グッドウィル・グループ公的介護保険の開始に合わせたケアセンター1208カ所の同時開設と、2か月半後の4割統廃合
制度が始まる日に全国へ拠点を並べるか、需要を確かめてから置くか——折口雅博会長兼社長が選んだ順序
- 概要
- 2000年4月の公的介護保険の施行に合わせ、グッドウィル・グループの子会社コムスンが全国1208カ所のケアセンターを一度に開設し、社員4000人を中途採用した経営判断。折口雅博会長兼社長が拠点数を決め、社名を知らせるために総額50億円の広告を投じた。開業から2か月半で拠点の4割を統廃合し、コムスンの2000年6月期は最終赤字171億円となった。
- 背景
- 折口会長は1999年7月の店頭公開に先立つ講演で、通産省の試算による2010年の医療福祉市場91兆円を挙げ、そこに1兆円企業が1社もないと述べていた。コムスンの目標は2010年にシェア10%・売上5000億円で、在庫も巨額の投資も要らない安定した事業という読みが前提にあった。
- 内容
- 拠点数の根拠は、宮城県栗原郡で受託した過疎地のモデル事業である。人口1万人強の栗駒町でも客単価の平均が10万円を超えたことから、47都道府県すべてになるべく均等の間隔で置くよう計算して1208カ所を決めた。原資は2000年1月に発表した約230億円の公募増資と、コムスンの80億円の第三者割当増資であった。
- 含意
- 開業直後から契約が取れず、250拠点は利用者がゼロ、顧客2人以下の拠点は4割に達した。地方では社会福祉協議会や地元業者の抱え込みが厚く、都市部では需要があってもヘルパーが足りない。単価が業界予想を3割以上下回ったのはコムスンだけではなく、ニチイ学館も在宅介護で41億円の営業赤字を見込んでいた。
1町の採算と、1208通りの競合
人口1万人強の栗駒町で取れた採算が、47都道府県への均等配置という計算の根拠になった。制度が全国同日に始まり、初年度に約4兆円の予算が動く市場で、先に拠点を並べて社名と初期シェアを押さえる算段には、当時の材料では理由があった。厚生省認定のモデル事業と1時間3730円での採算も手元にあった。外れたのは、拠点ごとに顔ぶれの違う社会福祉協議会や地元業者の抱え込みの強さで、1町の検算では測れない変数である。
同じ誤算は、在宅介護に参入した民間業者に共通していた。単価は業界予想を3割以上下回り、全国展開で競合したニチイ学館も在宅介護で41億円の営業赤字を見込んでいた。制度が生んだ需要を民間が取りに行くという設計の側にも、収まりの悪さがあった。他方、2か月半で4割を閉じ、1週間で1100人の希望退職を集めた速さも、拡大を決めた折口会長自身の判断による。畳む速さは損失を止めたが、置いた拠点が検証を経ていなかったことの裏返しでもある。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
医療福祉91兆円という試算
グッドウィル・グループは1999年7月7日に株式を店頭公開した。折口雅博会長は公開に先立つ講演で、人材ビジネス・アウトソーシング・医療福祉の3領域を合わせた市場が通産省の試算で2010年に128兆円になると述べ、なかでも医療福祉が91兆円と最も大きく、そこに1兆円企業が1社もないことを強調している。在宅介護会社は医療福祉の中核を占められる位置にあるとし、コムスンの目標を2010年にシェア10%・売上5000億円と置いた[1]。
同じ講演で折口会長は、介護を「安定して、タラレバのないビジネス」と説明し、在庫も巨額の投資も必要ない事業だと述べていた。2000年4月には約4兆円の予算が介護に執行される見込みで、3兆円といわれるビール市場を上回る。圧倒的な供給不足であるから、マーケティングはこれまでより楽になると読んでいた。当時のグループの1999年6月期は、連結で売上高113億円・経常利益10億円の見込みだった[2][3]。
宮城県栗原郡の過疎地モデル事業
コムスンは、1997年3月にグッドウィルが資本参加して関連会社となり、1999年7月に子会社となった。日本で初めて24時間巡回介護システムを開発し、厚生省から24時間介護のモデル事業の認定を受けていた。1999年半ばには20余の自治体から事業を受託し、宮城県栗原郡では過疎地のモデル事業を受託して約70名をケアしている。厚生省が定めた1時間3730円の単価で、この過疎地の採算は取れていた[4][5]。
栗駒町の数字は、参入の根拠として繰り返し語られた。折口会長の説明では、人口1万人強で低所得者が多い町にもかかわらず、客単価の平均は10万円を超え、客数も取れた。ここから、潜在市場がそこそこあれば小さな町でも介護事業は成り立つという結論が引き出されている。過疎地のノウハウは身につけたとして、介護保険の報酬額が公表された後も、まず一番に採算が合うのは自社だと述べていた[6][7]。
