芝浦メカトロニクス の歴史

創業

1939年

創業者

※東芝鶴見工場由来

創業地

神奈川県横浜市

直近売上高(2026/3)

880億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1939年に創業者を持たず、東芝の社内工場として生まれたのか
A 親会社の発注で売上が立つ会社には、自前で顧客を開拓する動機が乏しい。芝浦メカトロニクスは1939年10月、東京芝浦電気が機械・兵器部門を切り出す形で株式会社芝浦京町製作所として設立され、東芝が98%を出資する実質100%子会社として出発した。鶴見工場の建物と設備を借り、従業員600名も東芝から引き継ぎ、同年12月に芝浦製作所へ改めた。創業者個人を持たず東芝の発注に応える受託加工が中核だったため、外販の営業力ではなく特定顧客の要求に応える技術を磨く体質が根づいた。
Q なぜ2013年就任の藤田茂樹社長は、半導体・FPD・電子部品の三事業から半導体製造装置へ絞り込んだのか
A 半導体・FPD・電子部品はいずれも設備投資の波に左右され、市況が悪化すると三本柱が同時に沈んで収益の逃げ場がない。芝浦メカトロニクスは2001年のITバブル崩壊で合併直後に連続赤字となり、リーマンショックでも当期純利益55億円の赤字へ転落した。2013年6月に就任した藤田茂樹社長は、この同時失速を断ち切るため経営資源を半導体製造装置に集め、研磨後の枚葉式洗浄装置など先端工程の専用機へ集中した。ファインメカトロニクス事業の売上比率は5割台から6割近くへ高まり、利益率も2%台から7%台へ改善した
Q なぜ2023年に東芝グループが保有株を売却し、芝浦メカトロニクスは独立企業となったのか
A 親会社の都合で資本が動いたためである。経営再建中の東芝は資本効率の改善へ政策保有株式の見直しを進め、2023年8月、東芝・ニューフレアテクノロジー・東芝保険サービスの三社が芝浦メカトロニクス株計70万3,500株(発行済みの約15%)を約175億円で売り出すと発表し、東芝は保有全株を手放した。創業から85年にわたる筆頭株主が退き、株主は機関投資家中心へ移った。半導体分野の業務提携は残したまま資本関係を解き、研磨後の枚葉式洗浄装置やEUV対応のフォトマスク洗浄装置で世界首位の専業メーカーが独立した上場会社となった

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1939年〜 東芝鶴見工場からの分社と軍需・小型電動機事業を経た芝浦製作所期

芝浦メカトロニクスの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1939年 芝浦京町製作所として設立
  2. 1939年 芝浦製作所に商号変更
  3. 1942年 大船工場操業開始
  4. 1943年 小浜工場操業開始
  5. 1969年 東京証券取引所二部上場
  6. 1972年 東京証券取引所一部に指定替え
  7. 1991年 徳田製作所と合併し芝浦エレテックを子会社化

東芝鶴見工場の分社という出自と戦時下の軍需生産

1939年10月12日、東京芝浦電気(現・東芝)が兵器・機械部門を分離独立させる形で、株式会社芝浦京町製作所が資本金500万円で設立された。出資は東芝が98%にあたる9万8800株を引き受け、残る1200株も東芝の関係者が分け持つ実質100%出資の子会社で、創業者個人を持たず東芝鶴見工場の機械製造機能を母体として生まれた法人である。横浜市鶴見区の東芝鶴見工場の五号館・十号館を機械設備ごと借り受け、従業員600名も東芝から引き継いで同年12月に操業を開始した。同月21日には、明治以来半世紀にわたり強電・機械・兵器を手がけた旧芝浦製作所の由緒ある社名を継ぐ形で、商号を株式会社芝浦製作所へ改めた。発足時は社長を置かない会長制をとり、東芝取締役を兼ねる百田貞次氏が代表取締役会長に就いた。 [1][2][3][4][5]

