ライブドア

の歴史

創業

1996年

創業者

堀江貴文

創業地

東京都港区

直近売上高(2010/3)

267億円

長期業績と転換点(2001/9〜2010/3)
売上高(百万円純利益率(%)
Q なぜ1996年に受託制作で出発したオン・ザ・エッヂは、2004年に買収先の名を自社の社名に据えたのか
A 受託制作の会社には自社の製品も課金する会員も無く、世に知られる手段を持たなかった。2002年11月、経営に行き詰まった無料プロバイダー株式会社ライブドアから営業の全部を譲り受けたとき、手に入ったのは会員100万人規模の接続サービスと、日本最大の無料接続業者として知られた名前であった。2003年4月にエッジ株式会社へ、2004年2月に株式会社ライブドアへと二度社名を変え、買った名を看板に据えた。集客をポータルサイトに賭ける以上、創業以来の社名より、すでに知られている名のほうが役に立った。
Q なぜ2005年9月期のライブドアは、売上高784億円をインターネット企業として語りながら、利益の大半を金融事業から得ていたのか
A ポータルサイトlivedoorは無料の接続と広告で成り立ち、2005年9月期の黒字はわずか3億円にとどまった。同じ期の連結営業利益127億円に対して、金融部門だけで146億円を稼いでいる。その内訳は子会社ターボリナックス株の売却益40億円、MSCBの引き受け35億円、トレーディングなど18億円、投資銀行業務12億円で、いずれも自社と買収先の株価に依存する収益である。集客は金融の材料として使われ、それ自体は稼いでいなかった。
Q なぜ有罪判決の対象となった2004年9月期と2005年9月期の決算数値は、2011年に法人が事業を失うまで並び続けたのか
A 第10期について提出された2本の訂正報告書が直したのは、新株予約権と役員の記載、および連結キャッシュ・フロー計算書だった。売上高と当期純利益は、2006年12月提出の第11期有価証券報告書にも、2007年12月提出の第12期有価証券報告書にも初出のまま載っている。刑事裁判で争われ粉飾と認定された約53億円は、繰り返された脱法的な取引のごく一部にすぎず、開示書類の側では過年度の数値がそのまま残された。

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1996年〜 ホームページ受託制作からの出発と東証マザーズ上場

  1. 1996年ホームページの制作・運営・管理を目的として有限会社オン・ザ・エッヂを東京都港区に設立
  2. 1997年株式会社オン・ザ・エッヂへ組織変更
  3. 1999年1株5万円で有償株主割当増資を実施
  4. 1999年光通信とグッドウィル・コミュニケーションズに対し1株300万円で第三者割当増資を実施
  5. 2000年株式を1株につき12株へ分割
  6. 2000年投資事業を目的として株式会社キャピタリスタを設立
  7. 2000年データセンター事業「データホテル」を開始

ライブドアの業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書等

東京大学在学中の設立と受託制作の出発

1996年4月、堀江貴文氏は東京大学在学中に、ホームページの制作・運営・管理を目的として有限会社オン・ザ・エッヂを東京都港区に設立した。出資金600万円は、アルバイト先の塾で知り合った生徒の親から出してもらったもので、六本木の雑居ビルで企業ホームページの受託制作を始めている。翌1997年7月には株式会社へ組織を変更し、資本金を1000万円とした。顧客には富士写真フイルムやバンダイ、NTTの子会社が並び、出資金600万円の会社が1000万円を超える金額で受注したこともある。自社の製品も課金する会員も持たず、他社の代わりに手を動かす側から出発している。 [1][2][3][4]

  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
    • [1]1996年4月、ホームページの制作・運営・管理を目的として東京都港区に有限会社オン・ザ・エッヂを出資金600万円で設立
    • [3]1997年7月に株式会社オン・ザ・エッヂへ組織変更し資本金1000万円とした
  • 日経ビジネス 2004年9月6日号「ライブドアの虚像と実像 狙いは「株主を顧客に」、株価上昇へ奇策連発」
    • [2]堀江貴文はアルバイト先の塾で知り合った生徒の親から計600万円の出資を受け、東京・六本木の雑居ビルで企業ホームページの受託制作を始めた
    • [4]顧客に富士写真フイルム・バンダイ・NTTの子会社などが集まり、出資金600万円のエッヂが1000万円を超える金額で受注したこともあった

受託の外側へ出る動きは1999年に始まる。同年10月、スペイン在住のMARTA TOMAS JODAR氏およびサイバーエージェントと共同で、欧州でのサイバークリック販売を目的にCYBERCLICK AGENT S.L.を設立した。翌11月にはサイバーエージェントと共同で、インターネットコミュニティ運営会社の株式会社フープスを設立している。広告とコミュニティという、当時のネット企業が揃って目指した二つの領域に、他社と組む形で足を入れた。ただしフープスの全株式は2001年9月に楽天株式会社へ譲渡しており、この時期の新規事業は自前で育て切らずに手放している。 [5][6]

  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
    • [5]1999年10月にMARTA TOMAS JODAR・サイバーエージェントと共同でCYBERCLICK AGENT S.L.を設立、11月にサイバーエージェントと共同で株式会社フープスを設立
    • [6]2001年9月に関連会社フープスの全株式を楽天株式会社へ譲渡
  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
    • [1]1996年4月、ホームページの制作・運営・管理を目的として東京都港区に有限会社オン・ザ・エッヂを出資金600万円で設立
    • [3]1997年7月に株式会社オン・ザ・エッヂへ組織変更し資本金1000万円とした
    • [5]1999年10月にMARTA TOMAS JODAR・サイバーエージェントと共同でCYBERCLICK AGENT S.L.を設立、11月にサイバーエージェントと共同で株式会社フープスを設立
    • [6]2001年9月に関連会社フープスの全株式を楽天株式会社へ譲渡
  • 日経ビジネス 2004年9月6日号「ライブドアの虚像と実像 狙いは「株主を顧客に」、株価上昇へ奇策連発」
    • [2]堀江貴文はアルバイト先の塾で知り合った生徒の親から計600万円の出資を受け、東京・六本木の雑居ビルで企業ホームページの受託制作を始めた
    • [4]顧客に富士写真フイルム・バンダイ・NTTの子会社などが集まり、出資金600万円のエッヂが1000万円を超える金額で受注したこともあった

