1921
5月

小松製作所を設立

竹内鉱業から機械部門(小松鉄工所)が独立する形で、1921年に小松製作所が会社設立された。竹内鉱業が鉱山採掘を本業として、九州唐津の「芳谷炭坑」、石川県の「遊泉寺銅山」、茨城県の「茨城無煙炭鉱」を保有していた。鉱山採掘を合理化する中で、機械部門を設置したことが小松製作所の創業経緯であった。独立後の小松製作所は、事業面では鉱山機械・採掘機械に加えて、電気製鋼による電気鋳鋼にも従事しており、機械と鉄鋼の2つの領域で事業展開した。

1938年5月
粟津工場を新設。トラクターを量産

1931年に農林省からの要請でG25型トラクターの製造を開始して産業用車両に参入。1938年にトラック量産のための粟津工場を新設し、満州開拓公社向けに本格販売した。

1943
1月

国産ブルドーザーを試作

戦時中に陸軍および海軍からの要請を受けて、米国で普及していたブルドーザの研究開発を開始。6台を太平洋の激戦地だったアッツ島に搬出したが、海上輸送中に消息不明となった。量産には課題が多く試作車の完成にとどまったが、戦後のコマツが「トラクター(農機)からブルドーザ(建機)」に業態転換するきっかけとなった

1945
8月

トラクター受注が白紙撤回。経営危機へ

1945年の終戦後、コマツは民需転換を行い、政府の食料増産政策に合わせてトラクターの生産に従事した。ところが、1947年に農林省は占領軍によるガソリン供給休止の方針を受け、トラクターの発注を白紙撤回。コマツは主力事業のトラクターの製造中止を余儀なくされた。このため、工場の従業員は手持ち無沙汰となり、賃上げを求めて大規模ストライキ(100日ストライキ)を実施。過激な左翼が紛れ込んだこともあり、工場運営がストップしてコマツは経営危機に陥った。

1947

河合良成氏が社長就任

労働問題の解決のために、元官僚(農務省出身)の河合良成氏が.小松製作所の社長に就任。河合氏は農務省時代にコマツにトラクター生産を推奨したことから責任を抱き、労働問題の解決に奔走した。なお、1960年代まで河合良成氏は小松製作所の社長を歴任し「労働問題の解決」「砲弾製造から建機製造への転換(1955年〜)」「キャタピラー対策のための品質改善(1961年〜)」といった経営施策を通じて、小松製作所を国内トップの建機メーカーに育て上げた。

1949年10月
米軍向け軍需砲弾の生産を強化

米軍向け砲弾を量産することで工場稼働率を改善。収益を確保してストライキは収束へ

1949年
8月
旧相模模造兵廠を相模作業所として新設
1952年
10月
陸軍造兵廠枚方製造所を払い下げ。大阪工場を新設
1952年
12月
池貝自動車製造を吸収合併(川崎工場)
1952年
12月
中越電化工業を吸収合併(氷見工場)
1961
9月

全社的品質管理を推進

政策
資本自由化の大綱
1960年に日本政府は「資本自由化大綱」を公表し、日本市場に対して外資企業が自由に参入できるよう、産業別に徐々に規制緩和を行う方針を明示...
競合
キャタピラーが日本進出を表明
1960年の資本自由化を受けて、グローバル企業である米キャタピラー社が日本進出を決定。1961年ごろにキャタピラー経営陣が来日し、新三菱...
政治
河合社長が通産省に対して抗議
河合良成(コマツ・当時社長)は、通産省(現・経産相)に対して建機業界で資本自由化を早急に進めることに対して抗議。キャタピラー社の日本進出...
方針
品質に重点をおいたマルA対策を実施
コマツの経営陣は、キャタピラー社の日本進出を受けて直ちに対抗策を立案。河合良成(当時社長)は、論点を「品質改善」に絞った。これは、コマツ...
提携
ディーゼルエンジンで米カミンズ社と提携
1961年にコマツは米カミンズ社とディーゼルエンジンに関する技術提携を締結した。この理由は、高性能なエンジンをコマツが内製化することが難...
開発
マルA対策車「D50A」を市販。クレーム数の削減に注力
コマツの「品質対策質」では、マルA対策車の開発にあたって、8つ調査項目を提示。調査から浮き彫りになった課題を解決することで、マルA対策社...
結果
ブルドーザーで国内シェア60%を維持
1960年代から1970年代にかけて、小松はブルドーザ(ないし建機)の国内販売において、シェア60〜65%をキープした。競合のキャタピラ...
詳細をよむ
1960年
1月
既存工場への設備投資を積極化。ブルドーザーの生産設備に傾斜投資
120 億円
1960年
10月
日本政府が資本自由化の大綱を公表
1961年
9月
全社的品質管理(QC)を導入
1961年
11月
カミンズ社とディーゼルエンジンで技術提携
1962年
1月
新三菱重工とキャタピラーの合弁設立を通産省に抗議
1962年
小山工場を新設
1963年
9月
耐久性を向上させた新型建機を発売(クレームが1/5に減少)
1965年
12月
既存工場への設備投資を積極化。ブルドーザーの機種毎に特定工場で生産特化
500 億円
1968年
12月
小山工場にエンジン総合工場を新設
1970年2月
小松アメリカを設立。海外輸出に注力

ニクソンショックで円高ドル安が進行

海外輸出を本格化

輸出比率50%を突破。グローバル展開へ

1967年
1月
ベルギーに現地法人を新設
1970年
2月
アメリカに現地法人を新設
1975年
輸出比率55%を突破
1975年
4月
ブラジルで建機の現地生産を開始
1979年
2月
オーストラリアに現地法人を新設
決算
コマツ | 小松製作所の業績
1970年12月期(単体)
売上高
2410
億円
当期純利益
105
億円
1987年
河合会長が能川社長を解任。経営が混乱へ
1988年9月
米ドレッサーと合弁設立

プラザ合意で円高ドル安が進行

北米現地生産のためドレッサー社と合弁

ドレッサー社の立て直しに苦戦

1985年
2月
小松アメリカマニュファクチャリングを設立
1987年
能川社長が解任
1988年
9月
小松ドレッサーカンパニーを設立
1990年
9月
ドレッサー社が4100万ドルの赤字転落
1994年
9月
ドレッサー合弁会社を子会社化
1993年4月
脱建機を決定。シリコンウエハーに積極投資

脱建機を掲げてコマツ電子(シリコンウエハー生産)に投資。競合の信越化学に追随できずに苦境へ

1991年
売上高の50%超を非建機にする目標設定
1994年
コマツ電子で1300億円を投資(台湾・米国に工場新設)
2006年
10月
SUMCOに株式50.1%を譲渡
決算
コマツ | 小松製作所の業績
1994年3月期(連結)
売上高
8548
億円
当期純利益
13
億円
1994年4月
不採算事業から撤退
1994年
6月
産業機械事業を営業譲渡
1997年
7月
鋳造事業を営業譲渡
1998年
Komtrax(機械稼働管理システム)を開発
2017年4月
米ジョイグローバルを買収

米国の鉱山掘削機械メーカーであるジョイグローバル社(従業員数13,400名・2015年時点)の買収を決定。石炭の露天掘りの鉱山機械に強みがあり、コマツは鉱山機械のフルナインナップ化を目論んだ

決算
コマツ | 小松製作所の業績
2018年3月期(連結)
売上高
25011
億円
当期純利益
1964
億円