  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1939年10月12日 株式会社芝浦京町製作所を資本金500万円で設立(東京芝浦電気鶴見工場の一部を借用して操業開始)
    • [4]1939年12月(21日)商号を株式会社芝浦製作所へ変更
  • 芝浦製作所 三十年のあゆみ(ダイヤモンド社・1969年)
    • [2]設立時の出資は東芝が98%(9万8800株)、残り1200株も東芝関係者が引き受け実質100%出資
    • [3]東芝鶴見工場の五号館・十号館を借用し、従業員600名を引き継いで1939年12月に操業開始
    • [5]発足時は会長制をとり、百田貞次が代表取締役会長(東芝取締役兼任)に就任

創業当初の生産は軍需関連が全体の約7割を占め、鶴見工場では電磁チャックや各種電動機、航空機用電気機器を手がけた。1940年8月には川崎工場が操業を開始し、慣性起動電動機や航空機用無線電源などほぼ軍需品に特化した拠点として、海軍管理工場の指定を受けた。1942年1月には大船工場(現・横浜事業所)が操業を始め、主力工場の体制が整った。1943年9月には福井県の酒伊繊維工業小浜工場を買収し、海軍機向け慣性起動電動機の生産拠点に転用した。三菱・松下との争奪戦のなか、設立間もない産業設備営団から第一号の許可を取り付け、現金1350万円を即日工面して買収を成立させたのは、西野経理部長(後の社長)の機略によるものであった。 [6][7][8][9][10]

  • 芝浦製作所 三十年のあゆみ(ダイヤモンド社・1969年)
    • [6]創業当初の生産割合は軍需関係が全生産高の約7割
    • [7]1940年8月 川崎工場が操業開始、海軍管理工場の指定を受ける(軍需品に特化)
    • [10]小浜工場買収は三菱・松下との争奪戦のなか、産業設備営団第一号の許可で現金1350万円を工面して成立(西野経理部長=後の社長による)
  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1942年1月 大船工場(現・横浜事業所)の操業開始
    • [9]1943年9月 小浜工場(酒伊繊維工業小浜工場を買収)の操業開始
  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1939年10月12日 株式会社芝浦京町製作所を資本金500万円で設立(東京芝浦電気鶴見工場の一部を借用して操業開始)
    • [4]1939年12月(21日)商号を株式会社芝浦製作所へ変更
    • [8]1942年1月 大船工場(現・横浜事業所)の操業開始
    • [9]1943年9月 小浜工場(酒伊繊維工業小浜工場を買収)の操業開始
  • 芝浦製作所 三十年のあゆみ(ダイヤモンド社・1969年)
    • [2]設立時の出資は東芝が98%(9万8800株)、残り1200株も東芝関係者が引き受け実質100%出資
    • [3]東芝鶴見工場の五号館・十号館を借用し、従業員600名を引き継いで1939年12月に操業開始
    • [5]発足時は会長制をとり、百田貞次が代表取締役会長(東芝取締役兼任)に就任
    • [6]創業当初の生産割合は軍需関係が全生産高の約7割
    • [7]1940年8月 川崎工場が操業開始、海軍管理工場の指定を受ける(軍需品に特化)
    • [10]小浜工場買収は三菱・松下との争奪戦のなか、産業設備営団第一号の許可で現金1350万円を工面して成立(西野経理部長=後の社長による)

苦難の戦後再建と小型電動機事業の確立

終戦により軍需を失った芝浦製作所は、民需への転換と過剰な人員・設備の整理という二重の試練に直面した。1948年には人員整理をめぐって労使が激しく対立し、組合の無期限ストに会社が工場閉鎖で応じる争議へ発展した。資本構成は1948年から1950年まで自己資本がマイナスに陥り、破産寸前の経営が続いた。会社は川崎・大森・小浜・大船の各工場や用地を相次いで売却して退職金と運転資金を捻出し、1951年にようやく自己資本がプラスへ転じて経営の一本立ちを果たした。買い手が少なく安値での処分となった工場売却は、戦後復興期の経営再建の厳しさを示している。 [11][12][13]

