重要な意思決定
19714月

分譲マンション販売を開始

背景

情報企業から資産保有へ

1971年、リクルートは西新橋に本社ビルを竣工し、土地を取得した。投資額は約11億円。当時の主力は就職情報誌であり、同社は無形の情報を扱う企業だったが、土地という有形資産を自社で保有する判断は、信用力の補完と財務基盤の強化を同時に狙ったものであった。高度成長期の地価上昇を背景に、不動産は単なるオフィス確保ではなく、資産形成と事業機会の両面を持つ対象として認識された。

情報誌事業で蓄積した営業力と顧客接点を活かせば、若い産業であったマンション市場にも参入可能と判断された。1960年代後半から都市部で分譲住宅需要が拡大する中、不動産は情報に次ぐ第二の柱になり得るとの見立てが形成された。

決断

リクルートコスモスで本格展開

1974年、長谷川工務店から「ネオコーポ行徳」の販売を持ちかけられたことを契機に、分譲マンション事業へ本格参入した。江副浩正と同社副社長の旧知の縁が入口であったが、事業化の決断は市場規模と成長余地を踏まえたものであった。

事業は本体から切り離し、リクルートコスモスを通じて展開された。1970年代後半から1980年代にかけて用地取得を加速し、販売戸数を拡大。1986年には販売戸数4333戸で国内2位に到達し、1987年には売上高1757億円を記録し親会社を上回った。不動産は情報誌と並ぶ主力事業へ成長した。

結果

拡大の代償と売却

急拡大の過程で、リクルートコスモスの株式公開を巡る問題が発覚し、いわゆるリクルート事件へ発展した。社会的信用の毀損はグループ全体に波及し、経営体制の見直しを迫られた。

さらにバブル崩壊による地価下落で巨額損失を計上し、1990年代を通じてリクルートは不動産事業の失敗により、積極投資を封じられる苦境に陥った。不動産事業は財務リスクの根本原因となり、2000年代のグループの再建過程でリクルートコスモスは切り離され、最終的に株式売却へと至った。不動産事業は縮小され、リクルートは再び情報・人材領域を中核とする体制へ回帰することになった。