1998年3月、藤田晋氏は人材会社インテリジェンスを退職し[1]、東京都港区にサイバーエージェントを設立した[2]。新卒時代のネット媒体営業の経験を武器に、まずはWebMoneyの営業代行契約を締結[3]し、自社プロダクトを持たない販売特化型で事業を開始する。同年7月にはクリック保証型広告『サイバークリック』の販売を始め[4]、営業代行企業からインターネット広告会社への転換を果たした。実際にバナーやテキストがクリックされた回数で課金する仕組みで、2000回保証で14〜18万円という価格設定で中小企業を中心に顧客を獲得した。この価格帯は当時の広告商品として参入しやすく、24歳の創業者が率いる新興企業にとって顧客基盤を広げる足がかりとなる[5]。藤田氏は創業の原動力を、一人の熱狂から全ての創造が始まるという信念[6]に置いている。
システム開発はオン・ザ・エッヂへ委託し、2期(1998年10月〜1999年9月)には全社売上高4.52億円に対して0.78億円の外注費を支払った。広告商品の開発を外部に預けつつ、自社は営業網の構築に経営資源を集中する分業が、創業期の同社の成長を支えた構造である[7]。
2000年3月、サイバーエージェントは東証マザーズに上場した[8]。上場後ほどなく時価総額は一時3900億円に達する[9]。上場で調達した207億円[10]の使途として投資育成事業を選択し、ネット関連ベンチャー企業への投資を拡大したが、ITバブル崩壊で投資先の企業価値は落ち込んだ。創業からわずか2年での上場[11]と、その直後の市場急変という経験が、以後の投資判断と財務運営に影響を与える。207億円という調達規模は創業期の企業として異例であり、使途の選択が事業の方向性を規定する重い判断となった。本業の広告代理での黒字を投資育成事業の評価損が食い潰す構図に、若い経営陣は数年かけて答えを出すことを迫られた[12]。
赤字が続くなか、2001年には村上ファンドが株主提案を行い[13]、藤田晋社長の経営に対する外部からの圧力が強まった。2003年には『終身雇用宣言』を発表[14]し、人材の定着と組織の安定を図る判断を下す。2004年9月には保有する投資有価証券の売却を通じて黒字転換を達成[15]し、投資育成事業を正式な事業セグメントとして開始した。上場からの4年間は、バブル期の資金調達と崩壊後の事業整理が同時に進行した期間であり、外部株主との対峙と内部の組織基盤づくりが並行して進む。創業者による経営の独立性を守る姿勢[16]と、人材を軸に組織を束ねる方針が、同社の経営スタイルとして形作られた。
2004年9月期4Q時点のサイバーエージェント連結役職員は799名[17]となり、メディア584名・広告代理178名・経営本部37名で構成された。職種別では営業24.0%・制作23.8%・運営23.5%が中心となり、現場3職種で全体の71%を占めた[18]。管理職9.6%・管理8.7%、技術職は7.2%、その他3.1%[19]にとどまり、広告代理の販売拠点として営業組織を厚く配置する人員構成である。一方で FY2004 の連結営業利益は17.26億円となり、FY2000 の▲16.36億円から4年で黒字転換した。投資育成事業の評価損で沈んだ本業が、広告代理の販売拡大と組織整理を経て収益基調へ戻った段階となる[20]。
2004年5月、新規事業の採算管理を可視化する CAJJ(CyberAgent Jigyo&Jinzai)プログラムを導入した[21]。新規事業を子会社・カンパニーに分け、3ヶ月平均粗利益を基準に J3(新規)/J2(先行投資)/J1(中核)の3階層で管理する設計である[22]。撤退基準を社外に開示する点が特徴で、J2 は赤字下限▲3000万円/6ヶ月・粗利益500万円/月で J3 降格、J1 は赤字下限▲6000万円/6ヶ月・粗利益1500万円/月で J2 降格[23]となる。2004年9月期4Q の J1 事業合計は売上86.45億円・営業利益10.49億円[24]、新規事業等合計は売上1.72億円・営業利益▲1.71億円[25]となり、中核と先行投資の収益差が定量化された。撤退基準を IR で公開する運営設計は、その後の大量子会社経営の原型となる[26]。
