重要な意思決定
1960

大学新聞広告社を個人創業

背景

高度成長前夜の就職情報空白

1960年前後の日本は高度経済成長の入り口にあり、大学進学者数も増加していた。しかし企業と学生を結ぶ就職情報の流通経路は未整備で、採用活動は教授推薦や縁故に依存する側面が強かった。企業側も学生へ直接情報を届ける手段を十分に持たず、採用市場には構造的な情報の非対称性が存在していた。

特に中堅・中小企業は自社の求人情報を学生へ届ける手段に乏しく、大学単位での体系的な情報媒体は存在していなかった。新聞広告は一般向けであり、学生市場に特化した広告媒体は未開拓領域であった。この隙間が事業機会となった。

決断

信用なき創業と資金調達

1960年、江副浩正は大学新聞広告社を個人創業した。しかし創業当初は実績も信用もなく、大手銀行からは相手にされなかった。事業資金を確保するため、芝信用金庫田村町支店へ直接足を運び、事業の必要性を繰り返し説明した。

父が所有していた土地と家屋を担保に差し入れ、二度目の交渉で300万円の融資を取り付けた。窓口担当者は「あなたのやろうとしている仕事は間違いない」と背中を押したという。この融資をもとに事業運転資金を確保し、営業活動を開始した。

結果

資金確保による事業継続

300万円の融資は、創業期の運転資金として活用された。大学新聞への広告掲載を進める営業活動が本格化し、企業からの広告受注が徐々に増加した。資金確保により、継続的な営業活動が可能となった。

広告取扱件数は拡大し、複数大学との取引が進展した。事業は個人事業として継続され、その後法人化へと移行した。このため、リクルートは資金難からの創業を金融機関からの借入によって乗り越えたことから、後年バブル期の借金体質構造(借入による土地取得)の原点にもなった。