決断
47都道府県への均等配置という計算
2000年4月の公的介護保険の施行に合わせ、コムスンは全国1208カ所のケアセンターを一度に開いた。社員4000人を中途採用し、無名だった社名を知らせるために総額50億円の広告を投じている。拠点数の根拠を問われた折口会長は、ナショナル・ブランドとして47都道府県すべてに出し、なるべく均等の間隔で拠点があるようにと計算した結果だと答え、どの拠点もポテンシャルを持っていたと述べた[8][9]。
原資を用意したのは、公開から半年で急騰した株価である。2000年1月4日の大発会でグッドウィルの株価は100万円のストップ高をつけて600万円となり、折口会長は翌日に6000株の公募増資を発表した。調達額は約230億円で、連結売上高200億円の会社としては不釣り合いに大きい。コムスンも80億円の第三者割当増資を実施し、グループには300億円を超える資金が入った[10]。
需要の所在を確かめる前に、拠点と人を置いた
コムスンは需要を確かめてから拠点を置くのではなく、拠点と人を置いてから需要を探した。希望退職に応じた元ケアセンター長は、2000年2月に転職情報誌の求人を見て入社し、入社と同時にセンター長になったと語っている。介護の専門的なことは分からず、地域のどこに訪問介護を必要とする高齢者がいるかも分からないまま、まずヘルパーの採用面接に明け暮れた[11]。
自治体の窓口や福祉施設にあいさつしてパンフレットを置いても、客を紹介してもらえるまでには至らなかった。折口会長は、この不確実性を承知していたと述べている。ポテンシャルがあっても早急に顧客を獲得するとは限らないことは初めから分かっており、社会福祉協議会や福祉公社などの抱え込みが強いか弱いかは「やってみないと分からない」という説明だった。分からない部分の検算は、1208カ所を開けた後に回った[12][13]。
結果
2か月半で4割を閉じた
開業直後から契約は取れなかった。1208拠点のうち250拠点は利用者がゼロで、顧客が2人以下の拠点は4割に達した。コムスンは6月16日に拠点の統廃合と希望退職の募集を発表し、東京・箱崎のホテルで記者会見を開いている。事業開始から2か月半で4割の拠点を統廃合し、社員の3割に希望退職を募った。社内では1週間で1100人が応じ、割増退職金は3か月分を積んだ[14][15][16]。
費用は一度に決算へ出た。コムスンの2000年6月期は、広告費などの立ち上げ費用にリストラ費用が加わって最終赤字171億円となり、2000年4〜6月期の売上高15億円に対して桁違いの損失が残った。株式市場で調達した210億円のうち、手元に残ったのは40億円である。親会社のグッドウィルも同期の連結で89億円の最終損失を見込み、株価はピークの950万円から20万円台へ下がった[17][18][19]。
単価と競合構造——同業も赤字であった
誤算は需要の総量ではなく、供給の側の条件にあった。在宅介護に参入した民間業者は一様に苦戦し、新たに利用を始めた人が少ないうえ、一人当たり単価は業界予想を3割以上下回った。大半の業者で利益が出ていない。全国展開で競合したニチイ学館も、在宅介護部門で41億円の営業赤字を見込んでいた。実際にサービスを受けている人数は厚生省の想定の6割で、1割の自己負担が利用者の自己抑制を招いていた[20][21]。
コムスン固有の条件も重なった。地方では地元業者のカベが厚く、自治体と結びつきの強い社会福祉法人から客を奪えない。都市部では需要があっても24時間体制で動けるヘルパーの絶対数が足りず、機会ロスが生じていた。それでも折口会長は「算数の世界では確実に黒字になるのですから」と述べ、731拠点を足場に2001年6月期の売上高350億円・経常黒字1億円という計画を維持した。500カ所以上あった赤字拠点を、今期中に140カ所へ減らす計画を掲げた[22][23]。
- 証券アナリストジャーナル 1999年7月15日「企業 グッドウィル・グループ」
- 週刊東洋経済 2000年7月1日号「試練 光通信を連想させる株価暴落 グッドウィル折口氏正念場」
- 週刊東洋経済 2000年7月29日号「[企業レポート]正念場コムスン激烈ノルマ営業「月60名の客を確保せよ」」
- 週刊東洋経済 2000年7月29日号「[アウトルック]介護不安 価格自由化・規制緩和で介護ビジネスの基盤確立を」
- グッドウィル・グループ 有価証券報告書【沿革】