1996年4月[1]、堀江貴文氏は東京大学在学中に[2]、ホームページの制作・運営・管理を目的とする有限会社オン・ザ・エッヂを東京都港区に設立した[3]。周囲に語った起業の理由は、宇宙に行ける会社を作ること[4]だったという。出資金600万円は、アルバイト先の塾で知り合った生徒の親から出してもらったもの[5]である。六本木の雑居ビルで企業ホームページの受託制作を始め[6]、翌1997年7月には株式会社へ組織を変更して資本金1000万円とした[7]。顧客には富士写真フイルムやバンダイ、NTTの子会社[8]が並び、出資金600万円の会社が1000万円を超える金額で受注したこともある[9]。1999年に"iモード"が登場した際には、そのシステム構築も請け負った[10]。
自社サービスは1997年7月、株式会社への組織変更と同じ月に始めた"セレクトメール"が最初である[11]。他社と組んでの事業化は1999年に入ってからで、同年10月、スペイン在住のMARTA TOMAS JODAR氏およびサイバーエージェントと共同で、欧州でのサイバークリック販売を目的とするCYBERCLICK AGENT S.L.を設立した[12]。翌11月にはサイバーエージェントと共同で、インターネットコミュニティ運営会社の株式会社フープスを設立した[13]。広告配信のサイバークリック、メール広告配信のクリックインカム、無料ホームページサービスのHoops![14]は、いずれも利用料を手数料の形で受け取る事業として並んだ。ただしフープスの全株式は2001年9月に楽天株式会社へ譲渡した[15]。
制作の担い手は国内だけではない。2000年10月、ウェブ制作事業の生産能力を確保するため、中国大連に英極軟件開発有限公司を設立した[16]。同じ月には中央宣興タイランドグループとAD4Portal (THAILAND) Co., Ltd.を設立し[17]、同年5月にはECに特化したシステム開発を目的として株式会社エッヂコマースを設立した[18]。制作事業ではプランニングやデザイン、プログラム制作の実績を積み上げてモジュール化を進め[19]、社内のメーリングリストで技術や設計の議論を重ねて結果を全員のミーティングにかけた[20]。
上場までの資本の動きは急だった。2000年1月11日には資本準備金を資本へ組み入れるとともに1株を12株へ分割し[21]、同年4月6日に東京証券取引所マザーズへ上場する[22]。公募価格は600万円で、分割前に調整すると7200万円[23]にあたる。
上場時の事業規模は小さい。1999年9月期は7か月の変則決算で、売上高2億6300万円、経常利益1000万円にとどまる[24]。それでも上場では資本金と資本準備金を合わせて55億円が入った[25]。従業員は1999年10月時点で26人、2000年2月末で51人[26]である。堀江貴文社長は上場5日後の2000年4月11日、証券アナリスト向けの説明でウェブ制作・ウェブ管理・手数料の三事業を挙げた[27]。売上高の構成比はウェブ制作事業が年々下がって管理事業と手数料事業が上がっており、手数料事業を6割程度まで引き上げることを目標に据えた[28]。
調達した資金は、自前の設備と投資に向かった。2000年4月、企業のホームページを管理するデータセンター事業"データホテル"を開始し[29]、同じ月に投資事業を目的として株式会社キャピタリスタを設立した[30]。データホテルの設立費用は5億円で、インターネット関連機材の価格が下がるため第2・第3の建設は5億円かからず手元資金で足りる[31]と堀江貴文社長は説明した。同時に設けたベンチャー企業への投融資子会社の運用額は10億円近く[32]に上った。上場準備は、税理士としてオン・ザ・エッヂを顧客に持っていた最高財務責任者の宮内亮治氏が堀江貴文社長の背中を押す形で始まった[33]。2000年1月には本店を渋谷区へ移した[34]。
