SANKYO の歴史

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創業 1966年
創業者 毒島邦雄
創業地 愛知県名古屋市
創業 1966年4月、毒島邦雄氏が名古屋市で中央製作所を設立した。本社と名古屋工場を置
1966年4月、毒島邦雄氏が名古屋市で中央製作所を設立した。本社と名古屋工場を置き、同時に東京・大阪の支店と本社業務部を構えた。家内工業の多いパチンコ機業界で、創業時から支店と管理部門を備えた例は少ない。同年5月に三共製作所、11月に三共へと、1年のうちに二度商号を変更している。パチンコ機はホールの経営者と一対一で売買するため、地域ごとに営業が出向かなければ受注も納品も回らない。1968年11月の福岡を皮切りに札幌・広島・仙台・桐生・名古屋へ支店を開設し、創業5年で全国の販売網を敷いた。1975年11月には群馬県桐生市に桐生工場を開設し、1981年4月には本社もそこへ移した。生産と営業をそろえた段階では、業界を変える商品はまだ出ていない。
決断 規格が改まるたび、業界より先に新型機を出す順序を守ってきた。1980年7月に発売
規格が改まるたび、業界より先に新型機を出す順序を守ってきた。1980年7月に発売した"超特電機フィーバー"は、大当たりで大入賞口が開いて一度に大量の玉が出る仕組みで、玉のはじき方や台選びの技術で競う遊技を確率の遊技へ変えた。設置台数は急増し、以後の業界史はこの年を画期として語る。1991年4月には三共産業を存続会社とする吸収合併で商号をSANKYOへ改め、同年10月に株式を店頭登録して、1995年8月に東京証券取引所市場第二部へ上場した。2008年4月には生え抜きの澤井明彦氏へ社長を譲ってCEO・COO体制を導入し、38年続いた創業家の父子二代の社長職を離している。規格の先行は2020年代にも繰り返された。2022年11月に解禁されたスマートパチスロ、2024年4月のスマートパチンコで、いずれも業界に先駆けて対応機を投入した。2025年6月には、商品本部長として機種開発を担ってきた小倉敏男氏が代表取締役社長CEO兼COOに就任し、石原明彦氏の4年の在任を引き継いでいる。
現況 規格の切り替えが一巡すると、売上も利益も同じ速さで減少する。2026年3月期の連
規格の切り替えが一巡すると、売上も利益も同じ速さで減少する。2026年3月期の連結売上高は1,792億円で前期の1,918億円から減り、営業利益も736億円から625億円へ下がった。内訳はパチンコ機関連が売上1,198億円・利益494億円、パチスロ機関連が434億円・189億円、補給機器関連が155億円・11億円である。前期に635億円を売ったパチスロ機は、規格の入れ替えが終わって434億円まで減った。買い替えの集中する数年で稼ぐ収益構造は2010年代にも試されている。2013年3月期は前期比で売上が4割、経常利益が8割減り、2017年3月期には売上815億円まで縮んだ。谷を二度越えてきたことが、総資産2,875億円の87%を自己資本で持つ財務を残した。
競合 同業が遊技機で得た資金を外の事業へ移した間、この会社は遊技機の内側に留まった。サ
同業が遊技機で得た資金を外の事業へ移した間、この会社は遊技機の内側に留まった。サミーは2004年5月にセガを傘下に収めて持株会社を設立し、遊技機の収益をゲームと施設の開発投資へ充当している。SANKYOが同じ時期に進めたのは部品子会社の取り込みで、1992年に三共化成、1996年に大同を買収して垂直統合を固めた。2012年3月のジェイビー買収も遊技機の周辺にとどまる。結果として2025年3月期はパチンコ機で26.4%と3期連続の首位、パチスロ機で19.3%と初の首位を取り、業界で初めて両市場の年間シェア首位を同時に得た。外へ出なかった以上、業界の設置台数が減れば全社の売上も直に減る。1980年に自ら作った買い替えの周期が、現在も同社の収益の振れ幅を決めている。
長期業績の推移 1966〜2026年
SANKYO:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

第1章 1966-1979 (気が向いたら執筆します!) 中央製作所の設立と三共への改称、全国支店網と桐生工場

第2章 1980-1990 (気が向いたら執筆します!) 超特電機フィーバーの大ヒットと本社移転

第3章 1991-2007 (気が向いたら執筆します!) 三共産業との合併と店頭登録、三共化成・大同の買収と三和工場

第4章 2008-2026 (気が向いたら執筆します!) 生え抜きの澤井明彦社長とCEO・COO体制、ジェイビー買収と商品開発組織の再編

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歴史年表 1966〜2024年

SANKYOの沿革1966〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1966〜1979年中央製作所の設立と三共への改称、全国支店網と桐生工場中央製作所として設立し名古屋工場・東京/大阪支店・本社業務部を開設
三共に商号変更
広島支店を開設
仙台支店を開設
北関東支店を開設
名古屋支店を開設
桐生工場を新設
1980〜1990年超特電機フィーバーの大ヒットと本社移転超特電機フィーバーを発売★★
本社を移転
1991〜2007年三共産業との合併と店頭登録、三共化成・大同の買収と三和工場三共産業を存続会社とする吸収合併にともなう社名の一新

1991年4月、パチンコ機メーカーの三共は三共産業株式会社に吸収合併され、同日付で存続会社の商号が株式会社三共に改められた。単位株制度の導入等のための法人格の組み替えである。同年8月には定款上の商号を株式会社SANKYOに変更し、10月には株式を店頭売買銘柄として登録した。毒島邦雄社長のもとで、法人格・商号・株式公開の三つを半年で整えた組織再編であった。

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★★★
定款上の商号をSANKYOに変更
日本証券業協会に株式を店頭売買銘柄として登録
三共化成を買収
大同を買収
毒島秀行三和工場を新設し桐生工場から生産拠点を移転
2008〜2026年生え抜きの澤井明彦社長とCEO・COO体制、ジェイビー買収と商品開発組織の再編澤井明彦創業家・毒島家から生え抜きCEO・COO体制・執行役員制度の導入

2008年4月、SANKYOは経営トップ体制の拡充・取締役会機能の明確化・執行役員制度の導入を柱とする新経営体制を始めた。1978年入社の生え抜きである澤井明彦氏が代表取締役社長COOに就任し、毒島秀行氏は代表取締役会長CEOへ移った。毒島邦雄氏から長男・秀行氏へと引き継がれてきた社長の座が、毒島家の外の生え抜きへ渡った。

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★★★
澤井明彦CEO・COO体制と執行役員制度を導入
澤井明彦本社を移転
澤井明彦研究開発棟完成
澤井明彦商品本部に商品戦略室を新設
澤井明彦商品本部にPS開発部を新設
澤井明彦ジェイビーを買収
筒井公久商品本部に商品企画部を新設
筒井公久事業企画部を新設
石原明彦プライム市場へ移行
石原明彦情報システム本部を新設
石原明彦営業本部に販売管理部を新設
石原明彦秘書室を新設
出典・参考

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