創業1988年6月、パチンコ市場が装置産業として拡大するなか、山本英俊氏が名古屋市緑区に株式会社東洋商事を設立した。掲げたのは製鉄原料の販売と遊技機の販売で、鉄鋼関連企業との固定客取引で稼ぐ産業財商社と、メーカーからホールへ機械を流す消費系の商売を併走させた。性格の異なる二事業を約13年続けるなかで、山本氏は取引関係を積み上げる商社の規律と、消費市場の動きを読む感度を同時に身につけていった。
決断同社を決定づけたのは、2010年の円谷プロダクション買収である。製鉄原料を切り離して遊技機販売の全国型販社に純化していた同社は、それまで他社のIPをタイアップとして借りる立場にあった。「ウルトラマン」を擁する円谷プロの取得で、自ら玩具・ライセンス・映像を統括する版元の側へ回った。山本氏は「一つのIPを育てるのに20〜30年かかる」と語り、稀少な既存IPを抱える道を選んだ。遊技機にIP事業を重ねる多角化は、この円谷プロ取得で固まった。
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- 歴史詳細 3章・6,436字 /tse/2767/#history
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- 沿革年表 33件 /tse/2767/timeline/
主要な出来事を重要度別に時系列で整理
- 長期業績 2002〜2026年(25カ年) /tse/2767/financials/
有価証券報告書などの公開データに基づく長期データ
- 直近の業績 /tse/2767/current/
業績推移と経営体制
- セグメント情報 2010〜2025年(16カ年) /tse/2767/segment/
各事業の売上・営業利益・利益率の推移
- 歴代社長 3名 /tse/2767/ceo/
代表取締役社長・CEO の在任期間・経歴・在任中の施策
- 取締役一覧 2018〜2025年(8カ年) /tse/2767/executives/
取締役の構成バランスと社外独立性
- 大株主・株主構成 2005〜2024年(20カ年) /tse/2767/shareholders/
上位10名の入れ替わりと所有者区分7区分の推移
- 組織と給料 2011〜2025年(15カ年) /tse/2767/workforce/
連結/単体の年次変化と業界他社の平均給与比較
決断の理由 — クリティカルな歴史の転換点を読み解く
- Q なぜ1988年の創業で製鉄原料と遊技機を併売し、2001年に製鉄原料を切り離したのか
- A 1988年6月の創業時に製鉄原料と遊技機販売を併走させたのは、性格の異なる二事業で商社の規律と消費市場の感度を同時に鍛えるためである。山本英俊氏は固定客と取引を積む産業財商社の仕事と、メーカーからホールへ機械を流す消費系の商売を約13年続けた。2001年10月、会社分割で製鉄原料部門を新設会社へ移し、本体をフィールズ株式会社へ改めて遊技機販売の単一事業へ集中、本社も名古屋から東京都港区へ移した。創業の二本柱の一方を捨てて流通プラットフォームへ集約する型は、この決断で固まった。
- Q なぜ2010年に遊技機販社が円谷プロを買い「ウルトラマン」の版元になったのか
- A 2010年4月に円谷プロダクションを買収したのは、他社IPを借りるタイアップの立場から、自らIPを保有する版元の側へ移るためである。それまで遊技機販社のフィールズは「エヴァンゲリオン」などを借りて機械に載せる立場にあった。山本英俊氏は「『ウルトラマン』程のIPは中々ない」「一つのIPを育てるのに20〜30年かかり、新しく創出することは難しい」と語り、稀少な既存IPを取得する道を選んだ。1966年放送開始のウルトラマンを抱えたことで、遊技機にIP事業を重ねる多角化が固まった。
- Q なぜ2022年に持株会社化し買収子会社の名を冠した円谷フィールズHDへ改称したのか
