ANAホールディングス の歴史

更新:

創業

1952年

創業者

美土路昌一

創業地

東京都

直近売上高(2026/3)

25,392億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1950年代の後発の全日空は、ローカル線ではなく国内幹線に賭けたのか
A 戦後7年の航空禁止が解けて各社が一斉に発着し始めた時期に、後発で資本も薄い会社が単価の安いローカル線で利益を出すのは難しく、旅客が太く採算の立つ幹線に資源を絞るほうが、機材投資の回収が速かった。政府資本で先発する日本航空への対抗心が原点にあり、美土路昌一初代社長の「現在窮乏、将来有望」、社員から生まれた「追いつけ、追いこせ」の合言葉が、後発の劣等感を前進の力に変えていく。資本金1億5千万円・ヘリコプター2機で1952年12月に発足した日本ヘリコプター輸送は、1955年にダグラスDC-3型機を入れて固定翼の旅客輸送へ移り、戦後復興期に需要が膨らむ東京-大阪の幹線で輸送力と収益を伸ばした。1958年に極東航空を合併して路線網を広げ、1961年の上場で機材導入の資金を確保した
Q なぜ全日空の国際定期便は1986年まで33年も遅れ、その遅れをどう取り戻したのか
A 国際線を日本航空に独占させた「45/47体制」(1970年閣議了解・1972年運輸大臣通達)が、全日空に国内専業を制度として強制したためである。ジャンボ機とパイロットを抱えても海外へ運べず、自力で国際線網を組む時間を規制に奪われた。若狭得治社長は1974年の日台路線断絶を機に5路線を申請し、木村睦男運輸大臣と将来の参入を約す「幻の念書」を交わすが、7か月後のロッキード事件で頓挫する。壁を実際に崩したのは1985年に成田-ニューヨークへ就航した貨物会社の日本貨物航空(NCA)で、貨物便が独占に風穴を開け、翌1986年3月に東京-グアム線で創業33年目の国際定期便を実現した。独力で世界に自社便を張る余力はなく、1999年のスターアライアンス加盟で遅れを提携で取り戻し、2010年の日本航空破綻では羽田の発着枠で立場が逆転した
Q なぜコロナ後の全日空は、PBRを2倍へ上げる資本効率改革と日本貨物航空の再取得へ動いたのか
A コロナ禍で旅客需要が蒸発し、旅客一本足の事業構造の脆さを突きつけられた経験が、旅客の波があっても貨物で稼げるポートフォリオへの転換を促した。2023年に日本郵船から日本貨物航空(NCA)の全株式取得で基本合意し、各国の競争当局の審査で延期を重ねたうえ2025年8月に完全子会社化を完了して、旅客便と貨物専用機を併せ持つ本邦最大のコンビネーションキャリアをめざした。同時に、株価が純資産を割り込む状態は資本コストを上回る収益を上げられていない裏返しであり、10年以上届かなかったPBR2倍を改革目標に据え、政策保有株式の縮減や自己株式取得で資本効率を高める規律を機材投資の経営に課した

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1952年〜 ヘリコプター2機からの出発と国内総合航空会社化

ANAホールディングスの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1952年 日本ヘリコプター輸送を設立
  2. 1953年 ヘリコプターで営業開始、定期航空運送事業免許を取得
  3. 1957年 社名を全日本空輸に変更
  4. 1958年 極東航空と合併
  5. 1960年 バイカウント744型機を導入
  6. 1961年 東京・大阪証券取引所市場第二部に上場
  7. 1963年 藤田航空を吸収合併

戦後航空の再出発 ── ヘリ2機から総合航空会社へ

1952年12月、第2次世界大戦で壊滅した日本の定期航空事業を再興する目的で、日本ヘリコプター輸送株式会社が資本金1億5千万円で設立された[1]。ベル47D-1型の小型ヘリコプター2機を購入し[2]、1953年2月に宣伝飛行で営業を開始、同年10月に定期航空運送事業の免許を取得[3]して、12月から東京-大阪間の貨物輸送に乗り出した。1955年11月にダグラスDC-3型機を導入[4]して固定翼の旅客輸送へ移り、1957年12月には社名を全日本空輸株式会社へ変更した[5]。初期のヘリコプターは送電線のパトロールや農林業の薬剤散布にも用いられ[6]、その稼ぎがD・H・ダブやヘロンによる固定翼旅客輸送の赤字を埋めた。

  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1952年12月 日本ヘリコプター輸送株式会社を資本金1億5千万円で設立
    • [3]1953年 ヘリコプターで営業開始、定期航空運送事業免許を取得、東京-大阪間の貨物輸送を開始
    • [4]1955年11月 ダグラスDC-3型機を導入
    • [5]1957年12月 社名を全日本空輸株式会社へ変更
  • 大空へ二十年(全日本空輸、1972)
    • [2]ベル47D-1型の小型ヘリコプター2機を購入し宣伝飛行で営業開始
    • [6]ヘリコプターは送電線のパトロール・農林業の薬剤散布に利用され、固定翼旅客輸送(D・H・ダブ、ヘロン)の赤字を補った

1958年3月、全日空は極東航空株式会社を合併し、新資本金6億円[7]で東西に分立していた定期航空を一本化した。前身の日本ヘリコプター輸送と極東航空はいずれも復興期に乱立した小資本の航空会社で、狭い国土で2社がこまぎれに運航する非効率[8]は早くから問題視されていた。1954年12月の航空審議会答申で従来の全国2社主義が1社主義に改められ[9]、政府は両社の合併を強く促した。合併後の全日空は東京-大阪を軸とする幹線へ経営資源を集め、1963年11月には藤田航空株式会社を吸収合併して資本金を46億5千万円へ積み増した[10]。売上高は1958年3月期の7億円から1965年3月期の135億円へ伸びた[11]

  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1958年3月 極東航空株式会社を合併(新資本金6億円)
    • [10]1963年11月 藤田航空株式会社を吸収合併(新資本金46億5千万円)
  • 大空へ二十年(全日本空輸、1972)
    • [8]日本ヘリコプター輸送・極東航空は小資本で、狭い国土での2社こまぎれ運航の非効率が問題視されていた
    • [9]1954年12月の航空審議会答申で全国2社主義を1社主義に改定、政府が両社の合併を慫慂
    • [11]売上高 1958年3月期7億円→1965年3月期135億円
  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1952年12月 日本ヘリコプター輸送株式会社を資本金1億5千万円で設立
    • [3]1953年 ヘリコプターで営業開始、定期航空運送事業免許を取得、東京-大阪間の貨物輸送を開始
    • [4]1955年11月 ダグラスDC-3型機を導入
    • [5]1957年12月 社名を全日本空輸株式会社へ変更
    • [7]1958年3月 極東航空株式会社を合併(新資本金6億円)
    • [10]1963年11月 藤田航空株式会社を吸収合併(新資本金46億5千万円)
  • 大空へ二十年(全日本空輸、1972)
    • [2]ベル47D-1型の小型ヘリコプター2機を購入し宣伝飛行で営業開始
    • [6]ヘリコプターは送電線のパトロール・農林業の薬剤散布に利用され、固定翼旅客輸送(D・H・ダブ、ヘロン)の赤字を補った
    • [8]日本ヘリコプター輸送・極東航空は小資本で、狭い国土での2社こまぎれ運航の非効率が問題視されていた
    • [9]1954年12月の航空審議会答申で全国2社主義を1社主義に改定、政府が両社の合併を慫慂
    • [11]売上高 1958年3月期7億円→1965年3月期135億円

「追いつけ、追いこせ」── 後発の対JAL対抗心

ヘリコプター会社から総合航空会社への転換を駆動したのは、政府資本で先発した日本航空への対抗心[12]だった。前身の2社は力量の差から「日本ヘリクツター」「極道航空」と揶揄され[13]、大型機を擁する日本航空に小型機で挑む後発の立場から出発している。美土路昌一初代社長が掲げた「現在窮乏、将来有望」と、社員の間から自然に生まれた「追いつけ、追いこせ」の合言葉[14]が、その劣等感を前進の力に変えた。1957年10月25日の取締役会ではいったん「全日本航空」が新社名に決まった[15]が、「全日本」では日本航空と同格かそれ以上の印象を与え抵触のおそれがあるとして翌11月に差し戻され、極東航空の菅野和太郎社長の意見も容れて「全日本空輸」に落ち着いた[16]

  • 大空へ二十年(全日本空輸、1972)
    • [12]後発の全日空は政府資本で先発した日本航空への対抗心を出発点とした
    • [13]前身2社が日本航空との力量差から「日本ヘリクツター」「極道航空」と揶揄された
    • [14]美土路昌一初代社長「現在窮乏、将来有望」・社員発の合言葉「追いつけ、追いこせ」
    • [15]1957年10月25日の取締役会で新社名を「全日本航空」に決定
    • [16]「全日本」は日本航空との抵触懸念で差し戻され、極東航空の菅野和太郎社長の意見を経て「全日本空輸」に決定

社名をめぐる難産は英文名にも及び、1957年10月25日の取締役会では「Pan Japan Airlines」と「All Japan Airlines」が候補にのぼって[17]、支持の多かった前者にいったん決まった。ところが報道された途端に米国人のA.C.King氏から「Panというのは南北米州を貫くという意味のものであり全日本という場合はAll Japanが正確である」[18]との意見が寄せられ、明治大学講師の山本釣氏や芸術大学の中村助教授にも判断を仰いだ。結論は、Japanをわざわざ使わずとも世界で通用するNipponを用いることとして「All Nippon Airways」に落ち着いた[19]。現場でも第二京浜国道で前を走る日航バスを思わず追い越したという逸話[20]が語り継がれ、「追いつけ、追いこせ」は掲げられた標語ではなく日々の業務感情として根づいた。

