ライブドア の歴史

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創業 1996年
創業者 堀江貴文
創業地 東京都港区
創業
1996年4月、堀江貴文氏が東京大学在学中に、ホームページの制作・運営・管理を目的とする有限会社オン・ザ・エッヂを東京都港区に設立した。出資金600万円、東京・六本木の雑居ビルで始めた企業サイトの受託制作が祖業で、2000年4月に東京証券取引所マザーズへ上場する。ただし受託の会社には自社の会員も知名度も無く、2002年11月に破綻した無料プロバイダーから会員と社名ごと事業を譲り受けた。成長を支えたのは、自ら育てた事業ではなく外から買収してきたブランドという信用だった。
決断
株価そのものを経営資源として扱う判断を連ねたところに特色がある。買収の対価を自社株で払う以上、株価が高いほど少ない希薄化で会社を買収できたため、株価を保つことが買収を続ける条件になった。2004年2月には1株を100株へ分割し、投資事業組合を挟んだ自社株売却益を営業利益に計上した。翌2005年2月にはニッポン放送株の大量取得からフジテレビジョンへの売却まで進み、社債発行と第三者割当増資により2005年9月期の財務活動で1,146億円を調達している。総資産は1年で1,002億円から3,302億円へ膨らんだが、それを押し上げたのは事業収益ではなく株価だった。
現況
ライブドア社はもう存在しない。2006年1月の東京地方検察庁特別捜査部による強制捜査を経て、同年4月14日に東京証券取引所マザーズの上場が廃止され、2007年3月には証券取引法違反事件の有罪判決が確定した。法人は解散も再上場も選ばずに存続し、2010年5月に全ての連結子会社を売却して事業を手放した。ポータルの名はNHN Japanへ譲り渡され、現在はLINEヤフーの下で使われている。事業は引き継がれず、株主へ現金を配り終えて会社は消えた。
競合
競争は集客規模の拡大を目指したが、ライブドアは後手に回った。ポータルでは広告のポータルからブロードバンドへ広げたヤフーが広告と接続の両輪で先行し、無料接続の会員を引き継いだライブドアは、2005年9月期のネットメディア事業の営業利益が3億円と、集客価値を利益に転換できなかった。2004年には50年ぶりのプロ野球新規参入枠を楽天と争って譲り、翌年は放送局の視聴者規模そのものを買収で得ようとするが、注目を集めるだけであった。競合が実業によって積み上げてきた集客に対して、資本市場からの調達で埋めようとしたが、叶わなかった。
ライブドア:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年2月期2010年3月期

創業ストーリー 受託制作の会社が上場で得た55億円と投資への転回(1996〜2000) (1996年〜)

受託制作の会社が上場で得た55億円と投資への転回(1996〜2000)

東京大学在学中の設立と受託制作からの出発

1996年4月[1]堀江貴文氏は東京大学在学中に[2]、ホームページの制作・運営・管理を目的とする有限会社オン・ザ・エッヂを東京都港区に設立した[3]。周囲に語った起業の理由は、宇宙に行ける会社を作ること[4]だったという。出資金600万円は、アルバイト先の塾で知り合った生徒の親から出してもらったもの[5]である。六本木の雑居ビルで企業ホームページの受託制作を始め[6]、翌1997年7月には株式会社へ組織を変更して資本金1000万円とした[7]。顧客には富士写真フイルムやバンダイ、NTTの子会社[8]が並び、出資金600万円の会社が1000万円を超える金額で受注したこともある[9]。1999年に『iモード』が登場した際には、そのシステム構築も請け負った[10]

  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
    • [1]1996年4月に有限会社オン・ザ・エッヂとして東京都港区に設立され、ホームページの制作・運営・管理を目的としていた
    • [3]ホームページの制作・運営・管理を目的として東京都港区に有限会社オン・ザ・エッヂを設立した
    • [7]1997年7月に株式会社オン・ザ・エッヂへ組織変更し、資本金は1000万円となった
  • 日経ビジネス 2004年9月6日号
    • [2]堀江貴文は東京大学在学中の1996年にオン・ザ・エッヂを起こした
    • [4]堀江が周囲に語った起業の理由は「宇宙に行ける会社を作ること」だった
    • [5]アルバイト先の塾で知り合った生徒の親から計600万円の出資を受けた
    • [6]東京・六本木の雑居ビルで企業ホームページの受託制作を始めた
    • [8]顧客には富士写真フイルム、バンダイ、NTTの子会社などが集まった
    • [9]出資金が600万円しかないのに1000万円を超える金額で受注したこともあった
    • [10]1999年にiモードが登場した際にはシステム構築も受託した

