【筆者所感】 1952年にヘリコプター2機で発足した日本ヘリコプター輸送は、45/47体制と呼ばれる国内航空行政の枠組みに阻まれ、33年にわたり国際定期便を飛ばせなかった。1986年の国際線参入後、スターアライアンス加盟と大型機材の拡充で売上高は2兆円を超え、JALと並ぶ二大航空会社の一角となる。航空運送業は規制・燃料費・為替・感染症に業績が振られやすい装置産業であり、機材投資の回収は10年単位におよぶ。参入タイミングで何十年も差がつき、一度開いたネットワークの差は自前の路線投資だけでは埋まらない。ANAの歴史は、国策の制約下でどう路線網を広げ、危機のたびに財務をどう建て直してきたかの記録であり、提携と持株会社化によって構造の弱点を迂回してきた軌跡でもある。
2021年3月期、コロナ禍で売上高は前年比63%減の7,286億円に落ち込み、営業赤字4,647億円を計上した。公募増資と劣後ローンで約1兆円を調達して存続を図り、そこから3年で営業利益2,079億円の過去最高益に到達する。有利子負債の圧縮と復配を同時に達成した。国内専業から国際線参入へ、そしてコロナ危機から過去最高益への反転という2つの構造変化が、この企業の歴史を特徴づけている。生き残るための資本増強と、回復期の高イールドを逃さない機材配分の両輪が、危機後のANAを再び成長軌道へ戻した。Peach・AirJapanによる3ブランド体制と、2005年に一度手放したNCAの再統合という打ち手は、旅客一本足から貨物と価格帯別の多層ポートフォリオへ事業構造を作り替える試みでもある。
歴史概略
1952年〜2005年ヘリコプター2機から国際定期便へ、33年越しの悲願
戦後航空の再出発 ── 資本金1億5千万円の挑戦
1952年12月、第2次世界大戦で壊滅した日本の定期航空事業を再興する目的で、日本ヘリコプター輸送株式会社が資本金1億5千万円で設立された。翌1953年2月にヘリコプターで営業を開始し、同年10月には定期航空運送事業の免許を取得して東京-大阪間の貨物輸送に参入する。1955年にダグラスDC-3型機を導入して固定翼旅客輸送に移行し、1957年12月に社名を「全日本空輸」に変更した。ヘリコプター会社という出自から5年で総合航空会社への転換を果たした背景には、戦後復興期の国内移動需要の拡大がある。創業地の東京に本社を置き、羽田を起点に東京-大阪の幹線輸送で収益基盤を築いた点が、その後の国内幹線戦略の原型となった。
1958年に極東航空を合併して路線網を広げ、1961年に東京・大阪証券取引所の第二部に上場した。資本市場へのアクセスで大型機材の導入資金を確保し、1965年にボーイング727型機でジェット化に踏み出す。1972年に東証・大証の第一部に昇格し、信用力を背景にボーイング747型機やロッキードL-1011型機といった大型機を導入した。この時期の全日空は国内線で路線と輸送力を広げたものの、国際定期便の運航は認められなかった。当時の『日経ビジネス』は「国内航空路線の『ドル箱』東京〜大阪の旅客が、国鉄新幹線に食われて激減し、航空界は『空のピンチ』に追い込まれている」(日経ビジネス 1977/9/12)と記し、幹線依存の構造的な弱点を突いた。
- 有価証券報告書
- 日経ビジネス 1977/9/12
- 日本経済新聞 1985/11/17
- 日経産業新聞 1986/3/3
33年かかった国際線 ── 45/47体制の壁
1970年の閣議了解と1972年の運輸大臣通達で成立した「45/47体制」は、日本航空に国際線と国内幹線、全日空に国内幹線とローカル線、東亜国内航空にローカル線を割り当てる規制だった。全日空は1971年に東京-香港間で国際線不定期便を運航したものの、定期便への参入は認められなかった。国内線では路線拡大と高い搭乗率で業績を伸ばしたが、国際市場への参入が封じられた状態が15年続く。大型機による輸送力と訓練されたパイロットという資源を抱えながら海外へ運べない構造が固定化した時期である。国内専業という経営の前提を規制が制度的に強制したため、同期間のJALとの国際線ネットワークの差が構造的に開いた点も、のちの競争条件を決定づけた。
