本社主要機能の淡路島移転——東京一極集中に背を向けた地方分散

災害に備える事業継続か、地方創生への賭けか——1,200人を淡路島へ移した南部靖之の逆張り

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時期 2020年9月
意思決定者 南部靖之 グループ代表
論点 本社機能の立地と地方分散
概要
2020年9月、パソナグループのグループ代表・南部靖之が、本社の主要機能を東京都千代田区から兵庫県淡路島へ移すと発表した経営判断。人事・経理・広報・経営企画などを担う約1,800人のうち1,200人を2024年5月末までに段階的に移し、コロナ下の分散型の働き方と地方創生を掲げた。
背景
発端は2011年の東日本大震災で南部が深めた危機意識にある。東京への一極集中を災害への弱さととらえ、2008年から淡路島で観光・農業の地域創生事業を進めてきた。2015年に社内へ構想を示し、毎年20人の新入社員を送って受け皿を築いた。
内容
2020年9月1日に正式発表し、BCP(事業継続計画)の観点から本部機能を地方へ分散させると説明した。オフィス・住宅・教育・通信の受け入れ体制を先回りで整え、コロナ禍が計画の実行を後押しした。移転を望まない社員には無理を求めない方針をとった。
含意
大企業が1,000人超を地方へ移す前例はなく、「体のいいリストラ」との疑いも招いた。だが2024年5月末に淡路島勤務は目標を超える約1,300人、周辺の職種を含めれば約2,000人に達し、逆張りの構想は数字の上で形になった。
筆者の見解

本社はどこにあるべきか

この決断の核心は、財務の危機に迫られた撤退や縮小ではなく、創業者の信念に発した立地の転換にある。東京への一極集中を災害への弱さととらえる問題意識を、南部靖之は2011年の震災以降ひとりで温め、観光や農業の事業と受け入れ体制を先に築いたうえで、コロナ禍という追い風を待って本社機能を動かした。人材サービスの規模と効率を競う業界の主流から一歩外れ、雇用を生む場は地方にあるという賭けに1,200人規模の本社を投じた点に、この移転のほかにない性格がある。

もっとも、逆張りの構想が投じた問いは、まだ閉じていない。移り住んだ社員の数という点では、移転は掲げた目標を期限どおりに満たした。だが観光や農業を新たな収益の柱に育てられるか、都心を離れた本社が企業価値をどう高めるかは、ベネフィット・ワン売却後の本業立て直しと並ぶ宿題として残っている。大企業の本社は都心になければならないのか——淡路島への移転は、その問いに実地で答えを出そうとする、いまも続く実験にあたる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

東京一極集中への疑いと淡路島の地歩

パソナグループを率いる南部靖之は、早くから東京への一極集中を災害に対する弱さととらえてきた。2008年のリーマン・ショックや2011年の東日本大震災を経て、その危機意識は行動へと傾いていく。地震や富士山の噴火、テロといった非常事態はいつか繰り返されるとみて、機能を一カ所に束ねた本社のかたちそのものを問い直そうとした。人材サービスを本業とする同社にとって、拠点を分けておくことは、いざというときに事業を止めないための備えでもあった[1]

移転先の淡路島は、思いつきで選んだ地ではない。同社は2008年から淡路島で農業や観光の地域創生事業を手がけ、入社式を島で開くなど、社員が土地になじむ機会を重ねてきた。南部は東京一極集中を問題ととらえ、少しずつ淡路島で事業を広げてきたと語る。雇用を生み出す余地は大都市よりむしろ地方にあるという確信が、観光施設や農業法人の集積となって、本社移転より先に形をとっていた[2]

5年がかりの助走

構想は2020年に降ってわいたものではない。南部は2015年の時点で社員へ移転の考えを示し、新入社員から毎年20人を選んで淡路島へ送り込み、受け入れの土台を年ごとに厚くしていった。オフィスや住宅、子どもの教育環境、通信網といった生活と仕事の基盤を先回りで整え、発表の時点では受け入れを担うチームが100人規模に達していた。理念を掲げるだけでなく、人が移り住める条件をあらかじめ用意した点に、この決断の周到さがうかがえる[3]

決断

1,200人を淡路島へ——BCPと分散の宣言

2020年9月1日、パソナグループは本部機能の淡路島移転を正式に発表した。人事・財務経理・経営企画・広報・IT/DXなどを担う約1,800人のうち1,200人を、2024年5月末までに東京から淡路島へ段階的に移す計画である。新型コロナウイルスの感染拡大で働き方やオフィスの見直しが広がるなか、事業継続計画(BCP)の観点から主要機能を地方へ分散させるという狙いを前面に置いた。都心に本社を構える大企業の常識に対する、正面からの問い直しだった[4]

災害への備えとして温めてきた構想を実行へ押し出したのは、コロナ禍だった。南部は、もし何も起きなければ移転を口で言うだけの「オオカミ少年」になっていたかもしれないと振り返り、感染症の拡大が背中を押した面があると認めている。在宅勤務が一気に広がり、本社が都心になくても仕事は回るという実感が社会に生まれたことで、地方分散は理想論から現実の選択肢へと変わった。長く抱いてきた問題意識が、外部環境の急変と重なって形を得た[5]

「リストラでは」への反論

発表は驚きとともに、疑いの声も呼んだ。本社機能の地方移転は、東京を離れられない社員を辞めさせる「体のいいリストラ」ではないか、という見方である。南部はこれを退け、来られない人は無理をしなくてよい、来たい人が大勢いるのだから譲ってくれればよいと語った。実際、子どものアトピーやアレルギーを理由に地方暮らしを望む家族層の希望が、予想を超えて多かったという。強制ではなく希望を軸に据えることで、移転を働き方の選択肢として示そうとした[6][7]

結果

目標を超えた着地

移転は掲げた数字を実際に達成した。2024年7月、パソナグループは、淡路島に着任した社員が同年5月末時点で約1,300人に達し、当初の目標を上回ったと明らかにした。2020年の発表時に掲げた「2024年5月末までに約1,200人」という計画を、期限どおりに満たした形である。料理人やアトラクションの接客係など、当初は数えていなかった職種まで含めれば、島内で働く社員は約2,000人に上った。人が動くかどうかを危ぶむ声を、移転は人数で押し返した[8]

数字は移転後も伸び続けた。移転から5年を数えた2025年も、淡路島でパソナのために働く社員は約2,000人の水準を保ち、当初の想定を上回る規模で定着した。移り住んだ社員とその家族は、過疎に悩んできた島の人口を押し上げ、地元の雇用や観光にも広がった。一方で、災害への備えと社員の暮らしという狙いが形をとる裏で、観光や農業を成長の柱に育てる三つ目の目標は、なお道半ばにある。移転の成否は、拠点を分けたことだけでなく、島で新たな事業を根づかせられるかにかかっている[9]

出典・参考