TOTO の歴史

更新:

創業

1917年

創業者

※日本陶器

創業地

福岡県北九州市

直近売上高(2026/3)

7,374億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1917年に大倉和親は需要すら無い衛生陶器の国産化に挑んだのか
A なぜ需要すら存在しない衛生陶器の国産化に挑んだのか。森村組の大倉和親は、兄弟会社の日本陶器が米国食器市場を狙ったのに対し、中国大陸・東南アジアという「東洋市場」開拓の願望を社名に込め、1917年5月に小倉で東洋陶器を設立した。洋風便器の国産品を売る市場は当時の日本になく、第一次大戦後の不況で赤字が続いて1923年には減資した。事業が軌道に乗ったのは同年9月の関東大震災後の復興需要であり、需要を生む主導権は同社になく国家の都市政策の側にあった
Q なぜ1970年に23年育てた食器部門を捨て住設総合メーカーへ転じたのか
A なぜ23年かけて育てた食器部門を捨てたのか。震災や都市インフラという外部の需要に左右される体質を自社の側へ取り込むためである。1970年3月、社名を東陶機器に変え食器部門を廃止し、衛生陶器単品から住宅設備機器の総合メーカーへ移った。さらに1980年6月のウォシュレットで温水洗浄便座に電子制御を組み込み、家電に近い製品を自社で量産する業態へ広げた。ここで蓄えたセラミックと電子制御を結ぶ技術が、後に半導体製造装置向けの静電チャック事業を生んだ
Q なぜ2025年に約40年続けた中国大陸の生産能力を約4割縮減したのか
A なぜ約40年続けた中国大陸の生産を縮めたのか。不動産市況の長期低迷と価格競争で資産が利益を生まなくなり、投資回収が見込めなくなったためである。2025年3月期に固定資産の減損損失341億円を計上し、同年4月に東陶北京・東陶華東の2拠点で衛生陶器の生産を停止、東陶遼寧・東陶福建の2拠点へ集約して生産能力を約4割縮減した。2024年6月に就任した田村信也社長は、中国大陸を国内と同じく成長を見込まないベースへ移し、米州と半導体向けセラミックを成長領域に振り分けた

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1912年〜 衛生陶器国産化と戦後復興

TOTOの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1917年 東洋陶器を設立
  2. 1920年 日本初の連続焼成窯を導入
  3. 1937年 茅ヶ崎工場竣工(衛生陶器)
  4. 1946年 水栓金具の生産開始
  5. 1949年 東京・名古屋・大阪・福岡の各証券取引所に株式上場
  6. 1956年 FRP浴槽をわが国で初めて開発
  7. 1964年 ホテルニューオータニ向けユニットバスルームを開発

震災に救われた衛生陶器工場

森村組の大倉和親は明治45年1月、父孫兵衛とともに名古屋の日本陶器合名会社(現日本陶器)内に製陶研究所を新設し、私財を投じて洋風建築の便器を国産化する道を探った。研究開発の末に工業化へ成功し、1914年8月に初めて製品を販売したが、これが国産衛生陶器の嚆矢となった。兄弟会社の日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテド)が米国食器市場を主戦場にしたのに対し、大倉は中国大陸・東南アジアの「東洋市場」を狙うと社名に込め、1917年5月、門司港と筑豊炭田に近い小倉に資本金100万円で東洋陶器を設立した。初代社長は大倉和親が就任、主力商品は衛生陶器と食器で、製陶研究所の技術をそのまま企業化した形だった。 [1][2][3][4][5]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [1]大倉和親が明治45年(1912年)1月、父孫兵衛とともに名古屋の日本陶器合名会社内に製陶研究所を新設した
    • [2]工業化に成功し1914年8月に初めて製品を販売、これが国産衛生陶器の嚆矢
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [3]兄弟会社の日本陶器は現ノリタケカンパニーリミテド(米国食器市場を主戦場)
    • [4]社名「東洋陶器」は中国大陸・東南アジアの東洋市場開拓という大倉孫兵衛・和親親子の願望に由来
  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [5]1917年5月、資本金100万円で北九州小倉に東洋陶器株式会社を設立、初代社長は大倉和親

