1957年〜 ラジオ2社と映画3社が持ち寄った免許申請から、全国27局のネットワーク完成まで
- 1957年株式会社富士テレビジョンを設立(東京都千代田区有楽町一丁目7番地、資本金6億円)。
- 1957年ニッポン放送と文化放送の2社に東宝・松竹・大映の映画3社が加わり、「富士テレビジョン」としてテレビ免許を申請。
- 1957年「富士テレビジョン」に予備免許が交付される。チャンネルは8ch、呼出符号はJOCX。
- 1959年フジテレビジョン開局。映像出力10kw。
- 1959年基幹4局ネットに調印し、FNS(フジネットワークシステム)の基礎を確立。
- 1959年郵政省より本免許の交付を受ける。
- 1970年第2次UHF開局によりFNS27局体制が確立し、全国ネットワークが完成。
フジ・メディア・ホールディングスの業績推移:単体
出所:有価証券報告書等
ニッポン放送と文化放送に東宝・松竹・大映が加わった開局準備
1957年6月、ニッポン放送と文化放送の2社に東宝・松竹・大映の映画3社が加わり、「富士テレビジョン」の名でテレビ免許を申請した。翌7月には予備免許が交付され、チャンネルは8ch、呼出符号はJOCXと決まる。11月、東京都千代田区有楽町一丁目7番地に資本金6億円で株式会社富士テレビジョンが設立され、1958年12月に商号を株式会社フジテレビジョンへ改めた。1959年1月に郵政省から本免許の交付を受け、同じ月に新宿区市ヶ谷河田町の本社ビルが完成する。開局は同年3月、関東地域で4番目の民間テレビ放送局として、映像出力10kwで放送を始めた。 [1][2][3][4][5][6]
- 有価証券報告書
- [1]1957年6月にニッポン放送と文化放送の2社に東宝・松竹・大映が加わり「富士テレビジョン」としてテレビ免許を申請した
- [2]予備免許でチャンネルは8ch、呼出符号はJOCXと定められた
- [3]1957年11月に東京都千代田区有楽町一丁目7番地に資本金6億円で株式会社富士テレビジョンを設立した
- [4]1958年12月に株式会社フジテレビジョンへ社名変更し、1959年1月に郵政省より本免許の交付を受けた
- [5]1959年3月にフジテレビジョンが開局し、映像出力は10kwだった
- 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
- [6]関東地域における4番目の民間テレビ放送局として1959年3月に開局した
出資者の顔ぶれは、この会社が何を売る事業として構想されたかを示している。ラジオ2社は電波と広告営業の実務を、映画3社は撮影設備と俳優・監督の供給網を持ち込んだ。番組を自前で作れる放送局という設計は、のちに映画・ビデオ・配信へ同じ素材を二次利用する素地になる。もっとも、この構図はフジテレビジョンに限った特徴ではない。開局期の在京民放はいずれも新聞社や映画会社の出資を受けて立ち上がっており、資本連合そのものは当時の標準だった。特異なのは、その資本関係が半世紀を超えて残ったことにある。2026年3月末の大株主名簿では東宝が12.77%で筆頭、文化放送が5.36%、関西テレビ放送が4.23%を保有している。
- 有価証券報告書
- [1]1957年6月にニッポン放送と文化放送の2社に東宝・松竹・大映が加わり「富士テレビジョン」としてテレビ免許を申請した
- [2]予備免許でチャンネルは8ch、呼出符号はJOCXと定められた
- [3]1957年11月に東京都千代田区有楽町一丁目7番地に資本金6億円で株式会社富士テレビジョンを設立した
- [4]1958年12月に株式会社フジテレビジョンへ社名変更し、1959年1月に郵政省より本免許の交付を受けた
- [5]1959年3月にフジテレビジョンが開局し、映像出力は10kwだった
- 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
- [6]関東地域における4番目の民間テレビ放送局として1959年3月に開局した
基幹4局から27局へ広げた全国ネットワークと、カラー放送への設備投資
開局から3か月後の1959年6月、フジテレビジョンは基幹4局とのネット協定に調印し、FNS(フジネットワークシステム)の基礎を固めた。1960年1月には映像出力を50kwへ増力し、1964年9月にカラー本放送を始める。そして1970年10月、第2次UHF開局によってFNSは27局体制となり、全国ネットワークが完成した。日枝久社長は上場直後の1997年に、この27局が「他系列を上回るネットワーク」だったと振り返っている。免許は国が与えるが、系列局の数は各局が個別に積み上げるほかなく、ここでの先行は制度ではなく営業の産物にあたる。 [7][8][9][10]
- 有価証券報告書
- [7]1959年6月に基幹4局ネットへ調印しFNS(フジネットワークシステム)の基礎を確立した
- [8]1960年1月に映像出力を50kwへ増力し、1964年9月にカラー本放送を開始した
- [9]1970年10月に第2次UHF開局によりFNS27局体制が確立し全国ネットワークが完成した
- 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
- [10]日枝久社長は1997年に「70年には全国ネット27局という他系列を上回るネットワークを完成させた」と述べた
全国ネットは、全国規模の広告主に一括して時間を売るための条件だった。系列局の数はそのまま到達世帯数の差となり、番組提供の単価を左右する。フジテレビジョンが1983年以降14年にわたって放送業界の売上高首位を保った背景には、1970年までに整えたこの到達範囲がある。ただし到達範囲だけで首位は説明できない。編成の判断、自前の制作力、そして高度成長期からの広告市況の拡大が同じ時期に噛み合った結果であり、どれか一つを欠いても同じ順位にはならなかった。免許・ネットワーク・制作・営業のうち、他局が模倣しにくかったのは後ろの二つだったろう。 [11]
- 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
- [11]1983年以来1997年まで14年間連続で放送業界の売上高日本一を維持した
- 有価証券報告書
- [7]1959年6月に基幹4局ネットへ調印しFNS(フジネットワークシステム)の基礎を確立した
- [8]1960年1月に映像出力を50kwへ増力し、1964年9月にカラー本放送を開始した
- [9]1970年10月に第2次UHF開局によりFNS27局体制が確立し全国ネットワークが完成した
- 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
- [10]日枝久社長は1997年に「70年には全国ネット27局という他系列を上回るネットワークを完成させた」と述べた
- [11]1983年以来1997年まで14年間連続で放送業界の売上高日本一を維持した