/

歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ

創業地神奈川県横浜市
創業年1939
上場年1969
創業者※東芝鶴見工場由来
現代表今村圭吾
従業員数1,269

親会社スピンオフ専属下請け・発注元依存の出自1939年10月12日、東京芝浦電気(旧東芝)鶴見工場の一部を借りて株式会社芝浦京町製作所が資本金500万円で設立され、同年12月に芝浦製作所へ商号を改めた。創業者個人はおらず、東芝の機械製造機能を分社化して生まれた法人である。自前で顧客を開拓する必要はなく、東芝向けの工作機械・自動機械を供給する受託加工が中核業務だった。1969年に東証二部、1972年に一部へ上場し、東芝グループ内で機械事業を担う社内工場として歩んだ。

専業集中・一点突破合弁・JV・提携による参入選択と集中・事業売却/撤退東芝の設備を作る社内工場のままでは事業の幅が乏しく、芝浦製作所は技術を外から取り込んで装置メーカーへ転じた。1972年に真空機器へ参入し、1991年に徳田製作所を合併して真空技術を内製化、1998年10月には東芝メカトロニクスと合併して液晶製造装置技術を加え、芝浦メカトロニクスへ改称した。半導体・FPD・電子部品の三事業を抱えたが、いずれも市況悪化で同時に落ち込み、連続赤字を招いた。2013年就任の藤田茂樹社長は半導体製造装置に絞り込み、枚葉式洗浄装置の先端工程に経営資源を集めた。

1998年:芝浦メカトロニクスの発足経緯 東芝鶴見工場由来の芝浦製作所が徳田製作所・東芝メカトロニクスを統合し現社へ
1939 1991 1998 2026 東京芝浦電気鶴見工場 1939年鶴見工場を分社 芝浦製作所 1939年設立 徳田製作所 1991年合併・真空機器 東芝メカトロニクス 1998年対等統合 芝浦メカトロニクス 1998年合併 芝浦電産 1998年分離 2023年 東芝非公開化で資本独立
1998年:芝浦メカトロニクスの発足経緯 東芝鶴見工場由来の芝浦製作所が徳田製作所・東芝メカトロニクスを統合し現社へ
1939 1991 1998 2026 東京芝浦電気鶴見工場 1939年鶴見工場を分社 芝浦製作所 1939年設立 徳田製作所 1991年合併・真空機器 東芝メカトロニクス 1998年対等統合 芝浦メカトロニクス 1998年合併 芝浦電産 1998年分離 2023年 東芝非公開化で資本独立
芝浦メカトロニクス:売上高の内訳と営業利益率(PL 分解 × 営業利益率)
営業利益(億円)販管費(億円)売上原価(億円)営業利益率(%)
芝浦メカトロニクス:投資CF(M&A・設備投資ほか/事業施策と紐付き)
投資CF(億円)
プライム市場へ移行2022
芝浦ハイテックを完全子会社化2010
韓国芝浦メカトロニクスを増資2006

