重要な意思決定
1962

就職情報誌「企業への招待」を創刊

背景

冊子媒体化と競争環境

1962年に就職情報誌「企業への招待」を創刊し、大学新聞広告から冊子媒体へと発展させた。学生に対してはダイレクトメールで希望者を募り、当初から1000名以上へ配布する体制を整えた。掲載企業からの広告料を収益源とするモデルが確立され、冊子単位での販売が始まった。

同誌は媒体を自社で制作しながら、広告主も自ら開拓する体制を採用した。広告代理と媒体発行を分業しない構造であった。その後、1966年にはダイヤモンド社が「就職ガイド」で参入し、売上規模で大きく上回る競合との競争環境に入った。

決断

広告主開拓の徹底強化

創刊号では66社の掲載を実現したが、営業活動は高い成約率ではなかった。都内で1日12〜13社を訪問し、商談に進むのは6〜7社のうち1社、最終的な成約は10社に1社という打率であった。訪問件数を増やすことが前提となった。

見込み顧客である大企業を中心に足で稼ぐ営業を徹底し、企業約200社を訪問して誌面構成や掲載量について意見を聞きながら改良を重ねた。営業活動と媒体改善を同時に進める体制が構築された。

結果

新市場開拓と営業体質の定着

冊子は発行部数を拡大し、1960年代後半には年間17万部規模へ到達した。学生向け就職情報誌という新たな市場が形成され、企業広告を集約する媒体として定着した。ただし競争環境は継続し、市場を独占する状況には至らなかった。

ダイヤモンド社との競争下で、営業力を軸に受注を積み上げる体質が組織に根付いた。訪問件数を増やし、足で開拓する営業スタイルが標準化され、以後の事業展開においても営業主導の組織文化が継続した。