自社サービスは1997年7月、株式会社への組織変更と同じ月に始めた『セレクトメール』が最初である[11]。他社と組んでの事業化は1999年に入ってからで、同年10月、スペイン在住のMARTA TOMAS JODAR氏およびサイバーエージェントと共同で、欧州でのサイバークリック販売を目的とするCYBERCLICK AGENT S.L.を設立した[12]。翌11月にはサイバーエージェントと共同で、インターネットコミュニティ運営会社の株式会社フープスを設立した[13]。広告配信のサイバークリック、メール広告配信のクリックインカム、無料ホームページサービスのHoops![14]は、いずれも利用料を手数料の形で受け取る事業として並んだ。ただしフープスの全株式は2001年9月に楽天株式会社へ譲渡した[15]

  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
    • [11]1997年7月にセレクトメールを開始した
    • [12]1999年10月にスペイン在住MARTA TOMAS JODARおよびサイバーエージェントと共同でCYBERCLICK AGENT S.L.を設立した
    • [13]1999年11月にサイバーエージェントと共同でインターネットコミュニティ運営会社の株式会社フープスを設立した
    • [15]関連会社である株式会社フープスの全株式を2001年9月に楽天株式会社へ譲渡した
  • 証券アナリストジャーナル 2000年5月号(2000年4月11日・東京)
    • [14]手数料事業は、広告配信システムのサイバークリック、メール広告配信システムのクリックインカム、無料ホームページサービスのHoops! などインターネット上のサービスの利用料を手数料の形で受け取るものだった

制作の担い手は国内だけではない。2000年10月、ウェブ制作事業の生産能力を確保するため、中国大連に英極軟件開発有限公司を設立した[16]。同じ月には中央宣興タイランドグループとAD4Portal (THAILAND) Co., Ltd.を設立し[17]、同年5月にはECに特化したシステム開発を目的として株式会社エッヂコマースを設立した[18]堀江貴文社長は制作事業について、プランニングやデザイン、プログラム制作の実績を積み上げてモジュール化を進めていると述べ[19]、社内のメーリングリストで技術や設計の議論を重ねる進め方を挙げた[20]

  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
    • [16]2000年10月にウェブ制作事業の生産能力確保を目的として中国大連に英極軟件開発有限公司を設立した
    • [17]2000年10月に中央宣興タイランドグループとAD4Portal (THAILAND) Co., Ltd.を設立した
    • [18]2000年5月にECに特化したシステム開発を目的として株式会社エッヂコマースを設立した
  • 証券アナリストジャーナル 2000年5月号(2000年4月11日・東京)
    • [19]堀江社長は、ウェブ制作事業でプランニング・デザイン・プログラミング・HTMLページ制作の実績を積み、それをモジュール化していると述べた
    • [20]社内のメーリングリストでテクニックやデザインについての議論を随時行い、結果をレジュメにして全員でミーティングを開いていた
  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
    • [1]1996年4月に有限会社オン・ザ・エッヂとして東京都港区に設立され、ホームページの制作・運営・管理を目的としていた
    • [3]ホームページの制作・運営・管理を目的として東京都港区に有限会社オン・ザ・エッヂを設立した
    • [7]1997年7月に株式会社オン・ザ・エッヂへ組織変更し、資本金は1000万円となった
    • [11]1997年7月にセレクトメールを開始した
    • [12]1999年10月にスペイン在住MARTA TOMAS JODARおよびサイバーエージェントと共同でCYBERCLICK AGENT S.L.を設立した
    • [13]1999年11月にサイバーエージェントと共同でインターネットコミュニティ運営会社の株式会社フープスを設立した
    • [15]関連会社である株式会社フープスの全株式を2001年9月に楽天株式会社へ譲渡した
    • [16]2000年10月にウェブ制作事業の生産能力確保を目的として中国大連に英極軟件開発有限公司を設立した
    • [17]2000年10月に中央宣興タイランドグループとAD4Portal (THAILAND) Co., Ltd.を設立した
    • [18]2000年5月にECに特化したシステム開発を目的として株式会社エッヂコマースを設立した
  • 日経ビジネス 2004年9月6日号
    • [2]堀江貴文は東京大学在学中の1996年にオン・ザ・エッヂを起こした
    • [4]堀江が周囲に語った起業の理由は「宇宙に行ける会社を作ること」だった
    • [5]アルバイト先の塾で知り合った生徒の親から計600万円の出資を受けた
    • [6]東京・六本木の雑居ビルで企業ホームページの受託制作を始めた
    • [8]顧客には富士写真フイルム、バンダイ、NTTの子会社などが集まった
    • [9]出資金が600万円しかないのに1000万円を超える金額で受注したこともあった
    • [10]1999年にiモードが登場した際にはシステム構築も受託した
  • 証券アナリストジャーナル 2000年5月号(2000年4月11日・東京)
    • [14]手数料事業は、広告配信システムのサイバークリック、メール広告配信システムのクリックインカム、無料ホームページサービスのHoops! などインターネット上のサービスの利用料を手数料の形で受け取るものだった
    • [19]堀江社長は、ウェブ制作事業でプランニング・デザイン・プログラミング・HTMLページ制作の実績を積み、それをモジュール化していると述べた
    • [20]社内のメーリングリストでテクニックやデザインについての議論を随時行い、結果をレジュメにして全員でミーティングを開いていた

