1961年〜 大阪有線放送から「借金800億円継承」までの父子経営
- 1961年 大阪有線放送社として個人創業
- 1994年 電柱の無断共架をやめ、事前許可と共架料支払いへ切り替えた正常化 全国に敷いた同軸ケーブルを、法令に従った設備へ置き換えるまでの6年
- 2000年 有線ブロードネットワークスに商号変更・本社移転
- 2001年 光ファイバー・ブロードバンドサービスを東京都の一部地域で開始
- 2001年 大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場に株式を上場
- 2006年 アルメックスを株式交換により完全子会社化
- 2007年 テレビ向け動画配信サービスの提供開始
違法電柱工事から始めた有線放送事業と1985年逮捕の代償
大阪有線放送社の創業は、宇野元忠氏が飲食店で目にした非効率の着想に発する[1]。店内の音楽が終わるたびに横のホステスが席を立ってレコードを替える様子から、レコード操作を一カ所で集中代行すれば効率的だと考えたのが事業の発端で、1961年6月に大阪市で個人事業として2チャンネル方式の有線音楽放送を開始した。[2]場所を取り客層に合わない曲が流れがちなジュークボックスや、店に押しかける流しの弾き語りを断る口実としても有線放送は飲食店に歓迎され[3]、加入軒数は開業から1か月で100軒、半年で300軒、1年で500軒を超えた。1964年の法人化時点で3000軒、1966年には1万軒に達し、発足当初は加入者の9割超を飲食店が占めた。[4]新譜を最も早く広範囲に流せる有線放送は「新人歌手のテスト市場」として機能し、森進一・千昌夫・青江美奈ら有線がきっかけで売れた歌手を相次いで生んだ。[5]
- USEN-NEXT HOLDINGS 有価証券報告書【沿革】
- [1]創業者は宇野元忠氏(後のUSEN初代社長)
- [2]1961年6月 宇野元忠氏が大阪有線放送社を個人創業(2チャンネル方式の有線音楽放送を開始)
- あさひ銀総合研究所 編『ユニーク企業の経営哲学 第2巻』栄光出版社(1994年3月)
- [3]創業の着想(飲食店で音楽終了のたびホステスがレコードを替える非効率→集中代行が効率的)/ジュークボックス・流し対策としての導入
- [4]初期加入軒数(開業1か月100軒→半年300軒→1年500軒→1964法人化3000軒→1966年1万軒)・発足当初は飲食店が9割超
- [5]有線放送が「新人歌手のテスト市場」として機能(森進一・千昌夫・青江美奈ら有線発のヒット歌手)
宇野元忠氏の事業拡大は「先手必勝」を旨とし、やがて伸びると見込んだ都市へ先行投資的に放送所を置く戦略で全国網を築いた。人口30万以下の都市への進出は無駄と言われたが、同氏は人口が1万あれば十分と考え、スケールメリットを重視して放送所を量産し、1か月で10か所を開設したことも離れ島に敷設したこともあった。[6]東京では当初、環状線の内側にしか有線放送がなく、1970年代後半に春日部・所沢へ放送所を置いて周辺を固めたうえで、1977年に中央部への本格進出を開始し、1983年7月に渋谷へ東京本部を開設した[7]。大半の業者が有線を飲食店相手の商売とみなすなか、同社は水商売以外へ市場を広げるべく学卒採用と人材育成を進めた。この先行投資型の全国敷設は電柱に無断でケーブルを張る無断使用工法と表裏一体で、許認可を取らない工事は1977年衆議院逓信委員会で問題視され、郵政省の告発を経て1985年8月20日に有線ラジオ法違反で宇野元忠社長ほか幹部が逮捕された。[8][9]総延長2万4000kmの道路不法占用、240万本の電柱無断使用が明るみに出て、年換算で道路使用料5億円・電柱使用料15億円の未払[10]いが認定された。事業の急成長は、先行投資型の全国網構築と、法令違反の対価として獲得した競争優位の上に立っていた。
- あさひ銀総合研究所 編『ユニーク企業の経営哲学 第2巻』栄光出版社(1994年3月)
- [6]「先手必勝」・先行投資型の全国網構築(人口1万でも放送所・1か月10か所・離れ島にも敷設)
- [7]東京進出(環状線内側のみ→1970年代後半 春日部・所沢→1977年 中央部本格進出→1983年7月 渋谷に東京本部)※昭和52年=1977・昭和58年=1983に換算
- USEN社史
- [8]1985年8月20日 有線ラジオ法違反で宇野元忠社長ほか幹部が逮捕
- 1977年衆議院逓信委員会議事録
- [9]許認可を取らない工事が1977年衆議院逓信委員会で問題視(旧本文の『電気通信事業法上の許認可』は当時の規律=有線放送業務関連法・道路占用/電柱使用に照らし不正確なため『許認可を取らない工事』へ修正)