  • 大空へ二十年(全日本空輸、1972)
    • [17]1957年10月25日の取締役会で英文社名候補「Pan Japan Airlines」「All Japan Airlines」を審議し前者に決定
    • [18]米国人A.C.Kingの指摘「Panは南北米州を貫く意味であり全日本ならAll Japanが正確」、明治大学講師の山本釣・芸術大学中村助教授にも意見を照会
    • [19]Japanではなく世界で通用するNipponを採り、語呂から英文社名を「All Nippon Airways」に決定
    • [20]第二京浜国道で日航バスを追い越した逸話に表れる「追いつけ、追いこせ」の現場文化
  • 大空へ二十年(全日本空輸、1972)
    • [12]後発の全日空は政府資本で先発した日本航空への対抗心を出発点とした
    • [13]前身2社が日本航空との力量差から「日本ヘリクツター」「極道航空」と揶揄された
    • [14]美土路昌一初代社長「現在窮乏、将来有望」・社員発の合言葉「追いつけ、追いこせ」
    • [15]1957年10月25日の取締役会で新社名を「全日本航空」に決定
    • [16]「全日本」は日本航空との抵触懸念で差し戻され、極東航空の菅野和太郎社長の意見を経て「全日本空輸」に決定
    • [17]1957年10月25日の取締役会で英文社名候補「Pan Japan Airlines」「All Japan Airlines」を審議し前者に決定
    • [18]米国人A.C.Kingの指摘「Panは南北米州を貫く意味であり全日本ならAll Japanが正確」、明治大学講師の山本釣・芸術大学中村助教授にも意見を照会
    • [19]Japanではなく世界で通用するNipponを採り、語呂から英文社名を「All Nippon Airways」に決定
    • [20]第二京浜国道で日航バスを追い越した逸話に表れる「追いつけ、追いこせ」の現場文化

ジェット化への着手と1966年の試練

1961年10月、全日空は東京・大阪証券取引所の市場第二部へ上場[21]し、機材導入の原資を資本市場から得る道を開いた。1960年7月に英国から導入したバイカウント744型機[22]に続き、1961年6月にはフレンドシップF-27型機とバイカウント828型機[23]、1965年3月にはボーイング727型機を投入[24]して、プロペラ機からジェット機への転換に着手した。バイカウントは東京-大阪をはじめ幹線の輸送力を高め、1969年5月にはボーイング737型機も加わった[25]。売上高は1961年3月期の24億円から1970年3月期の394億円へ[26]、10年で16倍に伸びた。

  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [21]1961年 東京・大阪証券取引所市場第二部に上場
    • [22]1960年7月 バイカウント744型機を導入(英国から)
    • [23]1961年6月 フレンドシップF-27型機・バイカウント828型機を導入
    • [24]1965年3月 ボーイング727型機を導入
    • [25]1969年5月 ボーイング737型機を導入
  • 大空へ二十年(全日本空輸、1972)
    • [26]売上高 1961年3月期24億円→1970年3月期394億円

成長は平坦ではなく、1966年2月4日には千歳発羽田行きの全日空60便(ボーイング727)が着陸進入中に東京湾へ墜落し、乗員乗客133名全員が犠牲になった[27]。当時としては世界最悪規模の単独機事故[28]で、同年は日本の航空界で大事故が相次いだ年でもあった。売上高は1966年3月期の170億円から1967年3月期に163億円へ落ち込み[29]、ジェット化で輸送力を伸ばす途上で信頼の回復が経営の課題となった。事故の前後から経営の立て直しを担ったのが、1969年に運輸事務次官から顧問として迎えられ翌1970年に社長へ就いた若狭得治[30]である。

  • 大空へ二十年(全日本空輸、1972)
    • [27]1966年2月4日 全日空60便(ボーイング727)が羽田沖に墜落、乗員乗客133名全員が死亡
    • [28]当時世界最悪規模の単独機事故、1966年は日本の航空界で大事故が相次いだ年
  • 全日本空輸 会社年鑑(1976年版)
    • [29]売上高 1966年3月期170億円→1967年3月期163億円
  • 日経ビジネス(1985年7月8日)
    • [30]若狭得治 1969年に運輸事務次官から顧問として全日空入り、1970年に社長就任
  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [21]1961年 東京・大阪証券取引所市場第二部に上場
    • [22]1960年7月 バイカウント744型機を導入(英国から)
    • [23]1961年6月 フレンドシップF-27型機・バイカウント828型機を導入
    • [24]1965年3月 ボーイング727型機を導入
    • [25]1969年5月 ボーイング737型機を導入
  • 大空へ二十年(全日本空輸、1972)
    • [26]売上高 1961年3月期24億円→1970年3月期394億円
    • [27]1966年2月4日 全日空60便(ボーイング727)が羽田沖に墜落、乗員乗客133名全員が死亡
    • [28]当時世界最悪規模の単独機事故、1966年は日本の航空界で大事故が相次いだ年
  • 全日本空輸 会社年鑑(1976年版)
    • [29]売上高 1966年3月期170億円→1967年3月期163億円
  • 日経ビジネス(1985年7月8日)
    • [30]若狭得治 1969年に運輸事務次官から顧問として全日空入り、1970年に社長就任

1970年〜 45/47体制の壁と国際定期線という33年の悲願

ANAホールディングスの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1971年 国際線不定期便の運航を開始(東京-香港)
  2. 1972年 東京証券取引所・大阪証券取引所の市場第一部に昇格
  3. 1973年 ロッキードL-1011型機を導入
  4. 1974年 日本近距離航空(後のエアーニッポン)を設立
  5. 1978年 日本貨物航空を設立、ボーイング747型機を導入
  6. 1983年 ボーイング767型機を導入
  7. 1986年 国際定期便の運航を開始(東京-グアム)

若狭体制の始動と45/47体制という壁

1970年の閣議了解と1972年の運輸大臣通達で成立した「45/47体制」は、日本航空に国際線と国内幹線、全日空に国内幹線とローカル線、東亜国内航空にローカル線を割り当てる規制[31]だった。全日空は1971年2月に東京-香港間で国際線不定期便の運航を開始した[32]ものの、定期便への参入は認められなかった。1974年3月には日本近距離航空を設立して[33]ローカル線の担い手をそろえ、割り当てられた国内市場の内側で路線網を広げた。300席超の機材と訓練されたパイロットを抱えながら海外へ運べない状態は、1986年3月に東京-グアム線が就航するまで15年続いた[34]

  • 運輸省 航空憲法(45/47体制)に関する閣議了解・運輸大臣通達
    • [31]45/47体制(1970年閣議了解・1972年運輸大臣通達)による事業分野の割当(日本航空=国際線・国内幹線、全日空=国内幹線・ローカル線、東亜国内航空=ローカル線)
  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [32]1971年2月 国際線不定期便の運航を開始(東京-香港)
    • [33]1974年3月 日本近距離航空株式会社(後のエアーニッポン)を設立
    • [34]1986年3月 国際定期便を運航開始(東京-グアム)。不定期便開始の1971年から15年

規制下でも国内線の規模拡大は続き、1972年8月に東京・大阪両証券取引所の市場第一部へ昇格[35]して、1973年12月にロッキードL-1011型機、1978年にボーイング747型機と300席超の大型機を相次いで導入した[36]。売上高は1972年3月期の646億円から1980年3月期の3,078億円へ5倍に伸びた[37]。もっとも稼ぎ頭の東京-大阪線は国鉄新幹線に旅客を奪われて激減し、1977年の航空界は「空のピンチ」と呼ばれる状況[38]に追い込まれた。300席超の大型機と乗員を抱えても、45/47体制の下では国際定期便に投入できなかった[39]

  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [35]1972年8月 東京・大阪両証券取引所の市場第二部から市場第一部に上場
    • [36]1973年12月 ロッキードL-1011型機を導入、1978年 ボーイング747型機を導入
  • 全日本空輸 会社年鑑(1986年版)
    • [37]売上高 1972年3月期646億円→1980年3月期3,078億円
  • 日経ビジネス(1977年9月12日)
    • [38]1977年 東京-大阪幹線が国鉄新幹線に旅客を奪われ、航空界は「空のピンチ」に追い込まれた
  • 運輸省 航空憲法(45/47体制)に関する閣議了解・運輸大臣通達
    • [39]45/47体制の下で全日空は大型機と乗員を国際定期便に投入できなかった
  • 運輸省 航空憲法(45/47体制)に関する閣議了解・運輸大臣通達
    • [31]45/47体制(1970年閣議了解・1972年運輸大臣通達)による事業分野の割当(日本航空=国際線・国内幹線、全日空=国内幹線・ローカル線、東亜国内航空=ローカル線)
    • [39]45/47体制の下で全日空は大型機と乗員を国際定期便に投入できなかった
  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [32]1971年2月 国際線不定期便の運航を開始(東京-香港)
    • [33]1974年3月 日本近距離航空株式会社(後のエアーニッポン)を設立
    • [34]1986年3月 国際定期便を運航開始(東京-グアム)。不定期便開始の1971年から15年
    • [35]1972年8月 東京・大阪両証券取引所の市場第二部から市場第一部に上場
    • [36]1973年12月 ロッキードL-1011型機を導入、1978年 ボーイング747型機を導入
  • 全日本空輸 会社年鑑(1986年版)
    • [37]売上高 1972年3月期646億円→1980年3月期3,078億円
  • 日経ビジネス(1977年9月12日)
    • [38]1977年 東京-大阪幹線が国鉄新幹線に旅客を奪われ、航空界は「空のピンチ」に追い込まれた