メディア事業の広告関連売上は 02/7-9 の10.49億円から 04/7-9 の22.29億円へ2年で倍増[27]した。内訳ではモバイル(携帯)広告が356→736百万円(+107%)、アフィリエイト(成果報酬型)が217→738百万円(+240%)と伸びた一方、PC(WEB)広告は90→75百万円[28]で停滞し、PC 表示型が頭打ちとなりモバイル向けと成果報酬型が成長を牽引する媒体構成へ変わった。2004年9月にはブログサービス Ameba(アメーバブログ)を開始し、山川健一・片岡義男ら著名作家へ執筆枠を提供[29]してコンテンツを外部の書き手で補った。月間 PV は 2005-10 の291百万から 2009-01 見込みで6,973百万へ約24倍となり、うちモバイルが3,332百万 PV と全体の48%[30]を占めた。
2005年7月にアメーバ事業本部を新設[31]し、ブログサービスを中心とするメディア事業に参入した。2006年にはエンジニア採用を開始[32]して技術組織の構築に着手し、2009年にはアメーバピグの提供を始める[33]。広告代理事業で培った収益基盤のもとでメディア事業の赤字を許容する運営が続いたが、2010年6月にAmeba事業が黒字転換[34]し、広告に依存しない収益源の構築に一定の成果を示した。販売特化型の創業期から、自社メディアを抱える事業会社へと組織の性格が変わった時期である[35]。エンジニア採用の本格化は、広告代理の営業組織を中心とする体制からの重い転換点[36]となった。
2011年5月、藤田晋社長はスマホシフトを宣言[37]し、PC向けサービスの開発リソースをスマートフォン向けに集中的に再配分する決断を下した。業界に先駆けたモバイル対応であり、2013年にはスマートフォン向けプロモーションを実施[38]して利用者の移行を加速させる。PC時代に積み上げた資産を手放してでもモバイルに賭ける判断[39]は当時のネット企業のなかでも早い部類であり、以後のゲーム事業の拡大を可能にする前提となる。
2014年9月、Ameba事業の構造改革が実施された[40]。収益性の低いサービスを中止し、担当従業員数を1600名から800名へ半減[41]させる踏み込みである。PC時代に構築されたサービス群をスマホ時代の事業構造に適合させるための選択と集中で、この判断はスマホシフト宣言の帰結となった。宣言から3年で組織規模そのものを半分にする決断[42]となり、社内に抱える人員を絞り込む方針が示された。人員削減のうち多くは社内のゲーム事業やアドテク部門への配置転換で吸収され[43]、外部への離職に振り向けないことで組織の知見を温存した。
スマホシフトに伴いゲーム事業が拡大する[44]。スマートフォン向けゲームの開発・運営が新たな収益源となり、広告事業に次ぐ規模の事業セグメントへ成長した[45]。2004年に開始した投資育成事業[46]も、スマホ関連ベンチャー企業への投資を通じて事業シナジーを生み出す。広告一本足から広告・ゲーム・メディアの三領域への事業構造の転換[47]が、この時期に形作られた。グループ内のゲーム子会社制[48]は開発スタジオの独立性を保ちつつ広告とプラットフォームの知見を共有する仕組みで、後続のヒット作を生む運営基盤となった。
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|---|---|---|---|---|
| 1998〜2004年創業とネット広告の確立と事業基盤の拡充 | 藤田晋 | サイバーエージェントを設立 | ★ | |
| 藤田晋 | サイバークリックの販売開始 | ★ | ||
| 藤田晋 | ITバブル頂点での東証マザーズ上場と株価暴落 2000年3月、創業からわずか2年のサイバーエージェントがITバブルの頂点で東証マザーズに上場し、207億円を調達した経営判断。しかし直後のバブル崩壊で株価は暴落し、若い経営陣は資本市場の洗礼を受けた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 藤田晋 | 村上ファンドの接近と買収防衛 2001年、株価暴落で時価総額が保有現金を下回ったサイバーエージェントに村上ファンドが接近し、上場で調達した225億円の株主還元と会社の清算を迫った経営危機。藤田晋社長は楽天・三木谷浩史氏の出資を得て、独立を守り抜いた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 藤田晋 | 「終身雇用」の方針と離職率低減への人事改革 2003年、離職率が約30%に達していたサイバーエージェントが、藤田晋社長のもとで『長く働く人を奨励する会社』への方針転換に踏み切った経営判断。ベンチャーには異例の『終身雇用』を掲げ、人事機能の強化と福利厚生の整備で人材定着を図った。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 藤田晋 | CAJJプログラムを導入 | ★ | ||