- [10]逮捕時に道路総延長2万4000km不法占用・電柱240万本無断使用、年換算で道路使用料5億円・電柱使用料15億円の未払い
1994年に同社は関係正常化宣言を出し、ケーブル新設時には電力会社・NTTから事前許可を取る方針へ転換した。2000年4月には過去の電柱使用料の遡及清算が完了し、郵政省へ有線放送ラジオ事業者として届出を受理された。[11]法令違反期の40年間で築いた店舗顧客網と全国敷設インフラは、許認可下の正規事業者として再出発した時点でも商業有線放送の国内シェア最大の位置を残した。同社の顧客基盤は飲食店・サービス業の店舗オーナーで、月額契約を続けるリピート顧客が経営の安定収入源となり、後年のUSEN-NEXT HOLDINGSが「830万事業者の顧客接点」と呼ぶグループ営業資産の出発点になった。
- USEN沿革(公式IR)
- [11]1994年 関係正常化宣言、2000年4月 電柱使用料の遡及清算完了・郵政省へ有線放送ラジオ事業者として届出受理
2000年4月、創業社名の大阪有線放送社[12]から「株式会社有線ブロードネットワークス」に商号変更し、本社を東京都千代田区永田町に移した。2001年3月には東京都世田谷区・渋谷区の一部地域で光ファイバー・ブロードバンドサービスを開始、同年4月に大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場へ上場した[13]。BGM配信を主軸にしてきた事業会社が光ファイバーのラストワンマイル事業へ進出し、家庭向けISPサービスを直接運営する事業者へ転じた。創業者の宇野元忠氏が1998年7月に病で急逝し、長男の宇野康秀氏が同月[14]に大阪有線放送の代表取締役へ就任した。この経営承継の時点で同社が抱えた有利子負債は約800億円で、35[15]歳の宇野康秀氏は父の急逝に伴う「800億円の遺産」を背負ってトップに就いた。
- USEN-NEXT HOLDINGS 有価証券報告書【沿革】
- [12]2000年4月 大阪有線放送社から㈱有線ブロードネットワークスへ商号変更・本社を東京都千代田区永田町へ移転
- [13]2001年4月 大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場へ上場(本文は光BBサービス開始を2001年3月とする)
- [14]1998年7月 創業者・宇野元忠氏が病で急逝、長男・宇野康秀氏が同月に大阪有線放送の代表取締役へ就任
- [15]経営承継時点の有利子負債は約800億円、就任時35歳
- USEN-NEXT HOLDINGS 有価証券報告書【沿革】
- [1]創業者は宇野元忠氏(後のUSEN初代社長)
- [2]1961年6月 宇野元忠氏が大阪有線放送社を個人創業(2チャンネル方式の有線音楽放送を開始)
- [12]2000年4月 大阪有線放送社から㈱有線ブロードネットワークスへ商号変更・本社を東京都千代田区永田町へ移転
- [13]2001年4月 大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場へ上場(本文は光BBサービス開始を2001年3月とする)
- あさひ銀総合研究所 編『ユニーク企業の経営哲学 第2巻』栄光出版社(1994年3月)
- [3]創業の着想(飲食店で音楽終了のたびホステスがレコードを替える非効率→集中代行が効率的)/ジュークボックス・流し対策としての導入
- [4]初期加入軒数(開業1か月100軒→半年300軒→1年500軒→1964法人化3000軒→1966年1万軒)・発足当初は飲食店が9割超
- [5]有線放送が「新人歌手のテスト市場」として機能(森進一・千昌夫・青江美奈ら有線発のヒット歌手)
- [6]「先手必勝」・先行投資型の全国網構築(人口1万でも放送所・1か月10か所・離れ島にも敷設)
- [7]東京進出(環状線内側のみ→1970年代後半 春日部・所沢→1977年 中央部本格進出→1983年7月 渋谷に東京本部)※昭和52年=1977・昭和58年=1983に換算
- USEN社史
- [8]1985年8月20日 有線ラジオ法違反で宇野元忠社長ほか幹部が逮捕
- 1977年衆議院逓信委員会議事録
- [9]許認可を取らない工事が1977年衆議院逓信委員会で問題視(旧本文の『電気通信事業法上の許認可』は当時の規律=有線放送業務関連法・道路占用/電柱使用に照らし不正確なため『許認可を取らない工事』へ修正)
- [10]逮捕時に道路総延長2万4000km不法占用・電柱240万本無断使用、年換算で道路使用料5億円・電柱使用料15億円の未払い
- USEN沿革(公式IR)
- [11]1994年 関係正常化宣言、2000年4月 電柱使用料の遡及清算完了・郵政省へ有線放送ラジオ事業者として届出受理