決断の理由 — クリティカルな歴史の転換点を読み解く

Q なぜ1939年に創業者を持たず、東芝の社内工場として生まれたのか
A 親会社の発注で売上が立つ会社には、自前で顧客を開拓する動機が乏しい。芝浦メカトロニクスは1939年10月、東京芝浦電気が機械・兵器部門を切り出す形で株式会社芝浦京町製作所として設立され、東芝が98%を出資する実質100%子会社として出発した。鶴見工場の建物と設備を借り、従業員600名も東芝から引き継ぎ、同年12月に芝浦製作所へ改めた。創業者個人を持たず東芝の発注に応える受託加工が中核だったため、外販の営業力ではなく特定顧客の要求に応える技術を磨く体質が根づいた。
Q なぜ2013年就任の藤田茂樹社長は、半導体・FPD・電子部品の三事業から半導体製造装置へ絞り込んだのか
A 半導体・FPD・電子部品はいずれも設備投資の波に左右され、市況が悪化すると三本柱が同時に沈んで収益の逃げ場がない。芝浦メカトロニクスは2001年のITバブル崩壊で合併直後に連続赤字となり、リーマンショックでも当期純利益55億円の赤字へ転落した。2013年6月に就任した藤田茂樹社長は、この同時失速を断ち切るため経営資源を半導体製造装置に集め、研磨後の枚葉式洗浄装置など先端工程の専用機へ集中した。ファインメカトロニクス事業の売上比率は5割台から6割近くへ高まり、利益率も2%台から7%台へ改善した
Q なぜ2023年に東芝グループが保有株を売却し、芝浦メカトロニクスは独立企業となったのか
A 親会社の都合で資本が動いたためである。経営再建中の東芝は資本効率の改善へ政策保有株式の見直しを進め、2023年8月、東芝・ニューフレアテクノロジー・東芝保険サービスの三社が芝浦メカトロニクス株計70万3,500株(発行済みの約15%)を約175億円で売り出すと発表し、東芝は保有全株を手放した。創業から85年にわたる筆頭株主が退き、株主は機関投資家中心へ移った。半導体分野の業務提携は残したまま資本関係を解き、研磨後の枚葉式洗浄装置やEUV対応のフォトマスク洗浄装置で世界首位の専業メーカーが独立した上場会社となった

歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く

1939年〜1997年 東芝鶴見工場からの分社と軍需・小型電動機事業を経た芝浦製作所期

売上高と利益率の推移
売上高(億円

東芝鶴見工場の分社という出自と戦時下の軍需生産

1939年(昭和14年)10月12日、東京芝浦電気(現・東芝)が兵器・機械部門を分離独立させる形で、株式会社芝浦京町製作所が資本金500万円で設立された。出資は東芝が98%にあたる9万8800株を引き受け、残る1200株も東芝の関係者が分け持つ実質100%出資の子会社で、創業者個人を持たず東芝鶴見工場の機械製造機能を母体として生まれた法人である。横浜市鶴見区の東芝鶴見工場の五号館・十号館を機械設備ごと借り受け、従業員600名も東芝から引き継いで同年12月に操業を開始した。同月21日には、明治以来半世紀にわたり強電・機械・兵器を手がけた旧芝浦製作所の由緒ある社名を継ぐ形で、商号を株式会社芝浦製作所へ改めた。発足時は社長を置かない会長制をとり、東芝取締役を兼ねる百田貞次氏が代表取締役会長に就いた[1][2][3][4][5]

創業当初の生産は軍需関連が全体の約7割を占め、鶴見工場では電磁チャックや各種電動機、航空機用電気機器を手がけた。1940年(昭和15年)8月には川崎工場が操業を開始し、慣性起動電動機や航空機用無線電源などほぼ軍需品に特化した拠点として、海軍管理工場の指定を受けた。1942年1月には大船工場(現・横浜事業所)が操業を始め、主力工場の体制が整っていった。1943年(昭和18年)9月には福井県の酒伊繊維工業小浜工場を買収し、海軍機向け慣性起動電動機の生産拠点に転用した。三菱・松下との争奪戦のなか、設立間もない産業設備営団から第一号の許可を取り付け、現金1350万円を即日工面して買収を成立させたのは、西野経理部長(後の社長)の機略によるものであった[6][7][8][9][10]

苦難の戦後再建と小型電動機事業の確立

終戦により軍需を失った芝浦製作所は、民需への転換と過剰な人員・設備の整理という二重の試練に直面した。1948年(昭和23年)には人員整理をめぐって労使が激しく対立し、組合の無期限ストに会社が工場閉鎖で応じる争議へ発展した。資本構成は1948年から1950年まで自己資本がマイナスに陥り、破産寸前の経営が続いた。会社は川崎・大森・小浜・大船の各工場や用地を相次いで売却して退職金と運転資金を捻出し、1951年(昭和26年)にようやく自己資本がプラスへ転じて経営の一本立ちを果たした。買い手が少なく安値での処分となった工場売却は、戦後復興期の経営再建の厳しさを示している[11][12][13]