幻の念書とロッキード ── あと一歩の頓挫

国際定期線の壁に風穴があきかけたのは1970年代半ばで、1974年の日中航空協定で台湾が日本航空を締め出すと、その後継路線をめぐって全日空も東京-台北-香港など5路線を申請した[40]。社長の若狭得治氏はこの申請を5日で取り下げる代わりに、木村睦男運輸大臣と[41]「全日空は国際定期線を実施する能力を有し、近い将来において、正規の手続きをへてその方向に努力する」との念書を交わした(日経ビジネス 1985/7/8)。運輸事務次官出身で政財界に太いパイプを持つ若狭氏は、社内で「ゴッドファーザー」と呼ばれる求心力[42]を備え、規制官庁との交渉でこそ本領を発揮した。

  • 日経ビジネス(1985年7月8日)
    • [40]1974年 日中航空協定で日台路線が断絶、後継路線をめぐり全日空が東京-台北-香港など5路線を申請
    • [41]若狭得治社長が5路線の申請を5日で取り下げ、木村睦男運輸大臣と「幻の念書」を交換
    • [42]若狭得治は運輸事務次官出身で、社内で「ゴッドファーザー」と呼ばれた

だが念書の約束は果たされず、交換からおよそ7か月後にロッキード事件が表面化して、全日空の大型機選定をめぐる汚職[43]として若狭氏自身も連座した。経営トップが逮捕・起訴される事態のなかで念書に基づく国際定期線の話は宙に浮き、参入はさらに10年近く遠のいた[44]。それでも社内は若狭氏を支え続け、丸紅やグラマン事件の関係者が会社から指弾されて去ったのとは対照的[45]な経過をたどった。事件後も国内線の拡大は続き、売上高は1976年3月期の1,849億円から1983年3月期の4,218億円へ[46]2.3倍に伸びた。

  • 日経ビジネス(1985年7月8日)
    • [43]念書の約7か月後にロッキード事件が表面化、全日空の機種選定をめぐる汚職で若狭得治が連座
    • [44]ロッキード事件で国際定期線の話が宙に浮き、参入は10年近く遅れた
    • [45]若狭連座後も社内は若狭を支持(丸紅・グラマン事件の関係者が会社から追われたのと対照的)
  • 全日本空輸 会社年鑑(1986年版)
    • [46]売上高 1976年3月期1,849億円→1983年3月期4,218億円
  • 日経ビジネス(1985年7月8日)
    • [40]1974年 日中航空協定で日台路線が断絶、後継路線をめぐり全日空が東京-台北-香港など5路線を申請
    • [41]若狭得治社長が5路線の申請を5日で取り下げ、木村睦男運輸大臣と「幻の念書」を交換
    • [42]若狭得治は運輸事務次官出身で、社内で「ゴッドファーザー」と呼ばれた
    • [43]念書の約7か月後にロッキード事件が表面化、全日空の機種選定をめぐる汚職で若狭得治が連座
    • [44]ロッキード事件で国際定期線の話が宙に浮き、参入は10年近く遅れた
    • [45]若狭連座後も社内は若狭を支持(丸紅・グラマン事件の関係者が会社から追われたのと対照的)
  • 全日本空輸 会社年鑑(1986年版)
    • [46]売上高 1976年3月期1,849億円→1983年3月期4,218億円

黒船NCAと創業33年目の国際定期便

壁を実際に崩したのは旅客ではなく貨物で、1978年に海運各社と設立した貨物専業の日本貨物航空(NCA)[47]が、1985年5月8日、難交渉の末に成田-ニューヨーク(サンフランシスコ経由)へ第1便を飛ばした[48]。全日空の出資比率は10%にすぎなかったが、262人の社員のうち142人を出向・移籍で送り込んだ実質的な子会社[49]で、日本航空が独占してきた国際線に貨物便で風穴をあけた。日米航空交渉では米国がNCAを「人質」に路線拡大を迫り[50]、その圧力が全日空の国際定期線進出への足がかりとなった。全日空自身も1983年6月にボーイング767型機を導入し[51]、1985年3月期の売上高は4,532億円に達していた[52]

  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [47]1978年 日本貨物航空株式会社を設立
    • [51]1983年6月 ボーイング767型機を導入
  • 日経ビジネス(1985年7月8日)
    • [48]NCA第1便 1985年5月8日 成田-ニューヨーク(サンフランシスコ経由)
    • [49]NCAは全日空出資10%、社員262人中142人が全日空からの出向・移籍
    • [50]日米航空交渉で米国がNCAを「人質」に路線拡大を要求し、全日空の国際定期線進出の足がかりとなった
  • 全日本空輸 会社年鑑(1986年版)
    • [52]売上高 1985年3月期4,532億円

1985年11月、中曽根内閣は国際線を日本航空の事実上の独占から解き、他社にも運航を認める複数社制への転換[53]を打ち出した。1986年3月、全日空は東京-グアム間で国際定期便の運航を開始し[54]、創業から33年目で国際線複数社体制の一角に入った。「東洋の巨人」と言われながら国内線運航に甘んじてきた後発企業[55]が、成田-グアム線で世界へ出た節目だった。当時の中村大造社長は戦略を「よく、全日空はどの線をやろうとしているのかと聞かれるのですが、ボクはワールドワイドにやるんだ[56]、と答えているんです」(日経産業新聞 1986/3/3)と語り、アジア限定の段階的な策を否定した。

  • 日本経済新聞(1985年11月17日)
    • [53]1985年11月 中曽根内閣が国際線複数社制への転換を明示(日本航空が事実上独占している国際線の運航を他社に認める)
  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [54]1986年3月 国際定期便を運航開始(東京-グアム)
  • 日経産業新聞(1986年3月3日)
    • [55]1986年3月3日 成田-グアム線就航で国際線複数社体制が開幕、全日空は「東洋の巨人」と言われながら国内線運航に甘んじてきた
    • [56]中村大造(当時の全日空社長)の発言「ボクはワールドワイドにやるんだ」
  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [47]1978年 日本貨物航空株式会社を設立
    • [51]1983年6月 ボーイング767型機を導入
    • [54]1986年3月 国際定期便を運航開始(東京-グアム)
  • 日経ビジネス(1985年7月8日)
    • [48]NCA第1便 1985年5月8日 成田-ニューヨーク(サンフランシスコ経由)
    • [49]NCAは全日空出資10%、社員262人中142人が全日空からの出向・移籍
    • [50]日米航空交渉で米国がNCAを「人質」に路線拡大を要求し、全日空の国際定期線進出の足がかりとなった
  • 全日本空輸 会社年鑑(1986年版)
    • [52]売上高 1985年3月期4,532億円
  • 日本経済新聞(1985年11月17日)
    • [53]1985年11月 中曽根内閣が国際線複数社制への転換を明示(日本航空が事実上独占している国際線の運航を他社に認める)
  • 日経産業新聞(1986年3月3日)
    • [55]1986年3月3日 成田-グアム線就航で国際線複数社体制が開幕、全日空は「東洋の巨人」と言われながら国内線運航に甘んじてきた
    • [56]中村大造(当時の全日空社長)の発言「ボクはワールドワイドにやるんだ」

1986年〜 国際線拡大とスターアライアンス、需要ショックの時代

ANAホールディングスの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1986年 国際定期便の運航を開始(東京-グアム)
  2. 1989年 全日空ビルディングが大阪証券取引所第2部に上場
  3. 1990年 ワールドエアーネットワーク(後のエアージャパン)を設立
  4. 1995年 ボーイング777型機を導入
  5. 1999年 世界最大の航空連合スターアライアンスへの加盟と「選択と集中」による経営再建 30年ぶり無配の危機下、後発の全日空はなぜ単独の国際線拡大でなく世界連合を選んだか
  6. 2009年 初の純損失を計上
  7. 2010年 JAL破綻を機とした国際線拡大と「内需依存」からの転換 国内線に依存した後発の航空会社は、JAL破綻とオープンスカイをどう成長へ変えたか

国際線の本格展開とスターアライアンス加盟

グアム就航を皮切りに国際線網を広げた全日空の連結売上高は、1992年3月期の8,751億円から1997年3月期に1兆217億円へ達し[57]、初めて1兆円台に乗せた。1990年6月にはワールドエアーネットワーク(後のエアージャパン)を設立[58]し、1995年12月にボーイング777型機を導入[59]して長距離路線の機材を更新した。もっとも1998年3月期の連結経常利益は2億円、当期損益は54億円の赤字[60]にとどまり、全日空は30年ぶりの無配へ転落した[61]。1998年1月末の日米航空交渉で暫定自由化策が決まってコードシェアが解禁された[62]ときも、成田空港の発着枠という物理的な壁が残った[63]

  • 全日本空輸 会社年鑑(連結業績)
    • [57]連結売上高 1992年3月期8,751億円→1997年3月期1兆217億円(初の1兆円台)
    • [60]1998年3月期 連結経常利益2億円・当期純損失54億円
  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [58]1990年6月 ワールドエアーネットワーク(現エアージャパン)を設立
    • [59]1995年12月 ボーイング777型機を導入
  • 週刊東洋経済 1998年3月21日号「航空ビッグバンの衝撃 世界再編に揺れるJAL、ANA、JASの運命」
    • [61]全日空は30年ぶりの無配へ転落し、日本の航空3社すべてが無配となった
    • [62]1998年1月末の日米航空交渉で暫定自由化策が決まりコードシェアが解禁、世界の航空業界は4つの巨大グループへ集約
    • [63]日米合意で全日空は先発企業への昇格を果たしたが、成田空港の発着枠という物理的な壁が残った