企業向けの受託は単価が下がった。ホームページ制作など企業向けの仕事は価格が急速に落ち、収益性の高い個人向け事業の拡大を迫られる[35]。2002年2月、株式会社クニリサーチインターナショナルと電子メールソフト"Eudora"の開発・販売で提携し[36]、アップルコンピュータ社製パソコン"マッキントッシュ"用として人気が高かった[37]同ソフトの国内独占販売権を譲り受けた。これを機に、個人向けの事業を手がける企業の買収が続く[38]。同年9月には、DVDを複製できる海外製パソコン用ソフトの日本語版を開発・販売していたプロジーグループ株式会社を子会社化した[39]。
株式交換による子会社化も連続する。2001年12月に株式会社パイナップルサーバーサービス[40]、2002年3月に株式会社アットサーバー[41]、同年9月に株式会社スプートニクを、いずれも株式交換で完全子会社とした[42]。2002年6月には株式会社アスキーイーシーから営業の全部を譲り受け[43]、8月にビットキャット株式会社とビットキャットコミュニケーションズ株式会社の株式を100%取得した[44]。2002年5月には海外展開の拠点作りの一環として、ドイツにLivin' on the EDGE Europe GmbHを設立した[45]。連結の経常利益は2001年9月期の3億円から2002年9月期には11億円へ増えた[46]。
買収の対価には自社株を使った。1998年に創業したプロジーグループを売却した榎本大輔氏は、ライブドアの戦略担当取締役として堀江貴文社長と机を向かい合わせた[47]が、意見が合わず9か月で会社を去り、持ち株の4分の3を売却して60億円を超える資産を得た[48]。買った会社は本体へ吸収した。2003年4月1日、完全子会社の株式会社エッヂコマース、株式会社パイナップルサーバーサービス、株式会社アットサーバー、ビットキャット株式会社、プロジーグループ株式会社の5社を吸収合併した[49]。営業譲受の初回は2001年12月で、2000年5月に自ら設立した株式会社エッヂコマースから営業の全部を譲り受けていた[50]。
譲渡元の株式会社ライブドアは、広告収入を原資に無料でインターネット接続を提供する事業者として1999年に始まった会社である[51]。しかし同社は2002年11月、民事再生法の適用を申請する[52]。
同じ2002年11月、オン・ザ・エッヂは日本最大とされたその営業全部を譲り受けた[53]。会社ごとの買収ではなく営業の譲受であり、会員と接続サービス、そしてライブドアという名称を引き受けた[54]。譲り受けた時点の会員は150万人[55]であった。2003年4月に株式会社オン・ザ・エッヂからエッジ株式会社へ社名を変更して本店を品川区へ移し[56]、2004年2月にはエッジ株式会社から株式会社ライブドアへ社名を変更し、本店を新宿区歌舞伎町へ移した。創業以来の社名を8年で二度捨て[57]、買った相手の名を看板に据えた。
堀江貴文社長は当初、それまで買収した会社と同じように不要な経費を削り収益源を変えれば黒字化できると踏んでいた[58]。しかし譲り受けた会員は減り続ける[59]。膨大な利用者を抱えるヤフーが新サービスを始めればすぐ会員が増えるのに対し、同じサービスを始めてもライブドアの会員は増えなかった[60]。
打ち手はヤフーの模倣に置かれた。個人の顧客を集めるにはヤフーのようなポータルサイトを作って囲い込むほうが効率がよかった。資金と技術は何とかなるが、圧倒的に足りないのは知名度[61]であった。ライブドアのサイトはヤフーと似たデザインになった[62]。堀江貴文社長は知恵を絞るよう幹部らに指示し、その後、株主を増やして中核となる顧客を増やすと言い出す[63]。時価総額を急増させた株式の大幅分割も、その目的にかなうものであった[64]。
事業の輪郭はこの間に変わった。2003年3月にエッジテレコム株式会社を設立して固定電話事業へ参入し[65]、同月に子会社キャピタリスタがビットキャッシュ株式会社の株式を取得した[66]。2003年8月20日には1株を10株へ分割[67]した。10月には公募による新株式発行を行い、資本金は46億5562万円[68]となった。連結売上高は2001年9月期の36億円、2002年9月期の59億円、2003年9月期の108億円と増え[69]、従業員数は219人から359人になり[70]、2003年9月期の当期純利益は4億8900万円であった[71]。
