双日ニチメンと日商岩井の株式移転による共同持株会社の設立と、2660億円の優先株発行

統合の規模を決めたのは事業の重なりか、取引行から集められる金額の限度か——根拠が説明されなかった2000億円の「のりしろ」

時期 2002年12月
意思決定者(推定) 西村英俊(日商岩井社長)・半林亨 ニチメン社長
論点 過剰債務2社の統合と資本増強
概要
2002年12月11日、日商岩井とニチメンが共同持株会社方式による経営統合の方針を発表し、2003年4月に株式移転でニチメン・日商岩井ホールディングスを設立した経営判断。2003年5月には取引金融機関6社と米国の投資銀行リーマン・ブラザーズに対し総額2660億円の優先株を発行し、2004年4月に傘下2社が合併して双日が発足した。
背景
両社はともに旧三和系で、メインバンクは2002年に三和と東海の合併で生まれたUFJ銀行であった。過剰債務とされる下位商社はいずれもUFJのメイン先で、金融庁の特別検査を控えたUFJは、引き当て強化の負担を避けるために融資先の再編を急いだ。統合を動かしたのは事業の重なりではなく、両社のメインバンクの都合であった。
内容
統合は2年かけて双方の不良資産を整理してから完全合併へ進む段取りで、連結で人員4000人と子会社130社を減らし、800億円のコストを削る計画であった。その割増退職金や整理損に充てるバッファーとして2000億円規模の資本増強が用意されたが、金額の根拠は記者会見で問われても示されなかった。
含意
優先株は債務株式化ではなく取引行にとってのニューマネーであったため、注入直後の追加処理には誰も踏み込まなかった。2004年10月の3600億円の追加発行で残高は6160億円に達し、最後の一本が転換される2024年まで、双日は膨大な潜在株式と買い入れ消却の負担を抱えた。
筆者の見解

統合の規模を決めたのは、何であったか

説明されなかった2000億円の根拠は、後から数字を並べれば見当がつく。削るコスト800億円の内訳が人員4000人と子会社130社であるなら、割増退職金や整理損を積み上げれば必要額は示せたはずである。ところが実際の引き受け要請額はUFJ銀行1000億円、みずほコーポレート銀行600億円というように、各行の融資残高に応じた割り当てであった。翌春の発行額も2660億円へ膨らんだ。統合の規模を決めたのは事業の重なりではなく、取引行から集められる金額の限度であったとみられる。

もっとも、その設計が双日を延命させたことも確かである。2660億円が債務株式化ではなくニューマネーであったからこそ、取引行は注入直後の追加処理へ踏み込めず、「含み損は顕在化させなければいい」という言葉のもとで事業は回り続けた。代償として残ったのが、2024年まで転換が続く6160億円の優先株と、買い入れ消却に取られるキャッシュフローであった。「強いられた結婚」と呼ばれた統合は、2社を当座の破綻から遠ざける代わりに、20年ぶんの負担を後の経営へ回したとみることができる。

Yutaka Sugiura, 2026年8月

背景

過剰債務の商社2社と、追い詰められたメインバンク

2002年12月11日、日商岩井とニチメンは共同持株会社方式による経営統合の方針を発表した。両社はともに旧三和系で、メインバンクは同年に三和と東海の合併で生まれたUFJ銀行であった。カンパニー制を取っている点も共通で、建材、化学品、情報産業などの分野では以前から事業統合を重ね、2001年夏には基幹システムの共同開発にも入っていた。両社の距離は年を追って狭まっていたが、「結婚」にはなかなか至らなかった[1][2]

銀行の側には、発表よりも前から具体的な青写真があった。三和銀行は2001年春の段階で、両社を合併させれば固定費を450億円削減できるとはじいていた。時価会計の導入はニチメンをも追い込んだ。ニチメンは2001年3月期に211億円の最終赤字を出して無配へ転落し、自己資本を大きく毀損したことで過剰債務企業と見なされた。こうして銀行は、両社の統合による抜本的なリストラを模索し始めた[3][4]

「弱弱連合」を避けたい当事者と、待てない銀行

統合発表の10カ月前の2002年2月、日商岩井の安武史郎社長は本誌の取材に、2年半ほど前にニチメンとの合併のシミュレーションを行ったことがあると明かした。提携の利点が明らかな合成樹脂や建材ではすでに事業統合が実現しており、残るのは本体だけであった。それでも、今のまま一緒になっても「弱弱連合」といわれてプラスはなく、お互いもう少し強くならないと、というのが本音であった[5]

両社が強くなるまで待つ余裕は、銀行の側になかった。過剰債務とされる下位商社はいずれもUFJのメイン先で、旧東海系のトーメンは豊田通商との統合を交渉中であった。ダイエーと大京の救済策が出たあと、残る最大の懸案が日商岩井であった。日商岩井を産業再生機構へ送れば、メインバンクのUFJは大幅な引き当て増を強いられる。そこまで踏み込む余力はなく、金融庁の特別検査を控えて引き当て強化の負担を避けたいUFJは、統合と資本増強で乗り切る道を選んだ[6][7][8]

決断

合併ではなく、共同持株会社から入る

両社が選んだのは、いきなりの合併ではなかった。2003年4月をめどに株式移転で持株会社を設立して新規上場を申請し、日商岩井とニチメンはその完全子会社となる。その先の完全合併も視野にはあったが、まず2年かけてそれぞれが抱える不良資産を整理してから、という段取りであった。両社本体の事業と子会社の再編・統合は、2004年3月末までに終える計画とした[9]