1999年10月、全日空はスターアライアンスへ正式に加盟した[64]。同年6月に野村吉三郎社長が発表した2002年度までの中期経営計画「選択と集中」の柱で、1999年3月期の連結累積損失が600億円に膨らみ[65]、大手3社で唯一その年度も240億円の赤字を見込む[66]苦境からの再建策だった。当時の国際線は1日10便にすぎず[67]、ルフトハンザやユナイテッドとのコードシェアで国際線収入を4年間で20%増やし、加盟効果を共同宣伝費差し引き後の営業収益で年90億円と見込んだ[68]。あわせて機材購入計画を19機から10機へ絞り、関連事業の撤退損失として300億円を引き当てて[69]航空事業へ集約した。連結業績は2000年3月期の最終損失152億円から、2001年3月期には経常利益635億円・最終利益403億円[70]へ回復した。

  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [64]1999年 「スターアライアンス」に正式加盟
  • 週刊東洋経済 1999年6月26日号「編集長インタビュー 野村吉三郎 全日本空輸社長『選択と集中』で生き残りに賭ける」
    • [65]1999年3月期の連結決算で累積損失600億円
    • [66]全日空は大手3社で唯一、当該年度も240億円の赤字を見込んだ
    • [67]当時の全日空の国際線は1日10便
    • [68]国際線収入を4年間で20%増、加盟効果は年100億円から共同宣伝費など10億円を差し引いた年90億円の営業収益
    • [69]機材購入計画を19機から10機へ削減、関連事業の撤退損失300億円を引当し航空事業へ集約
  • 全日本空輸 会社年鑑(連結業績)
    • [70]2000年3月期 連結最終損失152億円、2001年3月期 連結経常利益635億円・最終利益403億円
  • 全日本空輸 会社年鑑(連結業績)
    • [57]連結売上高 1992年3月期8,751億円→1997年3月期1兆217億円(初の1兆円台)
    • [60]1998年3月期 連結経常利益2億円・当期純損失54億円
    • [70]2000年3月期 連結最終損失152億円、2001年3月期 連結経常利益635億円・最終利益403億円
  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [58]1990年6月 ワールドエアーネットワーク(現エアージャパン)を設立
    • [59]1995年12月 ボーイング777型機を導入
    • [64]1999年 「スターアライアンス」に正式加盟
  • 週刊東洋経済 1998年3月21日号「航空ビッグバンの衝撃 世界再編に揺れるJAL、ANA、JASの運命」
    • [61]全日空は30年ぶりの無配へ転落し、日本の航空3社すべてが無配となった
    • [62]1998年1月末の日米航空交渉で暫定自由化策が決まりコードシェアが解禁、世界の航空業界は4つの巨大グループへ集約
    • [63]日米合意で全日空は先発企業への昇格を果たしたが、成田空港の発着枠という物理的な壁が残った
  • 週刊東洋経済 1999年6月26日号「編集長インタビュー 野村吉三郎 全日本空輸社長『選択と集中』で生き残りに賭ける」
    • [65]1999年3月期の連結決算で累積損失600億円
    • [66]全日空は大手3社で唯一、当該年度も240億円の赤字を見込んだ
    • [67]当時の全日空の国際線は1日10便
    • [68]国際線収入を4年間で20%増、加盟効果は年100億円から共同宣伝費など10億円を差し引いた年90億円の営業収益
    • [69]機材購入計画を19機から10機へ削減、関連事業の撤退損失300億円を引当し航空事業へ集約

グループ再編と航空本業への資源集中

1997年のアジア通貨危機と2001年の米国同時多発テロが航空需要を直撃し、2002年3月期の連結最終損益は95億円の赤字、2003年3月期は283億円の赤字[71]へ沈んだ。2001年に社長へ就いた大橋洋治[72]は、日本航空と日本エアシステムの統合構想に対し、2002年2月の時点で今のままのJJ統合は到底容認できないと反対を表明した[73]。国内ではグループ子会社の整理統合を進め、2003年4月に全日空スカイホリデーなど旅行系4社を合併してANAセールス&ツアーズを設立[74]、2004年8月にエアーネクストを設立し、同年11月に中日本エアラインサービスを子会社化した[75]。連結売上高は2001年3月期の1兆2,796億円から2005年3月期の1兆2,928億円まで[76]1兆2,000億円台で足踏みしたが、2004年3月期に最終利益248億円、2005年3月期に270億円[77]と黒字基調へ戻した。

  • 全日本空輸 有価証券報告書(2003年3月期)
    • [71]2002年3月期 連結最終損失95億円、2003年3月期 連結最終損失283億円
  • 週刊東洋経済 2001年4月7日号「[トップの履歴書]大橋洋治/全日本空輸(ANA)社長 明るさと度胸が信条。まずは復配です」
    • [72]2001年 大橋洋治が全日本空輸社長に就任
  • 週刊東洋経済 2002年2月9日号「[インタビュー]大橋洋治 全日本空輸(ANA)社長 今のままのJJ統合は到底、容認できない!」
    • [73]2002年 大橋洋治社長が日本航空・日本エアシステムの統合に反対を表明
  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [74]2003年4月 全日空スカイホリデー・全日空ワールド・全日空トラベル・ANAセールスホールディングスの4社を合併しANAセールス&ツアーズを設立
    • [75]2004年8月 エアーネクストを設立、同年11月 中日本エアラインサービスを子会社化
  • 全日本空輸 有価証券報告書(2005年3月期)
    • [76]連結売上高 2001年3月期1兆2,796億円→2005年3月期1兆2,928億円(1兆2,000億円台で推移)
    • [77]連結最終利益 2004年3月期248億円・2005年3月期270億円

2005年に山元峯生氏が社長に就き[78]、航空本業へ資源を絞り込んだ。同年8月には日本貨物航空の経営から離脱して[79]株式を売却し、航空貨物は他社任せにせず自社で本腰を入れる方針へ切り替えた[80]。2006年2月にANA&JPエクスプレスを設立[81]し、2007年6月にはホテル事業関連子会社14社の全株式と関連資産をグループ外へ一括譲渡[82]、2008年7月にボーイング767-300BCF(貨物改修機)を導入している[83]。連結売上高は2006年3月期の1兆3,687億円から2008年3月期の1兆4,878億円へ伸び[84]、営業利益も888億円・922億円・844億円と800億円台後半で推移した[85]。2008年3月期の当期純利益は641億円[86]と、それまでの最高水準に達した。

  • 週刊東洋経済 2005年2月26日号「[トップの履歴書]「ぼっけもん」はチャレンジを待っている山元峯生 全日本空輸次期社長」
    • [78]2005年 山元峯生が全日本空輸社長に就任
  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [79]2005年8月 日本貨物航空の経営より離脱
    • [81]2006年2月 株式会社ANA&JPエクスプレス(現エアージャパン)を設立
    • [82]2007年6月 ホテル事業関連子会社14社の全株式とその他関連資産をグループ外に一括譲渡
    • [83]2008年7月 ボーイング767-300BCF(ボーイング・コンバーテッド・フレイター)を導入
  • 週刊東洋経済 2005年9月3日号「[KeyPerson]全日本空輸社長 山元峯生 日本貨物航空株を売却、航空貨物に本腰 運ぶだけではなく総合物流も視野 羽田拡張にらみアジアNo1狙う」
    • [80]2005年 山元峯生社長が日本貨物航空株を売却し航空貨物に本腰を入れる方針を表明
  • 全日本空輸 有価証券報告書(2008年3月期)
    • [84]連結売上高 2006年3月期1兆3,687億円→2008年3月期1兆4,878億円
    • [85]連結営業利益 2006年3月期888億円・2007年3月期922億円・2008年3月期844億円
    • [86]2008年3月期 連結当期純利益641億円
  • 全日本空輸 有価証券報告書(2003年3月期)
    • [71]2002年3月期 連結最終損失95億円、2003年3月期 連結最終損失283億円
  • 週刊東洋経済 2001年4月7日号「[トップの履歴書]大橋洋治/全日本空輸(ANA)社長 明るさと度胸が信条。まずは復配です」
    • [72]2001年 大橋洋治が全日本空輸社長に就任
  • 週刊東洋経済 2002年2月9日号「[インタビュー]大橋洋治 全日本空輸(ANA)社長 今のままのJJ統合は到底、容認できない!」
    • [73]2002年 大橋洋治社長が日本航空・日本エアシステムの統合に反対を表明
  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [74]2003年4月 全日空スカイホリデー・全日空ワールド・全日空トラベル・ANAセールスホールディングスの4社を合併しANAセールス&ツアーズを設立
    • [75]2004年8月 エアーネクストを設立、同年11月 中日本エアラインサービスを子会社化
    • [79]2005年8月 日本貨物航空の経営より離脱
    • [81]2006年2月 株式会社ANA&JPエクスプレス(現エアージャパン)を設立
    • [82]2007年6月 ホテル事業関連子会社14社の全株式とその他関連資産をグループ外に一括譲渡
    • [83]2008年7月 ボーイング767-300BCF(ボーイング・コンバーテッド・フレイター)を導入
  • 全日本空輸 有価証券報告書(2005年3月期)
    • [76]連結売上高 2001年3月期1兆2,796億円→2005年3月期1兆2,928億円(1兆2,000億円台で推移)
    • [77]連結最終利益 2004年3月期248億円・2005年3月期270億円
  • 週刊東洋経済 2005年2月26日号「[トップの履歴書]「ぼっけもん」はチャレンジを待っている山元峯生 全日本空輸次期社長」
    • [78]2005年 山元峯生が全日本空輸社長に就任
  • 週刊東洋経済 2005年9月3日号「[KeyPerson]全日本空輸社長 山元峯生 日本貨物航空株を売却、航空貨物に本腰 運ぶだけではなく総合物流も視野 羽田拡張にらみアジアNo1狙う」
    • [80]2005年 山元峯生社長が日本貨物航空株を売却し航空貨物に本腰を入れる方針を表明
  • 全日本空輸 有価証券報告書(2008年3月期)
    • [84]連結売上高 2006年3月期1兆3,687億円→2008年3月期1兆4,878億円
    • [85]連結営業利益 2006年3月期888億円・2007年3月期922億円・2008年3月期844億円
    • [86]2008年3月期 連結当期純利益641億円