| 藤田晋 | 黒字転換 | ★ | ||
| 藤田晋 | 投資育成事業に参入 | ★ | ||
| 藤田晋 | アメーバブログの立ち上げとメディア事業への参入 2004年、サイバーエージェントがブログサービス『Ameba(アメーバブログ)』を立ち上げ、広告代理からメディア保有へと事業の性格を変えた経営判断。翌2005年には藤田晋社長が自ら事業本部を率い、赤字を許容しながらメディアを育てた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 2005〜2014年メディア・ゲームへの事業拡張と事業基盤の拡充 | 藤田晋 | アメーバ事業本部を新設 | ★★ | |
| 藤田晋 | エンジニア採用の本格化と技術の内製化 2006年、急成長するアメーバのトラフィックを支えるため、サイバーエージェントがエンジニア採用を本格化し、技術の内製化に踏み切った経営判断。営業を中心とする組織から、自ら技術基盤をつくる事業会社への転換点となった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 藤田晋 | アメーバピグの提供を開始 | ★ | ||
| 藤田晋 | Ameba事業が黒字転換 | ★ | ||
| 藤田晋 | スマホシフトを宣言 | ★★ | ||
| 藤田晋 | サイバーエージェントFXの株式売却 | ★★ | ||
| 藤田晋 | スマホ向け大規模プロモーションを実施 | ★ | ||
| 藤田晋 | Ameba事業の構造改革を実施 | ★★ | ||
| 2015〜2026年AbemaTV投資とポートフォリオ経営 | 藤田晋 | AbemaTVを設立 | ★★ | |
| 藤田晋 | FC町田ゼルビアの子会社化とスポーツ事業への参入 2018年、サイバーエージェントがJリーグのFC町田ゼルビアを運営する㈱ゼルビアの株式を取得し子会社化した経営判断。取得額11.48億円で議決権の80%を握り、Jリーグクラブ経営という本業と直接つながらない領域へ参入した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 藤田晋 | WinTicketを設立 | ★ | ||
| 藤田晋 | Abema Towersに本社移転 | ★ | ||
| 藤田晋 | 社長選任賛成率57.56%を機とするコーポレートガバナンス改革 2019年12月の株主総会で藤田晋社長の取締役選任賛成率が57.56%に急落したことを機に、サイバーエージェントが取締役会の独立性を高めるガバナンス改革へ踏み切った経営判断。任意の指名・報酬諮問委員会の設置と社外取締役の増員が柱となった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 藤田晋 | 最高益を達成 | ★ | ||
| 藤田晋 | ABEMAによるサッカーW杯全64試合の無料生中継 2022年、サイバーエージェントとテレビ朝日が共同運営する『ABEMA』が、FIFAワールドカップ カタール2022の全64試合を日本で初めて無料生中継すると決めた経営判断。放映権料は非公表ながらABEMA史上最大規模の投資であり、赤字を続けるメディア事業をさらに賭けにさらす選択だった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 藤田晋 | AbemaTVへの投資を継続 | ★ | ||
| 藤田晋 | サクセッションプランの公表と創業者からの世代交代 創業者への依存から脱するため、好調のさなかに後継者育成と社長交代の時期をみずから公表した事業承継の判断 詳細を読む | ★★★ | ||
| 藤田晋 | 企業買収を積極化 | ★ | ||
| 藤田晋 | 業績予想を下方修正 | ★ |
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事実根拠:出所(サイバーエージェント)