- [14]1998年7月 創業者・宇野元忠氏が病で急逝、長男・宇野康秀氏が同月に大阪有線放送の代表取締役へ就任
- [15]経営承継時点の有利子負債は約800億円、就任時35歳
800億円負債と動画配信先行投資の失敗
宇野康秀氏は1988年4月にリクルートコスモス(現コスモスイニシア)へ新卒入社し、[16]1989年6月にリクルート出身の鎌田和彦氏・島田亨氏らと人材派遣業の「インテリジェンス」(現パーソルキャリア)を設立、代表取締役社長を務めた。[17]1998年7月の父・宇野元忠氏の急逝で大阪有線放送の代表取締役へ就任したが、当初は父の会社を継ぐ気はなかった。インテリジェンスの社長を辞めて大阪有線放送のトップへ転じ、2000年の社名変更(有線ブロードネットワークス)、2001年の上場、2005年の無料動画配信サービス「GyaO」開始へとブロードバンド企業への転換を進めた。[18]BGM放送会社のままでは固定電話の置き換えで顧客接点が痩せ細るとの見立てが、ブロードバンドへの先行投資の動機だった。
- [16]宇野康秀氏は1988年4月リクルートコスモス(現コスモスイニシア)入社
- USEN-NEXT HOLDINGS 有価証券報告書【沿革】
- [17]1989年6月 鎌田和彦氏・島田亨氏らと人材派遣業インテリジェンス(現パーソルキャリア)を設立
- [18]2005年 無料動画配信サービス『GyaO』開始へ転換を進めた
2005年4月の「GyaO」開始は[19]、PCで視聴する広告モデル無料動画配信としては国内初期の事例で、2007年2月にはセットトップボックス「GyaO Plus」、同年6月にはテレビ向け有料動画配信サービス「GyaO Next」(現U-NEXT)を提供した。2004年12月にギャガ・コミュニケーションズ(現ギャガ)を子会社化、2008年9月にはインテリジェンスを株式交換で完全子会社化し、[20]人材派遣・映画配給・動画配信・有線放送を束ねるコングロマリットを志向した。だが2008年9月のリーマン・ショックで子会社株式の評価損が積み上がり、2009年8月期に連結純損失595億円を計上、月商も2008年8〜9月の80億円から2009年1月には30〜40億円へ半減した。[21]ブロードバンド・動画配信への先行投資は需要を取りに行く前にショックの直撃を受けて減損対象に転じた。
- USEN-NEXT HOLDINGS 有価証券報告書【沿革】
- [19]2005年4月 GyaO開始、2007年2月 GyaO Plus、2007年6月 GyaO Next(現U-NEXT)提供
- [20]2004年12月 ギャガ・コミュニケーションズ(現ギャガ)子会社化、2008年9月 インテリジェンスを株式交換で完全子会社化
- [21]2009年8月期 連結純損失595億円、月商は2008年8〜9月の80億円→2009年1月に30〜40億円へ半減
2009年2月、㈱USENの完全子会社である㈱ユーズマーケティングから新設分割でU'sブロードコミュニケーションズ(現U-NEXT HOLDINGS)を設立し[22]、家庭向け光ファイバー販売代理店事業を分離した。2010年7月に商号を㈱U-NEXTへ変更、同年12[23]月にはUSENから会社分割(略式吸収分割および簡易吸収分割)でテレビ向け有料映像配信サービス「U-NEXT」と個人向け光回線販売代理店事業を承継した。同時期、宇野康秀氏はUSENの代表取締役社長を退任し、U-NEXT代表取締役に転じた。父子で築いた800億円負債の処理は子会社売却と事業の切り分けで進められ、有線放送本体(USEN)と動画配信新会社(U-NEXT)は同じオーナーが率いる別法人として並走する体制になった。リーマン・ショックがブロードバンド一体経営を遮断した結果だった。
- USEN-NEXT HOLDINGS 有価証券報告書【沿革】
- [22]2009年2月 ㈱ユーズマーケティングから新設分割でU'sブロードコミュニケーションズ(現U-NEXT HOLDINGS)設立
- [23]2010年7月 商号を㈱U-NEXTへ変更、2010年12月 USENから会社分割でU-NEXT事業・個人向け光回線販売代理店事業を承継
- [16]宇野康秀氏は1988年4月リクルートコスモス(現コスモスイニシア)入社
- [21]2009年8月期 連結純損失595億円、月商は2008年8〜9月の80億円→2009年1月に30〜40億円へ半減
- USEN-NEXT HOLDINGS 有価証券報告書【沿革】
- [17]1989年6月 鎌田和彦氏・島田亨氏らと人材派遣業インテリジェンス(現パーソルキャリア)を設立
- [18]2005年 無料動画配信サービス『GyaO』開始へ転換を進めた