リーマンショックとJAL破綻 ── 競争順位の逆転

世界金融危機は航空需要を直撃し、国際線旅客が2桁減った全日空は2009年3月期に6期ぶりの最終赤字[87]となる42億円の純損失を計上した[88]。連結売上高も1兆3,925億円へ縮み、営業利益は76億円にとどまった[89]。2009年4月1日に伊東信一郎氏が社長に就任し[90]、翌2010年3月期には営業損失542億円・当期純損失573億円と業績が底を打った[91]。売上高は前年比1,641億円減の1兆2,283億円まで落ち込んだ[92]。国内線が売上の半分以上を占めるうえ、成田A滑走路の発着枠は日本航空の3分の1未満で、国際線は長く不採算だった[93]

  • 週刊東洋経済 2009年4月11日号「国際線が成長のカギ握る、アライアンスで路線拡充」
    • [87]金融危機で国際線旅客が2桁減り、2009年3月期は6期ぶりの最終赤字の見通し
    • [90]2009年4月1日 伊東信一郎が社長に就任
  • 全日本空輸 有価証券報告書(2009年3月期)
    • [88]2009年3月期 連結当期純損失42億円(初の純損失)
    • [89]2009年3月期 連結売上高1兆3,925億円・営業利益76億円
  • 全日本空輸 有価証券報告書(2010年3月期)
    • [91]2010年3月期 連結営業損失542億円・当期純損失573億円
    • [92]2010年3月期 連結売上高1兆2,283億円(2009年3月期1兆3,925億円から1,641億円減)
  • 週刊東洋経済 2010年2月13日号「膨れ上がるANAの野望」
    • [93]ANAは売上の半分以上を国内線が占め、成田A滑走路の発着枠はJALの3分の1未満、国際線が長く不採算だった

潮目を変えたのは競合の破綻で、2010年1月19日に日本航空が会社更生法の適用を申請して経営破綻すると[94]、新たな羽田の発着枠は全日空に11便前後、日本航空に8便前後を割り振る配分[95]となった。伊東信一郎氏は日本の国際線を担う意思は十分にあるとして日本航空が撤退した中国路線などを引き継ぎ、2010年10月の羽田国際化で国際線便数を約15%増やす計画[96]を立てた。2011年4月には米ユナイテッド航空と独占禁止法の適用除外のもとで共同事業を始め[97]、成田で米国-アジアの乗り継ぎ需要を取り込んだ。2012年2月の中期経営計画では2013年度の国際線供給量を2011年度比29%増やす計画[98]を掲げ、連結売上高は2013年3月期に1兆4,835億円、営業利益1,038億円まで戻した[99]

  • 週刊東洋経済 2010年2月13日号「膨れ上がるANAの野望」
    • [94]2010年1月19日 日本航空が会社更生法の適用を申請し経営破綻
    • [96]伊東信一郎社長は日本の国際線を担う意思があるとしてJAL撤退の中国路線等を引き継ぎ、2010年10月の羽田国際化で国際線便数を約15%増やす計画
  • 日経新聞(2010年1月5日)
    • [95]羽田の新規発着枠配分は全日空11便前後・日本航空8便前後
  • 週刊東洋経済 2012年4月2日号「脱『内需依存』でアジアに舵」
    • [97]2011年4月 米ユナイテッド航空と独占禁止法適用除外(ATI)のもとで共同事業を開始、成田で米国-アジアの乗り継ぎ需要を取り込み
    • [98]2012年2月の中期経営計画で2013年度の国際線供給量を2011年度比29%増、国内線供給量を8%増と設定
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2013年3月期)
    • [99]2013年3月期 連結売上高1兆4,835億円・営業利益1,038億円
  • 週刊東洋経済 2009年4月11日号「国際線が成長のカギ握る、アライアンスで路線拡充」
    • [87]金融危機で国際線旅客が2桁減り、2009年3月期は6期ぶりの最終赤字の見通し
    • [90]2009年4月1日 伊東信一郎が社長に就任
  • 全日本空輸 有価証券報告書(2009年3月期)
    • [88]2009年3月期 連結当期純損失42億円(初の純損失)
    • [89]2009年3月期 連結売上高1兆3,925億円・営業利益76億円
  • 全日本空輸 有価証券報告書(2010年3月期)
    • [91]2010年3月期 連結営業損失542億円・当期純損失573億円
    • [92]2010年3月期 連結売上高1兆2,283億円(2009年3月期1兆3,925億円から1,641億円減)
  • 週刊東洋経済 2010年2月13日号「膨れ上がるANAの野望」
    • [93]ANAは売上の半分以上を国内線が占め、成田A滑走路の発着枠はJALの3分の1未満、国際線が長く不採算だった
    • [94]2010年1月19日 日本航空が会社更生法の適用を申請し経営破綻
    • [96]伊東信一郎社長は日本の国際線を担う意思があるとしてJAL撤退の中国路線等を引き継ぎ、2010年10月の羽田国際化で国際線便数を約15%増やす計画
  • 日経新聞(2010年1月5日)
    • [95]羽田の新規発着枠配分は全日空11便前後・日本航空8便前後
  • 週刊東洋経済 2012年4月2日号「脱『内需依存』でアジアに舵」
    • [97]2011年4月 米ユナイテッド航空と独占禁止法適用除外(ATI)のもとで共同事業を開始、成田で米国-アジアの乗り継ぎ需要を取り込み
    • [98]2012年2月の中期経営計画で2013年度の国際線供給量を2011年度比29%増、国内線供給量を8%増と設定
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2013年3月期)
    • [99]2013年3月期 連結売上高1兆4,835億円・営業利益1,038億円

2010年〜 持株会社体制での拡大・コロナ危機・財務再建と再設計

ANAホールディングスの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2010年 JAL破綻を機とした国際線拡大と「内需依存」からの転換 国内線に依存した後発の航空会社は、JAL破綻とオープンスカイをどう成長へ変えたか
  2. 2011年 格安航空(LCC)への参入と二ブランド体制の構築 フルサービス大手は、なぜ自ら価格破壊者を抱えたのか——「目には目を」の別会社戦略
  3. 2013年 持株会社ANAホールディングスへの移行とマルチブランド体制の構築 フルサービスとLCCを一つの会社で抱えるか、ブランドごとに分けて束ねるか——マルチブランド体制への移行
  4. 2015年 経営破綻したスカイマークの再建スポンサー就任と、デルタ航空との争奪戦 最後の独立系をANA陣営に取り込むため、片野坂真哉社長はなぜ大口債権者を切り崩したか
  5. 2017年 独立系LCCピーチ・アビエーションの304億円での子会社化 独立系ゆえに成功したピーチを、片野坂真哉社長はなぜ304億円かけて子会社に取り込んだか
  6. 2020年 コロナ禍での過去最大級の公募増資と事業構造改革による自力再建 破綻したJALと同じ道をとらず、片野坂真哉社長はなぜ3,321億円の増資と雇用への切り込みを選んだか
  7. 2021年 コロナ禍で過去最大の営業赤字

持株会社化と航空本業への一点集中

2010年7月に連結子会社のエアージャパンとANA&JPエクスプレスを合併し[100]、同年10月にはエアーニッポンネットワーク・エアーネクスト・エアーセントラルの3社を合併してANAウイングスとし、ANAセールスなど4社も1社へまとめた[101]。2010年9月には格安航空への参入を発表し、関西空港を拠点に運賃を大手の半額程度へ抑える別会社[102]を立ち上げると決めた。2008年4月から香港に置いた調査部隊がアジアの強豪LCC5社を調べ[103]、海外の格安航空は「安かろう悪かろう」ではないと結論づけた[104]うえでの判断だった。2011年8月にはマレーシアのエアアジアとの合弁でエアアジア・ジャパンを設立[105]し、同年10月26日には成田-香港のチャーター便でボーイング787型機の世界初の商業運航[106]を実現した。