  • 芝浦製作所 三十年のあゆみ(ダイヤモンド社・1969年)
    • [11]1948年(昭和23年)人員整理をめぐる労使対立が組合の無期限スト・会社の工場閉鎖へ発展
    • [12]資本構成は1948〜1950年(昭和23〜25年)自己資本がマイナス、1951年(昭和26年)にプラス転換し一本立ち
    • [13]川崎・大森・小浜・大船の各工場・用地を相次いで売却して退職金・運転資金を捻出

戦後復興のなかで芝浦製作所の再生を支えたのが、小浜工場を拠点とする小型電動機事業であった。東芝の石坂泰三会長による「洗濯機用モータと家庭用電動井戸ポンプをつくらせよ」との指示を受けて家電向けモータの生産に踏み出すと、1952年ごろに月2000〜3000台だった生産は、家電普及の波に乗って1969年度には月産30万台へ拡大した。戦時に手がけた人絹ポットモータも好評を得て国内の人絹工場で全面採用され、海外市場へも進出した。高度経済成長期を通じて芝浦製作所は、東芝の家電・電子部品向け製造設備と小型モータの供給元としてグループ内の機械事業の中核を担い、量産技術を蓄積した。 [14][15][16]

  • 芝浦製作所 三十年のあゆみ(ダイヤモンド社・1969年)
    • [14]東芝の石坂泰三会長の指示で洗濯機用モータ・家庭用電動井戸ポンプの生産を開始
    • [15]小浜工場の家電向けモータ生産は1952年ごろ月2000〜3000台から1969年度に月産30万台へ拡大
    • [16]人絹ポットモータが国内の人絹工場で全面採用され海外市場へも進出

事業基盤の確立を受けて、1969年10月、芝浦製作所は東京証券取引所市場第二部に株式を上場した。創業から30年の節目で、東芝系の機械製造機能を独立した上場会社として運営する体制が整い、株式公開による資金調達と知名度向上の道を開いた。上場当時の主力は東芝向けの製造設備と家電用小型モータで、小浜工場のモータ生産は量産規模を年々拡大させていた。1972年2月には東京証券取引所市場第一部への指定替え上場を果たし、主要市場への昇格を実現した。東芝という強力な販売先を後背に持ちながら、上場会社として自立した経営基盤を固めていく時期であった。 [17][18]

  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1969年10月 東京証券取引所市場第二部に株式を上場
    • [18]1972年2月 東京証券取引所市場第一部に指定替え上場
  • 芝浦製作所 三十年のあゆみ(ダイヤモンド社・1969年)
    • [11]1948年(昭和23年)人員整理をめぐる労使対立が組合の無期限スト・会社の工場閉鎖へ発展
    • [12]資本構成は1948〜1950年(昭和23〜25年)自己資本がマイナス、1951年(昭和26年)にプラス転換し一本立ち
    • [13]川崎・大森・小浜・大船の各工場・用地を相次いで売却して退職金・運転資金を捻出
    • [14]東芝の石坂泰三会長の指示で洗濯機用モータ・家庭用電動井戸ポンプの生産を開始
    • [15]小浜工場の家電向けモータ生産は1952年ごろ月2000〜3000台から1969年度に月産30万台へ拡大
    • [16]人絹ポットモータが国内の人絹工場で全面採用され海外市場へも進出
  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1969年10月 東京証券取引所市場第二部に株式を上場
    • [18]1972年2月 東京証券取引所市場第一部に指定替え上場

モーター事業の高度化と真空・半導体装置への布石

1980年代の芝浦製作所は、蓄積した小型モータ技術をもとに高付加価値の新型モータを相次いで開発した。1982年には独自の鉄芯構造で小型・薄型化と長寿命を実現した「RPモータ」を、1983年には制御回路を組み込んだ「ICモーター」を相次いで商品化し、いずれもヒット商品となった。さらに回転数を任意に設定できるステッピングモーターはフロッピーディスク・ドライブや産業機械向けに需要を伸ばし、新製品開発室のベストセラーへ育った。たばこ自動販売機やウォータージェットカッター、直交ロボットといった機器類も収益源に加わった。1990年6月には東芝取締役で関西支社長の鈴木三郎氏が社長に就任し、渡辺亮前社長は相談役へ退いた。この時期も東芝が株式の61.6%を保有する東芝系企業であった。 [19][20][21][22]