発表の時点で、株式移転比率も持株会社の社名も首脳人事も白紙のままであった。両社は翌1月下旬までに固める意向を示したが、急ごしらえであることは明白であった。会見では、ニチメンの半林亨社長が日商岩井の西村英俊社長をリードする応答が目立った。連結売上高で2兆円と5兆4000億円の開きがありながら、統合の本質がニチメンによる日商岩井の救済であることを、この会見は報道陣に印象づけた[10][11]

2000億円という「のりしろ」の根拠

統合によるコスト削減800億円の内訳は、連結ベースの人員4000人と子会社130社の削減であった。人員と子会社をこれだけ減らす以上、希望退職の割増退職金や事業整理損は避けられない。そのバッファーとして用意されたのが2000億円の資本増強であった。ところが、なぜ2000億円なのかを記者会見で問われた両社の首脳は、明確に説明しなかった[12][13]

クレジットアナリストからは、トーメンが2100億円の債務免除を受けたのちに再び資本不足へ陥った例を引いて、「のりしろ」が2000億円で足りるとは思えないという疑問が出た。2003年2月時点の優先株の引き受け要請額はUFJ銀行が1000億円、みずほコーポレート銀行600億円、東京三菱銀行450億円と続き、各行の融資残高に対応した額であった。実質的には債務株式化だとやゆする声も上がった[14][15]

結果

ニューマネーと、顕在化させない含み損

2003年5月、持株会社は取引金融機関6社と米国の投資銀行リーマン・ブラザーズに対し、総額2660億円の優先株を発行した。当時の普通株の時価総額は500億円程度で、それと比べれば過大なファイナンスであった。この優先株は債務株式化ではなく、取引行にとってのニューマネーであった。メインバンクのUFJの負担額は1500億円にとどまった[16][17]

注入から1年足らずで投融資を毀損させる追加処理を、準メイン以下の取引行が受け入れるはずもなかった。ある主要取引行の幹部は「含み損は顕在化させなければいい」と言い放った。ゼネコンが持つ不動産と異なり、商社の含み損は大半が事業撤退によってしか表に出ない。いくら低採算でも資金が入れば事業は回るという理屈のもとで、取引行のあいだには追加処理に踏み込まない奇妙な同盟関係ができた[18][19]

初年度の達成と、債務者区分の引き下げ

2004年4月、持株会社傘下の2社は合併して双日となった。3カ年計画の数値目標は初年度で達成された。2004年3月期の連結売上高は5兆8617億円、経常利益は485億円で、最終損益は75億円の赤字であった。ところが翌5月、UFJ銀行は双日の債務者区分を要注意先から要管理先へ引き下げた。双日が同期中に計2812億円の資本増強を行い、株主資本を504億円から3162億円へ拡大させた直後のことであった[20][21]

引き下げの背景には、UFJが9月までに大口先の不良債権を1兆3000億円削減すると表明していたことがあった。最有力の手段は双日を産業再生機構へ持ち込むことであった。だが決算直後に送って債務超過と認定されれば監査法人の責任問題に直結し、再生機構の支援に伴う減資には、前年の優先株増資に応じた金融機関が強く反対する。自己資本比率が8%台前半のUFJに単独で支える体力はもはやなく、双日はたなざらしになりかねなかった[22][23]

6160億円まで積み上がった優先株

メインバンクのUFJ銀行が東京三菱銀行に合併されるに至って、双日はもう一段の不良資産処理を迫られた。自己資本不足を避けるため2004年10月に3600億円の優先株を発行し、2003年5月発行分と合わせて残高は6160億円に達した。いずれも事実上の債務株式化であった。優先株は期限が来れば普通株へ転換されるため、最後の一本が転換される2024年まで、双日は膨大な潜在株式を抱えた[24][25]

2005年3月期の連結決算は当期純損失4124億円となり、同盟関係のもとで先送りされてきた処理はここで一度に表へ出た。2005年10月、双日は持株会社と事業会社を一本化し、2年半で二重の体制を解いた。優先株の買い入れ消却へキャッシュフローを割けば、前向きな投資はその分だけ減る。商社が好況にわいた2005年でも、双日の営業現場にはつらい日々が続いた[26][27]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2002年12月21日号「[News&Forecast/飛耳長目]総合商社再編 日商岩井・ニチメン統合 強いられた結婚の内実」
  • 週刊東洋経済 2003年2月15日号「[News&Forecast/時々刻々]増資交渉 日商岩井・ニチメンの増資策めぐる攻防の深刻」
  • 週刊東洋経済 2004年4月10日号「[ビジネスリポート:02]ニチメン・日商岩井 ザ・商社「双日」誕生 統合2年目の検証」
  • 週刊東洋経済 2004年7月3日号「[The Headline/ニュース最前線]追い込まれるUFJ借り手企業 双日「たなざらし」の悲哀 今になって「再生機構送り」観測が流布」
  • 週刊東洋経済 2005年12月10日号「[特集]商社パワー 完全復活! Column 双日を今後20年にわたって呪縛する「優先株」の重圧」
  • 双日ホールディングス 有価証券報告書(2004年3月期・連結)
  • 双日 有価証券報告書(2005年3月期)

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