1995年2月、軽作業に特化した請負業を事業目的[1]として株式会社グッドウィルが東京都新宿区西新宿に設立された。資本金は1000万円で、役職員は5人[2]、事務所はマンションの一室だった。会社の出発点にあったのは、荷物の積み下ろしや棚卸しといった、工場や倉庫で発生する短時間の作業を請け負う事業である。設立の翌月には新宿支店で営業を始めている[3]。
事業の拡張は、自前で部門を起こす方法と、会社を買う方法の両方で進んだ。1996年には本支店間を広域ネットワークで結ぶ業務管理情報システム"CONGA"と[4]、新規顧客開拓のテレマーケティングシステム"CAITAC"を整えている。1997年には方向の異なる三つの手を同じ年に打った。2月に株式会社アール・ティー・シーの全株式を取得して人材派遣業へ進出し[5]、3月に株式会社コムスンへ資本参加して介護ビジネスに足を入れ、6月に事業多角化のため株式会社サイクを取得している。同年7月には建設・内装現場に特化したコンストラクション事業部、8月にはセールスプロモーションと市場調査に特化したSPエール事業部を発足させた[6]。こうして労働力を供給する先は、設立から2年半で請負・派遣・介護・通信販売支援の四つに増えた。
4年5か月後の1999年6月期は、連結で売上高113億円[7]、経常利益10億円の見込みとなった。同年7月の証券アナリスト協会での講演で折口がこの成長の理由に挙げたのは"知恵と情熱"であり、特別なヒット商品があったわけではなかった[8]。ただし同じ講演で、参入した市場の性質についても率直に述べていた。『当社の発足当時、軽作業のアウトソーシングの分野では、おそらく全国100社以上の会社があり、また実際に既に売上が月十億円規模の会社もあった』うえで自社が短期間で首位に立てたとしつつ、『軽作業の分野は、売上高数十億円の会社しかなかったので、やりやすかったということはある』とも認めている。短期間で首位に立てたのは、その分野に売上高数十億円を超える相手が一社もいなかったからである。
1999年は、この会社の枠組みが決まった年にあたる。5月にグループ各社への持株会社機能を明確にするため社名をグッドウィル・グループ株式会社へ変更し、7[9]月7日に日本証券業協会へ店頭売買有価証券として登録した。同じ7月に、関連会社だったコムスンを子会社化している。グループ各社を子会社として抱える持株会社が、公開市場から直接資金を調達する。その経路が、5月と7月の二つの手続きで開いた。登録までに要した期間は、創業から4年5か月である。折口は社名変更の理由を『私共の会社はグループで見ていただきたいと思ったから』と述べている。
登録の直前には、事業環境の側でも二つの変化が起きていた。ひとつは労働者派遣法の改正である。折口はこの改正を講演で"大きなチャンス"と表現し、それまで量のまとまる派遣がOLに限られていたのに対し、営業職や管理職、経営者の派遣もできるようになったと説明[10]している。もうひとつは介護保険制度で、翌2000年4月の施行が決まっていた。労働市場では規制が緩み、介護市場では公費で新しく需要が生まれる。二つの変化が、店頭登録の前後に相次いだ。
講演で折口が示した見通しは、市場規模の大きさから自社の到達点を逆算するものだった。通商産業省の試算では、人材ビジネス・アウトソーシング・医療福祉の3領域を合計すると2010年に128兆円になり[11]、情報産業の126兆円に匹敵する規模だった。うち医療福祉が91兆円で最大であり、その領域に1兆円企業は1社もなかった。そのうえでコムスンの目標を『2010年の段階でシェア10%をとってトップカンパニーになること』"売上は5,000億円"と置いた。同時に、この事業の性質についてこう説明している。『しかも在庫も、巨額の投資も必要ない』『安定して、タラレバのないビジネスであるという強みがある』『大きな振れのリスクも少なく、安定成長が期待できる』。1999年6月期の売上高113億円の会社が、11年後に売上5000億円の介護事業を持つという見通しである。
拠点を先に置く判断そのものは、当時の材料からは理由のあるものだった。折口は宮城県栗駒町で行った過疎地のモデル事業を根拠として挙げている。この過疎地モデル事業[12]は、1999年7月の講演の時点で、厚生省が決めた1時間当たり3730円という単価で採算が取れていた。誤算は、一つの町で確かめた条件を全国1208カ所に当てはめられると考えた点にある。折口自身、『社会福祉協議会や福祉公社などの抱え込みが強いか弱いというのは、やってみないと分からない』と説明している。