  • 日本の経営者 平成5年版(時評社・1992年)
    • [19]1982年(昭和57年)「RPモータ」、1983年(昭和58年)「ICモーター」を商品化しヒット
    • [20]ステッピングモーターがフロッピーディスク・ドライブ・産業機械向けに需要拡大(新製品開発室のベストセラー)
    • [21]1990年6月 東芝取締役・関西支社長の鈴木三郎が社長に就任、渡辺亮前社長は相談役へ
    • [22]1992年当時、東芝が芝浦製作所株式の61.6%を保有

モータ事業で量産技術を磨く一方、芝浦製作所は半導体産業の成長を見据えて精密機械への布石を進めた。1991年10月には真空機器に強みを持つ徳田製作所と合併し、真空機器システム事業部・相模工場として継承するとともに芝浦エレテックを子会社化して、後の半導体製造装置事業の基盤となる技術を取り込んだ。1993年6月に芝浦自販機、1994年4月に芝浦エンジニアリングを設立するなど機能別の分社で事業構造を整理し、1997年7月には本社事務所を東京都品川区へ、本店を神奈川県横浜市へ移した。製造機能を横浜の大船工場に集約しつつ管理機能を分散させる二地点体制を整え、東芝系企業としての位置付けを保ったまま、モータから精密装置へと主力を移す1998年の決定的再編に備える時期であった。 [23][24][25]

  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1991年10月 徳田製作所と合併(真空機器システム事業部・相模工場として継承)し芝浦エレテックを子会社化
    • [24]1993年6月 芝浦自販機を設立、1994年4月 芝浦エンジニアリングを設立
    • [25]1997年7月 本社事務所を品川区へ移転し本店を神奈川県横浜市へ移転
  • 日本の経営者 平成5年版(時評社・1992年)
    • [19]1982年(昭和57年)「RPモータ」、1983年(昭和58年)「ICモーター」を商品化しヒット
    • [20]ステッピングモーターがフロッピーディスク・ドライブ・産業機械向けに需要拡大(新製品開発室のベストセラー)
    • [21]1990年6月 東芝取締役・関西支社長の鈴木三郎が社長に就任、渡辺亮前社長は相談役へ
    • [22]1992年当時、東芝が芝浦製作所株式の61.6%を保有
  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1991年10月 徳田製作所と合併(真空機器システム事業部・相模工場として継承)し芝浦エレテックを子会社化
    • [24]1993年6月 芝浦自販機を設立、1994年4月 芝浦エンジニアリングを設立
    • [25]1997年7月 本社事務所を品川区へ移転し本店を神奈川県横浜市へ移転

1998年〜 東芝メカトロニクス合併と社名変更──芝浦メカトロニクスの誕生

芝浦メカトロニクスの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1998年 東芝メカトロニクスとの合併による液晶製造装置への参入と芝浦メカトロニクスへの社名変更 家電用モータを守るか、製造装置の会社へ移るか——東芝発祥企業が名を替えた1998年の再編
  2. 1999年 本社を移転
  3. 2001年 自販機・モータ応用機器など非中核事業の本体外への切り離しと製造装置への集中 量産と販売の機能をどこまで手放すか——1998年から2005年にかけて子会社へ移された四つの事業
  4. 2001年 小浜工場の製造部門を芝浦イーエムエスに移管
  5. 2004年 芝浦ハイテックを東芝と共同出資で設立
  6. 2005年 芝浦自販機が芝浦イーエムエスを合併
  7. 2006年 韓国芝浦メカトロニクスを増資