- A 2022年10月3日に持株会社へ移行し、買収子会社の名を冠して円谷フィールズホールディングスへ改めたのは、2018年以降のIP軸シフトを社名の次元で確定させるためである。同社は持株会社移行と同時に遊技機事業を新設分割でフィールズ株式会社へ承継し、HDはIP統括・グループ戦略・財務に専念する分業を作った。2010年に取得した子会社の名を持株会社名へ昇格させ、対外的に「IP軸エンタテインメント企業」としての顔を立てる意思表示とした。
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
1988年〜2003年 名古屋発「製鉄原料商社」から遊技機販売へ転じた創業期
製鉄原料の専門商社として始まった山本英俊氏の創業
1988年6月、山本英俊氏は愛知県名古屋市緑区に株式会社東洋商事を設立した。設立目的は遊技機の販売と並んで「製鉄原料の販売」が掲げられ、後年のエンタテインメント企業からは想像しにくい産業財商社としての出発だった。山本氏は1955年10月生まれ、名城大学理工学部の出身で、技術系の素養を持ちながら遊技機販売という当時急成長していた市場へ参入した。製鉄原料は地域の鉄鋼関連企業の調達コスト変動を読み取る商売であり、固定客との取引関係を積み上げる「商社業」の鍛錬の場となった。創業時点で山本氏は既に30代前半に差しかかっていたが、技術と商社的調整能力の双方を併せ持つ起業家としての型を、この製鉄原料事業で固めた[1][2][3]。
1990年代前半、日本の遊技機市場(パチンコ・パチスロ)は装置産業として拡大していた。CR機の解禁(1992年)・タイアップ商品の登場・郊外型ホールの全国展開などが続き、遊技機メーカーから販社経由でホールへ機械を流すサプライチェーンが業界の標準形になっていた。東洋商事は名古屋発の販売業者として、地域ホールとの関係構築を起点に、遊技機販売を拡大した。製鉄原料という産業財商社の地味な仕事と、遊技機販売という消費系の商売を併走させる体制は、商売の規律と市場感度の両方を山本氏に与えた。1990年代を通じてこの二本柱で同社は資本を積み上げ、1999年1月には販売部門でISO9002を取得し(後年ISO9001へ移行)、地域商社から全国型販売会社へ脱皮する準備を整えた[4]。
東洋商事の販売業を率いる山本氏は、2000年代を前に業界内で発言力を持つ存在になっていた。2000年7月、リムコーポレーションの例会(東京・池之端文化センター)で『生き残りを賭けた21世紀のホール経営戦略』をテーマに特別講演を行い[5]、近く見込まれる規則改正とそれを受けた機械開発の動向を解説した。なかでも山本氏は、ゲーム性重視の流れでメーカー間の開発力格差が広がり、中小メーカーは生き残りのため他社と手を組むとして、『パチスロメーカーがパチンコメーカー、パチンコメーカーがゲーム業界など、ジャンルを越えた提携が進んでいく』と業界再編の加速を予測した[6](遊技通信 2000年8月号)。のちにフィールズがエヴァンゲリオンやウルトラマンなどのIPを軸に、メーカーやコンテンツ業界をまたいで提携を重ねていく路線は、この時期に山本氏が公に語っていた業界観の延長線上にあった。
「フィールズ」改称と東京移転で遊技機販売に特化した2001年の決断
2001年10月、同社は会社分割(新設分割)により製鉄原料部門等を新設会社(株式会社東洋商事)へ移管し、本体を遊技機販売専業に組み替えた。同時に商号を「フィールズ株式会社」へ変更、本社を東京都港区に移転した。創業地・名古屋を離れて東京へ拠点を移したのは、遊技機メーカー大手と販社の取引が首都圏に集中していたためであり、同時に既往の製鉄原料事業を分離して非中核事業を切り離した。山本氏は遊技機販売の単一事業に経営資源を集中する決断を下し、創業時に併存した二本柱の一方を捨てた格好となった。1988年の創業から13年で同社は名古屋の地場商社からエンタテインメント関連の専業会社へと自己定義をやり直した[7][8][9]。
2001年6月には「TOTAL Workout」というフィットネスクラブ営業も開始しているが、これは創業者の人的ネットワークを起点にした副業的展開で、後年も収益への寄与は限定的だった。重心はあくまで遊技機販売であり、社名「フィールズ(Fields=場・領域)」が示すように、複数のホールとメーカーを結節する流通プラットフォームとしての立ち位置を経営は意識していた。改称・本社移転・事業分割という3つの組織再編を1年で同時に実行した2001年は、同社の戦略的分水嶺となった[10]。