  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [100]2010年7月 連結子会社のエアージャパン(存続会社)とANA&JPエクスプレスを合併
    • [101]2010年 エアーニッポンネットワーク(ANAウイングスへ商号変更)・エアーネクスト・エアーセントラルの3社合併、ANAセールスなど4社合併
    • [105]2011年8月 エアアジア・ジャパン株式会社(後のバニラ・エア)を設立
  • 週刊東洋経済 2010年9月25日号「ANAが格安航空参入 運賃半額の危ない賭け」
    • [102]2010年9月9日 LCC参入を発表、関西空港拠点・運賃は既存大手の半額程度、ANAブランドと切り離した別会社
  • 週刊東洋経済 2010年8月7日号「格安航空が来襲! ANAがLCC参入へ 『目には目を』で迎撃」
    • [103]2008年4月 LCC研究を開始、アジア戦略室を新設し香港の部隊がアジアの強豪LCC5社を調査
    • [104]調査団は海外LCCが「安かろう悪かろう」ではないと結論づけた
    • [106]2011年10月26日 成田-香港チャーター便でボーイング787の世界初の商業運航(同年11月1日 羽田-岡山で世界初の国内定期便就航)

2013年4月、全日空は社名をANAホールディングス株式会社へ変更し、航空運送事業などを100%出資の子会社である全日本空輸へ吸収分割した[107]。2012年2月の中期経営計画で表明した体制で、持株会社の下に事業会社の全日本空輸、連結子会社のエアアジア・ジャパン、持分法適用のピーチ・アビエーションを並べた[108]伊東信一郎氏が持株会社の社長へ移り、事業会社の全日本空輸社長には副社長の篠辺修氏が就任した[109]。もっともエアアジアとの合弁は就航1年足らずで解消され、49%の株式をANAが買い取ってバニラ・エアと改称し、2013年12月に再出発した[110]。国際線では2015年度の旅客数で日本航空を初めて上回り[111]、1986年の国際線就航以来はじめての逆転となった。

  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [107]2013年4月 社名をANAホールディングス株式会社と変更、航空運送事業等を100%出資の子会社である全日本空輸へ吸収分割
  • 週刊東洋経済 2012年4月2日号「覚悟を決めたANA・JALの挑戦 脱『内需依存』でアジアに舵」
    • [108]2012年2月発表の中期経営計画で、持株会社の下に全日本空輸・連結子会社エアアジア・ジャパン・持分法のピーチを並べるマルチブランド体制へ移行すると表明
  • 週刊東洋経済 2013年3月22日号「新社長INTERVIEW 全日本空輸 篠辺修 787の最悪シナリオは避けられた」
    • [109]2013年4月 伊東信一郎が持株会社社長へ、事業会社の全日本空輸社長に篠辺修副社長が就任
  • 週刊東洋経済 2014年2月28日号「この人に聞く バニラ・エア社長 石井知祥 再出発の出足は上々」
    • [110]エアアジアとの合弁を就航1年で解消、ANAが49%株式を買い取りバニラ・エアへ改称して2013年12月に再出発
  • 日経新聞(2016年4月27日)
    • [111]2015年度実績の国際線旅客数で日本航空を初めて上回った(1986年の国際線就航以来初)
  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [100]2010年7月 連結子会社のエアージャパン(存続会社)とANA&JPエクスプレスを合併
    • [101]2010年 エアーニッポンネットワーク(ANAウイングスへ商号変更)・エアーネクスト・エアーセントラルの3社合併、ANAセールスなど4社合併
    • [105]2011年8月 エアアジア・ジャパン株式会社(後のバニラ・エア)を設立
    • [107]2013年4月 社名をANAホールディングス株式会社と変更、航空運送事業等を100%出資の子会社である全日本空輸へ吸収分割
  • 週刊東洋経済 2010年9月25日号「ANAが格安航空参入 運賃半額の危ない賭け」
    • [102]2010年9月9日 LCC参入を発表、関西空港拠点・運賃は既存大手の半額程度、ANAブランドと切り離した別会社
  • 週刊東洋経済 2010年8月7日号「格安航空が来襲! ANAがLCC参入へ 『目には目を』で迎撃」
    • [103]2008年4月 LCC研究を開始、アジア戦略室を新設し香港の部隊がアジアの強豪LCC5社を調査
    • [104]調査団は海外LCCが「安かろう悪かろう」ではないと結論づけた
    • [106]2011年10月26日 成田-香港チャーター便でボーイング787の世界初の商業運航(同年11月1日 羽田-岡山で世界初の国内定期便就航)
  • 週刊東洋経済 2012年4月2日号「覚悟を決めたANA・JALの挑戦 脱『内需依存』でアジアに舵」
    • [108]2012年2月発表の中期経営計画で、持株会社の下に全日本空輸・連結子会社エアアジア・ジャパン・持分法のピーチを並べるマルチブランド体制へ移行すると表明
  • 週刊東洋経済 2013年3月22日号「新社長INTERVIEW 全日本空輸 篠辺修 787の最悪シナリオは避けられた」
    • [109]2013年4月 伊東信一郎が持株会社社長へ、事業会社の全日本空輸社長に篠辺修副社長が就任
  • 週刊東洋経済 2014年2月28日号「この人に聞く バニラ・エア社長 石井知祥 再出発の出足は上々」
    • [110]エアアジアとの合弁を就航1年で解消、ANAが49%株式を買い取りバニラ・エアへ改称して2013年12月に再出発
  • 日経新聞(2016年4月27日)
    • [111]2015年度実績の国際線旅客数で日本航空を初めて上回った(1986年の国際線就航以来初)

片野坂体制 ── 業界再編・LCC統合・売上2兆円

2015年に片野坂真哉氏が社長に就任し[112]、国内の中堅航空会社の再編に動いた。同年8月、民事再生手続き中のスカイマークの再建スポンサーに就き、投資ファンドのインテグラルなどと組んで約16.5%を出資した[113]。最大債権者のイントレピッド・アビエーションが米デルタ航空を担いだ再生計画案と争い、8月5日の債権者集会でスカイマーク側の計画を議決権60.25%・人数77.8%で可決させて制した[114]。スターフライヤー・エア・ドゥ・ソラシドエアに続き、最後の独立系まで陣営に取り込んだ[115]再編だった。ただしエアバスの同意を取り付けるためにA380導入を検討する書面へ署名しており、2016年1月に3機の導入とハワイ線投入を発表[116]、2019年5月にエアバスA380型機を導入した[117]

  • 週刊東洋経済 2016年3月4日号「この人に聞く ANAホールディングス 社長 片野坂真哉 発着枠拡大が最大の好機 「空白地帯」を攻める」
    • [112]2015年 片野坂真哉がANAホールディングス社長に就任
  • 週刊東洋経済 2015年8月14日号「軍配はANA陣営 SKY争奪戦の内幕」
    • [113]2015年8月 スカイマークの再建スポンサーに就任、インテグラル等と組み約16.5%を出資
    • [114]2015年8月5日の債権者集会でスカイマーク側の計画が議決権60.25%・人数77.8%で可決、デルタを担いだイントレピッド案を退けた
  • 週刊東洋経済 2017年3月11日号「LCCピーチを子会社化 ANAの“JAL包囲網”」
    • [115]ANAはスターフライヤー・エア・ドゥ・ソラシドエアを支援下に置き、独立系スカイマークまで陣営に取り込んだ
  • 週刊東洋経済 2016年1月22日号「難物旅客機を導入する ANAの危うい皮算用」
    • [116]エアバスの同意を取り付けるためA380導入を検討する書面に署名、2016年1月にA380 3機の導入とハワイ線投入を発表
  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [117]2019年5月 エアバスA380型機を導入

LCCではピーチ・アビエーションの扱いが焦点となり、2012年3月に日本初のLCCとして就航したピーチは、3年目の2013年度に黒字化して2015年度には営業利益率12.8%[118]と業界屈指の高収益を上げていた。ANAは世界の大手LCCが独立系として伸びた経緯から出資を持分法適用にとどめていた[119]が、2017年2月24日に304億円を投じて出資比率を38.7%から67%へ引き上げると発表[120]し、4月にPeach Aviationを連結子会社化した[121]。企業価値を1,100億円弱、直近純利益の約40倍と評価した取得[122]で、証券アナリストからは高値づかみとの指摘も出た。2018年3月にはピーチとバニラ・エアの統合を発表し[123]、2019年10月にLCCをピーチブランドへ一本化した[124]。連結売上高は2019年3月期に2兆583億円と初めて2兆円を超え、営業利益1,650億円[125]はコロナ前の最高益となった。

  • 週刊東洋経済 2017年3月11日号「LCCピーチを子会社化 ANAの“JAL包囲網”」
    • [118]ピーチは2012年3月に日本初のLCCとして就航、就航3年目の2013年度に黒字化、2015年度は営業利益率12.8%
    • [119]世界の大手LCCが独立系で成功した経緯からANAはピーチへの出資を持分法適用にとどめていた
    • [120]2017年2月24日 304億円でピーチへの出資比率を38.7%から67%へ引き上げると発表
    • [122]ピーチの企業価値を1,100億円弱・直近純利益の約40倍と評価、証券アナリストは高値づかみと指摘
  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [121]2017年4月 Peach Aviation株式会社を連結子会社化
    • [124]2019年 連結子会社のPeach Aviationとバニラ・エアが事業統合
  • 週刊東洋経済 2018年3月31日号「アジアLCC競争が激化 ピーチとバニラ、統合の必然」
    • [123]2018年3月22日 ピーチとバニラを2019年度末までに統合しブランドをピーチへ一本化すると発表
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2019年3月期)
    • [125]2019年3月期 連結売上高2兆583億円(初の2兆円台)・営業利益1,650億円