100分割が決まったのは2003年11月19日であった。米国出張から戻り成田空港で車に乗り込んだ堀江貴文社長の携帯電話に[72]、経営企画管理本部担当で執行役員副社長の熊谷史人氏[73]から、その日の役員会へ100分割を提案してよいかという連絡が入る。堀江貴文社長は30分考えたうえで了承した[74]。それまでの株式分割は多くて21分割で、熊谷氏は事前に株式アナリストを通じて大幅分割の是非を機関投資家に聞いてもいる[75]。社長も同じことを考えていた、通信料金請求代行業のインボイスが21分割を発表しており負けたくなかった、歴史に残ることをやりたかったと熊谷氏は振り返った[76]。
分割を発表した当時の時価総額は約1200億円で、大株主の堀江貴文社長が40%を握っていたため、市場に流通していたのは720億円分[77]である。100分割すると新株が出回るまで市場には7億円分の株券しか残らないのに、日々100億円分の需要があった[78]。2004年1月からライブドア株は15日連続のストップ高を記録し、時価総額は8000億円を超えて楽天を抜き新興市場の首位に立つ[79]。株主数は12万人を超え、ヤフーの5万1000人を上回った[80]。大幅分割の仕組みを理解しないまま大量の空売り注文を出した米国のヘッジファンドには株券が渡らず、受け渡し遅延が起きた。遅延が解消すると、今度は株価が急落した[81]。
分割はこの一度で終わらない。2004年2月20日付の100分割に続いて、同年8月20日付でも1株を10株へ分割した[82]。発行済株式総数は2003年9月末の43万6087株から2004年9月末の6億0633万株へ増え、1年で1000倍を超えた[83]。買収も同じ年に集中する。3月23日にTOBでバリュークリックジャパン株式会社を子会社化した。同月には同じくTOBで日本グローバル証券株式会社を子会社化し、7月にライブドア証券株式会社へ社名を変更した[84]。この年の連結売上高は309億円で、前期の3倍近くに増えた[85]。
膨らんだ時価総額は資金調達に直結した。2004年3月のバリュークリックジャパンと日本グローバル証券の買収資金120億円は銀行借入で賄い、4月の公募増資で返済する計画である[86]。4月23日の増資では600万株を発行し、資本金と資本準備金を合わせて359億円が払い込まれた[87]。当時のライブドアは単体で約50億円の現預金しか持たず負債が多く、公募増資ができなかったらいつ飛んでもおかしくない会社だったと熊谷史人氏は語った[88]。市場関係者の視線は厳しく、ライブドアは株式市場を玩具にしているとみて投資調査の対象から外すアナリストも少なくなかった[89]。
利益の作り方にも株式が使われた。第10期の有価証券報告書では、投資有価証券売却益56億円と持分変動利益54億円がいずれも特別利益に置かれている[90]。
稼いでいたのは投資部門であった。2003年9月期は金融・投資業務の営業利益が8億8700万円と全部門で最大[91]である。週に1回、ベンチャーキャピタル子会社の担当者ら約30人を集めて投資委員会を開き、常時30社ほどの買収案件を検討した[92]。判断の基準は、2〜3年分の想定キャッシュフローの合算値と純資産の合計が売却先の提示額を上回るかどうかである[93]。2005年9月期の連結売上高は784億円、経常利益113億円、当期純利益155億円、従業員数は2456人に達した[94]。
2004年6月、大阪近鉄バファローズの買収を提案してプロ野球への参入を表明する[95]。球団買収に興味を持ったきっかけは、最高財務責任者である宮内亮治氏の個人的な思い入れであった[96]。買収話を三菱証券が持ち込んだのは同年2月で、提示額は10億〜30億円である[97]。福岡ダイエーホークスの提示額は200億円で、金額が同じであればダイエーを選ぶ——堀江貴文社長の見立てはそこにあった[98]。近鉄がオリックス・ブルーウェーブとの合併へ進むと、堀江貴文社長はニッポン放送の大株主であるM&Aコンサルティングの村上世彰氏に、同球団オーナーの宮内義彦氏への仲介を依頼したが、面会は断られた[99]。8月15日に新規参入へ切り替えて19日に新球団設立を公表した[100]ものの、11月2日のオーナー会議では楽天が選ばれた[101]。