戦後復興のなかで芝浦製作所の再生を支えたのが、小浜工場を拠点とする小型電動機事業であった。東芝の石坂泰三会長による「洗濯機用モータと家庭用電動井戸ポンプをつくらせよ」との指示を受けて家電向けモータの生産に踏み出すと、1952年(昭和27年)ごろに月2000〜3000台だった生産は、家電普及の波に乗って1969年度には月産30万台へ拡大した。戦時に手がけた人絹ポットモータも好評を得て国内の人絹工場で全面採用され、海外市場へも進出した。高度経済成長期を通じて芝浦製作所は、東芝の家電・電子部品向け製造設備と小型モータの供給元としてグループ内の機械事業の中核を担い、量産技術を蓄積していった[14][15][16]

事業基盤の確立を受けて、1969年(昭和44年)10月、芝浦製作所は東京証券取引所市場第二部に株式を上場した。創業から30年の節目で、東芝系の機械製造機能を独立した上場会社として運営する体制が整い、株式公開による資金調達と知名度向上の道を開いた。上場当時の主力は東芝向けの製造設備と家電用小型モータで、小浜工場のモータ生産は量産規模を年々拡大させていた。1972年2月には東京証券取引所市場第一部への指定替え上場を果たし、主要市場への昇格を実現した。東芝という強力な販売先を後背に持ちながら、上場会社として自立した経営基盤を固めていく時期であった[17][18]

モーター事業の高度化と真空・半導体装置への布石

1980年代の芝浦製作所は、蓄積した小型モータ技術をもとに高付加価値の新型モータを相次いで開発した。1982年(昭和57年)には独自の鉄芯構造で小型・薄型化と長寿命を実現した「RPモータ」を、1983年(昭和58年)には制御回路を組み込んだ「ICモーター」を相次いで商品化し、いずれもヒット商品となった。さらに回転数を任意に設定できるステッピングモーターはフロッピーディスク・ドライブや産業機械向けに需要を伸ばし、新製品開発室のベストセラーへ育った。たばこ自動販売機やウォータージェットカッター、直交ロボットといった機器類も収益源に加わった。1990年6月には東芝取締役で関西支社長の鈴木三郎氏が社長に就任し、渡辺亮前社長は相談役へ退いた。この時期も東芝が株式の61.6%を保有する東芝系企業であった[19][20][21][22]

モータ事業で量産技術を磨く一方、芝浦製作所は半導体産業の成長を見据えて精密機械への布石を進めた。1991年(平成3年)10月には真空機器に強みを持つ徳田製作所と合併し、真空機器システム事業部・相模工場として継承するとともに芝浦エレテックを子会社化して、後の半導体製造装置事業の基盤となる技術を取り込んだ。1993年6月に芝浦自販機、1994年4月に芝浦エンジニアリングを設立するなど機能別の分社で事業構造を整理し、1997年7月には本社事務所を東京都品川区へ、本店を神奈川県横浜市へ移した。製造機能を横浜の大船工場に集約しつつ管理機能を分散させる二地点体制を整え、東芝系企業としての位置付けを保ったまま、モータから精密装置へと主力を移す1998年の決定的再編に備える時期であった[23][24][25]