1998年10月の合併と現社名の形成

1998年10月、芝浦製作所は東芝メカトロニクス株式会社と合併し、自動機システム事業部・メカトロ機器事業部・さがみ野事業所として継承、商号を株式会社芝浦メカトロニクスに変更した。同時に東精エンジニアリングを子会社化し、モータ応用機器事業部と小浜工場の一部を分離して、芝浦製作所・日本電産が各40%、東芝が20%を出資する合弁会社の芝浦電産を設立した。国内シェア約4割の家電・空調用モータ事業を芝浦電産へ営業譲渡し、長く主力だったモータ事業を事実上日本電産へ移した。芝浦製作所の機械製造技術と東芝メカトロニクスの液晶製造装置技術が一体となり、半導体・FPD・電子部品の三事業構造を持つ新会社が誕生した。東芝メカトロニクスは液晶パネル製造装置に強みを持つ事業会社で、合併により芝浦メカトロニクスはディスプレイ製造装置市場へも参入した。 [26][27][28][29]

  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [26]1998年10月 芝浦製作所が東芝メカトロニクスと合併(自動機システム事業部・メカトロ機器事業部・さがみ野事業所として継承)し商号を株式会社芝浦メカトロニクスへ変更
    • [27]同月 東精エンジニアリングを子会社化し、モータ応用機器事業部と小浜工場の一部を分離して芝浦電産を設立
    • [28]東芝メカトロニクスは液晶パネル製造装置に強みを持つ会社で、合併によりディスプレイ製造装置市場へ参入
  • 産業と経済 52巻10号(プリントワン・1998年)
    • [29]芝浦電産は芝浦製作所・日本電産が各40%、東芝が20%を出資し、国内シェア約4割のモータ事業を営業譲渡して事実上日本電産へ移管

1999年4月、本社を神奈川県横浜市に移転し、自販機事業の全国20営業所業務を芝浦自販機に移管して本社機能を集約した。2001年1月には自販機事業の営業・サービス事業を芝浦自販機株式会社に移管し、自販機事業の本体外切離しを完了した。2001年10月には小浜工場の製造部門を芝浦イーエムエス株式会社に移管し、生産機能を分離した。合併後の最初の3年間は、合併で重複した事業機能の整理と本体機能の半導体・FPD製造装置への集中という二軸での再編期となった。本体に残した中核事業は、半導体製造装置(ファインメカトロニクス)・FPD製造装置(メカトロニクスシステム)・電子部品関連の3事業で、それ以外の周辺事業は子会社へ移管する設計で構造改革が完了した。 [30][31][32]

  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [30]1999年4月 本社を神奈川県横浜市へ移転し、自販機事業の全国20営業所業務を芝浦自販機へ移管
    • [31]2001年1月 自販機事業の営業・サービス事業を芝浦自販機へ移管
    • [32]2001年10月 小浜工場の製造部門を芝浦イーエムエスへ移管
  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [26]1998年10月 芝浦製作所が東芝メカトロニクスと合併(自動機システム事業部・メカトロ機器事業部・さがみ野事業所として継承)し商号を株式会社芝浦メカトロニクスへ変更
    • [27]同月 東精エンジニアリングを子会社化し、モータ応用機器事業部と小浜工場の一部を分離して芝浦電産を設立
    • [28]東芝メカトロニクスは液晶パネル製造装置に強みを持つ会社で、合併によりディスプレイ製造装置市場へ参入
    • [30]1999年4月 本社を神奈川県横浜市へ移転し、自販機事業の全国20営業所業務を芝浦自販機へ移管
    • [31]2001年1月 自販機事業の営業・サービス事業を芝浦自販機へ移管
    • [32]2001年10月 小浜工場の製造部門を芝浦イーエムエスへ移管
  • 産業と経済 52巻10号(プリントワン・1998年)
    • [29]芝浦電産は芝浦製作所・日本電産が各40%、東芝が20%を出資し、国内シェア約4割のモータ事業を営業譲渡して事実上日本電産へ移管

