1960年3月、江副浩正氏は東京都港区で大学新聞広告社を創業し[1]、大学新聞に各企業の求人広告を掲載する事業を始めた。創業の日は3月31日で、場所は東京の小さなビルの屋上に建てられたプレハブ[2]であった。東京大学新聞会で『広告を開拓してくれないか』[引用元]と勧められ[3]、在学中から広告営業に携わったことが下地にある。創業資金は大手銀行には相手にされず、父の土地と家屋を担保に芝信用金庫田村町支店と二度交渉して300万円を借り入れて[4]まかなった。まもなく複数の大学新聞の広告を一手に取り扱う契約を結び[5]、同年10月には法人組織として株式会社大学広告を設立している[6]。
1962年、大学生向けの求人情報だけを集めた『企業への招待』を創刊した[7]。創刊にあたっては大学新聞で取引のあった会社を中心に約200社を訪ね、採用担当者から誌面の構成を聞き取って[8]媒体を組み立てている。広告を取り次ぐ代理業から、誌面を自社で発行して広告主を直接開拓する側へ回った[9]転換であった。掲載企業から広告料を得て個人と企業が出会う場を設ける仕組みは、のちにリボンモデルと呼ばれ、現在のリクルートへ受け継がれている[10]。1963年4月には社名を日本リクルートメントセンターへ改め、同年8月に日本リクルートセンターを設立した[11]。
1968年、日本企業として初めてIBM 1130を導入し[12]、適性検査などの処理に使い始めた。導入がまだ珍しかった時期に計算機を入れたのは、情報を扱う会社として業務の迅速化と効率化を図るため[13]である。1971年には情報誌の印刷前工程をデジタル化する目的でリクルートコンピュータプリントを設立し[14]、媒体の制作工程も自社に取り込んだ。同じ年、西新橋に自社ビルを竣工している[15]。
1970年に住宅金融公庫の融資制度が始まり、1973年には全国の分譲戸数が15万戸を超えて[16]第三次のマンションブームが起きた。もっとも新築物件は価格が決まるまで広告を出せず[17]、購入を検討する側が十分な情報を得られないまま申し込みを決める状態が残っていた。1974年、江副氏は長谷川工務店が建てたネオコーポ行徳の販売を引き受け[18]、これがのちのリクルートコスモスの分譲マンション事業のこう矢となった。
1976年、日本リクルートセンターは月刊の『住宅情報』を創刊し[19]、住宅・不動産の分野へ進んだ。『正しい情報を伝えることで不動産広告を変えたい』[引用元]という考えを掲げ、社内の反対意見を押して事業化している[20]。掲載料を広告主から得て読者には情報を届ける[21]という就職情報誌の型を、そのまま別の分野へ移した多角化であった。1978年には首都圏の住宅購入者のおよそ半数が購読する誌面へ育ち[22]、黒字に転じた。
江副氏は住宅情報を、供給者と需要者を結ぶ『ツーウェイ・コミュニケーション』の理想的な形と述べている[23]。1979年には企業や物件の悪質な情報を排除する審査機能を設け[24]、媒体の信頼そのものを収益の土台に据えた。1996年には業界に先駆けてインターネットサービス『住宅情報 On The Net』[引用元]を始め[25]、紙からネットへの移行も先行させている。『住宅情報』の名は33年間使われたのち、2009年に住宅総合ブランドのSUUMOへ統一された[26]。
1980年、日本で初めての女性向け転職情報誌として『とらばーゆ』を創刊した[27]。男女雇用機会均等法の施行はその5年後で、誌名は『とらばーゆする』という言い回しとして広まっている[28]。1984年には中古車売買の専門誌『カーセンサー』を創刊した[29]。こちらは当時の新入社員研修で提案されたアイデアから生まれた事業で、同年4月には社名を株式会社リクルートへ改めている[30]。
1985年には米国に事業展開する日本企業の採用を支援するRecruit U.S.A. Inc.を設立し[31]、同じ年にリモートコンピューティングによる情報サービスも始めた。1987年にはスーパーコンピュータ研究所を設け[32]、計算機の研究と利用促進に人と資金を割いている。1986年時点でリクルート・グループは28社を数えた[33]。証券アナリストジャーナルの講演で、リクルートコスモスの池田友之社長は『その仕事はほとんどが創業型である』[引用元]と述べ[34]、他社が手掛けていない領域か、手掛けていても異なる方法で創業者利潤を得る仕事が多いと説明した。
情報誌事業が生む現金は不動産の取得にも向かい、1984年には日本軽金属の銀座本社ビルを取得している[35]。子会社リクルートコスモスの分譲マンション事業も伸び、1987年には売上高1757億円を記録して、規模で親会社のリクルート本体を上回った[36]。1988年、そのリクルートコスモスの未公開株が政財官の関係者へ譲渡されていた問題が明るみに出て、江副氏は社長を辞任している[37]。1989年には江副氏本人が逮捕され[38]、創業者の個人事業から出発した会社は創業以来最大の危機に立った。