しかし生産は数年軌道に乗らず、第一次大戦後の不況下で赤字が続き、1923年には減資に踏み切った。同年9月の関東大震災が状況を変える。復興のため衛生陶器の需要が伸び、同社の業績は好転した。1920年5月に資本金を150万円へ増資して導入した日本初のドレスラー式トンネル窯(連続焼成窯)が量産体制を支え、品質改良を重ねて最高級品の評価を得ると、1935年から37年ごろが戦前期の業績ピークとなった。1936年にオリンピックの東京招致が決まって大都市の下水道工事が活発化すると、1937年10月には神奈川県に茅ヶ崎工場を建設した。水回り産業の国産化は、震災と都市インフラ整備という外部ショックを触媒にして初めて成立した。 [6][7][8][9][10]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [6]1923年に減資、同年9月の関東大震災で衛生陶器需要が伸び業績が好転
    • [8]戦前期の業績ピークは1935〜37年ごろ
    • [9]1936年に東京五輪招致が決定(後に返上)し下水道工事が活発化
  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [7]1920年5月に資本金を150万円へ増資し、日本初の連続焼成窯(ドレスラー式トンネル窯)を導入
    • [10]1937年10月、神奈川県に茅ヶ崎工場(衛生陶器)を建設
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [1]大倉和親が明治45年(1912年)1月、父孫兵衛とともに名古屋の日本陶器合名会社内に製陶研究所を新設した
    • [2]工業化に成功し1914年8月に初めて製品を販売、これが国産衛生陶器の嚆矢
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [3]兄弟会社の日本陶器は現ノリタケカンパニーリミテド(米国食器市場を主戦場)
    • [4]社名「東洋陶器」は中国大陸・東南アジアの東洋市場開拓という大倉孫兵衛・和親親子の願望に由来
    • [6]1923年に減資、同年9月の関東大震災で衛生陶器需要が伸び業績が好転
    • [8]戦前期の業績ピークは1935〜37年ごろ
    • [9]1936年に東京五輪招致が決定(後に返上)し下水道工事が活発化
  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [5]1917年5月、資本金100万円で北九州小倉に東洋陶器株式会社を設立、初代社長は大倉和親
    • [7]1920年5月に資本金を150万円へ増資し、日本初の連続焼成窯(ドレスラー式トンネル窯)を導入
    • [10]1937年10月、神奈川県に茅ヶ崎工場(衛生陶器)を建設

戦時動員から高度成長の波へ

太平洋戦争下の1943年、同社は食器製造を全面停止し、翌44年には陸海軍の監督工場に指定されて兵器用碍子・碍管を生産した。小倉工場と茅ヶ崎工場は戦災を免れ、1946年11月には早くも水栓金具の自社生産を開始、1949年5月には東京・名古屋・大阪・福岡の各証券取引所に上場した。戦後復興期の資本市場から資金を得たことで、本格的な設備投資の原資を得た。 [11][12][13]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [11]1943年に食器製造を全面停止、1944年に陸海軍監督工場に指定され兵器用碍子・碍管を生産
  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [12]1946年11月に水栓金具の自社生産を開始(小倉第一金具工場竣工)
    • [13]1949年5月に東京・名古屋・大阪・福岡の各証券取引所に株式上場

1950年代後半以降、日本住宅公団の団地建設、下水道整備、東京オリンピックに向けたホテル・高層ビル建設ラッシュが衛生陶器需要を急拡大させた。同社は茅ヶ崎に衛生陶器工場を新設し、一般向け給水栓市場を開拓し、1962年に滋賀工場を建設した。並行して1956年にはわが国初のFRP浴槽を開発、1964年竣工のホテルニューオータニ向けユニットバスルームを商品化した。衛生陶器単品の会社が、住宅まるごとの水回りを扱う下地を作った時期である。 [14][15][16]

  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [14]1962年に滋賀工場(衛生陶器)を建設
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [15]1956年にわが国初のFRP浴槽を開発(58年販売開始)
    • [16]1964年竣工のホテルニューオータニ向けにユニットバスルームを開発・商品化
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [11]1943年に食器製造を全面停止、1944年に陸海軍監督工場に指定され兵器用碍子・碍管を生産
    • [15]1956年にわが国初のFRP浴槽を開発(58年販売開始)
    • [16]1964年竣工のホテルニューオータニ向けにユニットバスルームを開発・商品化
  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [12]1946年11月に水栓金具の自社生産を開始(小倉第一金具工場竣工)
    • [13]1949年5月に東京・名古屋・大阪・福岡の各証券取引所に株式上場
    • [14]1962年に滋賀工場(衛生陶器)を建設