上場5日後に語られた三事業と同じ月に始めた投資

上場までの資本の動きは急だった。2000年1月11日には資本準備金を資本へ組み入れるとともに1株を12株へ分割し[21]、同年4月6日に東京証券取引所マザーズへ上場する[22]。公募価格は600万円で、分割前に調整すると7200万円[23]にあたる。

  • ライブドア 有価証券報告書 第10期(2005年9月期)【株式等の状況】
    • [21]2000年1月11日付で資本準備金を資本に組み入れるとともに1対12の株式分割を実施した
    • [22]2000年4月6日に東京証券取引所マザーズへ上場した
    • [23]有償・ブックビルディング方式による募集の発行価格は600万円だった

上場時の事業規模は小さい。1999年9月期は7か月の変則決算で、売上高2億6300万円、経常利益1000万円にとどまる[24]。それでも上場では資本金と資本準備金を合わせて55億円が入った[25]。従業員は1999年10月時点で26人、2000年2月末で51人[26]である。堀江貴文社長は上場5日後の2000年4月11日、証券アナリスト向けの説明でウェブ制作・ウェブ管理・手数料の三事業を挙げた[27]。売上高の構成比はウェブ制作事業が年々下がって管理事業と手数料事業が上がっており、手数料事業を6割程度まで持っていきたい[28]と述べた。

  • 証券 52(6)(615)(1999年9月期・単体)
    • [24]1999年9月期は7か月の変則決算で、単体売上高2億6300万円・経常利益1000万円だった
  • ライブドア 有価証券報告書 第10期(2005年9月期)【株式等の状況】
    • [25]2000年4月6日の上場で資本金1,487,500千円・資本準備金4,062,500千円の計55億5000万円が増加した
  • 証券アナリストジャーナル 2000年5月号(2000年4月11日・東京)
    • [26]従業員数は1999年10月時点で26人、2000年2月末時点で51人だった
    • [27]堀江貴文社長は2000年4月11日に証券アナリスト向けの説明を行い、ウェブ制作事業・ウェブ管理事業・手数料事業の三事業を説明した
    • [28]3事業の売上高シェアはウェブ制作事業が年々下がり管理事業・手数料事業が上がっており、手数料事業で6割程度まで持っていきたいと述べた

調達した資金は、自前の設備と投資に向かった。2000年4月、企業のホームページを管理するデータセンター事業『データホテル』を開始し[29]、同じ月に投資事業を目的として株式会社キャピタリスタを設立した[30]。データホテルの設立費用は5億円で、インターネット関連機材の価格が下がるため第2・第3の建設は5億円かからず手元資金で足りる[31]堀江貴文社長は説明した。同時に設けたベンチャー企業への投融資子会社の運用額は10億円近く[32]に上った。上場準備は、税理士としてオン・ザ・エッヂを顧客に持っていた最高財務責任者の宮内亮治氏が堀江貴文社長の背中を押す形で始まった[33]。2000年1月には本店を渋谷区へ移した[34]

