丸紅の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

損失の処理を先送りし、そのたびに外から期限を切られてきた。1976年、航空機の売り込みでロッキード事件の舞台となり、経営陣は訴追と退任に追い込まれる。1987年に就任した春名和雄社長は、売上至上・国内商売の弱さ・タテワリ組織という総合商社化の負の側面を自ら名指しした。1992年10月には鳥海巌社長が財テクの後始末として子会社の清算と統合に着手したが、含み損の抜本処理は先送りされ、1998年以降の不良資産問題として戻ってきた。株価が100円台まで沈んだ2002年、勝俣宣夫社長が不良資産を抜本処理して財務を立て直した。2020年3月期には市況急落とコロナ禍のもとでチリ銅と石油ガスの権益を一括減損し、18年ぶり・過去最大の最終赤字を受け入れた。

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