大倉和親の賭けが根付くまで

創業時の「衛生陶器国産化」は、当時の日本では未踏領域だった。ドレスラー式トンネル窯は欧州の最新技術で、これを入れても赤字が続いたことは、市場そのものが存在しなかった事実を示す。1917年の設立から1923年の減資まで6年、そこから1935年ごろの戦前期のピークまで12年、通算すると市場を作るのに要した時間は約20年である。最大の需要創出要因は震災と戦後復興、そして下水道と団地という都市インフラの整備であり、需要創出のイニシアチブは同社ではなく国家の都市政策の側にあった。 [17]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [17]1917年設立から1923年減資まで6年(年差は資産と整合)

1964年度に売上高100億円を突破し、小倉に新本社ビル、東京に東洋陶器ビルを建てた。同年の東京オリンピックに向けたホテル建設・高層ビルラッシュが衛生陶器需要を押し上げ、滋賀工場(1962)の新設もこの波に応じた投資だった。ただしこのとき同社はまだ「陶器メーカー」を名乗っていた。一方で浴槽・給湯機・温水洗浄便座・ユニットバスの扱いを開始しており、商品ラインナップは陶器をはみ出していた。企業像と事業実態のズレが、次の時代の社名変更と事業ドメイン再定義の圧力として溜まった。 [18][19]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [18]1964年度に売上高100億円を突破
  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [19]滋賀工場は1962年新設
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [17]1917年設立から1923年減資まで6年(年差は資産と整合)
    • [18]1964年度に売上高100億円を突破
  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [19]滋賀工場は1962年新設

1965年〜 住設機器総合メーカーへの脱皮とウォシュレット

TOTOの業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1967年 小倉第二工場竣工(水栓金具)
  2. 1968年 事業本部制を発足、住設機器事業に参入
  3. 1969年 商標を「TOTO」に統一
  4. 1980年 温水洗浄便座「ウォシュレット」発売
  5. 1981年 衛生陶器の単品トップから住設機器総合メーカーへの転換 石油ショック後の「隠忍自重」を解き、山田勝次社長は攻めの経営へどう転じたか
  6. 1991年 「内需頼み」からの脱却——米国市場への本格参入と1兆円企業構想 ウォシュレットを武器に、古賀義根社長は輸出比率1.5%の会社をどう海外へ向けたか
  7. 1994年 中国大陸に衛生陶器・浴槽・水栓の製造会社を設立

1970年の社名変更と事業ドメインの再定義

1968年、同社は事業本部制を発足させ、ホーローバス・洗面化粧台の製造を本格開始した。翌1969年には商標を「TOTO」に統一し、1970年3月には社名を東陶機器株式会社に変更、同時に食器部門を廃止した。陶器メーカーから住宅設備機器総合メーカーへの転換を、商品・組織・社名・事業ポートフォリオの4点で同時に宣言した動きである。食器は創業時からの主要商品の一つで、1947年に生産再開、1970年に廃止という経緯を考えると、23年かけて育てた事業を切り捨てた判断となる。 [20][21][22][23]

  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [20]1968年に事業本部制を発足、ホーローバス・洗面化粧台の製造を本格開始
    • [21]1969年に商標を「TOTO」に統一
    • [23]食器は1947年に生産再開、1970年に廃止
  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [22]1970年3月に社名を東陶機器株式会社に変更、同時に食器部門を廃止

背景には高度成長の終盤で住宅市場が質的に変化していた事情がある。新築時に水回り一式を取り替える需要が生まれ、衛生陶器だけを売る業態では機会を逃していた。大分工場(1971年、水栓金具)、行橋工場(1972年、洗面化粧台)と続く工場新設はこの戦略の実行で、1978年度には売上高1000億円に到達した。第一次石油危機後の減速経済の中でこの水準に届いたのは、減収減益を受けてデザイン・カラーの刷新と高付加価値化に転じた結果でもある。市場停滞期の体質強化が、次の1980年代の積極化期への助走となった。 [24][25]

  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [24]大分工場は1971年(水栓金具)、行橋工場は1972年(洗面化粧台)に新設
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [25]1978年度に売上高1000億円に到達
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
    • [20]1968年に事業本部制を発足、ホーローバス・洗面化粧台の製造を本格開始
    • [21]1969年に商標を「TOTO」に統一
    • [23]食器は1947年に生産再開、1970年に廃止
    • [25]1978年度に売上高1000億円に到達
  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [22]1970年3月に社名を東陶機器株式会社に変更、同時に食器部門を廃止
    • [24]大分工場は1971年(水栓金具)、行橋工場は1972年(洗面化粧台)に新設