合併直後の業績低迷と東芝との連携深化

合併直後の業績は厳しく、FY01(2002年3月期)の親会社株主に帰属する当期純利益は△11億円、FY02(2003年3月期)は△14億円と連続赤字となった。半導体製造装置市場は2001年のITバブル崩壊後の冷え込みのなかで、合併直後の重複機能整理と市場低迷が重なって厳しい収益環境であった。一方、FY03(2004年3月期)は当期純利益9億円・FY04(2005年3月期)は同51億円と急回復し、半導体製造装置市場の回復を受けて合併シナジーが顕在化した。FY04の好業績は、半導体微細化の進展に伴うウェハ洗浄装置・露光関連装置の需要拡大による。

2004年7月、芝浦ハイテック株式会社を株式会社東芝との共同出資により設立し、東芝との合弁事業を開始した。同社は東芝の半導体事業向けに専門装置を供給する位置付けで、合弁形態によって東芝の需要を取り込む構造を強化した。2005年4月には芝浦自販機株式会社を存続会社として芝浦イーエムエスを合併し、グループ会社の整理統合を実施した。2006年3月には韓国芝浦メカトロニクス株式会社の資本金を30億ウォンに増強、2009年3月には100億ウォンへ増資・2009年5月には13億ウォンへ減資と、韓国半導体市場(サムスン電子・SKハイニックス)向けの事業展開で増減資を繰り返した。韓国市場は当時世界最大の半導体製造装置需要地で、現地拠点の規模を市場サイクルに合わせて調整する経営判断が求められた時期である。 [33][34][35]

  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [33]2004年7月 芝浦ハイテック株式会社を株式会社東芝との共同出資により設立
    • [34]2005年4月 芝浦自販機を存続会社として芝浦イーエムエスを合併
    • [35]韓国芝浦メカトロニクスの資本金を2006年3月に30億ウォンへ増強、2009年3月に100億ウォンへ増資、2009年5月に13億ウォンへ減資

2008年から2009年のリーマンショックの時期には、FY08(2009年3月期)の親会社株主に帰属する当期純利益が△55億円と赤字額55億円に転落した。半導体製造装置市場が世界的に冷え込み、合併後の最も厳しい収益環境となった。2009年5月に韓国子会社の資本金を100億ウォンから13億ウォンへ減資し、韓国事業のスリム化を実施した。2010年10月には、合弁会社芝浦ハイテック株式会社を完全子会社化し、東芝との合弁を解消した。これは東芝の半導体事業合理化の流れの中で、芝浦メカトロニクスが東芝向け装置供給の独立性を高める転機となり、東芝への業績依存度を再評価する契機となった。 [36][37]

  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [36]2009年5月 韓国子会社の資本金を100億ウォンから13億ウォンへ減資
    • [37]2010年10月 合弁会社芝浦ハイテックを完全子会社化(東芝との合弁解消)
  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [33]2004年7月 芝浦ハイテック株式会社を株式会社東芝との共同出資により設立
    • [34]2005年4月 芝浦自販機を存続会社として芝浦イーエムエスを合併
    • [35]韓国芝浦メカトロニクスの資本金を2006年3月に30億ウォンへ増強、2009年3月に100億ウォンへ増資、2009年5月に13億ウォンへ減資
    • [36]2009年5月 韓国子会社の資本金を100億ウォンから13億ウォンへ減資
    • [37]2010年10月 合弁会社芝浦ハイテックを完全子会社化(東芝との合弁解消)

2010年〜 半導体特化への事業集中と東芝離脱──独立企業化への展開

芝浦メカトロニクスの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2010年 芝浦ハイテックを完全子会社化
  2. 2022年 プライム市場へ移行
  3. 2023年 東芝による保有株式の段階的な処分と芝浦メカトロニクスの独立企業化 発祥企業を系列に残すか、資本の縁を切るか——2018年と2023年の二段階で解かれた東芝との関係

半導体微細化の進展と業績回復期──FY13からの構造改革

2010年代前半は半導体微細化(28nm→14nm→7nm)の進展期で、芝浦メカトロニクスの主力製品である枚葉式洗浄装置(先端ロジック向けウェハ洗浄装置)の需要が世界的に拡大した。FY09(2010年3月期)の連結売上高411億円・経常利益△16億円から、FY10(2011年3月期)の462億円・経常利益8億円へと回復した後、FY11-FY12(2012-2013年3月期)には再度低迷期に入った(FY12の売上304億円・当期純利益△14億円)。FY13(2014年3月期)に経営再建のため藤田茂樹氏が代表取締役社長に就任し、半導体製造装置に経営資源を集中する構造改革を本格化した。 [38]