上場前の8か月で1440倍になった株式の評価

上場までの資本の動きは急だった。1999年8月3日に1株5万円で有償株主割当増資を実施し、その翌月の9月4日に光通信、9月30日にグッドウィル・コミュニケーションズに対して、1株300万円で第三者割当増資を行っている。1か月で株式の評価は60倍になった。2000年1月に株式を12分割し、同年4月6日に東京証券取引所マザーズへ上場する。公募価格は600万円で、分割前に調整すると7200万円にあたる。有償割当の時点から8か月で、株式の価値は1440倍に達した計算になる。この増資と分割の組み合わせは、のちに繰り返される手順の原型でもある。 [7][8]

  • 週刊東洋経済 2006年2月4日号「ライブドア 徹底解明 第1部 堀江式錬金術の全手口」
    • [7]1999年8月3日に1株5万円で有償株主割当増資、9月4日に光通信・9月30日にグッドウィル・コミュニケーションズへ1株300万円で第三者割当増資を実施
    • [8]2000年1月の12分割を調整すると公募価格は7200万円にあたり、有償割当時から8か月で株式の価値は1440倍になった

上場時の事業規模は小さい。1999年9月期は7か月の変則決算で、売上高2億円、営業利益1000万円にとどまる。それでも上場によって55億円を調達した。ネットバブルの崩壊直前という時期に間に合った点では、同じ2000年に上場した楽天と条件が似ている。調達した資金の使い道は、本業への再投資ではなく会社を買うことへ向かった。上場から6日目には投資事業を目的として株式会社キャピタリスタを設立し、同月にはデータセンター事業「データホテル」を開始している。上場準備を進めたのは、税理士としてオン・ザ・エッヂを顧客に持っていた最高財務責任者の宮内亮治氏である。2000年1月には本店を渋谷区へ移した。 [9][10][11]

  • 週刊東洋経済 2004年10月16日号「明日の成長企業を探そう! 楽天vsライブドア——結局彼らは何で儲けてる?」
    • [9]1999年9月期は7か月の変則決算で売上高2億円・営業利益1000万円だったが、上場により55億円を調達した
  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
    • [10]上場6日目に投資会社を設立し、2000年4月に株式会社キャピタリスタの設立とデータセンター事業「データホテル」の開始が沿革に記載されている
  • 日経ビジネス 2004年9月6日号「ライブドアの虚像と実像 狙いは「株主を顧客に」、株価上昇へ奇策連発」
    • [11]宮内亮治は税理士としてエッヂを顧客企業にしており、堀江の背中を押す形でエッヂの上場準備を始めた
  • 週刊東洋経済 2006年2月4日号「ライブドア 徹底解明 第1部 堀江式錬金術の全手口」
    • [7]1999年8月3日に1株5万円で有償株主割当増資、9月4日に光通信・9月30日にグッドウィル・コミュニケーションズへ1株300万円で第三者割当増資を実施
    • [8]2000年1月の12分割を調整すると公募価格は7200万円にあたり、有償割当時から8か月で株式の価値は1440倍になった
  • 週刊東洋経済 2004年10月16日号「明日の成長企業を探そう! 楽天vsライブドア——結局彼らは何で儲けてる?」
    • [9]1999年9月期は7か月の変則決算で売上高2億円・営業利益1000万円だったが、上場により55億円を調達した
  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
    • [10]上場6日目に投資会社を設立し、2000年4月に株式会社キャピタリスタの設立とデータセンター事業「データホテル」の開始が沿革に記載されている
  • 日経ビジネス 2004年9月6日号「ライブドアの虚像と実像 狙いは「株主を顧客に」、株価上昇へ奇策連発」
    • [11]宮内亮治は税理士としてエッヂを顧客企業にしており、堀江の背中を押す形でエッヂの上場準備を始めた

2000年〜 買収の連鎖による膨張とライブドアという名の取得

  1. 2000年株式を1株につき12株へ分割
  2. 2000年投資事業を目的として株式会社キャピタリスタを設立
  3. 2002年日本最大の無料プロバイダーを運営する株式会社ライブドアの営業全部を譲受
  4. 2004年エッジ株式会社から株式会社ライブドアへ社名変更し、本店を新宿区歌舞伎町へ移転
  5. 2004年1株を100株へ分割
  6. 2004年TOBにより日本グローバル証券株式会社を子会社化し証券業へ参入(同年7月にライブドア証券株式会社へ社名変更)
  7. 2004年大阪近鉄バファローズの買収を提案しプロ野球への参入を表明(同年11月に新規参入枠は楽天へ)

ライブドアの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

破綻会社からの営業譲受と二度の社名変更

2001年から2002年にかけて、株式交換による子会社化が連続する。2001年12月に株式会社パイナップルサーバーサービス、2002年3月に株式会社アットサーバー、同年9月に株式会社スプートニクを、いずれも株式交換で完全子会社とした。2002年8月にはビットキャット株式会社とビットキャットコミュニケーションズ株式会社の株式を100%取得し、同年6月には株式会社アスキーイーシーから営業の全部を譲り受け、9月にはプロジーグループ株式会社の株式を取得している。現金ではなく自社株を対価に使う買収が、この時期に型として定着した。買収先はウェブ制作やサーバー運用など、受託の延長にある事業が中心である。 [12]

  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
    • [12]2001年12月にパイナップルサーバーサービス、2002年3月にアットサーバー、同年9月にスプートニクを株式交換により完全子会社化

2002年11月、日本最大の無料プロバイダーを運営していた株式会社ライブドアの営業全部を譲り受ける。譲渡元は経営に行き詰まった会社だった。2003年4月に株式会社オン・ザ・エッヂからエッジ株式会社へ社名を変更し、本店を品川区へ移す。さらに2004年2月、エッジ株式会社から株式会社ライブドアへ社名を変更し、本店を新宿区歌舞伎町へ移した。買った会社の名を、自社の名に据えた。創業以来の社名を8年で二度捨て、無料プロバイダーとして知られた名を看板に選んでいる。この間の2003年3月にはエッジテレコム株式会社を設立して固定電話事業へ参入し、受託制作の会社という輪郭は失われた。 [13][14]