1985年11月に中曽根内閣が国際線複数社制への転換を明示し、『日本経済新聞』はその骨子を「日本航空が事実上独占している国際線の運航を他社に認める」(日本経済新聞 1985/11/17)と伝えた。1986年3月、全日空は東京-グアム間で国際定期便の運航を開始する。『日経産業新聞』は「『東洋の巨人』と言われながら、国内線運航に甘んじてきた全日本空輸が3月3日、成田-グアム線に就航し、わが国の国際線複数社体制が幕を開ける」(日経産業新聞 1986/3/3)と節目を告げた。創業から33年目の悲願達成だった。当時の中村大造社長は戦略を「よく、全日空はどの線をやろうとしているのかと聞かれるのですが、ボクはワールドワイドにやるんだ、と答えているんです」(日経産業新聞 1986/3/3)と語り、アジア限定の漸進策を否定した。
- 有価証券報告書
- 日経ビジネス 1977/9/12
- 日本経済新聞 1985/11/17
- 日経産業新聞 1986/3/3
スターアライアンス加盟 ── 路線網の壁を越える
1999年10月、全日空は世界最大の航空アライアンスであるスターアライアンスに正式加盟した。コードシェアとマイレージ提携で自社便を飛ばさない都市への接続が可能となり、JALとの国際線ネットワークの差を短期間で縮めた。加盟は、45/47体制による国際線参入の遅れという構造的ハンディキャップへの事実上の解決策だった。同時期にはアジア通貨危機(1997年)と米国同時多発テロ(2001年)で航空需要が急減したが、アライアンスによる販売網の広がりが収益の下支えとなる。需要ショックを独力の路線網で吸収する余力はなく、提携による送客が生命線となった点に、この時期の経営の制約がよく表れている。
国内ではグループ子会社の整理統合を進めた。2003年に旅行子会社4社を合併してANAセールス&ツアーズを設立し、2004年にはエアーネクストの設立と中日本エアラインサービスの子会社化を実施する。1978年に設立した日本貨物航空(NCA)は2005年に経営から離脱した。2000年代前半の売上高は1兆2,000億円台で安定推移し、国際線の拡大とグループ再編が並行して進んだ時期である。国際線という成長領域への資源配分と、国内事業の持株会社的な再編の下ごしらえが、同じ時間軸のなかで進行した点が後の持株会社化への布石となる。貨物事業の切り離しと旅行・地域子会社の統合は、航空本業への資源集中という一貫した方向を示している。
- 有価証券報告書
- 日経ビジネス 1977/9/12
- 日本経済新聞 1985/11/17
- 日経産業新聞 1986/3/3
2006年〜2022年売上2兆円到達とコロナ危機、国際線主軸化への再設計
国際線拡大と持株会社体制への移行
2008年6月に伊東信一郎が社長に就任した直後、リーマンショックが発生した。2009年3月期に初の純損失42億円を計上し、翌2010年3月期には初の営業赤字542億円へ転落する。売上高は前年比1,641億円減の1兆2,283億円まで落ち込んだ。折しも2010年1月、日本航空は会社更生法の適用を申請して経営破綻し、『日経新聞』は新たな発着枠配分を「全日本空輸に11便前後、日本航空に8便前後を割り振る」(日経新聞 2010/1/5)と報じた。景気回復に伴い業績は持ち直し、2013年3月期には売上高1兆4,835億円まで戻す。この回復過程で伊東社長が推進したのが持株会社体制への移行である。2013年4月に社名をANAホールディングスへ変更し、航空運送事業を100%子会社の全日本空輸へ吸収分割した。
2010年にはホテル事業子会社14社をグループ外へ一括譲渡し、航空事業への経営資源の集中を鮮明にした。同年にはグループ子会社の再編も実施し、エアージャパン・ANAウイングス・ANAセールスの各事業で複数子会社を統合する。2011年にはエアアジアとの合弁でLCC市場に参入し(後にバニラ・エアへ転換)、同年11月にはボーイング787型機を世界初の商業運航として導入した。B787は燃費性能と中距離路線での運航柔軟性により、ANAの国際線拡大戦略を支える中核機材となる。ホテルの切り離しと次世代機の早期投入という対照的な2つの意思決定が、航空運送への一点集中という方針を定義した時期である。2016年には国際線旅客数で日本航空を初めて上回った(日経新聞 2016/4/27)。
- 有価証券報告書
- 日経新聞 2010/1/5
- 日経新聞 2016/4/27