ウォシュレットという別カテゴリーの発明

1980年6月、同社は温水洗浄便座「ウォシュレット」を発売した。もともとアメリカの医療福祉用具を源流とする温水洗浄便座を、一般家庭の便器と一体化して売るという提案は当時の日本で類例がなく、普及には時間を要した。しかし1980年代後半、住設機器のエレクトロニクス化・多機能化の波に乗り、ヒット商品へと育った。1991年11月には小倉第三工場をウォシュレット専用に竣工させ、1992年4月には中津第二工場でニューセラミックの生産も開始している。 [26][27][28]

  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [26]1980年6月に温水洗浄便座「ウォシュレット」を発売
    • [27]1991年11月に小倉第三工場をウォシュレット専用工場として竣工
    • [28]1992年4月に中津第二工場でニューセラミックの生産を開始

ウォシュレットの意味は販売台数だけでは測れない。衛生陶器メーカーが電子機器を内蔵した家電的製品を自社開発・自社量産したこと、それ自体が業態の拡張を意味した。セラミック技術と電子制御を組み合わせるノウハウは、後に半導体製造装置向けの静電チャック事業につながる。トイレの中で起きた技術革新が、半導体工場の装置部材にまで系譜を伸ばした原点である。

  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [26]1980年6月に温水洗浄便座「ウォシュレット」を発売
    • [27]1991年11月に小倉第三工場をウォシュレット専用工場として竣工
    • [28]1992年4月に中津第二工場でニューセラミックの生産を開始

1990年代前半の海外製造拠点構築

1989年11月に米国販売会社TOTO Kiki U.S.A.を設立し、1991年9月にはアトランタで衛生陶器の現地生産を開始した。1994年には中国大陸で5月に北京東陶(衛生陶器)、6月に南京東陶(ホーロー浴槽)、7月に東陶機器(大連)(水栓金具)と立て続けに製造会社を設立、翌1995年3月には東陶機器(北京)を追加し、同年11月には販売・持株会社の東陶機器(中国)を作った。商品ごとに最適地を選んで分散配置する方式で、わずか2年で中国拠点網の骨格が組み上がった。1995年9月にはマレーシアにウォシュレット製造会社も立ち上げている。 [29][30][31][32][33][34]

  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [29]1989年11月に米国販売会社TOTO Kiki U.S.A.を設立
    • [30]1991年9月にアトランタで衛生陶器の現地生産(製造会社設立)
    • [31]1994年に中国大陸で5月北京東陶(衛生陶器)・6月南京東陶(ホーロー浴槽)・7月東陶機器(大連)(水栓金具)を設立
    • [32]1995年3月に東陶機器(北京)を追加設立
    • [33]1995年11月に販売・持株会社の東陶機器(中国)を設立
    • [34]1995年9月にマレーシアでウォシュレット製造会社を設立

戦後の事業拡大は一貫して内需中心で、輸出は補完的な位置づけだった。バブル崩壊で国内住宅市場の伸びが鈍ると、同社は米国と中国という二つの大市場で現地生産・現地販売の体制を並行して整えた。米国は既存の衛生陶器市場に乗せて展開でき、中国は日本型の水回り文化を持ち込む新市場だった。性質の異なる二つの市場に同時に賭けた意思決定が、2000年代以降の海外事業の骨格を決めた。

  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [29]1989年11月に米国販売会社TOTO Kiki U.S.A.を設立
    • [30]1991年9月にアトランタで衛生陶器の現地生産(製造会社設立)
    • [31]1994年に中国大陸で5月北京東陶(衛生陶器)・6月南京東陶(ホーロー浴槽)・7月東陶機器(大連)(水栓金具)を設立
    • [32]1995年3月に東陶機器(北京)を追加設立
    • [33]1995年11月に販売・持株会社の東陶機器(中国)を設立
    • [34]1995年9月にマレーシアでウォシュレット製造会社を設立

2001年〜 グローバルブランド化と海外事業の拡大

TOTOの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2001年 販売・製造会社を統合しTOTO U.S.A., Inc.を設立
  2. 2002年 衛生陶器製造会社TOTO Vietnam Co., Ltd.を設立
  3. 2007年 社名をTOTOに変更
  4. 2008年 張本邦雄が代表取締役社長執行役員に就任
  5. 2009年 親会社株主に帰属する当期純損失▲262億円を計上
  6. 2011年 子会社を設立
  7. 2013年 喜多村円が代表取締役社長執行役員に就任