1998年〜2009年 東芝メカトロニクス合併と社名変更──芝浦メカトロニクスの誕生

売上高と利益率の推移
売上高(億円

1998年10月の合併と現社名の形成

1998年10月、芝浦製作所は東芝メカトロニクス株式会社と合併し、自動機システム事業部・メカトロ機器事業部・さがみ野事業所として継承、商号を株式会社芝浦メカトロニクスに変更した。同時に東精エンジニアリングを子会社化し、モータ応用機器事業部と小浜工場の一部を分離して、芝浦製作所・日本電産が各40%、東芝が20%を出資する合弁会社の芝浦電産を設立した。国内シェア約4割の家電・空調用モータ事業を芝浦電産へ営業譲渡し、長く主力だったモータ事業を事実上日本電産へ移した。芝浦製作所の機械製造技術と東芝メカトロニクスの液晶製造装置技術が一体となり、半導体・FPD・電子部品の三事業構造を持つ新会社が誕生した。東芝メカトロニクスは液晶パネル製造装置に強みを持つ事業会社で、合併により芝浦メカトロニクスはディスプレイ製造装置市場へも参入した[26][27][28][29]

1999年4月、本社を神奈川県横浜市に移転し、自販機事業の全国20営業所業務を芝浦自販機に移管して本社機能を集約した。2001年1月には自販機事業の営業・サービス事業を芝浦自販機株式会社に移管し、自販機事業の本体外切離しを完了した。2001年10月には小浜工場の製造部門を芝浦イーエムエス株式会社に移管し、生産機能を分離した。合併後の最初の3年間は、合併で重複した事業機能の整理と本体機能の半導体・FPD製造装置への集中という二軸での再編期となった。本体に残した中核事業は、半導体製造装置(ファインメカトロニクス)・FPD製造装置(メカトロニクスシステム)・電子部品関連の3事業で、それ以外の周辺事業は子会社へ移管する設計で構造改革が完了した[30][31][32]

1998年:芝浦メカトロニクスの発足経緯 東芝鶴見工場由来の芝浦製作所が徳田製作所・東芝メカトロニクスを統合し現社へ
1939 1991 1998 2026 東京芝浦電気鶴見工場 1939年鶴見工場を分社 芝浦製作所 1939年設立 徳田製作所 1991年合併・真空機器 東芝メカトロニクス 1998年対等統合 芝浦メカトロニクス 1998年合併 芝浦電産 1998年分離 2023年 東芝非公開化で資本独立
1998年:芝浦メカトロニクスの発足経緯 東芝鶴見工場由来の芝浦製作所が徳田製作所・東芝メカトロニクスを統合し現社へ
1939 1991 1998 2026 東京芝浦電気鶴見工場 1939年鶴見工場を分社 芝浦製作所 1939年設立 徳田製作所 1991年合併・真空機器 東芝メカトロニクス 1998年対等統合 芝浦メカトロニクス 1998年合併 芝浦電産 1998年分離 2023年 東芝非公開化で資本独立

合併直後の業績低迷と東芝との連携深化

合併直後の業績は厳しく、FY01(2002年3月期)の親会社株主に帰属する当期純利益は△11億円、FY02(2003年3月期)は△14億円と連続赤字となった。半導体製造装置市場は2001年のITバブル崩壊後の冷え込みのなかで、合併直後の重複機能整理と市場低迷が重なって厳しい収益環境であった。一方、FY03(2004年3月期)は当期純利益9億円・FY04(2005年3月期)は同51億円と急回復し、半導体製造装置市場の回復を受けて合併シナジーが顕在化した。FY04の好業績は、半導体微細化の進展に伴うウェハ洗浄装置・露光関連装置の需要拡大による。

2004年7月、芝浦ハイテック株式会社を株式会社東芝との共同出資により設立し、東芝との合弁事業を開始した。同社は東芝の半導体事業向けに専門装置を供給する位置付けで、合弁形態によって東芝の需要を取り込む構造を強化した。2005年4月には芝浦自販機株式会社を存続会社として芝浦イーエムエスを合併し、グループ会社の整理統合を実施した。2006年3月には韓国芝浦メカトロニクス株式会社の資本金を30億ウォンに増強、2009年3月には100億ウォンへ増資・2009年5月には13億ウォンへ減資と、韓国半導体市場(サムスン電子・SKハイニックス)向けの事業展開で増減資を繰り返した。韓国市場は当時世界最大の半導体製造装置需要地で、現地拠点の規模を市場サイクルに合わせて調整する経営判断が求められた時期である[33][34][35]