- 日経ビジネス 2020/4/10
片野坂体制 ── LCC統合と売上2兆円
2015年6月に片野坂真哉が社長に就任し、国際線のさらなる拡大とLCC戦略の再構築に着手した。2017年にPeach Aviationを連結子会社化し、2019年10月にバニラ・エアとの事業統合を完了してLCCをPeachブランドへ一本化した。同年5月にはエアバスA380型機をハワイ路線専用機として導入する。これらの施策が奏功し、2019年3月期には連結売上高が初の2兆円台(2兆583億円)に到達、営業利益1,650億円はコロナ前の最高益となった。ただし2020年初頭からの新型コロナウイルスの世界的流行が航空業界を直撃し、売上2兆円の成長軌道は断たれた。フルサービスとLCCの棲み分けを組み立てた直後に需要自体が蒸発した点が、この時期の構造的な痛点となる。
渡航制限で国際・国内旅客が壊滅的に減少し、2021年3月期の売上高は前年比63%減の7,286億円、営業赤字4,647億円、純損失4,046億円を計上した。有利子負債は前年の8,263億円から1兆6,427億円へ倍増する。片野坂社長は「社会のために生き残る」(日経ビジネス 2020/4/10)と語り、2020年10月に劣後ローン4,000億円、同年11月に公募増資で最大3,321億円を調達した。金融機関からの融資も含め約1兆円の資金を確保して存続を図り、同時にグループ全体で約3,500人の人員削減と役員報酬・従業員賃金の削減を実施する。赤字の穴埋めと資本毀損の回避を同時並行で進めた点が、その後の回復局面での復配余力と成長投資の自由度を準備した。需要が消えた局面では固定費の圧縮よりも手元資金の厚みが生死を分けるという教訓が、この調達で裏書きされた形となる。
- 有価証券報告書
- 日経新聞 2010/1/5
- 日経新聞 2016/4/27
- 日経ビジネス 2020/4/10
2023年〜2025年過去最高益への反転と財務再建、3ブランド体制への再編
コロナ後の反転 ── 3年で赤字4,647億円から最高益へ
2022年4月に芝田浩二が社長に就任し、コロナからの回復と財務再建を同時に進める体制が始まった。2022年3月期はなお営業赤字1,731億円だったが、旅客需要の戻りを受けて2023年3月期には営業利益1,200億円の黒字転換を果たし、1株50円の復配を開始する。背景には北米・アジア路線の需給逼迫があった。コロナ後の全エアライン合計の生産量がコロナ前の約5割にとどまるなか、羽田空港を経由する乗継需要が想定以上に増加し、国際旅客のイールドはコロナ前を上回る水準まで戻った。供給不足が価格に転嫁された局面で、先に機材を動かせた事業者が利益を取るという構造が、回復初期の業績を押し上げた。
2024年3月期には売上高2兆559億円、営業利益2,079億円を計上し、コロナ前最高益のFY18(1,650億円)を更新した。国際旅客のイールド高止まりに加え、インバウンド需要の拡大と国内旅客のイールドマネジメント強化が寄与する。有利子負債はピーク時の1兆7,400億円から2025年3月期に1兆3,409億円まで圧縮し、自己資本も1兆1,303億円まで回復した。コロナ前の自己資本1兆610億円(FY19)を上回る水準である。コロナ禍で膨らんだ負債を3年で4,000億円規模で返済しつつ、自己資本を危機前の水準へ戻した動きは、危機対応期に調達した劣後ローン・公募増資の早期消化という側面も併せ持つ。回復期の追い風を株主還元と負債返済に優先配分した結果、財務指標はコロナ前を上回る水準まで戻った。
- 有価証券報告書
- 決算説明会 FY22
- 決算説明会 FY23
2023年中期経営戦略と第3ブランド
2023年2月に発表した中期経営戦略は、2025年度の営業利益目標を「2,000億円以上」と掲げた。その柱は国際旅客の生産量拡大と高イールドの維持である。PWエンジン点検やロシア上空迂回の制約で生産量の増加ペースは計画より緩やかで、目標達成はイールド水準の持続が前提となった。2025年3月期の営業利益は1,966億円と2,000億円にわずかに届かない。2024年2月にはANA・Peachに続く第3の航空ブランドとしてAirJapanの運航を開始し、フルサービス・LCC・ミドルサービスで異なる顧客層をカバーする3ブランド体制を構築した。価格帯ごとに別ブランドを当てて需要の細分化に対応する設計は、単一ブランドで中距離の中価格帯を拾いきれないという従来の課題への回答でもある。