  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
    • [13]2002年11月に日本最大の無料プロバイダーを運営する株式会社ライブドアの営業全部を譲受
    • [14]2003年4月に株式会社オン・ザ・エッヂからエッジ株式会社へ、2004年2月にエッジ株式会社から株式会社ライブドアへ社名変更し本店を新宿区歌舞伎町へ移転

譲り受けた時点の会員は150万人であった。堀江貴文社長は当初、それまで買収した会社と同じように不要な経費を削り収益源を変えれば黒字化できると踏んでいたが、会員は減り続ける。ポータルサイト運営を担当した執行役員上級副社長の伊地知晋一氏は、2003年春ごろに、結局はヤフーのようなポータルサイトへ利用者を持っていかれると気づいたと振り返る。堀江社長は、ヤフー自体が他のサービスを真似て取り込んできた以上、同じことをやるのが成功への近道だと語った。膨大な利用者を抱えるヤフーが新サービスを始めればすぐ会員が増えるのに対し、同じサービスを始めてもライブドアの会員は増えなかった。 [15][16]

  • 日経ビジネス 2004年9月6日号「ライブドアの虚像と実像 狙いは「株主を顧客に」、株価上昇へ奇策連発」
    • [15]旧ライブドアの営業譲渡を受けた当時の会員は150万人で、経費を削れば黒字化できると見ていたが会員は減り続けた
    • [16]伊地知晋一は2003年春ごろに、結局はヤフーのようなポータルサイトに利用者を持っていかれると気づいたと述べ、堀江貴文はヤフーと同じことをやるのが成功への近道と語った
  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
    • [12]2001年12月にパイナップルサーバーサービス、2002年3月にアットサーバー、同年9月にスプートニクを株式交換により完全子会社化
    • [13]2002年11月に日本最大の無料プロバイダーを運営する株式会社ライブドアの営業全部を譲受
    • [14]2003年4月に株式会社オン・ザ・エッヂからエッジ株式会社へ、2004年2月にエッジ株式会社から株式会社ライブドアへ社名変更し本店を新宿区歌舞伎町へ移転
  • 日経ビジネス 2004年9月6日号「ライブドアの虚像と実像 狙いは「株主を顧客に」、株価上昇へ奇策連発」
    • [15]旧ライブドアの営業譲渡を受けた当時の会員は150万人で、経費を削れば黒字化できると見ていたが会員は減り続けた
    • [16]伊地知晋一は2003年春ごろに、結局はヤフーのようなポータルサイトに利用者を持っていかれると気づいたと述べ、堀江貴文はヤフーと同じことをやるのが成功への近道と語った

株主を顧客にするための株式100分割

株式分割が繰り返された。2003年8月20日に1株を10株へ、2004年2月20日に1株を100株へ、同年8月20日にさらに1株を10株へ分割している。発行済株式総数は第8期末の43万6087株から、第9期末には6億0633万株へ膨らんだ。堀江氏は分割の狙いを、株主数が増えれば利用者と宣伝役が増える点に置くと語っている。株式の最低取引単位で割った発行済株式単元数で見ると、ライブドアは10億4915万口に達し、NTTドコモの20倍超、トヨタ自動車の約30倍にあたる規模となった。 [17][18]

  • ライブドア 有価証券報告書 第10期(2005年9月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [17]第8期に1株を10株(2003年8月20日)、第9期に1株を100株(2004年2月20日)および1株を10株(2004年8月20日)へ分割
  • 週刊東洋経済 2006年2月4日号「ライブドア 徹底解明 第2部 大幅分割、MSCB、高PER…ライブドアを生んだ株式市場の「歪み」」
    • [18]発行済株式単元数は10億4915万口でNTTドコモの20倍超・トヨタ自動車の約30倍にあたる

100分割が決まったのは2003年11月19日であった。米国出張から戻った堀江貴文社長の携帯電話に、経営企画管理本部担当で執行役員副社長の熊谷史人氏から、その日の役員会へ100分割を提案してよいかという連絡が入る。堀江社長は30分考えたうえで了承した。それまでの株式分割は多くて21分割で、熊谷氏は、通信料金請求代行のインボイスが21分割を発表したことに負けたくなかった、歴史に残ることをやりたかったと振り返る。2004年1月からライブドア株は15日連続のストップ高を記録し、時価総額は8000億円を超えて楽天を抜き新興市場の首位に立った。 [19][20][21]

  • 日経ビジネス 2004年9月6日号「ライブドアの虚像と実像 狙いは「株主を顧客に」、株価上昇へ奇策連発」
    • [19]2003年11月19日、米国出張から戻った堀江貴文に熊谷史人が電話で100分割の役員会提案の可否を尋ね、堀江は30分考えて了承した
    • [20]それまでの株式分割は多くて21分割で、熊谷史人はインボイスの21分割に負けたくなかった、歴史に残ることをやりたかったと振り返っている
    • [21]2004年1月からライブドア株は15日連続ストップ高を記録し、時価総額は8000億円を超えて楽天を抜き新興市場のトップになった

2004年は買収の年になった。3月にTOBでバリュークリックジャパン株式会社を子会社化する。売上高8億円で3000万円の営業赤字だった会社を、37億円弱で買っている。同月には同じくTOBで日本グローバル証券株式会社を64億円で子会社化し、7月にライブドア証券株式会社へ社名を変更した。ほかにもクラサワコミュニケーションズ、ウェッブキャッシング・ドットコム、トライン、ターボリナックス、弥生と、株式交換や株式取得による子会社化が続く。この年の連結売上高は309億円で、前期の3倍近くに増えた。 [22][23][24]