2008年から2009年のリーマンショックの時期には、FY08(2009年3月期)の親会社株主に帰属する当期純利益が△55億円と赤字額55億円に転落した。半導体製造装置市場が世界的に冷え込み、合併後の最も厳しい収益環境となった。2009年5月に韓国子会社の資本金を100億ウォンから13億ウォンへ減資し、韓国事業のスリム化を実施した。2010年10月には、合弁会社芝浦ハイテック株式会社を完全子会社化し、東芝との合弁を解消した。これは東芝の半導体事業合理化の流れの中で、芝浦メカトロニクスが東芝向け装置供給の独立性を高める転機となり、東芝への業績依存度を再評価する契機となった[36][37]

2010年〜2025年 半導体特化への事業集中と東芝離脱──独立企業化への展開

売上高と利益率の推移
売上高(億円

半導体微細化の進展と業績回復期──FY13からの構造改革

2010年代前半は半導体微細化(28nm→14nm→7nm)の進展期で、芝浦メカトロニクスの主力製品である枚葉式洗浄装置(先端ロジック向けウェハ洗浄装置)の需要が世界的に拡大した。FY09(2010年3月期)の連結売上高411億円・経常利益△16億円から、FY10(2011年3月期)の462億円・経常利益8億円へと回復した後、FY11-FY12(2012-2013年3月期)には再度低迷期に入った(FY12の売上304億円・当期純利益△14億円)。FY13(2014年3月期)に経営再建のため藤田茂樹氏が代表取締役社長に就任し、半導体製造装置に経営資源を集中する構造改革を本格化した[38]

藤田社長就任後の2014年から2019年にかけて、芝浦メカトロニクスは半導体製造装置事業(ファインメカトロニクス)の比重を年々高める経営判断を実行した。FY14(2015年3月期)からセグメント情報の開示が整い、ファインメカトロニクス(半導体)・メカトロニクスシステム(FPD・電子部品)・不動産賃貸・流通機器システムの4セグメントで、ファインメカトロニクスの売上比率はFY14の53%(売上231億円/連結438億円)からFY19(2020年3月期)の59%(277億円/471億円)へ上昇した。同期間の営業利益はFY14の10億円・営業利益率2.3%からFY18(2019年3月期)の40億円・営業利益率7.5%まで連続上昇し、半導体特化の収益効果が顕在化した。

2020年6月の今村圭吾社長就任と半導体特化の加速

2020年6月、今村圭吾氏(1962年9月生)が代表取締役社長執行役員に就任した。今村社長は2018年6月に取締役常務執行役員兼ファインメカトロニクス事業部長として登場し、2019年に専務へ昇格、半導体製造装置事業部のトップから社長へ昇格した内部承継型のCEOである。半導体微細化と半導体製造装置市場の構造的成長のなかで、事業部長経験者の社長就任は半導体特化を加速する人事決定であった。今村社長就任後の最初の挑戦は、コロナ禍下での需要急変と、半導体製造装置市場の急速な拡大という二つの市況変動への対応であった[39][40]

FY20(2021年3月期)の連結売上高は448億円・営業利益30億円、FY21(2022年3月期)は売上493億円・営業利益51億円と、コロナ禍の中で半導体製造装置の旺盛な需要を取り込んで連続増収増益となった。FY22(2023年3月期)には売上610億円・営業利益109億円と前期比で売上24%増・営業利益2.1倍の非連続成長を記録した。ファインメカトロニクス事業の売上はFY20の296億円からFY22の426億円へ44%増、同事業の営業利益はFY20の20億円からFY22の96億円へ4.8倍に伸び、半導体特化の収益効果がセグメント数値で顕在化した。2022年4月、東京証券取引所の市場区分見直しによって市場第一部からプライム市場へ移行した[41]