  • 日経ビジネス 2004年9月6日号
    • [29]上場で得た資金で企業のホームページを管理するデータセンターを自前で整えた
    • [32]データセンターと同時に設けたベンチャー企業に投融資する子会社の運用額は10億円近くに上った
    • [33]税理士としてエッヂを顧客企業にしていた宮内亮治が堀江の背中を押すようにして上場準備を始めた
  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
    • [30]2000年4月に投資事業を目的として株式会社キャピタリスタを設立した
    • [34]2000年1月に本店を東京都渋谷区渋谷三丁目3番5号へ移転した
  • 証券アナリストジャーナル 2000年5月号(2000年4月11日・東京)
    • [31]最初のデータホテルの設立費用は5億円で、インターネット関連機材の価格低下があるので第2・第3の建設は5億円はかからず、現在確保している資金で十分だと述べた
  • ライブドア 有価証券報告書 第10期(2005年9月期)【株式等の状況】
    • [21]2000年1月11日付で資本準備金を資本に組み入れるとともに1対12の株式分割を実施した
    • [22]2000年4月6日に東京証券取引所マザーズへ上場した
    • [23]有償・ブックビルディング方式による募集の発行価格は600万円だった
    • [25]2000年4月6日の上場で資本金1,487,500千円・資本準備金4,062,500千円の計55億5000万円が増加した
  • 証券 52(6)(615)(1999年9月期・単体)
    • [24]1999年9月期は7か月の変則決算で、単体売上高2億6300万円・経常利益1000万円だった
  • 証券アナリストジャーナル 2000年5月号(2000年4月11日・東京)
    • [26]従業員数は1999年10月時点で26人、2000年2月末時点で51人だった
    • [27]堀江貴文社長は2000年4月11日に証券アナリスト向けの説明を行い、ウェブ制作事業・ウェブ管理事業・手数料事業の三事業を説明した
    • [28]3事業の売上高シェアはウェブ制作事業が年々下がり管理事業・手数料事業が上がっており、手数料事業で6割程度まで持っていきたいと述べた
    • [31]最初のデータホテルの設立費用は5億円で、インターネット関連機材の価格低下があるので第2・第3の建設は5億円はかからず、現在確保している資金で十分だと述べた
  • 日経ビジネス 2004年9月6日号
    • [29]上場で得た資金で企業のホームページを管理するデータセンターを自前で整えた
    • [32]データセンターと同時に設けたベンチャー企業に投融資する子会社の運用額は10億円近くに上った
    • [33]税理士としてエッヂを顧客企業にしていた宮内亮治が堀江の背中を押すようにして上場準備を始めた
  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
    • [30]2000年4月に投資事業を目的として株式会社キャピタリスタを設立した
    • [34]2000年1月に本店を東京都渋谷区渋谷三丁目3番5号へ移転した

買った会社の名を看板に据えた無料プロバイダーの譲受(2001〜2003)

株式100分割とニッポン放送株が生んだ1470億円(2004〜2005)

強制捜査から上場廃止へ、残った現金を配り終えるまで(2006〜2011)

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ライブドアの沿革1996〜2010年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1996〜2000年受託制作の会社が上場で得た55億円と投資への転回(1996〜2000)堀江貴文氏がオン・ザ・エッヂを設立★★
セレクトメールを開始
有償株主割当増資を実施
光通信とグッドウィル・コミュニケーションズに第三者割当増資★★
CYBERCLICK AGENT S.L.を設立
サイバーエージェントと共同でフープスを設立
1株を12株に分割
本店を移転
東京証券取引所マザーズに上場
キャピタリスタを設立
データセンター事業「データホテル」を開始★★
エッヂコマースを設立
英極軟件開発有限公司を設立
2001〜2003年買った会社の名を看板に据えた無料プロバイダーの譲受(2001〜2003)堀江貴文フープスの全株式を楽天に譲渡
堀江貴文株式交換によりパイナップルサーバーサービスを完全子会社化
堀江貴文株式交換によりアットサーバーを完全子会社化
堀江貴文Livin' on the EDGE Europe GmbHを設立
堀江貴文アスキーイーシーから営業全部を譲受
堀江貴文ビットキャットなど2社の株式を100%取得
堀江貴文株式交換によりスプートニクを完全子会社化
堀江貴文破綻した無料プロバイダーからの営業譲受と、ライブドアへの社名変更

2002年11月、株式会社オン・ザ・エッヂが、経営に行き詰まった無料インターネット接続業者・株式会社ライブドアの営業全部を譲り受けた判断。2003年4月にエッジ株式会社、2004年2月に株式会社ライブドアへと二度社名を変え、買った相手の名を自社の看板に据えた。