  • 週刊東洋経済 2006年2月4日号「ライブドア 徹底解明 第1部 堀江式錬金術の全手口」
    • [22]売上高8億円で3000万円の営業赤字だったバリュークリックジャパンを37億円弱でTOBにより子会社化
  • 週刊東洋経済 2004年10月16日号「明日の成長企業を探そう! 楽天vsライブドア——結局彼らは何で儲けてる?」
    • [23]日本グローバル証券を64億円で子会社化し、2004年7月にライブドア証券株式会社へ社名変更
  • ライブドア 有価証券報告書 第10期(2005年9月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [24]2004年9月期の連結売上高は309億円で、前期の108億円から3倍近くに増えた
  • ライブドア 有価証券報告書 第10期(2005年9月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [17]第8期に1株を10株(2003年8月20日)、第9期に1株を100株(2004年2月20日)および1株を10株(2004年8月20日)へ分割
    • [24]2004年9月期の連結売上高は309億円で、前期の108億円から3倍近くに増えた
  • 週刊東洋経済 2006年2月4日号「ライブドア 徹底解明 第2部 大幅分割、MSCB、高PER…ライブドアを生んだ株式市場の「歪み」」
    • [18]発行済株式単元数は10億4915万口でNTTドコモの20倍超・トヨタ自動車の約30倍にあたる
  • 日経ビジネス 2004年9月6日号「ライブドアの虚像と実像 狙いは「株主を顧客に」、株価上昇へ奇策連発」
    • [19]2003年11月19日、米国出張から戻った堀江貴文に熊谷史人が電話で100分割の役員会提案の可否を尋ね、堀江は30分考えて了承した
    • [20]それまでの株式分割は多くて21分割で、熊谷史人はインボイスの21分割に負けたくなかった、歴史に残ることをやりたかったと振り返っている
    • [21]2004年1月からライブドア株は15日連続ストップ高を記録し、時価総額は8000億円を超えて楽天を抜き新興市場のトップになった
  • 週刊東洋経済 2006年2月4日号「ライブドア 徹底解明 第1部 堀江式錬金術の全手口」
    • [22]売上高8億円で3000万円の営業赤字だったバリュークリックジャパンを37億円弱でTOBにより子会社化
  • 週刊東洋経済 2004年10月16日号「明日の成長企業を探そう! 楽天vsライブドア——結局彼らは何で儲けてる?」
    • [23]日本グローバル証券を64億円で子会社化し、2004年7月にライブドア証券株式会社へ社名変更

増資でつないだ資金繰りと稼ぐ投資部門

膨らんだ時価総額は資金調達に直結した。2004年3月のバリュークリックジャパンと日本グローバル証券の買収資金は120億円の銀行借入で賄い、4月の公募増資で返済する計画であった。実際に4月の増資で調達した額は357億円である。当時のライブドアは単体で約50億円の現預金しか持たず負債が多く、熊谷史人氏は、公募増資ができなかったらいつ飛んでもおかしくない会社だったと語っている。上場企業が増資できる株数の上限は発行済株式数の10%程度とされる。時価総額が3000億円台で推移していたからこそ、この規模の調達が成立した。 [25][26]

  • 日経ビジネス 2004年9月6日号「ライブドアの虚像と実像 狙いは「株主を顧客に」、株価上昇へ奇策連発」
    • [25]2004年3月のバリュークリックジャパンと日本グローバル証券の買収資金120億円は銀行借入で賄い、4月の増資357億円で返済する計画だった
    • [26]当時は単体で約50億円の現預金しかなく負債が多く、熊谷史人は「公募増資ができなかったら、いつ飛んでも(破綻しても)おかしくない会社だった」と述べた

稼いでいたのは投資部門であった。2003年9月期は金融・投資業務の営業利益が8億8700万円と、全部門で最大になっている。ライブドアは週に1回、ベンチャーキャピタル子会社の担当者ら約30人を集めて投資委員会を開き、常時30社ほどの買収案件を検討した。執行役員上級副社長の羽田寛氏によれば、買収の目的は利益の上積み、顧客獲得、金融事業の拡大の三つである。投資の成果も出ており、大阪証券取引所ヘラクレスへ上場したエン・ジャパンには2億2000万円を投じて7億円ほどが戻っている。2004年6月末の連結の現預金は413億円に積み上がっていた。 [27][28][29]

  • 日経ビジネス 2004年9月6日号「ライブドアの虚像と実像 狙いは「株主を顧客に」、株価上昇へ奇策連発」
    • [27]2003年9月期は金融・投資業務の営業利益が8億8700万円と一番の稼ぎ頭になった
    • [28]週1回ベンチャーキャピタル子会社のスタッフら約30人を集めて投資委員会を開き常時30社ほどの案件を報告し合った。羽田寛によれば買収目的は利益の上積み・顧客獲得・金融事業の拡大の3つ
    • [29]増資でため込んだ現預金は2004年6月末の連結ベースで413億円だった
  • 日経ビジネス 2004年9月6日号「ライブドアの虚像と実像 狙いは「株主を顧客に」、株価上昇へ奇策連発」
    • [25]2004年3月のバリュークリックジャパンと日本グローバル証券の買収資金120億円は銀行借入で賄い、4月の増資357億円で返済する計画だった
    • [26]当時は単体で約50億円の現預金しかなく負債が多く、熊谷史人は「公募増資ができなかったら、いつ飛んでも(破綻しても)おかしくない会社だった」と述べた
    • [27]2003年9月期は金融・投資業務の営業利益が8億8700万円と一番の稼ぎ頭になった
    • [28]週1回ベンチャーキャピタル子会社のスタッフら約30人を集めて投資委員会を開き常時30社ほどの案件を報告し合った。羽田寛によれば買収目的は利益の上積み・顧客獲得・金融事業の拡大の3つ
    • [29]増資でため込んだ現預金は2004年6月末の連結ベースで413億円だった

2004年〜 ニッポン放送株の取得と1470億円、そして強制捜査

  1. 2004年エッジ株式会社から株式会社ライブドアへ社名変更し、本店を新宿区歌舞伎町へ移転
  2. 2004年1株を100株へ分割
  3. 2004年TOBにより日本グローバル証券株式会社を子会社化し証券業へ参入(同年7月にライブドア証券株式会社へ社名変更)
  4. 2004年大阪近鉄バファローズの買収を提案しプロ野球への参入を表明(同年11月に新規参入枠は楽天へ)
  5. 2005年東京証券取引所の時間外取引でニッポン放送株の35%を取得し筆頭株主となる
  6. 2005年ニッポン放送株をフジテレビジョンへ約1030億円で売却し、フジテレビジョンが440億円の第三者割当増資を引受
  7. 2006年東京地検特捜部と証券取引等監視委員会が証券取引法違反容疑で本社ほか十数か所を家宅捜索