2007年の社名変更と「TOTO」一本化

2001年1月、米国の販売会社と製造会社を統合してTOTO U.S.A., Inc.とし、2002年3月にはベトナムに、2006年3月にはメキシコに衛生陶器製造会社を設立した。2007年5月、同社は商号を「東陶機器」から「TOTO株式会社」に変更した。1969年から商標として使ってきた「TOTO」を、38年かけてようやく正式な社名に据えた形である。同年12月にはドイツ持株会社への増資、2008年1月にはシンガポールにアジア・オセアニア統括会社を設立し、2008年3月期の連結売上高は5010億円に達した。 [35][36][37][38]

  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [35]2001年1月に米国販売会社と製造会社を統合しTOTO U.S.A., Inc.とした
    • [36]2002年3月にベトナム、2006年3月にメキシコに衛生陶器製造会社を設立
    • [37]2007年5月に商号を「東陶機器」から「TOTO株式会社」に変更
    • [38]2007年12月にドイツ持株会社へ増資、2008年1月にシンガポールにアジア・オセアニア統括会社を設立

社名変更は単なる名称整理ではなく、グローバルブランドとしての自覚を組織に固定する作業だった。日本語の「東陶機器」を海外で読ませる難しさ、国内と海外で違うブランドを持つ混乱、これらを一度に解消した。アジア・オセアニア統括会社の設置で、海外事業が単独で戦略を組める体制にもなった。並行して2007年3月には、2001年に愛知電機・小糸工業と共同で設立したウォシュレット製造会社TOTOウォシュレットテクノの株式を両社から全取得して100%子会社化し、主力商品の製造を自社グループ内に取り込んでいる。 [39]

  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [39]TOTOウォシュレットテクノは2001年に愛知電機・小糸工業と3社共同設立、2007年3月に両社から全株取得し100%子会社化
  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [35]2001年1月に米国販売会社と製造会社を統合しTOTO U.S.A., Inc.とした
    • [36]2002年3月にベトナム、2006年3月にメキシコに衛生陶器製造会社を設立
    • [37]2007年5月に商号を「東陶機器」から「TOTO株式会社」に変更
    • [38]2007年12月にドイツ持株会社へ増資、2008年1月にシンガポールにアジア・オセアニア統括会社を設立
    • [39]TOTOウォシュレットテクノは2001年に愛知電機・小糸工業と3社共同設立、2007年3月に両社から全株取得し100%子会社化

リーマンショックと純損失262億円

2008年6月、木瀬照雄の後任として張本邦雄が代表取締役社長執行役員に就任した。その3ヶ月後にリーマンショックが発生し、2009年3月期の連結売上高は前年5010億円から4645億円へ減少、営業利益は227億円から65億円へ71%減、特別損失221億円を計上して親会社株主に帰属する当期純損失262億円という戦後最大級の赤字を出した。海外展開を加速した直後の金融危機直撃であり、米国住宅市場の崩壊が北米事業の前提を揺るがした。 [40]

  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [40]2008年6月、木瀬照雄の後任として張本邦雄が代表取締役社長執行役員に就任

この赤字は、同社にとって海外拡張路線のペース配分を問い直す出来事だった。2009年11月にタイ、2011年1月にインドと海外製造・販売拠点の新設は続けたが、2013年4月には会社分割で水栓金具等の製造会社TOTOアクアテクノを設立、同年7月にはタイのTOTO Manufacturing(Thailand)をサイアムセメントから全株取得して100%子会社化した。新設と100%子会社化が並走する構図で、既進出国の経営権を固めつつ、アジア新興国へ裾野を広げる両にらみの戦略に切り替わった。 [41][42]

  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [41]2009年11月にタイ、2011年1月にインドへ拠点新設
    • [42]2013年4月に会社分割で水栓金具等製造会社TOTOアクアテクノを設立、同年7月にタイのTOTO Manufacturing(Thailand)をサイアムセメントから全株取得し100%子会社化
  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [40]2008年6月、木瀬照雄の後任として張本邦雄が代表取締役社長執行役員に就任
    • [41]2009年11月にタイ、2011年1月にインドへ拠点新設
    • [42]2013年4月に会社分割で水栓金具等製造会社TOTOアクアテクノを設立、同年7月にタイのTOTO Manufacturing(Thailand)をサイアムセメントから全株取得し100%子会社化