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| 1960〜1975年大学新聞の広告取次から、媒体を自製する会社へ | 江副浩正 | リクルート創業——23歳の江副浩正氏が大学新聞の求人広告から興した「情報を商品にする」事業 1960年3月、東京大学教育学部を卒業した23歳の江副浩正氏が東京都港区で大学新聞広告社を個人創業し、複数の大学新聞の求人広告を一手に扱う代理業を始めた創業。父の土地・家屋を担保に芝信用金庫田村町支店から借りた300万円を運転資金に、1962年には就職情報誌『企業への招待』を創刊した。 詳細を読む | ★★★ | |
| 江副浩正 | 就職情報誌「企業への招待」の創刊 1962年、大学新聞への求人広告取次から出発した大学広告(現リクルート)の江副浩正社長が、大学生向けの求人情報だけを集めた冊子『企業への招待』を創刊した。掲載企業から広告料を得て学生に届ける媒体で、リクルートの求人メディア事業の原点となった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 江副浩正 | 日本リクルートセンターを設立 | ★ | ||
| 江副浩正 | 分譲マンション販売を開始 | ★ | ||
| 1976〜1988年生活領域への進出と、不動産に傾いた収益 | 江副浩正 | 「住宅情報」の創刊による住宅・不動産分野への多角化 1976年1月、日本リクルートセンター(現リクルート)が首都圏向けの月刊誌『住宅情報』を創刊した経営判断。 詳細を読む | ★★★ | |
| 江副浩正 | 「とらばーゆ」を創刊 | ★ | ||
| 江副浩正 | 銀座本社ビルを取得 | ★ | ||
| 江副浩正 | 中古車情報誌「カーセンサー」を創刊 | ★ | ||
| 江副浩正 | 社名をリクルートに変更 | ★ | ||
| 位田尚隆 | リクルート事件が発覚 | ★★ | ||
| 1989〜2003年1兆4,000億円の債務を、本業の利益だけで返す | 位田尚隆 | ダイエーによるリクルート株式の取得と筆頭株主の交代 1992年、リクルート創業者で特別顧問の江副浩正氏が、保有するリクルート発行済株式の33.9%(約1000万株・約455億円)をダイエーの中内社長に売却し、筆頭株主が交代した資本異動。中内社長がグループの実質的な経営統括を担うことになった。 詳細を読む | ★★★ | |
| 位田尚隆 | 有利子負債1.4兆円 | ★ | ||
| 位田尚隆 | 就職サイト「リクナビ」を提供開始 | ★ | ||
| 河野栄子 | OPT制度を導入 | ★★★ | ||
| 河野栄子 | リクルート3代目社長・河野栄子氏の就任と世代交代 1997年6月、リクルートは女性初の営業職として中途入社した生え抜きの河野栄子氏を3代目社長に迎え、創業者・江副浩正氏、2代目・位田尚隆氏に続く世代交代を果たした。独自の営業手法を確立して副社長まで上り詰めた実力者への継承であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 河野栄子 | じゃらんnetをオンライン化 | ★ | ||
| 河野栄子 | 「ホットペッパー」を創刊。狭域ビジネスへ参入 | ★★ | ||
| 2004〜2026年資本の独立を取り戻し、検索の会社を買う | 柏木斉 | リクルートコスモスを売却 | ★ | |
| 柏木斉 | 予約サイト「Hot Pepper Beauty」を提供開始 | ★ | ||
| 柏木斉 | リクルートによるスタッフサービス・ホールディングスの買収 2007年12月、リクルートが人材派遣最大手スタッフサービス・ホールディングスの発行済株式80.14%を、創業者の岡野保次郎会長から取得して子会社化した買収。既存のリクルートスタッフィングと合わせ、派遣・アウトソーシング領域を一気に取り込んだM&Aである。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 峰岸真澄 | リクルートによる米Indeedの買収 2012年9月、リクルート(同年10月に持株会社リクルートホールディングスへ移行)が、同年4月に社長へ就いた峰岸真澄氏のもとで、米国発の求人検索サービスIndeedの株式100%を取得することで合意した買収。取得価額は非公表だが、報道では約10億ドル(1,000億円超)と伝えられ、同社にとって初の巨額M&Aであった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 峰岸真澄 | 持株会社体制へ移行しリクルートHDへ | ★ | ||
| 峰岸真澄 | スマホアプリ「Airレジ」を提供開始 | ★ | ||
| 峰岸真澄 | 創業54年での東証一部上場——非上場のまま再建した元祖ベンチャーの株式公開 2014年10月16日、リクルートホールディングスが東京証券取引所第1部に上場した経営判断。公開価格3,100円に対し初値は3,170円をつけ、初値ベースの時価総額は約1兆8,200億円に達した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 峰岸真澄 | USG Peopleを買収 | ★ | ||
| 出木場久征 | 過去最高益を達成 | ★ |
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事実根拠:出所(リクルートHD)