参入できて黒字経営ができれば儲けもので、近鉄球団もやり方を変えれば初年度から黒字を出せると思っていたという[102]。参入にかかった経費は多分1000万円未満で、株主利益から見れば全然リスクのない試みであった[103]。買収の矛先はメディア企業にあった。以前からメディア企業が欲しいと言っており、新聞社はいらず非上場企業は買えないのに対して、在京キー局はすべて上場していてカネ次第で株を売る外国人の持ち株比率も高いと挙げた[104]。球団を買うために親会社を買うのではないが、球団を持つ親会社を買えばグリコのおまけのように球団も手に入る——堀江貴文社長が描いた筋道である[105]。
ニッポン放送株を約1030億円でフジテレビジョンへ売却し、1株329円で1億3374万株・440億円の第三者割当増資を受け入れて、合計1470億円の現金を得た[106]。
2006年3月16日、USEN社長の宇野康秀氏が個人でライブドア株の12%強をフジテレビジョンから95億円で取得し、同時に業務提携を発表した。フジテレビジョンは前年に1株329円で引き受けた株式を、1株71円で手放した[107]。有価証券報告書の大株主欄はこの移動をそのまま記録した。2005年9月末に12.75%・1億3374万株を保有していた株式会社フジテレビジョンの名は、2006年9月末には同じ株数のまま宇野康秀氏に置き換わった[108]。4月14日には東京証券取引所マザーズの上場が廃止[109]された。
2006年9月期は売上高1379億円に対して経常損失21億円、当期純損失408億円を計上し、従業員数は3539人まで増えていた[110]。この連結財務諸表について、監査法人は意見を表明しなかった。起訴されていない投資事業組合との取引を含めて会社が取引実態を解明できず会計処理を確定できなかったこと、在外子会社の資料が一部入手できなかったことが理由である[111]。
2007年4月、持株会社へ移行して株式会社ライブドアホールディングスへ商号を変更し、メディア事業とネットワーク事業を新設の株式会社ライブドアへ分離した[112]。同時に100株を1株へ併合し、2006年9月末に13万人いた株主は7万人程度になる見込みとなった[113]。
この時点では解散も配当も選べなかった。有価証券報告書に記載された事業譲渡価額は710億円で、2004年末に約230億円で買収した会社である[114]。
売却は続いた。2006年4月に子会社としたセシールは、2009年にフジ・メディア・サービスの公開買付けへ応募して手放した[115]。2008年8月に商号を株式会社LDHへ変更し、2009年3月には資本金を1億円へ減資した[116]。2009年1月にはフジ・メディア・ホールディングスと和解し、特別損失に314億円の和解金を計上した[117]。第14期の偶発債務には、証券取引法21条の2などに基づく訴訟が計431億円分積まれている[118]。
連結売上高は2009年3月期の709億円から2010年3月期の267億円へ[119]減った。2010年5月10日、株式会社ライブドアと株式会社エイシスを含む全ての連結子会社を売却した[120]。ポータルの名は譲渡先へ渡った。第16期にあたる2011年3月期は連結財務諸表を作成しておらず、連結の経営指標の欄は"―"となった[121]。純粋持株会社であるが当事業年度末において子会社が存在しないとも記載され[122]ている。ただし提出会社単体の売上高は30億円、経常利益は13億円、当期純利益は106億円である。事業を持たない法人が、なお利益を計上していた[123]。
残った現金は株主へ渡った。2009年3月期を基準とする配当は1株6500円、総額680億円に上る[124]。2010年3月期は中間1600円を含めて1株4100円、2011年3月期は1株1200円で配当性向は97.1%であった[125]。第15期の連結キャッシュ・フロー計算書では、財務活動による支出706億円のうち705億円が配当金の支払いである[126]。第15期の株主資本等変動計算書には、その他資本剰余金からの配当848億円が記されている[127]。