  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [38]FY13(2014年3月期)に藤田茂樹が代表取締役社長に就任(就任は2013年6月=FY13期内)

藤田社長就任後の2014年から2019年にかけて、芝浦メカトロニクスは半導体製造装置事業(ファインメカトロニクス)の比重を年々高める経営判断を実行した。FY14(2015年3月期)からセグメント情報の開示が整い、ファインメカトロニクス(半導体)・メカトロニクスシステム(FPD・電子部品)・不動産賃貸・流通機器システムの4セグメントで、ファインメカトロニクスの売上比率はFY14の53%(売上231億円/連結438億円)からFY19(2020年3月期)の59%(277億円/471億円)へ上昇した。同期間の営業利益はFY14の10億円・営業利益率2.3%からFY18(2019年3月期)の40億円・営業利益率7.5%まで連続上昇し、半導体特化の収益効果が顕在化した。

  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [38]FY13(2014年3月期)に藤田茂樹が代表取締役社長に就任(就任は2013年6月=FY13期内)

2020年6月の今村圭吾社長就任と半導体特化の加速

2020年6月、今村圭吾氏(1962年9月生)が代表取締役社長執行役員に就任した。今村社長は2018年6月に取締役常務執行役員兼ファインメカトロニクス事業部長として登場し、2019年に専務へ昇格、半導体製造装置事業部のトップから社長へ昇格した内部承継型のCEOである。半導体微細化と半導体製造装置市場の構造的成長のなかで、事業部長経験者の社長就任は半導体特化を加速する人事決定であった。今村社長就任後の最初の挑戦は、コロナ禍下での需要急変と、半導体製造装置市場の急速な拡大という二つの市況変動への対応であった。 [39][40]

  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [39]2020年6月 今村圭吾(1962年9月生)が代表取締役社長執行役員に就任
    • [40]今村圭吾は2018年6月に取締役常務執行役員兼ファインメカトロニクス事業部長として登場、2019年に専務へ昇格

FY20(2021年3月期)の連結売上高は448億円・営業利益30億円、FY21(2022年3月期)は売上493億円・営業利益51億円と、コロナ禍の中で半導体製造装置の旺盛な需要を取り込んで連続増収増益となった。FY22(2023年3月期)には売上610億円・営業利益109億円と前期比で売上24%増・営業利益2.1倍の非連続成長を記録した。ファインメカトロニクス事業の売上はFY20の296億円からFY22の426億円へ44%増、同事業の営業利益はFY20の20億円からFY22の96億円へ4.8倍に伸び、半導体特化の収益効果がセグメント数値で顕在化した。2022年4月、東京証券取引所の市場区分見直しによって市場第一部からプライム市場へ移行した。 [41]

  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [41]2022年4月 市場区分見直しで市場第一部からプライム市場へ移行
  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [39]2020年6月 今村圭吾(1962年9月生)が代表取締役社長執行役員に就任
    • [40]今村圭吾は2018年6月に取締役常務執行役員兼ファインメカトロニクス事業部長として登場、2019年に専務へ昇格
  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
    • [41]2022年4月 市場区分見直しで市場第一部からプライム市場へ移行

東芝離脱と独立企業化──2024年の資本構造の質的転換

長らく筆頭株主だった株式会社東芝は、芝浦メカトロニクス株式の36.54%(FY15・2016年3月期時点で18,977,000株)を保有していた。2017年6月の株主構成変動で東芝の保有比率は11.73%(5,193,000株)まで低下し、信越エンジニアリング5.86%・ニューフレアテクノロジー5.86%という関連会社の保有が並ぶ構造に再編された。これは半導体製造装置業界内の資本関係再編の一環で、東芝の半導体事業合理化(東芝メモリ分社化、後のキオクシア)の流れの中で発生した変化である。FY17(2018年3月期)以降、東芝は11.73%の保有を維持する筆頭株主として残存していた。