苦戦は同社だけのものではない。大半の業者で利益が出ていない。地方では自治体と結びつきの強い社会福祉法人や地元業者から顧客を奪えず、都市部では需要があっても24時間対応できるヘルパーの数が足りない。制度が生んだ需要を民間が取りに行くという設計そのものに無理があった部分は大きい。それでも折口は市場の見方を変えず、『算数の世界では確実に黒字になるのですから』と述べている。
2001年から2002年にかけて、グループの構成は絞り込まれた。2001年7月に経営資源の選択と集中を理由としてグッドウィル・コミュニケーションの全株式を売却し、2002年4月にはベンチャー投融資のGWキャピタルの全株式も売却[13]して連結から外している。同時にグループ内では合併が続き、2002年1月にはグッドウィル・グループ自身が株式会社ラインナップを吸収合併し、コムスン[14]がデンタル・コムスンとメディカを吸収した。多角化で並べた事業のうち、労働力の供給に直接つながらない2社が、相次いで連結から外れた。
この時期の業績は、介護を除いた部分が伸びたことで説明できる。連結売上高は2002年6月期の473億円から2003[15]年6月期に623億円、2004年6月期に930億円へ増え、当期純利益もそれぞれ24億円、25億円、27億円を確保した。自己資本比率は2002年6月期に54.1%、2003[16]年6月期に45.6%である。介護保険の初年度に生じた損失を抱えながら、請負と派遣の伸びが全体を黒字に保った。この構造は7年後に折口自身が言葉にしている。2007年6月の取材で介護事業の収益状況を問われ、『これまで介護の収益は上がっていない。それ以外の利益で賄ってきた』と答えた。
2004年は組織と資本の両方を組み替えた年である。2月に子会社のコムスンを株式交換により完全子会社化し、3月29日に東京証券取引所市場第1部へ上場した[17]。4月から7月にかけては、共同エンジニアリング、エヌアンドエスプランニング、東邦アドライス、ヒュー・マネジメント・ジャパン[18]を相次いで子会社化している。同時に、持株会社としての性格をはっきりさせる手続きも進んだ。4月に請負事業部門の承継先として株式会社グッドウィルを100%出資で設立し[19]、8月に人材派遣・請負事業を会社分割でこの新会社へ移した。グループ内に散っていた派遣事業も同じ月に集約され、9月には株式会社グッドウィルが買収した3社を吸収合併している。請負と派遣の現場は事業会社へ移り、持株会社の手元には株式と資金だけが残った。
数字の上では、この2年が最も安定していた。連結売上高は2005年6月期に1421億円、2006[20]年6月期に1859億円へ伸び、当期純利益は14億円から34億円へ増えている。自己資本比率は28.8%から35.4%へ戻し、株価収益率は90.9倍から48.5倍へ下がった。総資産は1254億円から1395億円へ増えている[21]。従業員数は8321人から1万855人へ、平均臨時雇用者数[22]は1万8730人から2万854人へ増えた。現場に立つ人数の3分の2は、社員ではなく臨時雇用者である。派遣と請負を主力とする会社の内訳は、2年を通してこの比率のままだった。
買収の判断は、対象企業の内部を一度も見ないまま下された。折口は買収の判断根拠として二つを挙げた。ひとつは連結納税書である。そのうえでサービス業の平均的な株価収益率を25倍とすれば時価総額は5000億円になり、1300億円で買えば『もし利益が半分でも、時価総額は買収額のまだ倍ある』と述べ、『これはもうノーリスク』と結論した。そして『今回はデューデリをしないで買った』と明言している。もうひとつの根拠は、5000億円の売上に達した経営そのものへの評価で、『優秀な経営をしていないとこんなに大きくはならない』という判断だった。
買収の対象は、法令違反が公になった直後の会社だった。実態は派遣なのに契約を請負とする偽装請負が製造現場で広がり、クリスタルグループはその方式で1990年代後半から2000年代前半に急成長した。折口はこの点を問われ、『われわれが引き継いだ後に悪くなることはない。直せば済む話です』と答えた。買収の開示は、実行から2週間以上あいた11月18日だった。