2003年JASDAQ上場とSANKYO・京楽との販売契約による全国展開
2002年3月、同社は有限会社セリオ(現フィールズジュニア)を株式取得で子会社化し、地域販社を傘下に取り込む拡大路線に転じた。2003年1月には株式会社デジタルロード(現ルーセント)を新規設立して遊技機関連のIT子会社を持ち、流通機能だけでなく機種開発のサポート機能を内製化する方向へ動いた。そして2003年3月、フィールズはJASDAQ市場に上場した。創業から約15年で上場を果たした成長スピードは、遊技機販売市場の追い風と山本氏の事業集中決断の合算成果だった[11][12][13][14]。
上場後の2003年11月、同社はSANKYOグループの株式会社ダイドー(現ビスティ)と遊技機販売取引基本契約を締結し、業界大手メーカーの販売チャネルを正式に取り込んだ。2004年6月には一般公募増資で資本金を79億4,800万円へ引き上げ、2004年7月に本社を東京都渋谷区へ移転、2004年12月には株式会社ジャスダック証券取引所に上場区分を整理し、同年に「エヴァンゲリオン」シリーズの遊技機販売を開始した。アニメ・特撮IPと遊技機を組み合わせるタイアップ機の販売を経験したのはこの時期であり、同社が後年「IP活用エンタテインメント企業」を自称する素地はここで作られた。2008年2月の京楽産業グループとの共同事業開始、2009年11月のカプコングループ・エンターライズとの取引基本契約締結が続き、フィールズは大手遊技機メーカー数社の販社として全国型の流通プラットフォームを整えた[15][16][17][18][19][20]。
2003年〜2017年 円谷プロ買収による「販社からIP保有会社」への転身
2010年の円谷プロ買収が変えた事業のかたち
2010年4月、フィールズは株式会社円谷プロダクションを株式取得により子会社化した。同月、株式会社デジタル・フロンティアもあわせて子会社化している。円谷プロは1963年に円谷英二氏が設立した特撮映像制作会社で、1966年放送開始の「ウルトラマン」シリーズを擁する日本のキャラクターIPの一大拠点だった。経営難から複数回の資本異動を経ていた円谷プロを、遊技機販売会社のフィールズが取得したのは、業界内外で違和感を伴う出来事だった。山本氏が後年語ったとおり「『ウルトラマン』程のIPは中々ないと思っている。一つのIPを育てるのに20〜30年かかり、新しく創出することは難しい」(2022年5月中計説明会QA)という認識が買収の中核にあった[21][22][23][24]。
円谷プロ買収によりフィールズは「販売会社」から「IPホルダー」へ自己定義を更新した。それまで他社IPをタイアップとして使う立場だった同社は、ウルトラマンIPの版元として自ら玩具・ライセンス・映像制作・ライブイベントを統括する立場に立った。2011年1月の株式会社マイクロキャビン(ゲーム会社)子会社化、2011年5月のトータル・ワークアウトプレミアムマネジメント設立、2011年11月の株式会社小学館クリエイティブとの共同コミック誌「月刊ヒーローズ」創刊と続いた一連の動きは、円谷プロのIPを軸にコンテンツバリューチェーンを内製化する試みであり、フィールズは「遊技機×IP×コンテンツ」の多角企業を志向した。山本氏個人としても、円谷プロの取得は単なる事業多角化ではなく、自社の長期的アイデンティティを「販社」から「IP企業」へ書き換える戦略的決断だった[25][26][27]。
2012年大屋高志氏社長就任と遊技機販売の利益減少
2012年4月、フィールズは創業者・山本英俊氏が代表取締役会長として一線を退き、大屋高志氏が代表取締役社長に就任した。山本氏は1988年の創業から24年にわたり社長を務めた後の交代だった。大屋氏の社長期間(2012〜2016)はフィールズの売上規模が拡大した時期であり、FY11(2012年3月期)の922億円からFY13(2014年3月期)には1,149億円へ伸長した。一方でFY14(2015年3月期)には995億円へ減少し、市場が頭打ちとなった[28][29]。