- [19]2005年4月 GyaO開始、2007年2月 GyaO Plus、2007年6月 GyaO Next(現U-NEXT)提供
- [20]2004年12月 ギャガ・コミュニケーションズ(現ギャガ)子会社化、2008年9月 インテリジェンスを株式交換で完全子会社化
- [22]2009年2月 ㈱ユーズマーケティングから新設分割でU'sブロードコミュニケーションズ(現U-NEXT HOLDINGS)設立
- [23]2010年7月 商号を㈱U-NEXTへ変更、2010年12月 USENから会社分割でU-NEXT事業・個人向け光回線販売代理店事業を承継
「誰も買わなかったU-NEXT」を残した連続子会社売却の決断
2009〜2010年の経営再建で、USENは銀行団から事業売却による有利子負債圧縮を強く求められた。2010年6月にインテリジェンスを米KKRに約325億円で売却し[24]、これでUSEN連結売上高の約3割を占めていた人材事業を手放した。インテリジェンスはUSEN連結ベースで売上利益貢献の柱だったが、有線放送との事業関連性が薄く、人材市場の低迷期で売却対価を確保できる時期に手放す判断が下された。同年に映画配給のギャガも投資ファンドへ売却し、宇野康秀氏は「事業売却に身を切られる思い」(NewsPicks)と述べる縮退局面に直面した。約1100億円の累積損失を圧縮するための事業切り売りで[25]、コングロマリット解体は同社の選択肢ではなく前提条件だった。
- 日本経済新聞(2010年6月18日)
- [24]2010年6月 インテリジェンスを米KKRへ約325億円で売却
- [25]約1100億円の累積損失を圧縮するための事業切り売り
連続売却の過程で、宇野康秀氏が手元に残す資産として選んだのが、当時連結純損失を計上していたU-NEXTの動画配信事業だった。本人は後年、買い手がつかず手元に残った唯一の事業がU-NEXTだったと振り返っており、ブロードバンド動画配信は2010年時点で広告モデル無料配信(GyaOブランド)の失敗が露呈し、競合のYahoo!(GyaO!ブランドを2009年に取得)にも追われる位置にあった。[26]U-NEXTを残した判断は短期的な事業価値ではなく、家庭向け定額制動画配信が10年単位で立ち上がる市場との見立てに基づいた。2010年12月にUSENから会社分割で「U-NEXT」事業を承継したU-NEXTは、[27]再出発時点で売上154億円・経常損失11億円(FY12、2012年12月期)の小規模事業者でしかなく、47歳の宇野康秀氏が「3度目の挑戦」と呼ぶ再起のための起点になった。
- [26]Yahoo!が2009年にGyaOブランドを取得(GyaO!)
- USEN-NEXT HOLDINGS 有価証券報告書【沿革】
- [27]2010年12月 USENから会社分割で『U-NEXT』事業を承継
2012年5月にPC向けU-NEXTサービスを開始[28]、同年8月にスマートフォン・タブレット向け配信を提供し、家庭の固定端末から個人端末まで配信デバイスを拡張した。2014年12月に東京証券取引所マザーズ市場へ株式を上場し、資本金を17億7634万円に増資、2015年12月には東証一部[29]へ市場変更した。FY15(2015年12月期)の連結売上高は339.6億円・営業利益10.0億円で、ようやく黒字化を確保した。借金800億円から連続子会社売却を経て、コングロマリット型からBtoC定額配信ビジネスへの一点集中で同社は事業の自己再定義へ向かった。リーマン・ショックでの1100億円損失と、2009〜2010年の事業売却の苦渋は、後年の経営統合(USENとU-NEXT)の前提条件として記憶された。
- USEN-NEXT HOLDINGS 有価証券報告書【沿革】
- [28]2012年5月 PC向けU-NEXT開始、2012年8月 スマホ・タブレット向け配信提供
- [29]2014年12月 東証マザーズ上場・資本金を17億7634万円に増資、2015年12月 東証一部へ市場変更
- 日本経済新聞(2010年6月18日)
- [24]2010年6月 インテリジェンスを米KKRへ約325億円で売却
- [25]約1100億円の累積損失を圧縮するための事業切り売り
- [26]Yahoo!が2009年にGyaOブランドを取得(GyaO!)
- USEN-NEXT HOLDINGS 有価証券報告書【沿革】
- [27]2010年12月 USENから会社分割で『U-NEXT』事業を承継
- [28]2012年5月 PC向けU-NEXT開始、2012年8月 スマホ・タブレット向け配信提供
- [29]2014年12月 東証マザーズ上場・資本金を17億7634万円に増資、2015年12月 東証一部へ市場変更