ライブドアの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

近鉄とニッポン放送に続いた劇場型の買収提案

2004年6月、経営が行き詰まった大阪近鉄バファローズの買収を提案し、プロ野球への参入を表明する。新規参入枠は同年11月に楽天へ渡り、提案は実らなかった。この一件で堀江氏の知名度は全国へ広がる。近鉄の買収話を三菱証券が持ち込んだのは2004年2月で、提示額は10億〜30億円であった。同時期の福岡ダイエーホークスの提示額は200億円で、堀江氏は金額が同じならダイエーを選んでいたと明かしている。2005年2月8日、ライブドアは東京証券取引所の時間外取引でニッポン放送株の35%を取得し、一気に筆頭株主となった。取得を可能にしたのは同日発表した800億円のMSCBで、引き受けたのはリーマン・ブラザーズ証券グループである。証券会社側はこの一件だけで160億円程度を得たとされ、この転換社債の収益性を目のあたりにしたことが、のちに自社で同じ商品を引き受ける動機になった。 [30][31][32]

  • 日経ビジネス 2004年9月6日号「ライブドアの虚像と実像 狙いは「株主を顧客に」、株価上昇へ奇策連発」
    • [30]三菱証券が近鉄買収を持ちかけたのは2004年2月で提示額は10億〜30億円、福岡ダイエーホークスの提示額は200億円だった。堀江貴文は提示金額が同じならダイエーを選んでいたと述べた
  • 週刊東洋経済 2006年2月4日号「ライブドア 徹底解明 第1部 堀江式錬金術の全手口」
    • [31]2005年2月8日に時間外取引でニッポン放送株の35%を取得して筆頭株主となり、同日800億円のMSCBを発表した
    • [32]800億円のMSCBを引き受けたリーマン・ブラザーズ証券グループは160億円程度を得たとされ、ライブドアはこれを見て自社でも同じ商品を扱う方針に転じた

ニッポン放送はフジテレビジョンに対する新株予約権の発行で対抗したが、東京高裁は2005年3月にその差し止めを支持した。司法と過半数の株主の双方を得たはずのライブドアは、しかし支配権を行使していない。決着は和解だった。ニッポン放送株をフジテレビジョンへ約1030億円で売却し、フジテレビジョンがライブドアの第三者割当増資440億円を引き受けている。ライブドアは合計1470億円の現金を得た。名古屋市立大学の村瀬英彰氏らが攻防期間の株価を検証した論考は、3社とも企業価値を増やせなかったと結論づけている。 [33][34]

  • 週刊東洋経済 2006年2月4日号「ライブドア 徹底解明 第1部 堀江式錬金術の全手口」
    • [33]ニッポン放送株をフジテレビジョンへ約1030億円で売却し、フジテレビジョンから440億円の第三者割当増資を受け入れ、計1470億円の現金を得た
  • 週刊東洋経済 2005年7月9日号「総括 ライブドアvs.フジテレビジョン そして誰も企業価値を増やせなかった」
    • [34]攻防期間の3社の株価を超過リターンで検証した論考は、いずれも企業価値を増やせなかったと結論づけた
  • 日経ビジネス 2004年9月6日号「ライブドアの虚像と実像 狙いは「株主を顧客に」、株価上昇へ奇策連発」
    • [30]三菱証券が近鉄買収を持ちかけたのは2004年2月で提示額は10億〜30億円、福岡ダイエーホークスの提示額は200億円だった。堀江貴文は提示金額が同じならダイエーを選んでいたと述べた
  • 週刊東洋経済 2006年2月4日号「ライブドア 徹底解明 第1部 堀江式錬金術の全手口」
    • [31]2005年2月8日に時間外取引でニッポン放送株の35%を取得して筆頭株主となり、同日800億円のMSCBを発表した
    • [32]800億円のMSCBを引き受けたリーマン・ブラザーズ証券グループは160億円程度を得たとされ、ライブドアはこれを見て自社でも同じ商品を扱う方針に転じた
    • [33]ニッポン放送株をフジテレビジョンへ約1030億円で売却し、フジテレビジョンから440億円の第三者割当増資を受け入れ、計1470億円の現金を得た
  • 週刊東洋経済 2005年7月9日号「総括 ライブドアvs.フジテレビジョン そして誰も企業価値を増やせなかった」
    • [34]攻防期間の3社の株価を超過リターンで検証した論考は、いずれも企業価値を増やせなかったと結論づけた

金融が稼ぎポータルが稼げなかった収益構造

2005年9月期の連結売上高は784億円、経常利益は113億円、当期純利益は155億円、従業員数は2456人に達した。ただし利益の出どころは看板の事業ではない。東洋経済の取材によれば、連結営業利益127億円に対して金融部門だけで146億円を稼ぎ、ポータルサイトlivedoorの黒字はわずか3億円にとどまった。金融事業の内訳は、子会社ターボリナックス株の売却益が40億円、MSCBの引き受けが35億円、トレーディングなどが18億円、投資銀行業務が12億円である。2005年のMSCB引き受けは国内5位、新株予約権は国内2位にあたる。 [35][36]

  • ライブドア 有価証券報告書 第10期(2005年9月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [35]2005年9月期の連結売上高784億円・経常利益113億円・当期純利益155億円・従業員数2456人
  • 週刊東洋経済 2006年2月4日号「ライブドア 徹底解明 第1部 堀江式錬金術の全手口」
    • [36]連結営業利益127億円に対し金融部門は146億円を稼ぎ、ポータルサイトlivedoorの黒字は3億円。内訳はターボリナックス株売却益40億円・MSCB引受35億円・トレーディングなど18億円・投資銀行業務12億円