喜多村円在任中のリモデル経済化

2013年6月、張本から喜多村円に社長が交代した。当時の同社は、新築住宅着工戸数の長期低下という日本固有の構造問題に直面していた。対応策は「リモデル経済」──既存住宅の水回り交換需要を能動的に創り出す戦略である。ショールームの拡充、リフォーム業者との協業、TOTO・DAIKEN・YKK APによるリモデル現場実例コンテストの継続開催など、需要を待つのではなく喚起する仕組みを積み上げた。効果は数字に現れ、2014年3月期の売上5534億円は2018年3月期に5923億円、営業利益は471億円から526億円まで伸びた。 [43]

  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [43]2013年6月に張本邦雄から喜多村円へ社長交代

2015年8月には創立100周年の記念事業として小倉第一工場敷地内にTOTOミュージアムを開設、2017年5月に創立100周年を迎えた。2019年6月に喜多村から清田徳明への社長交代が行われ、2020年に売上は一旦コロナ禍の影響を受けつつも、2022年3月期には売上高6452億円・営業利益521億円まで回復した。国内のリモデル比率は、2022年3月期に日本住設売上の7割近くまで高まった。一方で中国大陸事業は2010年代後半から不動産市況の変調と競合激化にさらされ始めており、国内リモデル経済化で稼ぐ間に、海外の主力市場である中国の業績は2022年3月期のピーク(924億円)から2025年3月期(669億円)にかけて2割超の減収へ転じた。 [44][45]

  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [44]2015年8月に創立100周年記念事業として小倉第一工場敷地内にTOTOミュージアムを開設、2017年5月に創立100周年
    • [45]2019年6月に喜多村円から清田徳明へ社長交代
  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】
    • [43]2013年6月に張本邦雄から喜多村円へ社長交代
    • [44]2015年8月に創立100周年記念事業として小倉第一工場敷地内にTOTOミュージアムを開設、2017年5月に創立100周年
    • [45]2019年6月に喜多村円から清田徳明へ社長交代

TOTOの沿革1917〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
東洋陶器を設立★★
日本初の連続焼成窯を導入
茅ヶ崎工場竣工(衛生陶器)
水栓金具の生産開始
東京・名古屋・大阪・福岡の各証券取引所に株式上場
FRP浴槽をわが国で初めて開発
茅ヶ崎工場でプラスチック製品生産開始
滋賀工場竣工(衛生陶器)
ホテルニューオータニ向けユニットバスルームを開発★★
小倉第二工場竣工(水栓金具)
事業本部制を発足、住設機器事業に参入★★
商標を「TOTO」に統一
社名を東陶機器に変更
大分工場竣工(水栓金具)
行橋工場竣工、洗面化粧台生産開始
売上高1000億円突破
温水洗浄便座「ウォシュレット」発売★★
滋賀工場で給湯機の生産開始
衛生陶器の単品トップから住設機器総合メーカーへの転換石油ショック後の「隠忍自重」を解き、山田勝次社長は攻めの経営へどう転じたか 詳細を読む★★★
決算期を11月30日から3月31日に変更
販売会社TOTO Kiki U.S.A. Inc.を設立
「内需頼み」からの脱却——米国市場への本格参入と1兆円企業構想ウォシュレットを武器に、古賀義根社長は輸出比率1.5%の会社をどう海外へ向けたか 詳細を読む★★★
衛生陶器製造会社を設立(アトランタ)
小倉第三工場竣工(ウォシュレット専用工場)
中国大陸に衛生陶器・浴槽・水栓の製造会社を設立★★
中国大陸に販売・持株会社(東陶機器)を設立
販売・製造会社を統合しTOTO U.S.A., Inc.を設立
衛生陶器製造会社TOTO Vietnam Co., Ltd.を設立
木瀬照雄社名をTOTOに変更
木瀬照雄張本邦雄が代表取締役社長執行役員に就任
張本邦雄親会社株主に帰属する当期純損失▲262億円を計上★★
張本邦雄子会社を設立
張本邦雄喜多村円が代表取締役社長執行役員に就任
喜多村円創立100周年記念事業としてTOTOミュージアムを開設
喜多村円創立100周年
喜多村円清田徳明が代表取締役社長執行役員に就任
清田徳明田村信也が代表取締役社長執行役員に就任
田村信也中国大陸事業で減損損失341億円を計上
田村信也中国大陸事業の構造改革を発表★★
田村信也ウォシュレット累計出荷台数が7000万台突破
出典・参考
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
  • TOTO 有価証券報告書 第159期(2025年3月期)【沿革】

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