2020年の新型コロナウイルスの流行が渡航需要を消し去り、2021年3月期の連結売上高は前年比63%減の7,286億円、営業損失4,648億円、当期純損失4,046億円[126]といずれも過去最大となった。有利子負債は前年度末の8,263億円から1兆6,427億円へ倍増した[127]片野坂真哉氏は社会のために生き残るという方針を掲げ[128]、2020年10月30日に劣後ローン4,000億円を借り入れ、11月27日には公募増資などで最大約3,321億円の調達を発表した[129]。新規発行は最大1億4,000万株で発行済株式総数の約4割[130]にあたり、資金は契約済み機材の導入と有利子負債の返済に充てた。同時に機材を309機から276機へ約1割減らして2021年新卒の採用を中止し[131]、社員の年収を前年比3割減として労働組合へ希望退職の募集を打診[132]したうえで、JAL破綻時のような債権放棄や公的資金の注入は想定しないという自力再建の立場をとった[133]

  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2021年3月期)
    • [126]2021年3月期 連結売上高7,286億円(前年比63%減)・営業損失4,648億円・当期純損失4,046億円(いずれも過去最大)
    • [127]有利子負債(短期借入金+長期借入金+社債)2020年3月末8,263億円→2021年3月末1兆6,427億円
    • [128]片野坂真哉社長の方針「社会のために生き残る」
  • 週刊東洋経済 2020年12月12日号「正念場のANAとJAL」
    • [129]2020年10月30日 劣後ローン4,000億円を借入、11月27日 公募増資などで最大約3,321億円の調達を発表
    • [130]公募増資の新規発行は最大1億4,000万株で発行済株式総数の約4割、資金は契約済み機材の導入と有利子負債の返済に充当
    • [131]2020年10月27日会見で事業構造改革を発表、機材309機→276機へ約1割削減・2021年新卒採用を中止
    • [133]片野坂社長はJAL破綻時の債権放棄や公的資金注入のような措置は想定しないと述べ、自力再建の立場を明確にした
  • 週刊東洋経済 2020年10月24日号「ANAが希望退職実施へ 雇用維持貫くJALとの差」
    • [132]2020年10月7日 全日本空輸が希望退職の募集を労組へ打診、一時金ゼロ・月給減額で社員年収は前年比3割減
  • 週刊東洋経済 2016年3月4日号「この人に聞く ANAホールディングス 社長 片野坂真哉 発着枠拡大が最大の好機 「空白地帯」を攻める」
    • [112]2015年 片野坂真哉がANAホールディングス社長に就任
  • 週刊東洋経済 2015年8月14日号「軍配はANA陣営 SKY争奪戦の内幕」
    • [113]2015年8月 スカイマークの再建スポンサーに就任、インテグラル等と組み約16.5%を出資
    • [114]2015年8月5日の債権者集会でスカイマーク側の計画が議決権60.25%・人数77.8%で可決、デルタを担いだイントレピッド案を退けた
  • 週刊東洋経済 2017年3月11日号「LCCピーチを子会社化 ANAの“JAL包囲網”」
    • [115]ANAはスターフライヤー・エア・ドゥ・ソラシドエアを支援下に置き、独立系スカイマークまで陣営に取り込んだ
    • [118]ピーチは2012年3月に日本初のLCCとして就航、就航3年目の2013年度に黒字化、2015年度は営業利益率12.8%
    • [119]世界の大手LCCが独立系で成功した経緯からANAはピーチへの出資を持分法適用にとどめていた
    • [120]2017年2月24日 304億円でピーチへの出資比率を38.7%から67%へ引き上げると発表
    • [122]ピーチの企業価値を1,100億円弱・直近純利益の約40倍と評価、証券アナリストは高値づかみと指摘
  • 週刊東洋経済 2016年1月22日号「難物旅客機を導入する ANAの危うい皮算用」
    • [116]エアバスの同意を取り付けるためA380導入を検討する書面に署名、2016年1月にA380 3機の導入とハワイ線投入を発表
  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [117]2019年5月 エアバスA380型機を導入
    • [121]2017年4月 Peach Aviation株式会社を連結子会社化
    • [124]2019年 連結子会社のPeach Aviationとバニラ・エアが事業統合
  • 週刊東洋経済 2018年3月31日号「アジアLCC競争が激化 ピーチとバニラ、統合の必然」
    • [123]2018年3月22日 ピーチとバニラを2019年度末までに統合しブランドをピーチへ一本化すると発表
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2019年3月期)
    • [125]2019年3月期 連結売上高2兆583億円(初の2兆円台)・営業利益1,650億円
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2021年3月期)
    • [126]2021年3月期 連結売上高7,286億円(前年比63%減)・営業損失4,648億円・当期純損失4,046億円(いずれも過去最大)
    • [127]有利子負債(短期借入金+長期借入金+社債)2020年3月末8,263億円→2021年3月末1兆6,427億円
    • [128]片野坂真哉社長の方針「社会のために生き残る」
  • 週刊東洋経済 2020年12月12日号「正念場のANAとJAL」
    • [129]2020年10月30日 劣後ローン4,000億円を借入、11月27日 公募増資などで最大約3,321億円の調達を発表
    • [130]公募増資の新規発行は最大1億4,000万株で発行済株式総数の約4割、資金は契約済み機材の導入と有利子負債の返済に充当
    • [131]2020年10月27日会見で事業構造改革を発表、機材309機→276機へ約1割削減・2021年新卒採用を中止
    • [133]片野坂社長はJAL破綻時の債権放棄や公的資金注入のような措置は想定しないと述べ、自力再建の立場を明確にした
  • 週刊東洋経済 2020年10月24日号「ANAが希望退職実施へ 雇用維持貫くJALとの差」
    • [132]2020年10月7日 全日本空輸が希望退職の募集を労組へ打診、一時金ゼロ・月給減額で社員年収は前年比3割減

コロナ後の反転と財務再建・再設計

2022年4月に芝田浩二氏が社長に就任し[134]、コロナからの回復と財務再建を同時に進める体制へ移った。2022年3月期はなお営業損失1,731億円・当期純損失1,436億円[135]だったが、旅客需要の戻りを受けて2023年3月期には営業利益1,200億円で黒字に転じ、当期純利益894億円を確保して1株50円の復配[136]に踏み切った。連結売上高も1兆203億円から2023年3月期には1兆7,074億円へ戻した[137]。2023年12月には、社長の芝田浩二氏が国際線の伸びは無限であり2025年以降に再拡大へ向かう[138]との見通しを示した。

  • 週刊東洋経済 2023年12月23日号「ANAホールディングス 社長 芝田浩二 「国際線の伸びは無限 25年以降に再拡大へ」」
    • [134]2022年4月 芝田浩二がANAホールディングス社長に就任
    • [138]2023年12月 芝田浩二社長「国際線の伸びは無限 25年以降に再拡大へ」
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2022年3月期)
    • [135]2022年3月期 連結営業損失1,731億円・当期純損失1,436億円
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2023年3月期)
    • [136]2023年3月期 連結営業利益1,200億円で黒字転換・当期純利益894億円、1株50円の復配
    • [137]連結売上高 2022年3月期1兆203億円→2023年3月期1兆7,074億円

2024年3月期は連結売上高2兆559億円、営業利益2,079億円[139]となり、コロナ前の最高益だった2019年3月期の1,650億円を更新した[140]。翌2025年3月期は売上高2兆2,618億円、営業利益1,966億円、当期純利益1,530億円を計上した[141]。有利子負債はピークの2022年3月期末1兆7,400億円から2025年3月期末に1兆3,409億円へ圧縮し[142]、自己資本は1兆1,303億円とコロナ前の2020年3月期末1兆610億円を上回った[143]。総資産は2025年3月期末に3兆6,202億円へ積み上がり[144]、売上高・自己資本ともコロナ前を超える水準に戻った。

  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2024年3月期)
    • [139]2024年3月期 連結売上高2兆559億円・営業利益2,079億円
    • [140]2024年3月期の営業利益2,079億円がコロナ前最高益の2019年3月期1,650億円を更新
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期)
    • [141]2025年3月期 連結売上高2兆2,618億円・営業利益1,966億円・当期純利益1,530億円
    • [142]有利子負債 2022年3月期末1兆7,400億円→2025年3月期末1兆3,409億円
    • [143]自己資本 2025年3月期末1兆1,303億円・2020年3月期末1兆610億円
    • [144]総資産 2025年3月期末3兆6,202億円

2023年2月に発表した中期経営戦略は、2025年度の営業利益目標を2,000億円以上と掲げ[145]、国際旅客の生産量拡大と単価の維持を柱に据えた。2025年3月期の営業利益は1,966億円で、目標にわずかに届かなかった[146]。2024年2月にはANA・Peachに続く第3の航空ブランドとしてAirJapanの運航を開始し[147]、フルサービス・LCC・ミドルサービスの3ブランドで顧客層を分けた。国際貨物では、2005年に手放した日本貨物航空(NCA)の全株式を日本郵船から取得することで2023年に基本合意し、各国の競争当局の審査で8度の延期を経て2025年8月1日に完全子会社化を完了した[148]。旅客便の床下貨物室と貨物専用機を併せ持つ体制へ戻り[149]、旅客一本足だったコロナ期の事業構成を組み替えた。