2006年1月16日、東京地検特捜部と証券取引等監視委員会が、証券取引法違反の容疑でライブドア本社ほか十数か所を家宅捜索する。翌17日、マネックス証券がライブドア関連5銘柄の信用取引の担保掛け目を70〜80%から一気にゼロへ引き下げた。追加証拠金を作るための売りが他の銘柄へ広がり、東京証券取引所は約定数が400万件を超えたため、午後2時40分に全銘柄の取引を停止する。ベンチャー向け市場に上場した1社の混乱が、市場全体を止めた。1月23日、堀江氏と取締役の宮内亮治氏らが逮捕された。 [37][38]

  • 週刊東洋経済 2006年1月28日号「東京地検特捜部が強制捜査 ライブドア錬金術、突然の破局」
    • [37]2006年1月16日に東京地検特捜部と証券取引等監視委員会が証券取引法違反(偽計取引・風説の流布)容疑で本社ほか十数か所を家宅捜索した
  • 週刊東洋経済 2006年2月4日号「ライブドア 徹底解明 第2部 大幅分割、MSCB、高PER…ライブドアを生んだ株式市場の「歪み」」
    • [38]1月17日にマネックス証券が担保掛け目をゼロへ引き下げ、東証は約定数が400万件を超えたため午後2時40分に全銘柄の取引を停止した
  • ライブドア 有価証券報告書 第10期(2005年9月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [35]2005年9月期の連結売上高784億円・経常利益113億円・当期純利益155億円・従業員数2456人
  • 週刊東洋経済 2006年2月4日号「ライブドア 徹底解明 第1部 堀江式錬金術の全手口」
    • [36]連結営業利益127億円に対し金融部門は146億円を稼ぎ、ポータルサイトlivedoorの黒字は3億円。内訳はターボリナックス株売却益40億円・MSCB引受35億円・トレーディングなど18億円・投資銀行業務12億円
  • 週刊東洋経済 2006年1月28日号「東京地検特捜部が強制捜査 ライブドア錬金術、突然の破局」
    • [37]2006年1月16日に東京地検特捜部と証券取引等監視委員会が証券取引法違反(偽計取引・風説の流布)容疑で本社ほか十数か所を家宅捜索した
  • 週刊東洋経済 2006年2月4日号「ライブドア 徹底解明 第2部 大幅分割、MSCB、高PER…ライブドアを生んだ株式市場の「歪み」」
    • [38]1月17日にマネックス証券が担保掛け目をゼロへ引き下げ、東証は約定数が400万件を超えたため午後2時40分に全銘柄の取引を停止した

2006年〜 上場廃止から事業の消滅までの現金化の5年間

  1. 2006年東京地検特捜部と証券取引等監視委員会が証券取引法違反容疑で本社ほか十数か所を家宅捜索
  2. 2006年堀江貴文社長と宮内亮治取締役らが逮捕
  3. 2006年USEN社長の宇野康秀氏が個人でフジテレビジョン保有のライブドア株12%強を取得し業務提携を発表
  4. 2006年東京証券取引所マザーズの上場廃止
  5. 2006年堀江貴文氏が代表を退き熊谷史人氏が代表取締役に就任、まもなく平松庚三氏が代表取締役社長に就任
  6. 2007年東京地裁が堀江貴文元社長に懲役2年6か月の実刑判決を言い渡す(宮内亮治元取締役は懲役1年8か月の実刑)
  7. 2010年株式会社ライブドアおよび株式会社エイシスの株式を譲渡

ライブドアの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

フジテレビジョンから宇野康秀へ移った持株

2006年3月16日、USEN社長の宇野康秀氏が個人でライブドア株の12%強をフジテレビジョンから95億円で引き取り、同時に業務提携を発表した。フジテレビジョンは前年に440億円で引き受けた株式を、95億円で手放している。有価証券報告書の大株主欄はこの移動をそのまま記録した。2005年9月末に12.75%・1億3374万株を保有していた株式会社フジテレビジョンの名は、2006年9月末には同じ株数のまま宇野康秀氏に置き換わっている。堀江氏は逮捕後も17.24%を持つ筆頭株主のままだった。 [39][40]

  • 週刊東洋経済 2006年4月1日号「KeyPerson 宇野康秀 USEN代表取締役社長 なぜ窮地のライブドアと握手したか」
    • [39]2006年3月16日にUSEN社長の宇野康秀氏が個人でライブドア株12%強をフジテレビジョンから95億円で取得し業務提携を発表した
  • ライブドア 有価証券報告書 第10期(2005年9月期)【大株主の状況】・第11期(2006年9月期)【大株主の状況】
    • [40]2005年9月末の大株主2位は株式会社フジテレビジョン(12.75%・133,740,000株)、2006年9月末は同株数のまま宇野康秀(12.74%)

2006年4月14日、東京証券取引所マザーズの上場が廃止された。2006年9月期は売上高1379億円に対して経常損失21億円、当期純損失408億円を計上し、従業員数は3539人まで増えていた。社長は平松庚三氏へ交代している。2007年3月16日、東京地裁の小坂敏幸裁判長は堀江氏に懲役2年6か月の実刑を言い渡した。宮内氏は1年8か月の実刑、熊谷史人氏は懲役1年執行猶予3年である。判決は証券市場の公正性を害する極めて悪質な犯行と述べた。堀江氏は無罪を主張して即日控訴している。従業員数が過去最多となった期に、上場と経営陣の双方を失った。 [41][42]