2023年12月の東芝非公開化(日本産業パートナーズによる買収)を経て、東芝は保有する芝浦メカトロニクス株式の処分を進め、FY23(2024年3月期)の上位10株主一覧から東芝が消失した。FY23時点の筆頭株主は日本マスタートラスト信託銀行(信託口)9.61%・信越エンジニアリング5.92%・日本カストディ銀行3.02%と、機関投資家と関連事業会社の組み合わせに変わった。創業から85年にわたって芝浦メカトロニクスの大株主であった東芝が筆頭株主から退いたことは、東芝系メカトロニクス事業の独立企業化という資本構造の質的転換を意味する。FY24(2025年3月期)の筆頭株主は日本マスタートラスト信託銀行13.69%・日本カストディ銀行7.45%・信越エンジニアリング5.92%となり、機関投資家中心の資本構造へさらに移行した。 [42]

  • 東芝 適時開示(2023年12月)
    • [42]2023年12月の東芝非公開化(日本産業パートナーズによる買収)

東芝の撤退は経営自由度の向上にも直結した。FY23(2024年3月期)の連結売上高は676億円・営業利益117億円、FY24(2025年3月期)は売上809億円・営業利益141億円と、東芝離脱直後の二期で連続増収増益を継続し、独立企業としての経営パフォーマンスを資本市場に提示できた。今村社長就任の2020年6月(FY20)からFY24までの4年間で、売上は448億円から809億円へ1.8倍、営業利益は30億円から141億円へ4.7倍に拡大した。今村社長の経営課題は、半導体製造装置市場の周期変動(シリコンサイクル)への耐性強化と、機関投資家中心の株主構造への株主還元政策の再整備の二点に集約される。先端ロジック向け枚葉式洗浄装置とマスクブランクス洗浄装置(EUV露光向け前工程装置)の独占的供給ポジションを維持できるかが、独立企業としての中期業績を決める論点である。

  • 東芝 適時開示(2023年12月)
    • [42]2023年12月の東芝非公開化(日本産業パートナーズによる買収)

芝浦メカトロニクスの沿革1939〜2023年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
芝浦京町製作所として設立★★
芝浦製作所に商号変更
大船工場操業開始
小浜工場操業開始
東京証券取引所二部上場
東京証券取引所一部に指定替え
徳田製作所と合併し芝浦エレテックを子会社化★★
芝浦自販機を設立
芝浦エンジニアリングを設立
東芝メカトロニクスとの合併による液晶製造装置への参入と芝浦メカトロニクスへの社名変更家電用モータを守るか、製造装置の会社へ移るか——東芝発祥企業が名を替えた1998年の再編 詳細を読む★★★
本社を移転
自販機・モータ応用機器など非中核事業の本体外への切り離しと製造装置への集中量産と販売の機能をどこまで手放すか——1998年から2005年にかけて子会社へ移された四つの事業 詳細を読む★★★
小浜工場の製造部門を芝浦イーエムエスに移管
森田茂樹芝浦ハイテックを東芝と共同出資で設立
森田茂樹芝浦自販機が芝浦イーエムエスを合併
森田茂樹韓国芝浦メカトロニクスを増資
南健治芝浦ハイテックを完全子会社化
今村圭吾プライム市場へ移行
今村圭吾東芝による保有株式の段階的な処分と芝浦メカトロニクスの独立企業化発祥企業を系列に残すか、資本の縁を切るか——2018年と2023年の二段階で解かれた東芝との関係 詳細を読む★★★
出典・参考
  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
  • 芝浦製作所 三十年のあゆみ(ダイヤモンド社・1969年)
  • 日本の経営者 平成5年版(時評社・1992年)
  • 産業と経済 52巻10号(プリントワン・1998年)
  • 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【役員の状況】
  • 東芝 適時開示(2023年12月)

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