東芝離脱と独立企業化──2024年の資本構造の質的転換

長らく筆頭株主だった株式会社東芝は、芝浦メカトロニクス株式の36.54%(FY15・2016年3月期時点で18,977,000株)を保有していた。2017年6月の株主構成変動で東芝の保有比率は11.73%(5,193,000株)まで低下し、信越エンジニアリング5.86%・ニューフレアテクノロジー5.86%という関連会社の保有が並ぶ構造に再編された。これは半導体製造装置業界内の資本関係再編の一環で、東芝の半導体事業合理化(東芝メモリ分社化、後のキオクシア)の流れの中で発生した変化である。FY17(2018年3月期)以降、東芝は11.73%の保有を維持する筆頭株主として残存していた。

2023年12月の東芝非公開化(日本産業パートナーズによる買収)を経て、東芝は保有する芝浦メカトロニクス株式の処分を進め、[42]FY23(2024年3月期)の上位10株主一覧から東芝が消失した。FY23時点の筆頭株主は日本マスタートラスト信託銀行(信託口)9.61%・信越エンジニアリング5.92%・日本カストディ銀行3.02%と、機関投資家と関連事業会社の組み合わせに変わった。創業から85年にわたって芝浦メカトロニクスの大株主であった東芝が筆頭株主から退いたことは、東芝系メカトロニクス事業の独立企業化という資本構造の質的転換を意味する。FY24(2025年3月期)の筆頭株主は日本マスタートラスト信託銀行13.69%・日本カストディ銀行7.45%・信越エンジニアリング5.92%となり、機関投資家中心の資本構造へさらに移行した。

東芝の撤退は経営自由度の向上にも直結した。FY23(2024年3月期)の連結売上高は676億円・営業利益117億円、FY24(2025年3月期)は売上809億円・営業利益141億円と、東芝離脱直後の二期で連続増収増益を継続し、独立企業としての経営パフォーマンスを資本市場に提示できた。今村社長就任の2020年6月(FY20)からFY24までの4年間で、売上は448億円から809億円へ1.8倍、営業利益は30億円から141億円へ4.7倍に拡大した。今村社長の経営課題は、半導体製造装置市場の周期変動(シリコンサイクル)への耐性強化と、機関投資家中心の株主構造への株主還元政策の再整備の二点に集約される。先端ロジック向け枚葉式洗浄装置とマスクブランクス洗浄装置(EUV露光向け前工程装置)の独占的供給ポジションを維持できるかが、独立企業としての中期業績を決める論点である。

出典

芝浦メカトロニクス FY19有価証券報告書 2020年03月 https://disclosure2.edinet-fsa.go.jp/
芝浦メカトロニクス FY23 統合報告書 2023年 https://www.shibaura.co.jp/ir/library/integrated_report/

API for AI Agents — 静的アセットのJSONで取得可能。API実行の認証不要

Method Path 概要 芝浦メカトロニクス(証券コード6590)のURL API仕様書
GET https://the-shashi.com/api/companies.json 全社一覧 + 公開エンドポイント目録 openapi.yaml
GET https://the-shashi.com/api/{stock_code}/manifest.json リソース目録 + プロファイル openapi.yaml
GET https://the-shashi.com/api/{stock_code}/history.json 歴史概略 openapi.yaml
GET https://the-shashi.com/api/{stock_code}/timeline.json 沿革 openapi.yaml
GET https://the-shashi.com/api/{stock_code}/executives.json 役員 openapi.yaml
GET https://the-shashi.com/api/{stock_code}/shareholders.json 大株主 openapi.yaml
GET https://the-shashi.com/api/{stock_code}/financials.json 財務三表 openapi.yaml
GET https://the-shashi.com/api/{stock_code}/financials-longterm.json 長期業績 openapi.yaml
GET https://the-shashi.com/api/{stock_code}/segments.json 事業セグメント openapi.yaml
GET https://the-shashi.com/api/{stock_code}/workforce.json 従業員 openapi.yaml