2013年4月のDaiichiグループ・ディ・ライトとの業務提携、2014年1月の株式会社七匠の関連会社化、2015年2月の京楽産業グループ・株式会社オッケー.との取引基本契約締結など、メーカー網の拡大は続いた。2015年4月には東京証券取引所市場第一部へ上場区分を変更し、2015年5月にはアリストクラートテクノロジーズ(現クロスアルファ)の株式取得で同社およびスパイキーを子会社化、2015年6月には大一商会との業務提携を結んだ。販社網は厚みを増したが、業界全体のパチンコ稼働は低下傾向に転じ、規制強化(出玉性能の見直し・新基準機への移行)の影響が業績の天井を作りつつあった[30][31][32][33][34][35]。
2016年繁松徹也氏社長就任と「IP軸へのシフト宣言」
2016年4月、繁松徹也氏が代表取締役社長に就任した。繁松氏は1968年生まれ、筑波大学体育専門学群卒、1990年富士銀行(現みずほ銀行)入行、2007年フィールズ入社の経歴を持ち、銀行系のファイナンス出身でフィールズの経営企画を担ってきた人物だった。就任時の挨拶で繁松氏は「私たちは、創業から20数年、『すべての人に最高の余暇を』という企業理念の実現に向けて、世の中の人々の心を豊かにする商品やサービスの提供に努めてまいりました」「エンタテインメントの根幹となるキャラクターなどの知的財産(IP)を中核にビジネスを推進すべく、数年前より多数の知的財産を取得・創出し、そのクロスメディア展開を図ってまいりました」と語った(フィールズ 新社長就任のごあいさつ(2016年4月1日))[36][37][38]。
繁松氏の方針表明は、円谷プロ買収後の多角化を「IPクロスメディア展開」というスローガンに整理し、遊技機販社という従来の顔から「IPを中核に据える企業」への変身を経営の主軸に据える宣言だった。だが、就任後の業績は外部環境の悪化にさらされた。FY15(2016年3月期)には売上945億円・経常利益14億円とすでに利益水準が前期から落ち込み、FY16(2017年3月期)にはついに売上767億円・営業赤字54億円・経常赤字91億円・純損失125億円という同社の歴史上最大の赤字を計上した。FY17(2018年3月期)も売上611億円・営業赤字57億円・純損失77億円が続き、繁松社長体制は短期間で業績の悪化局面と直面した。2018年2月のジャパン・プレミアム・ブロードキャスト(現ぱちんこパチスロ情報ステーション)設立、2018年5月の山本氏社長復帰決定(後述)まで、繁松氏は2年程度の任期で売上の急落を受け止めた[39][40]。
繁松氏は短期間ながら「IP軸シフト」の方針旗を掲げ、実行は次代に引き継いだ。フィールズの経営史において、繁松氏の任期は「販社の限界」と「IP軸への必然性」を業績で示した期間にあたる。
2018年〜2026年 山本英俊氏社長復帰と円谷フィールズHD化
2018年山本氏11年ぶり社長復帰と組織立て直し
2018年5月15日、フィールズは山本英俊会長が11年ぶりに代表取締役社長へ復帰すると発表した(緑風2018年5月15日、日刊工業新聞2018年5月15日)。FY16・FY17の連続赤字を受け、創業者がトップに戻って組織と戦略を立て直すという、創業社主導の体制復帰だった。山本氏はその後、FY17(2018年3月期)の代表取締役会長兼社長→FY21(2022年3月期)の代表取締役社長CEO→FY22(2023年3月期)の代表取締役社長グループ最高経営責任者→FY23(2024年3月期)の代表取締役社長グループCEOと、肩書を変えながら現在まで経営トップを担う[41][42]。
復帰後の山本氏が掲げたのは、円谷プロ買収以降進めてきたIP軸シフトの本格化と、コーポレートガバナンス強化を両立する経営だった。2018年6月には吉田賢吉氏(旧サミー株式会社代表取締役社長COO経験者)を取締役へ招き、業界経験豊富な人材で経営陣を拡充。2018年10月には株式会社七匠を株式会社クロスアルファが株式取得で完全子会社化し、開発機能の内製化を強化した[43]。
