- 創業
- 丸紅の源流は1858年に初代伊藤忠兵衛氏が大阪で始めた麻布の持下り商いにある。1918年に伊藤忠商事と丸紅商店へ分かれ、戦前の丸紅商店は伊藤家が率いた。1949年の大建産業分割で丸紅株式会社が発足してからは、初代社長の市川忍氏以降13代、創業家出身の社長は一人も出ていない。
- 登用
- 直近20年の社長5人は全員が新卒入社の生え抜きで、社外から招いた例はない。ただし出身部門は紙パルプ・経理財務・石油・電力・次世代事業と毎回替わる。2025年就任の大本晶之氏は常務執行役員からの登用で、副社長か専務から昇る戦後の順序を初めて外れた。
- 任期
- 10年を超えたのは初代の市川忍氏の14年と、総合商社化を進めた檜山廣氏の11年だけである。檜山氏は会長へ退いた翌1976年にロッキード事件で逮捕・起訴され、懲役2年6月の実刑判決が1995年に確定した。以後は誰も10年に届かず、直近3代は國分文也氏・柿木真澄氏がともに6年、大本晶之氏が2025年4月からである。
- 含意
- 社長を退いた者は会長として取締役会に残るのが通例で、いまの議長も前社長の柿木真澄氏である。2026年6月に指名委員会等設置会社へ移り取締役15名中10名が社外になったが、社長候補を審議する指名委員会には社長本人が委員として入る。次の名を最初に挙げるのは今も現職であろう。
1949〜1962年・14年/生え抜き
1963〜1973年・11年/生え抜き
1974〜1979年・6年/外部出身
1980〜1981年・2年/生え抜き
1982〜1985年・4年/生え抜き
1986〜1991年・6年/生え抜き
1992〜1997年・6年/生え抜き
1998〜2001年・4年/生え抜き
2002〜2006年・5年/生え抜き
2007〜2011年・5年/生え抜き
2012〜2017年・6年/生え抜き
2018〜2023年・6年/生え抜き
大本晶之現任
2024年〜現在・3年/生え抜き
大本晶之
おおもと まさゆき
生え抜き(1992年入社)。マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て2007年に再入社し、次世代事業開発本部長・CDIOを経て2025年4月に社長へ
柿木真澄
かきのき ますみ
生え抜き(1980年入社)。電力畑一筋で中東の大規模火力発電を開拓し、丸紅米国会社社長CEO・電力・プラントグループCEOを経て2019年4月に社長へ
國分文也
こくぶ ふみや
生え抜き(1975年入社)。石油・エネルギー畑一筋で、中国副総代表・丸紅米国会社社長CEOを経て2013年4月に社長へ
朝田照男
あさだ てるお
生え抜き(1972年入社)。経理・財務畑を歩み、総務・経理・財務担当役員を経て2008年4月に社長へ
勝俣宣夫
かつまた のぶお
生え抜き(1966年に丸紅飯田へ入社)。印刷用紙部長・紙パルプ本部長と紙パルプ畑を歩み、常務・専務を経て2003年4月に社長へ
辻亨
つじ とおる
生え抜き(1961年入社)。紙パルプ畑一筋で紙パルプ木材本部長を務め、常務・専務を経て1999年4月に社長へ
鳥海巌
とりうみ いわお
生え抜き(1956年に丸紅飯田へ入社)。窯業炭素部長、丸紅米国会社社長、専務・副社長を経て、前任社長の急病により1992年8月に社長へ
龍野富雄
たつの とみお
副社長として関係会社の体質改善と赤字整理を担い、1987年6月に社長へ。1992年4月にくも膜下出血で倒れ、同年8月に退任した
春名和雄
はるな かずお
生え抜き(1940年に大同貿易へ入社)。1949年に丸紅へ転籍し、欧州支配人兼ロンドン支店長、取締役・常務・専務・副社長を経て1983年4月に社長へ
池田松次郎
いけだ まつじろう
生え抜き(1936年に大同貿易へ入社)。1949年の組織変更で丸紅へ転籍し、取締役・常務・専務・副社長を経て1981年6月に社長へ
松尾泰一郎
まつお たいいちろう
外部出身(1960年に通商産業省から丸紅飯田へ入社)。通産省通商局長を務めた官僚出身で、常務・専務・副社長を経て1975年5月に社長へ
檜山廣
ひやま ひろ
生え抜き(1932年に大同貿易へ入社)。1952年に丸紅飯田取締役、常務・専務・副社長を経て1964年5月に社長へ
市川忍
いちかわ しのぶ
生え抜き(1919年に伊藤忠商事へ入社)。丸紅商店の貿易部長・上海支店長、三興専務を経て、1949年12月の丸紅株式会社(大建産業の第二会社)発足時に初代社長へ