1951〜2022
売上高: 億円
■単体 | ■連結
28023億円
2022.3 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
2249億円
2022.3 | 当期純利益
1921 05月
会社設立

小松製作所を設立

竹内鉱業から機械部門(小松鉄工所)が独立する形で、1921年に小松製作所が会社設立された。竹内鉱業が鉱山採掘を本業として、九州唐津の「芳谷炭坑」、石川県の「遊泉寺銅山」、茨城県の「茨城無煙炭鉱」を保有していた。鉱山採掘を合理化する中で、機械部門を設置したことが小松製作所の創業経緯であった。独立後の小松製作所は、事業面では鉱山機械・採掘機械に加えて、電気製鋼による電気鋳鋼にも従事しており、機械と鉄鋼の2つの領域で事業展開した。

1938 05月

粟津工場を新設。トラクターを量産

1931年に農林省からの要請でG25型トラクターの製造を開始して産業用車両に参入。1938年にトラック量産のための粟津工場を新設し、満州開拓公社向けに本格販売した。

1943 01月

国産ブルドーザーを試作

戦時中に陸軍および海軍からの要請を受けて、米国で普及していたブルドーザの研究開発を開始。6台を太平洋の激戦地だったアッツ島に搬出したが、海上輸送中に消息不明となった。量産には課題が多く試作車の完成にとどまったが、戦後のコマツが「トラクター(農機)からブルドーザ(建機)」に業態転換するきっかけとなった

1945 08月

トラクター受注が白紙撤回。経営危機へ

1945年の終戦後、コマツは民需転換を行い、政府の食料増産政策に合わせてトラクターの生産に従事した。ところが、1947年に農林省は占領軍によるガソリン供給休止の方針を受け、トラクターの発注を白紙撤回。コマツは主力事業のトラクターの製造中止を余儀なくされた。このため、工場の従業員は手持ち無沙汰となり、賃上げを求めて大規模ストライキ(100日ストライキ)を実施。過激な左翼が紛れ込んだこともあり、工場運営がストップしてコマツは経営危機に陥った。

まとめ
1921〜1946
売上不明
■単体 | ■連結
利益率不明
○単体 | ○連結
1947

河合良成氏が社長就任

労働問題の解決のために、元官僚(農務省出身)の河合良成氏が.小松製作所の社長に就任。河合氏は農務省時代にコマツにトラクター生産を推奨したことから責任を抱き、労働問題の解決に奔走した。なお、1960年代まで河合良成氏は小松製作所の社長を歴任し「労働問題の解決」「砲弾製造から建機製造への転換(1955年〜)」「キャタピラー対策のための品質改善(1961年〜)」といった経営施策を通じて、小松製作所を国内トップの建機メーカーに育て上げた。

1949 10月

米軍向け軍需砲弾の生産を強化

米軍向け砲弾を量産することで工場稼働率を改善。収益を確保してストライキは収束へ

1949年08月
旧相模模造兵廠を相模作業所として新設
1952年10月
陸軍造兵廠枚方製造所を払い下げ。大阪工場を新設
1952年12月
池貝自動車製造を吸収合併(川崎工場)
1952年12月
中越電化工業を吸収合併(氷見工場)
1956 05月

ブルドーザーの量産投資に注力

米軍向けの砲弾需要が一時的であることを見据え、ブルドーザーを中心とした建設機械への投資を積極化。業態転換を図った

1947年12月
D50ブルドーザーを完成。建機に参入
1951年11月
D80ブルドーザーを開発
1952年05月
D30ブルドーザーを開発
1953年05月
D120ブルドーザーを開発
1953年12月
D40ブルドーザーを開発
1954年05月
ブルドーザー生産累計1000台を突破
1956年05月
大阪工場でブルドーザー生産を開始(民需転換)
1959年12月
D250ブルドーザーを開発
まとめ
1947〜1959
売上高: 億円
■単体 | ■連結
165億円
1959.12 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
13億円
1959.12 | 当期純利益
まとめ
1960〜1969
売上高: 億円
■単体 | ■連結
2076億円
1969.12 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
96億円
1969.12 | 当期純利益
1970 02月
会社設立
海外展開

小松アメリカを設立。海外輸出に注力

1967年01月
ベルギーに現地法人を新設
1970年02月
アメリカに現地法人を新設
1975年
輸出比率55%を突破
1975年04月
ブラジルで建機の現地生産を開始
1979年02月
オーストラリアに現地法人を新設
1987

河合会長が能川社長を解任。経営が混乱へ

1988 09月

米ドレッサーと合弁設立

1985年02月
小松アメリカマニュファクチャリングを設立
1987年
能川社長が解任
1988年09月
小松ドレッサーカンパニーを設立
1990年09月
ドレッサー社が4100万ドルの赤字転落
1994年09月
ドレッサー合弁会社を子会社化
まとめ
1970〜1992
売上高: 億円
■単体 | ■連結
9197億円
1992.3 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
108億円
1992.3 | 当期純利益
1993 04月

脱建機を決定。シリコンウエハーに積極投資

脱建機を掲げてコマツ電子(シリコンウエハー生産)に投資。競合の信越化学に追随できずに苦境へ

1991年
売上高の50%超を非建機にする目標設定
1994年
コマツ電子で1300億円を投資(台湾・米国に工場新設)
2006年10月
SUMCOに株式50.1%を譲渡
1994 04月
事業損失

不採算事業から撤退

1994年06月
産業機械事業を営業譲渡
1997年07月
鋳造事業を営業譲渡
1998

Komtrax(機械稼働管理システム)を開発

まとめ
1993〜2016
売上高: 億円
■単体 | ■連結
19854億円
2016.3 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
1374億円
2016.3 | 当期純利益
2017 04月
海外展開

米ジョイグローバルを買収

米国の鉱山掘削機械メーカーであるジョイグローバル社(従業員数13,400名・2015年時点)の買収を決定。石炭の露天掘りの鉱山機械に強みがあり、コマツは鉱山機械のフルナインナップ化を目論んだ

まとめ
2017〜2023
売上高: 億円
■単体 | ■連結
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結