確認された事実は、事業所指定の申請時に雇用実態のない職員を書類に記載した虚偽申請である。前年4月の改正介護保険法では、一事業所でも不正が確認されればその法人すべてが5年間にわたり指定の許可・更新を受けられない連座制が導入されており、これに触れると全事業が止まる。この二つの手続きはいずれも通らず、結局6月に全介護事業を外部へ売却する基本方針が決まった[23]。
事実の評価は、当事者と監督側で食い違った。折口は『事業所の虚偽申請、介護報酬の不正請求というが、申請書類をチェックしていたのは現場であるし、不正請求といってもあくまで事務処理ミスの問題』と述べ、『誰にでもミスはあり、確かに過失はあるが故意や悪意はない。だから詐欺罪にあたることはない』と説明している。引責辞任も否定した。これに対し、東京都福祉保険局の堅多敦子・指導第一課長は『退職した職員の名前を使ったり、本人の了解もなく名前を使うなど、とても過失とはいえないケースがあった。勧告・指導を受けた他社と処分に至った同社とでは問題の質が違った』と反論した。日本経団連は折口の理事退任と活動自粛処分を決めている。組織の側にも指摘があり、UIゼンセン同盟の二宮誠・東京都支部長は『2万人超の組合員がいるのに、1件も現場からの内部告発はなかった』と述べた。
譲渡は分割して進んだ。2007年9月、プレミア・メディカルケアが保有する日本シルバーサービス株式と、コムスンが保有するコムスン関東株式の全てが株式会社ニチイ学館へ渡り、同月から10月にかけてコティ、グレース、マッサージ師事務代行センター、クリスタル介護センター、クリスタル介護施設センターの各社株式がそれぞれの引受先へ譲渡された。在宅系サービス事業の承継は11月に、居住系サービス事業の承継は12月に完了している[24]。1997年3月の資本参加から10年で、介護事業はグループから消えた。2007年6月期の連結決算は[25]、売上高が5090億円へ増えた一方で当期純損失407億円を計上した。純資産は前期の507億円から359億円へ減り、自己資本比率は35.4%から2.6%へ落ちている[26]。
介護と並行して、祖業の日雇い派遣でも問題が表に出た。折口は『創業時からの業界慣行であり、廃止するタイミングを逃していた』と説明し、労働組合の指摘を受けて2007年5月に廃止した。返還をめぐる会社側の説明は二転三転し、過去分の返済は2年に限るとされた。返還を求める訴訟が東京・愛知・福岡などで起こされ、その裁判で会社側は使途についてこう主張した。『その負担を求める理由・動機は存在しても、特定の使途というものはない』。就業規則は、この費用を民間保険料の一部や見舞金に充てると定めていた。裁判での主張は、その記載と食い違っている。
融資も止まった。取引銀行は前年秋までに債権を破綻懸念先へ分類していた。7月に株式会社グッドウィルの全事業が廃止され、10[27]月1日に商号はラディアホールディングス株式会社へ変わった。11月1日には東京証券取引所市場第2部へ指定替えとなり、2004年3月に上がった第1部から4年7か月で降りた。2008年6月期の連結売上高は5843億円で過去最高だが[28]、経常損失127億円、当期純損失274億円を計上し、株主資本は26億円の債務超過となった。
2009年6月期は3期連続の当期純損失となった。売上高は3126億円へ減り、経常損失51億円、当期純損失165億円を計上している[29]。顧客である自動車・半導体・電機各社が金融危機後に減産と非正規雇用の削減[30]を進めたことが直接の要因である。期末の株主資本は180億円の債務超過となり、最大の融資先であるプロモントリア社を含む一部の取引金融機関の財務制限条項に抵触し、借入金の返済[31]を延期する状態に至った。有報は『継続企業の前提に関する重要な疑義が存在しております』と記載している。3期で積み上がった当期純損失は合計847億円である。
