ライブドア破綻した無料プロバイダーからの営業譲受と、ライブドアへの社名変更
受託制作の会社は、なぜ買った相手の名を自社の看板に選んだのか
- 概要
- 2002年11月、株式会社オン・ザ・エッヂが、経営に行き詰まった無料インターネット接続業者・株式会社ライブドアの営業全部を譲り受けた判断。2003年4月にエッジ株式会社、2004年2月に株式会社ライブドアへと二度社名を変え、買った相手の名を自社の看板に据えた。
- 背景
- オン・ザ・エッヂは1996年に設立された受託制作の会社で、自社の製品も課金する会員も持たなかった。譲渡元のライブドアは1999年に無料接続サービスを始め、2001年11月に会員100万人を超えていたが、常時接続とブロードバンドの普及が事業の前提を崩していた。
- 内容
- 会社ごとの買収ではなく営業の譲受という形をとり、会員と接続サービス、そしてライブドアという名称を引き受けた。以後、集客をポータルサイトに置く事業構成へ移り、社名も二度にわたって変更した。
- 含意
- 連結売上高は2003年9月期の108億円から2005年9月期の784億円へ伸びたが、ポータル事業そのものは一度も黒字化していない。2010年5月、分離された株式会社ライブドアの株式は譲渡された。
名前だけが会社より長く残った
買ったのは会員100万人と、ライブドアという名であった。受託制作から抜け出すためにオン・ザ・エッヂに足りなかったものは技術ではなく、自社の名で人を集める力である。前刀禎明会長が無料というだけでは利用者は選ばないと語った会社を、行き詰まった後に引き取り、その名を自社に付け替えた。創業以来の社名を1年3か月のうちに二度替えた身軽さは、この会社の強みであり、同時に輪郭の薄さでもあったとみることができる。
ただ、名が集めた人数は、そのまま利益にはならなかった。ポータル事業は一度も黒字化せず、稼いだのは金融部門である。2007年に分離され、2010年に手放された株式会社ライブドアは、譲り受けた側の法人から離れて別の資本のもとへ移った。会員基盤を買って社名まで替えた会社が消え、買われた側の名が残る——事業の譲受で本当に引き継がれたのは名であったといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
受託制作という出自の限界
オン・ザ・エッヂは1996年4月、ホームページの制作・運営・管理を目的として東京都港区に設立された有限会社であった。他社のサイトを請け負って作る会社であり、自社の製品も課金する会員も持たない。2000年4月のマザーズ上場で55億円を調達したものの、1999年9月期の売上高は7か月の変則決算で2億円、営業利益は1000万円にとどまっていた[1][2]。
上場後は買収で規模を広げた。2001年12月から2002年9月にかけてパイナップルサーバーサービス、アットサーバー、スプートニクを株式交換で完全子会社化し、アスキーイーシーからは営業の全部を譲り受けている。ただし買った先はいずれもウェブ制作やサーバー運用で、受託の延長にあった。自社の名で人を集める事業には、まだ届いていない[3]。
会員100万人を抱えた無料プロバイダー
譲渡元となる株式会社ライブドアは、無料インターネット接続業者として1999年に事業を始めた会社である。完全無料でありながら見た目の良さを売りにし、2000年12月時点で会員70万人と無料プロバイダーの首位を走った。前刀禎明会長は、無料というだけでは利用者は選ばず、コンソールバーなどの使えば分かる便利さが支持されたと語っている[4]。
2001年11月には会員が100万人を超え、セオドール・ミラー社長は2002年早々の単月黒字化を見込むと述べていた。目標はオンラインメディアで首位に立つことに置かれ、米国のベンチャーキャピタルが株主として控えている。しかし常時接続とブロードバンドの普及がダイヤルアップ接続の前提を崩し、同社は経営に行き詰まった[5]。
決断
事業ではなく会員と名前を引き受ける
2002年11月、オン・ザ・エッヂは日本最大の無料プロバイダーを運営していた株式会社ライブドアの営業全部を譲り受けた。会社ごと買うのではなく営業の譲受という形をとったことで、引き受けたのは会員と接続サービス、そしてライブドアという名称であった。破綻に至った会社の負債や資本関係を抱え込まずに、事業の中身だけを取り出している[6][7]。
買い手にとっての意味は、受託制作では手に入らなかったものを一度に得た点にある。100万人規模の会員は広告を売る土台になり、集客を数える基礎になった。堀江貴文社長は後年、3年以内にインターネットがテレビを抜くという前提で集客力1位のポータルを持つことが重要だと語っており、その考えを実行に移す最初の材料がここで揃った[8]。
創業以来の社名を二度捨てる
2003年4月、株式会社オン・ザ・エッヂはエッジ株式会社へ社名を変更し、本店を品川区へ移した。創業以来の社名を短くした最初の変更である。さらに2004年2月、エッジ株式会社から株式会社ライブドアへ社名を変更し、本店を新宿区歌舞伎町へ移す。譲り受けてから1年3か月で、買った相手の名を自社の名に据えた[9]。
社名の変更は表示だけの問題にとどまらない。無料プロバイダーとして100万人が使っていた名は、広告主にも利用者にも通りがよい。一方でオン・ザ・エッヂという名は、受託制作の会社として業界に知られていたにすぎなかった。集客をポータルサイトに賭ける以上、すでに知られている名のほうが役に立つという判断であったとみられる[10]。
結果
名前が集めた人数と、稼いだ部門のずれ
名前と会員を得たのち、連結売上高は2003年9月期の108億円から2004年9月期に309億円、2005年9月期に784億円へ伸びた。ただし伸びの中身は買収と金融事業であり、ポータル事業そのものではない。2005年9月期のポータルサイトlivedoorの黒字は3億円にとどまり、連結営業利益127億円に対して金融部門が146億円を稼いでいる[11][12]。
ポータル事業は結局、黒字化したことがなかった。事件の前でも月間の広告収入は1億円をやっと超える程度で、事件の後は一時ピークの10分の1まで落ち込む。2007年4月には持株会社へ移行し、メディア事業とネットワーク事業を新設の株式会社ライブドアへ分離した。2010年5月にはその株式が譲渡され、譲り受けた事業は買い手の法人から離れた[13][14]。
- ライブドア 有価証券報告書 第10期(2005年9月期)【主要な経営指標等の推移】
- ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
- LDH 有価証券報告書 第16期(2011年3月期)【沿革】
- 週刊東洋経済 2000年12月2日号「プロバイダ ライブドアが描くナンバーワン戦略」
- 週刊東洋経済 2001年11月17日号「ライブドアVSゼロ “無料ISP”はどこへ行くのか?」
- 週刊東洋経済 2004年10月16日号「明日の成長企業を探そう! 楽天vsライブドア——結局彼らは何で儲けてる?」
- 週刊東洋経済 2006年2月4日号「ライブドア 徹底解明 第1部 堀江式錬金術の全手口」
- 週刊東洋経済 2007年1月27日号「強制捜査から1年 進むライブドア“現金化”」