過年度の数字は書き換えられなかった。2004年9月期と2005年9月期の連結売上高・当期純利益は、2006年12月28日提出の第11期有価証券報告書にも、2007年12月27日提出の第12期有価証券報告書にも、初出の数字のまま並んでいる[128]。第10期について提出された2本の訂正報告書が直したのは、新株予約権と役員の記載、および連結キャッシュ・フロー計算書の符号だけである[129]。一方で第12期には、過年度に売上計上した自己株式売却益について東京地裁の判決に基づく修正が前期損益修正損として計上された[130]。
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|---|---|---|---|---|
| 1996〜2000年受託制作の会社が上場で得た55億円と投資への転回(1996〜2000) | 堀江貴文氏がオン・ザ・エッヂを設立 | ★★ | ||
| セレクトメールを開始 | ★ | |||
| 有償株主割当増資を実施 | ★ | |||
| 光通信とグッドウィル・コミュニケーションズに第三者割当増資 | ★★ | |||
| CYBERCLICK AGENT S.L.を設立 | ★ | |||
| サイバーエージェントと共同でフープスを設立 | ★ | |||
| 1株を12株に分割 | ★ | |||
| 本店を移転 | ★ | |||
| 東京証券取引所マザーズに上場 | ★ | |||
| キャピタリスタを設立 | ★ | |||
| データセンター事業「データホテル」を開始 | ★★ | |||
| エッヂコマースを設立 | ★ | |||
| 英極軟件開発有限公司を設立 | ★ | |||
| 2001〜2003年買った会社の名を看板に据えた無料プロバイダーの譲受(2001〜2003) | 堀江貴文 | フープスの全株式を楽天に譲渡 | ★ | |
| 堀江貴文 | 株式交換によりパイナップルサーバーサービスを完全子会社化 | ★ | ||
| 堀江貴文 | 株式交換によりアットサーバーを完全子会社化 | ★ | ||
| 堀江貴文 | Livin' on the EDGE Europe GmbHを設立 | ★ | ||
| 堀江貴文 | アスキーイーシーから営業全部を譲受 | ★ | ||
| 堀江貴文 | ビットキャットなど2社の株式を100%取得 | ★ | ||
| 堀江貴文 | 株式交換によりスプートニクを完全子会社化 | ★ | ||
| 堀江貴文 | 破綻した無料プロバイダーからの営業譲受と、ライブドアへの社名変更 2002年11月、株式会社オン・ザ・エッヂが、経営に行き詰まった無料インターネット接続業者・株式会社ライブドアの営業全部を譲り受けた判断。2003年4月にエッジ株式会社、2004年2月に株式会社ライブドアへと二度社名を変え、買った相手の名を自社の看板に据えた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 堀江貴文 | エッジテレコムを設立 | ★ | ||
| 堀江貴文 | 固定電話事業に参入 | ★★ | ||
| 堀江貴文 | エッジに商号変更 | ★★ | ||
| 堀江貴文 | 本店を移転 | ★ | ||
| 堀江貴文 | 1株を10株に分割 | ★ | ||
| 堀江貴文 | 公募増資を実施 | ★ | ||
| 2004〜2005年株式100分割とニッポン放送株が生んだ1470億円(2004〜2005) | 堀江貴文 | ライブドアに商号変更 | ★★ | |
| 堀江貴文 | 株式100分割の実施と、投資事業組合を用いた自社株売却益の営業利益計上 2004年2月に1株を100株へ分割し、株式交換で買った会社の株式を投資事業組合を経由して売却することで、その益を本体の営業利益に計上した一連の判断。2007年3月の東京地裁判決は、この投資事業組合を脱法目的で組成されたものと認定した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 堀江貴文 | 本店を移転 | ★ | ||
| 堀江貴文 | 公開買付けによりバリュークリックジャパンを子会社化 | ★★ | ||
| 堀江貴文 | 公開買付けにより日本グローバル証券を子会社化 | ★★ | ||
