1998年5月、本社を東京都渋谷区へ移転し、同端末で「人材派遣お仕事情報サービス」を開始した
「無料カタログ送付サービス」が扱う車・ブライダル・スクール・旅行など各カテゴリーのなかで、クライアントの予想を超える反響を集めたのが「人材派遣」だった。派遣で働きたい求職者が登録先の派遣会社を探していたためで、ある大手派遣会社からは、発信したいのは派遣会社のカタログよりも求職者が求めている仕事の情報だ、という助言を得る。これを受けて立ち上げた「人材派遣お仕事情報サービス」が、後の主力「はたらこねっと」の前身となった。背景には、1986年の労働者派遣法施行から1990年代を通じた派遣市場の拡大と、1999年の派遣業務原則自由化(ネガティブリスト方式への転換)で派遣会社数が急増する局面があり、コンビニ端末発のチャネル発想は、結果として「労働市場の情報インフラ」という今日の同社の自己定義を準備した。 [14]
- [14]カタログ各分野で人材派遣の反響が突出し、ある大手派遣会社の助言を受けて立ち上げた「人材派遣お仕事情報サービス」が後の「はたらこねっと」の前身となった
- [9]端末設置先を探す中でマクドナルド経由でIBMの同種計画を知り、対抗ではなく提携を申し入れ、IBMがハード・ディップがコンテンツを担う分担とした
- [10]IBMの端末はすでに都内1000店舗のコンビニに設置済みで、ディップは開発費を自社負担し年間契約料の先払いでクライアントを集めて開発資金を捻出した
- [11]1998年1月、首都圏の各コンビニで「無料カタログ送付サービス」の運用を開始した
- [12]1999年にトヨタ自動車・本田技研工業など全116社の参加を得て約1億円の売上を計上した
- [14]カタログ各分野で人材派遣の反響が突出し、ある大手派遣会社の助言を受けて立ち上げた「人材派遣お仕事情報サービス」が後の「はたらこねっと」の前身となった
- ディップ 有価証券報告書【沿革】
- [13]1998年5月、本社を東京都渋谷区へ移転し、同端末で「人材派遣お仕事情報サービス」を開始した
インターネットとYahoo!提携による「はたらこねっと」「バイトル」確立
冨田氏はインターネット参入のタイミングを計っていた。自宅でのネット利用者が人口の2割程度に達し今後さらに拡大が見込めると判断したうえで、コンビニ端末からネットにつなげば、ネット環境を持たない残り8割の求職者も取りこぼさず併用でカバーできると考えた。2000年5月、ディップは本社を東京都千代田区へ移し、同年10月にインターネットによる派遣社員の求人情報サービス「はたらこねっと」を開始する。ADSL普及前夜でインターネット接続率が伸び、Yahoo! JapanやGoogleの一般化、楽天市場の急成長などネットメディア事業者の創業ブームが続くなか、リクルートが「FromA」「とらばーゆ」「B-ing」といった紙媒体で求人広告市場を押さえる環境で、ディップはインターネット専業の求人サイトとして派遣・アルバイト領域に立ち位置を絞った。 [15][16]
- [15]ネット参入を判断した当時、自宅でのネット利用者は人口の2割程度に達していた
- ディップ 有価証券報告書【沿革】
- [16]2000年5月に本社を東京都千代田区へ移転し、同年10月に「はたらこねっと」を開始した
2001年2月にはたらこねっと上でアルバイト情報の提供を始めると、2002年10月にはアルバイト部門を独立サイト「バイトルドットコム」(現バイトル)として切り出し、派遣の「はたらこねっと」とアルバイトの「バイトル」という二枚看板で雇用形態別に求職者を仕分けるサイト設計を取った。事業拡大を加速させたのがポータル最大手ヤフーとの提携で、2001年11月からアルバイト・請負情報を、2002年1月からは派遣情報をヤフー上で配信し、とりわけ派遣情報はディップの独占だった。集客力の高いヤフー経由でアクセス数は一気に伸び、膨大な求職情報が集まる好循環に入る。この間、2001年9月の大阪オフィス開設、2003年3月の東京都港区への本社移転と、人員規模に応じて拠点を整えた。 [17][18][19]
- ディップ 有価証券報告書【沿革】
- [17]2001年2月にはたらこねっと上でアルバイト情報の提供を開始し、2002年10月にアルバイト部門を独立サイト「バイトルドットコム」(現バイトル)として切り出した
- [19]2001年9月に大阪オフィスを開設し、2003年3月に本社を東京都港区へ移転した
- [18]ヤフーとの提携で2001年11月からアルバイト・請負情報、2002年1月から派遣情報を配信し、派遣情報はディップの独占だった
一方で冨田氏は、業績がヤフーの集客力で急伸するほどに、その依存への危機感を強めていた。提携効果が高いうちに脱ヤフーを進めるべく、人気女優をイメージキャラクターに起用するなど自社ブランディングに注力する。危機感は的中し、2003年12月にいったん東証マザーズ上場の承認を得ていながら、上場の3日前にヤフーから提携解消を通告され、ディップは上場を辞退した。「ピンチはチャンス」を信条とする冨田氏は、予定していた上場記念パーティーをあえて決行して社員に今後の方針を説き、その場を「ヤフーからの卒業パーティー」と位置づけた。翌年に上場を果たすことになるが(次章)、創業から6年、リクルート系の総合求人サイトが広告露出を独占するなかで、ディップは派遣・アルバイトに特化した専業というポジションで市場に切り込み、中堅プレイヤーとしての足場を固めた。 [20][21][22]
- [20]ヤフー依存への危機感から、人気女優をイメージキャラクターに起用するなど自社ブランディングに注力した
- [21]2003年12月にいったん東証マザーズ上場の承認を得たが、上場3日前のヤフーからの提携解消通告を受けて上場を辞退した
- ディップ 有価証券報告書【沿革】
- [22]創業(1997年)から6年で、派遣・アルバイト特化の専業として中堅プレイヤーの足場を固めた
- [15]ネット参入を判断した当時、自宅でのネット利用者は人口の2割程度に達していた
- [18]ヤフーとの提携で2001年11月からアルバイト・請負情報、2002年1月から派遣情報を配信し、派遣情報はディップの独占だった
- [20]ヤフー依存への危機感から、人気女優をイメージキャラクターに起用するなど自社ブランディングに注力した
- [21]2003年12月にいったん東証マザーズ上場の承認を得たが、上場3日前のヤフーからの提携解消通告を受けて上場を辞退した
- ディップ 有価証券報告書【沿革】
- [16]2000年5月に本社を東京都千代田区へ移転し、同年10月に「はたらこねっと」を開始した
- [17]2001年2月にはたらこねっと上でアルバイト情報の提供を開始し、2002年10月にアルバイト部門を独立サイト「バイトルドットコム」(現バイトル)として切り出した
- [19]2001年9月に大阪オフィスを開設し、2003年3月に本社を東京都港区へ移転した
- [22]創業(1997年)から6年で、派遣・アルバイト特化の専業として中堅プレイヤーの足場を固めた