  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [41]2006年9月期の連結売上高1379億円・経常損失21億円・当期純損失408億円・従業員数3539人
  • 週刊東洋経済 2007年3月31日号「堀江実刑判決の“正しい”読み方」
    • [42]2007年3月16日に東京地裁(小坂敏幸裁判長)が堀江貴文元社長に懲役2年6か月の実刑を言い渡し、宮内亮治元取締役は1年8か月の実刑、熊谷史人元社長は懲役1年執行猶予3年
  • 週刊東洋経済 2006年4月1日号「KeyPerson 宇野康秀 USEN代表取締役社長 なぜ窮地のライブドアと握手したか」
    • [39]2006年3月16日にUSEN社長の宇野康秀氏が個人でライブドア株12%強をフジテレビジョンから95億円で取得し業務提携を発表した
  • ライブドア 有価証券報告書 第10期(2005年9月期)【大株主の状況】・第11期(2006年9月期)【大株主の状況】
    • [40]2005年9月末の大株主2位は株式会社フジテレビジョン(12.75%・133,740,000株)、2006年9月末は同株数のまま宇野康秀(12.74%)
  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [41]2006年9月期の連結売上高1379億円・経常損失21億円・当期純損失408億円・従業員数3539人
  • 週刊東洋経済 2007年3月31日号「堀江実刑判決の“正しい”読み方」
    • [42]2007年3月16日に東京地裁(小坂敏幸裁判長)が堀江貴文元社長に懲役2年6か月の実刑を言い渡し、宮内亮治元取締役は1年8か月の実刑、熊谷史人元社長は懲役1年執行猶予3年

訂正されなかった数字と現金だけが残った会社

2007年4月、持株会社へ移行して株式会社ライブドアホールディングスへ商号を変更し、メディア事業とネットワーク事業を新設の株式会社ライブドアへ分離した。同時に100株を1株へ併合し、13万人いた株主は7万人程度に減る。2007年9月には会計ソフトの弥生株式会社を740億円で売却した。2004年末に約230億円で取得した会社であり、金融危機の前に売り抜けたこの一件だけは高値がついた。2008年8月に商号を株式会社LDHへ変更し、2009年3月には資本金を1億円に減資している。買い集めた会社を順に手放す作業が、この数年の主な仕事だった。 [43][44]

  • LDH 有価証券報告書 第16期(2011年3月期)【沿革】
    • [43]2007年4月に株式会社ライブドアホールディングスへ商号変更し、メディア事業とネットワーク事業を新設の株式会社ライブドアへ分離した
  • 週刊東洋経済 2007年9月8日号「巨額の現金はどこへ ライブドアが弥生売却」
    • [44]2007年9月に弥生株式会社を740億円で売却。2004年末に約230億円で取得しており3倍強となった

2008年9月末、連結総資産の約7割にあたる1458億円が現預金で、有利子負債は56億円にとどまった。増資とMSCBによって市場から調達した資金が、事業ではなく現金のまま残っている。2009年1月にはフジ・メディア・ホールディングスと和解し、310億円を支払った。2010年5月に株式会社ライブドアと株式会社エイシスの株式を譲渡し、第16期にあたる2011年3月期の有価証券報告書では売上高の欄が「―」になる。ポータルの名は譲渡先へ渡り、上場していた法人の側には事業が残らなかった。 [45][46]

  • 週刊東洋経済 2009年2月7日号「フジと和解で310億円 ライブドアの台所事情」
    • [45]2008年9月末の連結総資産の約7割にあたる1458億円が現預金で、有利子負債は56億円だった
    • [46]2009年1月にフジ・メディア・ホールディングスと和解し、和解金310億円を支払った

最後まで訂正されなかったものがある。有罪判決の対象となった2004年9月期と2005年9月期の連結売上高・当期純利益は、2006年12月提出の第11期有価証券報告書にも、2007年12月提出の第12期有価証券報告書にも、初出の数字のまま並び続けた。第10期について提出された2本の訂正報告書が直したのは、新株予約権と役員の記載、および連結キャッシュ・フロー計算書である。粉飾と認定された金額は約53億円だった。市場から集めた2000億円近い資金は、その数字の上に積み上がっている。 [47][48]

  • ライブドア 有価証券報告書 第10期・第11期・第12期【主要な経営指標等の推移】
    • [47]第11期・第12期の【主要な経営指標等の推移】に載る第9期・第10期の売上高(308億円・784億円)と当期純利益(35億円・154億円)は第10期有報の初出値と一致する
  • ライブドア 有価証券報告書の訂正報告書 第10期(2006年1月20日提出・2006年2月17日提出)
    • [48]2006年1月20日提出の訂正報告書の訂正事項は【新株予約権等の状況】【役員の状況】、2006年2月17日提出の訂正報告書は【連結キャッシュ・フロー計算書】
  • LDH 有価証券報告書 第16期(2011年3月期)【沿革】
    • [43]2007年4月に株式会社ライブドアホールディングスへ商号変更し、メディア事業とネットワーク事業を新設の株式会社ライブドアへ分離した
  • 週刊東洋経済 2007年9月8日号「巨額の現金はどこへ ライブドアが弥生売却」
    • [44]2007年9月に弥生株式会社を740億円で売却。2004年末に約230億円で取得しており3倍強となった
  • 週刊東洋経済 2009年2月7日号「フジと和解で310億円 ライブドアの台所事情」
    • [45]2008年9月末の連結総資産の約7割にあたる1458億円が現預金で、有利子負債は56億円だった
    • [46]2009年1月にフジ・メディア・ホールディングスと和解し、和解金310億円を支払った
  • ライブドア 有価証券報告書 第10期・第11期・第12期【主要な経営指標等の推移】
    • [47]第11期・第12期の【主要な経営指標等の推移】に載る第9期・第10期の売上高(308億円・784億円)と当期純利益(35億円・154億円)は第10期有報の初出値と一致する
  • ライブドア 有価証券報告書の訂正報告書 第10期(2006年1月20日提出・2006年2月17日提出)
    • [48]2006年1月20日提出の訂正報告書の訂正事項は【新株予約権等の状況】【役員の状況】、2006年2月17日提出の訂正報告書は【連結キャッシュ・フロー計算書】