| 堀江貴文 | 株式交換によりクラサワコミュニケーションズを完全子会社化 | ★ | ||
| 堀江貴文 | 公募増資により357億円を調達 | ★★ | ||
| 堀江貴文 | 株式交換によりターボリナックスを完全子会社化 | ★ | ||
| 堀江貴文 | プロ野球への参入を表明 | ★★ | ||
| 堀江貴文 | 1株を10株に分割 | ★ | ||
| 堀江貴文 | ライブドアベースボールを設立 | ★ | ||
| 堀江貴文 | 連結売上高が308億円に拡大 | ★★ | ||
| 堀江貴文 | 弥生を子会社化 | ★★ | ||
| 堀江貴文 | エイシスを完全子会社化 | ★ | ||
| 堀江貴文 | ニッポン放送株の時間外取引による大量取得と、フジテレビジョンへの売却 2005年2月8日、ライブドアが東京証券取引所の時間外取引でニッポン放送株の35%を取得して筆頭株主となり、同日に800億円のMSCBを発表した経営判断。約2か月の攻防を経て、同株をフジテレビジョンへ約1030億円で売却し、フジテレビジョンが440億円の第三者割当増資を引き受ける形で決着した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 堀江貴文 | MSCBにより800億円を調達 | ★★ | ||
| 堀江貴文 | 東京高裁がニッポン放送の新株予約権発行の差し止めを支持 | ★ | ||
| 堀江貴文 | ニッポン放送株をフジテレビジョンに売却 | ★★ | ||
| 堀江貴文 | 日商岩井フューチャーズを完全子会社化 | ★ | ||
| 堀江貴文 | ターボリナックスが大阪証券取引所ヘラクレスに上場 | ★ | ||
| 堀江貴文 | 連結売上高784億円・純利益154億円を計上 | ★★ | ||
| 堀江貴文 | インターネット広告会社4社を子会社化 | ★ | ||
| 堀江貴文 | メディアエクスチェンジを子会社化 | ★ | ||
| 2006〜2011年強制捜査から上場廃止へ、残った現金を配り終えるまで(2006〜2011) | 平松庚三 | 平松庚三氏が社長に就任 | ★ | |
| 平松庚三 | 東京地検特捜部が本社など十数か所を家宅捜索 | ★★ | ||
| 平松庚三 | 東京証券取引所が全銘柄の取引を停止 | ★★ | ||
| 平松庚三 | 堀江貴文氏と宮内亮治氏らが逮捕 | ★★ | ||
| 平松庚三 | 宇野康秀氏がフジテレビジョンから株式を取得 | ★★ | ||
| 平松庚三 | 上場廃止後の子会社売却による現金化と、解散を選ばなかった法人の存続 2006年4月14日の上場廃止後、株主が期待した解散と再上場をいずれも退け、子会社を順に売却して資産を現金に換えながら法人を存続させた判断。2010年5月に株式会社ライブドアの株式を譲渡し、2011年3月期の有価証券報告書では売上高の欄が"―"となった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 平松庚三 | セシールを子会社化 | ★★ | ||
| 平松庚三 | 当期純損失408億円を計上 | ★★ | ||
| 石坂弘紀 | 堀江貴文氏に懲役2年6か月の実刑判決 | ★★ | ||
| 石坂弘紀 | 持株会社体制に移行 | ★★ | ||
| 石坂弘紀 | ライブドアHDに商号変更 | ★ | ||
| 石坂弘紀 | 100株を1株に併合 | ★ | ||
| 石坂弘紀 | 本店を移転 | ★ | ||
| 石坂弘紀 | 弥生の株式を売却 | ★★ | ||
| 石坂弘紀 | LDHに商号変更 | ★ | ||
| 石坂弘紀 | 現預金が連結総資産の約7割に到達 | ★★ | ||
| 石坂弘紀 | フジ・メディアHDと和解 | ★★ | ||
| 石坂弘紀 | 資本金を1億円に減資 | ★ | ||
| 石坂弘紀 | 本店を移転 | ★ | ||
| 石坂弘紀 | ライブドアとエイシスの株式を譲渡 | ★★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(ライブドア)