業績の側では、FY19(2020年3月期)に売上665億円・営業利益7億円で赤字脱却を果たし、FY20(2021年3月期)はコロナ禍の遊技機市場急縮小で売上387億円・営業赤字22億円に再び落ち込んだものの、FY21(2022年3月期)には売上949億円・営業利益34億円・経常利益36億円・純利益24億円と過去のピーク水準に近い水準まで戻した。山本氏の復帰後3年間は、業界規制対応・IP軸開発体制の構築・主力商品の世代交代を並行で実行した再構築期だった。
2022年円谷フィールズHD設立と「グループ持株会社体制」への移行
2022年4月、東京証券取引所の市場区分見直しに伴い、フィールズは東証一部からプライム市場へ移行した。そして2022年10月3日、同社は持株会社体制へ移行し、商号を円谷フィールズホールディングス株式会社へ変更、遊技機事業を新設分割により事業会社「フィールズ株式会社」へ承継した[44][45]。
社名に「円谷」を冠する決断は、2010年に買収した子会社の名前を持株会社名へ昇格させる思い切った選択だった。これは2018年以降のIP軸シフトを社名の次元で確定させる動きであり、対外的に「IP軸エンタテインメント企業」としての顔を立てる意思表示でもあった。同時に旧「フィールズ」の名前は遊技機事業会社へ譲り、コーポレート(HD)はIP統括・グループ戦略・財務に専念する役割分担を作った。事業会社フィールズ(株)の代表取締役社長には吉田永氏(元日拓エンタープライズ、2016年フィールズ入社)が就任した[46]。
2024年ソフィア買収とコンテンツ&デジタル事業の成長
2024年3月、円谷フィールズHDは株式会社ソフィアの株式取得により、同社およびエース電研等を子会社化した。ソフィアはパチンコ・パチスロホール向け周辺設備機器・工事を手がける会社で、買収後はアミューズメント機器事業の「機器販売+周辺設備+工事」というワンストップ提供を強化する位置づけとなった。山本氏は2025年5月決算QAで「(2028年3月期営業利益100億円目標達成時)海外5割、国内3割、グローバルでのトレーディングカードゲーム事業で2割程度の貢献をイメージしている」と述べ、ソフィア買収後の国内アミューズメント事業を底固めしつつ、海外IPビジネスとカードゲーム事業を成長ドライバーに据える方針を示した[47][48]。
セグメント別では、FY23(2024年3月期)にアミューズメント機器事業1,253億円・コンテンツ&デジタル事業150億円、FY24(2025年3月期)にアミューズメント機器事業1,229億円・コンテンツ&デジタル事業160億円と、コンテンツ&デジタル事業の売上規模は遊技機事業の約13%にとどまるが、ウルトラマンIPのライセンス・映像・グッズ・国際展開を含む高粗利事業として、利益ベースでは年々貢献を増している。山本氏は2021年5月決算QAで「4月には、私(山本)の子息である山本剛史をグループ戦略の執行役員に抜擢しており、今後数年以内には会社の成長の大きな力となるように育成していく」と述べ、長男・山本剛史氏を後継候補として明示している。山本剛史氏(1988年生まれ、株式会社BOOOM入社→2025年現在は取締役グループ経営企画担当グループ事業経営戦略本部副本部長)は2025年3月時点で同社株式7,225,600株(保有比率は山本英俊氏に次ぐ社内2位)を持ち、創業家による事業承継の準備が進んでいる[49][50]。
円谷フィールズHDの2025年5月時点での経営方針は「2028年3月期営業利益100億円・海外5割」を目標とし、ウルトラマンIPの海外展開(特に2026年放送開始60周年に合わせたグローバル施策)とトレーディングカードゲーム事業の立ち上げを軸に据える。2026年放送60周年は山本氏が公式メッセージで「ウルトラマンシリーズは、1966年にテレビ放送を開始して以来、日本のエンタテインメントを代表する特撮作品の一つとして世界中の人々に親しまれており、2026年には放送開始から60年の節目を迎えることとなります」と触れたとおり、IP軸シフトの一大マイルストーンとなる。1988年の名古屋発・製鉄原料商社からスタートした同社は、約38年で「販社→IPホルダー→グループ持株会社」と3度の自己定義変更を経て、グローバルIP事業への舵を切ろうとしている[51][52][53]。