ライブドアの沿革1996〜2010年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
ホームページの制作・運営・管理を目的として有限会社オン・ザ・エッヂを東京都港区に設立★★★
株式会社オン・ザ・エッヂへ組織変更★★
1株5万円で有償株主割当増資を実施★★
光通信とグッドウィル・コミュニケーションズに対し1株300万円で第三者割当増資を実施★★
サイバーエージェントらと共同で欧州向けにCYBERCLICK AGENT S.L.を設立
サイバーエージェントと共同でインターネットコミュニティ運営会社の株式会社フープスを設立
株式を1株につき12株へ分割★★
東京証券取引所マザーズへ上場
投資事業を目的として株式会社キャピタリスタを設立★★
データセンター事業「データホテル」を開始★★
ウェブ制作の生産能力確保を目的として中国大連に英極軟件開発有限公司を設立
堀江貴文関連会社である株式会社フープスの全株式を楽天株式会社へ譲渡
堀江貴文株式交換により株式会社パイナップルサーバーサービスを完全子会社化
堀江貴文株式交換により株式会社アットサーバーを完全子会社化
堀江貴文ドイツにLivin' on the EDGE Europe GmbHを設立
堀江貴文株式会社アスキーイーシーより営業の全部を譲受
堀江貴文ビットキャット株式会社およびビットキャットコミュニケーションズ株式会社の株式を100%取得し子会社化
堀江貴文日本最大の無料プロバイダーを運営する株式会社ライブドアの営業全部を譲受★★★
堀江貴文エッジテレコム株式会社を設立し固定電話事業へ参入★★
堀江貴文株式会社オン・ザ・エッヂからエッジ株式会社へ社名変更★★
堀江貴文1株を10株へ分割★★
堀江貴文公募による新株式発行★★
堀江貴文エッジ株式会社から株式会社ライブドアへ社名変更し、本店を新宿区歌舞伎町へ移転★★★
堀江貴文1株を100株へ分割★★★
堀江貴文TOBによりバリュークリックジャパン株式会社を子会社化★★
堀江貴文TOBにより日本グローバル証券株式会社を子会社化し証券業へ参入(同年7月にライブドア証券株式会社へ社名変更)★★★
堀江貴文公募による新株式発行★★
堀江貴文株式交換によりターボリナックス株式会社を完全子会社化
堀江貴文大阪近鉄バファローズの買収を提案しプロ野球への参入を表明(同年11月に新規参入枠は楽天へ)★★★
堀江貴文1株を10株へ分割★★
堀江貴文会計ソフトの弥生株式会社を子会社化★★
堀江貴文東京証券取引所の時間外取引でニッポン放送株の35%を取得し筆頭株主となる★★★
堀江貴文800億円のMSCBを発行しリーマン・ブラザーズ証券グループが引受★★
堀江貴文ニッポン放送株をフジテレビジョンへ約1030億円で売却し、フジテレビジョンが440億円の第三者割当増資を引受★★★
堀江貴文子会社のターボリナックス株式会社が大阪証券取引所ヘラクレスへ上場
堀江貴文メディアエクスチェンジ株式会社を子会社化
平松庚三東京地検特捜部と証券取引等監視委員会が証券取引法違反容疑で本社ほか十数か所を家宅捜索★★★
平松庚三堀江貴文社長と宮内亮治取締役らが逮捕★★★
平松庚三堀江貴文氏が代表を退き熊谷史人氏が代表取締役に就任、まもなく平松庚三氏が代表取締役社長に就任★★
平松庚三株式会社キューズネット、株式会社ワイワイシー、プロジー株式会社などを吸収合併
平松庚三USEN社長の宇野康秀氏が個人でフジテレビジョン保有のライブドア株12%強を取得し業務提携を発表★★★
平松庚三東京証券取引所マザーズの上場廃止★★★
平松庚三通信販売の株式会社セシールの株式を取得し子会社化
平松庚三株式会社ライブドア不動産、ライブドア債権回収株式会社などの株式を譲渡
石坂弘紀東京地裁が堀江貴文元社長に懲役2年6か月の実刑判決を言い渡す(宮内亮治元取締役は懲役1年8か月の実刑)★★★
石坂弘紀持株会社へ移行し株式会社ライブドアホールディングスへ商号変更、メディア事業とネットワーク事業を新設の株式会社ライブドアへ分離★★
石坂弘紀100株を1株へ併合★★
石坂弘紀会計ソフトの弥生株式会社を売却★★
石坂弘紀株式会社ライブドアホールディングスから株式会社LDHへ商号変更★★
石坂弘紀フジ・メディア・ホールディングスと和解し和解金を支払い★★
石坂弘紀資本金を1億円へ減資★★
石坂弘紀株式会社ライブドアおよび株式会社エイシスの株式を譲渡★★★
出典・参考
  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
  • 日経ビジネス 2004年9月6日号「ライブドアの虚像と実像 狙いは「株主を顧客に」、株価上昇へ奇策連発」
  • 週刊東洋経済 2006年2月4日号「ライブドア 徹底解明 第1部 堀江式錬金術の全手口」
  • 週刊東洋経済 2004年10月16日号「明日の成長企業を探そう! 楽天vsライブドア——結局彼らは何で儲けてる?」
  • ライブドア 有価証券報告書 第10期(2005年9月期)【主要な経営指標等の推移】
  • 週刊東洋経済 2006年2月4日号「ライブドア 徹底解明 第2部 大幅分割、MSCB、高PER…ライブドアを生んだ株式市場の「歪み」」
  • 週刊東洋経済 2005年7月9日号「総括 ライブドアvs.フジテレビジョン そして誰も企業価値を増やせなかった」
  • 週刊東洋経済 2006年1月28日号「東京地検特捜部が強制捜査 ライブドア錬金術、突然の破局」
  • 週刊東洋経済 2006年4月1日号「KeyPerson 宇野康秀 USEN代表取締役社長 なぜ窮地のライブドアと握手したか」
  • ライブドア 有価証券報告書 第10期(2005年9月期)【大株主の状況】・第11期(2006年9月期)【大株主の状況】
  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【主要な経営指標等の推移】
  • 週刊東洋経済 2007年3月31日号「堀江実刑判決の“正しい”読み方」
  • LDH 有価証券報告書 第16期(2011年3月期)【沿革】
  • 週刊東洋経済 2007年9月8日号「巨額の現金はどこへ ライブドアが弥生売却」
  • 週刊東洋経済 2009年2月7日号「フジと和解で310億円 ライブドアの台所事情」
  • ライブドア 有価証券報告書 第10期・第11期・第12期【主要な経営指標等の推移】
  • ライブドア 有価証券報告書の訂正報告書 第10期(2006年1月20日提出・2006年2月17日提出)

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