  • ANAホールディングス 中期経営戦略(2023年2月)
    • [145]2023年2月 中期経営戦略を発表(2025年度の営業利益目標2,000億円以上)
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期)
    • [146]2025年3月期 連結営業利益1,966億円(目標2,000億円に未達)
  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [147]2024年2月 航空事業の第3ブランドとしてAirJapanの運航を開始
    • [148]日本貨物航空の全株式取得で2023年に基本合意、各国の競争当局の審査で8度の延期を経て2025年8月1日に完全子会社化を完了
    • [149]旅客便のベリー貨物と貨物専用機を組み合わせた事業体制へ移行
  • 週刊東洋経済 2023年12月23日号「ANAホールディングス 社長 芝田浩二 「国際線の伸びは無限 25年以降に再拡大へ」」
    • [134]2022年4月 芝田浩二がANAホールディングス社長に就任
    • [138]2023年12月 芝田浩二社長「国際線の伸びは無限 25年以降に再拡大へ」
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2022年3月期)
    • [135]2022年3月期 連結営業損失1,731億円・当期純損失1,436億円
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2023年3月期)
    • [136]2023年3月期 連結営業利益1,200億円で黒字転換・当期純利益894億円、1株50円の復配
    • [137]連結売上高 2022年3月期1兆203億円→2023年3月期1兆7,074億円
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2024年3月期)
    • [139]2024年3月期 連結売上高2兆559億円・営業利益2,079億円
    • [140]2024年3月期の営業利益2,079億円がコロナ前最高益の2019年3月期1,650億円を更新
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期)
    • [141]2025年3月期 連結売上高2兆2,618億円・営業利益1,966億円・当期純利益1,530億円
    • [142]有利子負債 2022年3月期末1兆7,400億円→2025年3月期末1兆3,409億円
    • [143]自己資本 2025年3月期末1兆1,303億円・2020年3月期末1兆610億円
    • [144]総資産 2025年3月期末3兆6,202億円
    • [146]2025年3月期 連結営業利益1,966億円(目標2,000億円に未達)
  • ANAホールディングス 中期経営戦略(2023年2月)
    • [145]2023年2月 中期経営戦略を発表(2025年度の営業利益目標2,000億円以上)
  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [147]2024年2月 航空事業の第3ブランドとしてAirJapanの運航を開始
    • [148]日本貨物航空の全株式取得で2023年に基本合意、各国の競争当局の審査で8度の延期を経て2025年8月1日に完全子会社化を完了
    • [149]旅客便のベリー貨物と貨物専用機を組み合わせた事業体制へ移行

ANAホールディングスの沿革1952〜2024年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
日本ヘリコプター輸送を設立★★
ヘリコプターで営業開始、定期航空運送事業免許を取得
社名を全日本空輸に変更
極東航空と合併★★
バイカウント744型機を導入
東京・大阪証券取引所市場第二部に上場
藤田航空を吸収合併
ボーイング727型機を導入
ボーイング737型機を導入
若狭得治国際線不定期便の運航を開始(東京-香港)
若狭得治東京証券取引所・大阪証券取引所の市場第一部に昇格
若狭得治ロッキードL-1011型機を導入
若狭得治日本近距離航空(後のエアーニッポン)を設立
安西正道日本貨物航空を設立、ボーイング747型機を導入
中村大造ボーイング767型機を導入
中村大造国際定期便の運航を開始(東京-グアム)★★
近藤秋男全日空ビルディングが大阪証券取引所第2部に上場
近藤秋男ワールドエアーネットワーク(後のエアージャパン)を設立
普勝清治ボーイング777型機を導入
野村吉三郎世界最大の航空連合スターアライアンスへの加盟と「選択と集中」による経営再建30年ぶり無配の危機下、後発の全日空はなぜ単独の国際線拡大でなく世界連合を選んだか 詳細を読む★★★
大橋洋治エアーニッポンネットワーク(後のANAウイングス)を設立
大橋洋治エアーネクスト設立、中日本エアラインサービスを子会社化
伊東信一郎初の純損失を計上★★
伊東信一郎伊東信一郎氏が社長に就任
伊東信一郎JAL破綻を機とした国際線拡大と「内需依存」からの転換国内線に依存した後発の航空会社は、JAL破綻とオープンスカイをどう成長へ変えたか 詳細を読む★★★
伊東信一郎格安航空(LCC)への参入と二ブランド体制の構築フルサービス大手は、なぜ自ら価格破壊者を抱えたのか——「目には目を」の別会社戦略 詳細を読む★★★
伊東信一郎持株会社ANAホールディングスへの移行とマルチブランド体制の構築フルサービスとLCCを一つの会社で抱えるか、ブランドごとに分けて束ねるか——マルチブランド体制への移行 詳細を読む★★★
片野坂真哉経営破綻したスカイマークの再建スポンサー就任と、デルタ航空との争奪戦最後の独立系をANA陣営に取り込むため、片野坂真哉社長はなぜ大口債権者を切り崩したか 詳細を読む★★★
片野坂真哉独立系LCCピーチ・アビエーションの304億円での子会社化独立系ゆえに成功したピーチを、片野坂真哉社長はなぜ304億円かけて子会社に取り込んだか 詳細を読む★★★
片野坂真哉コロナ禍での過去最大級の公募増資と事業構造改革による自力再建破綻したJALと同じ道をとらず、片野坂真哉社長はなぜ3,321億円の増資と雇用への切り込みを選んだか 詳細を読む★★★
片野坂真哉コロナ禍で過去最大の営業赤字★★
芝田浩二芝田浩二氏が社長に就任
芝田浩二コロナ後初の営業利益2,000億円超を達成
出典・参考
  • ANAホールディングス 有価証券報告書【沿革】
  • 大空へ二十年(全日本空輸、1972)
  • 全日本空輸 会社年鑑(1976年版)
  • 日経ビジネス(1985年7月8日)
  • 運輸省 航空憲法(45/47体制)に関する閣議了解・運輸大臣通達
  • 全日本空輸 会社年鑑(1986年版)
  • 日経ビジネス(1977年9月12日)
  • 日本経済新聞(1985年11月17日)
  • 日経産業新聞(1986年3月3日)
  • 全日本空輸 会社年鑑(連結業績)
  • 週刊東洋経済 1998年3月21日号「航空ビッグバンの衝撃 世界再編に揺れるJAL、ANA、JASの運命」
  • 週刊東洋経済 1999年6月26日号「編集長インタビュー 野村吉三郎 全日本空輸社長『選択と集中』で生き残りに賭ける」
  • 全日本空輸 有価証券報告書(2003年3月期)
  • 週刊東洋経済 2001年4月7日号「[トップの履歴書]大橋洋治/全日本空輸(ANA)社長 明るさと度胸が信条。まずは復配です」
  • 週刊東洋経済 2002年2月9日号「[インタビュー]大橋洋治 全日本空輸(ANA)社長 今のままのJJ統合は到底、容認できない!」
  • 全日本空輸 有価証券報告書(2005年3月期)
  • 週刊東洋経済 2005年2月26日号「[トップの履歴書]「ぼっけもん」はチャレンジを待っている山元峯生 全日本空輸次期社長」
  • 週刊東洋経済 2005年9月3日号「[KeyPerson]全日本空輸社長 山元峯生 日本貨物航空株を売却、航空貨物に本腰 運ぶだけではなく総合物流も視野 羽田拡張にらみアジアNo1狙う」
  • 全日本空輸 有価証券報告書(2008年3月期)
  • 週刊東洋経済 2009年4月11日号「国際線が成長のカギ握る、アライアンスで路線拡充」
  • 全日本空輸 有価証券報告書(2009年3月期)
  • 全日本空輸 有価証券報告書(2010年3月期)
  • 週刊東洋経済 2010年2月13日号「膨れ上がるANAの野望」
  • 日経新聞(2010年1月5日)
  • 週刊東洋経済 2012年4月2日号「脱『内需依存』でアジアに舵」
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2013年3月期)
  • 週刊東洋経済 2010年9月25日号「ANAが格安航空参入 運賃半額の危ない賭け」
  • 週刊東洋経済 2010年8月7日号「格安航空が来襲! ANAがLCC参入へ 『目には目を』で迎撃」
  • ANA ボーイング787就航10周年記念サイト(ANAホールディングス)
  • 週刊東洋経済 2012年4月2日号「覚悟を決めたANA・JALの挑戦 脱『内需依存』でアジアに舵」
  • 週刊東洋経済 2013年3月22日号「新社長INTERVIEW 全日本空輸 篠辺修 787の最悪シナリオは避けられた」
  • 週刊東洋経済 2014年2月28日号「この人に聞く バニラ・エア社長 石井知祥 再出発の出足は上々」
  • 日経新聞(2016年4月27日)
  • 週刊東洋経済 2016年3月4日号「この人に聞く ANAホールディングス 社長 片野坂真哉 発着枠拡大が最大の好機 「空白地帯」を攻める」
  • 週刊東洋経済 2015年8月14日号「軍配はANA陣営 SKY争奪戦の内幕」
  • 週刊東洋経済 2017年3月11日号「LCCピーチを子会社化 ANAの“JAL包囲網”」
  • 週刊東洋経済 2016年1月22日号「難物旅客機を導入する ANAの危うい皮算用」
  • 週刊東洋経済 2018年3月31日号「アジアLCC競争が激化 ピーチとバニラ、統合の必然」
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2019年3月期)
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2021年3月期)
  • 日経ビジネス(2020年4月10日)
  • 週刊東洋経済 2020年12月12日号「正念場のANAとJAL」
  • 週刊東洋経済 2020年10月24日号「ANAが希望退職実施へ 雇用維持貫くJALとの差」
  • 週刊東洋経済 2023年12月23日号「ANAホールディングス 社長 芝田浩二 「国際線の伸びは無限 25年以降に再拡大へ」」
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2022年3月期)
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2023年3月期)
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2024年3月期)
  • ANAホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期)
  • ANAホールディングス 中期経営戦略(2023年2月)
  • ANAホールディングス プレスリリース(2025年8月4日)「日本貨物航空株式会社の全株式取得に関するお知らせ」

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