国際貨物では、2023年に日本郵船から日本貨物航空(NCA)の全株式取得で基本合意し、各国の競争当局による審査で8度の延期を経て2025年8月に完全子会社化を完了した。1978年に設立して2005年に一度経営から離れたNCAを再びグループに取り込み、旅客便のベリー貨物とフレイター専用機を組み合わせた貨物事業の収益機会を広げる構想である。コロナ禍で国際貨物の単価がコロナ前比2倍以上に上昇した経験が、貨物事業強化の判断を後押しした。旅客需要に波があっても貨物で収益を取れるポートフォリオへの転換は、コロナ禍で旅客一本足だった事業構造の脆弱さを突きつけられた経験から導かれた方向転換といえる。
- 有価証券報告書
- 決算説明会 FY22
- 決算説明会 FY23
直近の動向と展望
イールド正常化とコスト増、収益構造の見直し
2024年度第1四半期の決算説明会では、国際旅客のイールドが全方面で正常化に向かうとの見通しが示された。北米線は業務渡航需要と訪日需要が堅調だが、中国線では外国航空会社の復便によりイールドが低下している。整備費の増加も課題で、FY24第1四半期は計画比100億円増となった。為替円安が整備費を押し上げ、PWエンジン点検に伴う整備機会の増加もコスト要因となっている。国内旅客はペントアップ需要が一服したものの、レジャー需要は高水準を維持し、ビジネス需要は穏やかな回復が続く。供給制約が緩むのと並行して競合復便と円安がコストを押し上げる構図のなかで、イールドだけで稼ぐ局面は終わりつつある。
2025年3月期の売上高は2兆2,618億円と過去最高を更新したが、営業利益は1,966億円と前年をやや下回った。コスト増が利益を圧迫した格好である。芝田社長は「再成長のルートは見えた」(日経ビジネス 2023/4/14)と語っており、AirJapanの路線拡大、NCA連結子会社化による貨物事業強化、ANA経済圏の拡大を成長の柱に据える。コロナ後の需給逼迫が生んだ高イールド環境がどこまで持続するかが、中期的な業績を左右する。需要の質が回復期の偏りから平時へ戻るなか、ブランド別の棲み分けと貨物の取り込みで収益源を多角化できるかが、次の数年の焦点となる。高イールドが剥落しても利益を残せる構造に作り替えられるかが問われる局面である。
- 決算説明会 FY24-1Q
- 決算説明会 FY23
- 日経ビジネス 2023/4/14
- 有価証券報告書
財務再建と成長投資の両立という宿題
有利子負債はFY20のピーク1兆6,427億円からFY24に1兆3,409億円まで3,000億円以上圧縮し、年間約1,000億円の返済ペースを維持している。自己資本比率はFY21の24.8%からFY24に31.2%まで改善した。配当は2024年3月期に1株50円で復配し、従業員の賃金復元も完了する。コロナ禍で削減した人件費を元へ戻しつつ有利子負債を圧縮し、復配まで達成した背景には、国際旅客イールドの高水準が想定以上に長期化したことがある。追い風を財務の健全化と株主還元の再開に割り振った判断が、資本構造をコロナ前の水準へ戻す推進力となった。賃金復元まで踏み込んだ点は、コロナ禍で疲弊した現場の人材を引き留めつつ、回復局面での運航品質を支える人件費配分への転換を意味する。
有利子負債は依然としてコロナ前のFY19(8,263億円)の1.6倍の水準にあり、財務再建と成長投資の両立が課題となっている。中大型機の増強による生産量拡大には大型の設備投資が必要で、PWエンジン問題の長期化が機材の稼働率を制約するリスクも残る。国際旅客のイールドが正常化へ向かうなかで、コスト構造の最適化と収益源の多角化をどこまで進められるかが、財務の安定性を左右する。機材更新の投資余力と負債圧縮のペースをどう両立させるかという問いは、装置産業である航空運送業の宿命でもあり、ANAが次の10年で繰り返し直面する論点となる。NCA統合による貨物収益の厚みと、AirJapan・Peachを含む多ブランド戦略がその重さを分散できるかが試される。
- 決算説明会 FY24-1Q
- 決算説明会 FY23
- 日経ビジネス 2023/4/14
- 有価証券報告書