単独での再建は成立しなかった。2009年6月23日、産業活力再生特別措置法にもとづく特定認証紛争解決手続、いわゆる事業再生ADR手続の正式申請を行い、同日受理された[32]。7月10日の債権者会議では、対象債権者全員の同意で一時停止の期間延長が承認されている。示された事業再生計画案は、最大債権者のプロモントリア社が子会社株式の担保権を実行し、持株会社は子会社として残る株式会社テクノプロ・エンジニアリングと、プロモントリア社の子会社となる各事業会社へシェアードサービス機能を提供する事業に特化する内容だった。休眠会社となっていたコムスンとグッドウィルは解散し[33]、グループは技術者派遣に特化することとされた。9月28日の株主総会で全部取得条項付種類株式による100%減資が承認されたため株式は上場廃止基準に該当し、整理銘柄の指定を経て2009年10[34]月29日に上場廃止となった。株主の持分は失われている。
14年のあいだに、同じ組み立ての判断が三度繰り返された。1999年には介護市場91兆円の試算から売上5000億円を逆算し、2000[35]年には過疎地1町の採算から1208拠点を同時に開け、2006年には株価収益率25倍から時価総額5000億円を見積もって中身を確かめずに買った。いずれも指標の大きさから到達点を導く手順で、現場で確かめる工程が省かれた。もっとも、この会社だけが特殊だったとは言えない。例外の枠が1999年と2003年に広がった先で、最大手になり、消えた。技術者派遣を担ったテクノプロ・エンジニアリングだけが存続した[36]。
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|---|---|---|---|---|
| 1995〜1999年軽作業請負からの離陸と持株会社への組み替え | 軽作業に特化した請負業を事業目的としてグッドウィルを設立 | ★ | ||
| 人材派遣業進出のため子会社化したアール・ティー・シーを㈱グッドウィルへ商号変更 | ★ | |||
| コムスンに資本参加し関連会社化 | ★★ | |||
| グッドウィル・グループに商号変更 | ★ | |||
| 日本証券業協会に店頭売買有価証券として登録 | ★ | |||
| 2000〜2003年公的介護保険への同時出店と、最初の誤算 | 公的介護保険の開始に合わせた全国一斉のケアセンター展開と、2か月半後の4割統廃合 2000年4月の公的介護保険の施行に合わせ、グッドウィル・グループの子会社コムスンが全国1208カ所のケアセンターを一度に開設し、社員4000人を中途採用した経営判断。折口雅博会長兼社長が拠点数を決め、社名を知らせるために総額50億円の広告を投じた。開業から2か月半で拠点の4割を統廃合し、コムスンの2000年6月期は最終赤字171億円となった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 2004〜2006年東証一部上場と、売上3倍の会社を買う決断 | 川上真一郎 | 請負最大手を投資ファンド経由で取り込む一方でのデューデリジェンスの省略 2006年10月31日、グッドウィル・グループが投資ファンドを介して請負最大手クリスタルグループの株式67%相当を取得し、連結子会社とした経営判断。折口雅博会長は取材に対し、デューデリジェンスを行わずに買ったことを認めている。 詳細を読む | ★★★ | |
| 2007〜2009年介護からの全面撤退、祖業の廃業、そして解体 | 堀井愼一 | 厚生労働省がコムスンの訪問介護8事業所に指定取消処分相当を認定 | ★ | |
| 堀井愼一 | 指定取消相当の通知を受けての介護事業からの全面撤退 2007年6月、グッドウィル・グループが、傘下コムスンの訪問介護事業所8カ所で指定取消処分相当の事実を厚生労働省老健局から指摘されたことを受け、グループ内の全介護事業および介護関連事業を外部へ譲渡する基本方針を決めた経営判断。同年11月に在宅系、12月に居住系の事業承継が完了した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 堀井愼一 | 介護事業から撤退 | ★★ | ||
| 堀井愼一 | 創業者の折口雅博会長らが経営責任を取って辞任 | ★ | ||
| 堀井愼一 | 祖業である日雇い派遣のグッドウィルの全事業から撤退 | ★★ | ||
| 堀井愼一 | 商号をラディアHDへ変更 | ★ | ||
| 2009年6月期末に180億円の債務超過 | ★ | |||
| 東京証券取引所で上場廃止 | ★★ |
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事実根拠:出所(グッドウィル・グループ)