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★★★
堀江貴文エッジテレコムを設立
堀江貴文固定電話事業に参入★★
堀江貴文エッジに商号変更★★
堀江貴文本店を移転
堀江貴文1株を10株に分割
堀江貴文公募増資を実施
2004〜2005年株式100分割とニッポン放送株が生んだ1470億円(2004〜2005)堀江貴文ライブドアに商号変更★★
堀江貴文株式100分割の実施と、投資事業組合を用いた自社株売却益の営業利益計上

2004年2月に1株を100株へ分割し、株式交換で買った会社の株式を投資事業組合を経由して売却することで、その益を本体の営業利益に計上した一連の判断。2007年3月の東京地裁判決は、この投資事業組合を脱法目的で組成されたものと認定した。

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★★★
堀江貴文本店を移転
堀江貴文公開買付けによりバリュークリックジャパンを子会社化★★
堀江貴文公開買付けにより日本グローバル証券を子会社化★★
堀江貴文株式交換によりクラサワコミュニケーションズを完全子会社化
堀江貴文公募増資により357億円を調達★★
堀江貴文株式交換によりターボリナックスを完全子会社化
堀江貴文プロ野球への参入を表明★★
堀江貴文1株を10株に分割
堀江貴文ライブドアベースボールを設立
堀江貴文連結売上高が309億円に拡大★★
堀江貴文弥生を子会社化★★
堀江貴文エイシスを完全子会社化
堀江貴文ニッポン放送株の時間外取引による大量取得と、フジテレビジョンへの売却

2005年2月8日、ライブドアが東京証券取引所の時間外取引でニッポン放送株の35%を取得して筆頭株主となり、同日に800億円のMSCBを発表した経営判断。約2か月の攻防を経て、同株をフジテレビジョンへ約1030億円で売却し、フジテレビジョンが440億円の第三者割当増資を引き受ける形で決着した。

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★★★
堀江貴文MSCBにより800億円を調達★★
堀江貴文東京高裁がニッポン放送の新株予約権発行の差し止めを支持
堀江貴文ニッポン放送株をフジテレビジョンに売却★★
堀江貴文日商岩井フューチャーズを完全子会社化
堀江貴文ターボリナックスが大阪証券取引所ヘラクレスに上場
堀江貴文連結売上高784億円・純利益155億円を計上★★
堀江貴文インターネット広告会社4社を子会社化
堀江貴文メディアエクスチェンジを子会社化
2006〜2011年強制捜査から上場廃止へ、残った現金を配り終えるまで(2006〜2011)平松庚三平松庚三氏が社長に就任
平松庚三東京地検特捜部が本社など十数か所を家宅捜索★★
平松庚三東京証券取引所が全銘柄の取引を停止★★
平松庚三堀江貴文氏と宮内亮治氏らが逮捕★★
平松庚三宇野康秀氏がフジテレビジョンから株式を取得★★
平松庚三上場廃止後の子会社売却による現金化と、解散を選ばなかった法人の存続

2006年4月14日の上場廃止後、株主が期待した解散と再上場をいずれも退け、子会社を順に売却して資産を現金に換えながら法人を存続させた判断。2010年5月に株式会社ライブドアの株式を譲渡し、2011年3月期の有価証券報告書では売上高の欄が『―』となった。

詳細を読む
★★★
平松庚三セシールを子会社化★★
平松庚三当期純損失408億円を計上★★
石坂弘紀堀江貴文氏に懲役2年6か月の実刑判決★★
石坂弘紀持株会社体制に移行★★
石坂弘紀ライブドアHDに商号変更
石坂弘紀100株を1株に併合
石坂弘紀本店を移転
石坂弘紀弥生の株式を売却★★
石坂弘紀LDHに商号変更
石坂弘紀現預金が連結総資産の約7割に到達★★
石坂弘紀フジ・メディアHDと和解★★
石坂弘紀資本金を1億円に減資
石坂弘紀本店を移転
石坂弘紀ライブドアとエイシスの株式を譲渡★★
出典・参考
  • ライブドア 有価証券報告書 第10期(2005年9月期)【株式等の状況】
  • ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
  • 証券アナリストジャーナル 2000年5月号(2000年4月11日・東京)
  • 日経ビジネス 2004年9月6日号
  • 証券 52(6)(615)(1999年9月期・単体)

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