財テクの後始末と「素顔の美しい会社」──鳥海巌の初期リストラ
1992年実施バブルが残した特金・ファントラの含み損を前に、鳥海巌社長はなぜ子会社の清算・統合から手をつけ、抜本処理はなぜ先送りされたのか
- 概要
- 1992年6月、前社長・竜野高雄の急病で登板した鳥海巌社長は、「素顔の美しい会社」を掲げてバブル期の財テク(特金・ファントラ)の後始末とリストラに着手した。10月から営業部門630社の子会社見直しを命じ、原油ディーリング2社の清算、エネルギー・食品6社の統合、丸紅テキスタイルの清算などを進めた。
- 背景
- バブル期に商社は本業外の特金・ファンドトラストへ資金を投じ、崩壊後に巨額の含み損を抱えた。上位5商社の残高は1兆7020億円・含み損3640億円にのぼり、9月中間期の5社合計税引き前利益791億円は2年分以上が吹き飛ぶ計算だった。体力・収益力で劣る丸紅の減益率は上位商社で最も大きかった。
- 内容
- 鳥海は連結での利益体質を重んじ、営業部門の630子会社の見直しと統廃合計画を指示した。累損会社を清算し、利益会社と欠損会社を組み合わせて節税も図った。原油ディーリングのMIPCO2社(整理損約30億円)を清算し、丸紅エネルギーと丸石興産、丸紅食料とヒノマル日水など6社を統合、丸紅リースは80億円増資で含み損を薄めた。
- 含意
- 鳥海は「悪い時ははっきり決算に出せ」と先送り体質を戒めたが、初期リストラは子会社の清算・統合にとどまり、財テクと不動産の含み損、不良資産の核心には届かなかった。処理の遅れは1998年決算で他社との差として再び表に出て、勝俣宣夫社長のもとでの2002年の立て直しまで持ち越された。
診断と処置のあいだ
この判断の核心は、鳥海が丸紅の弱点を正しく言い当てた点にある。悪い決算を先送りで取り繕う体質を戒め、含み損を表に出して危機感を共有せよという診断は、的を射ていた。だが実際に切り込めたのは、投資効率の低い子会社の清算と、利益会社と欠損会社を組み合わせる統合という、着手しやすい範囲にとどまった。体力と収益力で上位他社に劣る丸紅は、含み損を一度に損として出す思い切った処理には踏み込めず、痛みの大きい核心を後回しにした。診断が鋭くても、それに耐える体力がなければ処置は追いつかない。
バブルが生んだ含み損を、一度に清算せず小出しに先送りする——これは丸紅一社の話ではなく、損失の確定を先延ばしにした「失われた10年」の日本企業に通じる姿だった。1992年に鳥海が始めた初期リストラから、遅れが他社との差として表に出た1998年、不良資産を本格的に処理した2002年まで、丸紅は同じ問題に10年をかけた。損を出す覚悟と、それに耐える体力を同時にそろえられるか。危機の入り口で問われるこの二つを欠けば、鋭い診断も空手形に終わる。1992年の後始末は、その順序の重さを静かに示している。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
バブルが残した特金・ファントラの含み損
バブル期、商社は本業の商取引とは別に、特定金銭信託(特金)とファンドトラスト(ファントラ)へ資金を投じ、株式運用で利ざやを稼いだ。その財テクは相場の崩落で巨額の含み損に変わる。1992年末の日経ビジネスによれば、残高のほとんどない三井物産を除く上位5商社の特金・ファントラ残高は計1兆7020億円、含み損は3640億円にのぼり、金融子会社まで含めると残高2兆円・含み損4500億円と言われた。9月中間期の5社合計の税引き前利益791億円は、2年分以上が吹き飛ぶ計算だった[1]。
なぜ商社はここまで運用にのめり込んだのか。ある商社の会長は、自らゴーサインを出した経緯をこう明かした。「社長時代に特金・ファントラによる運用稟議が上がってきた。正直言って心配だったが、財務部隊はノーリスクなのでやるべきだという。それでも心配なので他部門の役員も含めた財務委員会という組織を作って検討させたが、そこの結論もノーリスクだというのでゴーサインを出した。私がどうしてもダメだと言っていたら、こんなひどいことにはならなかっただろう」。損はないという社内の合意が、後始末の重荷を各社に残した[2]。
決断
鳥海巌の登板と「素顔の美しい会社」
1992年4月、社長の竜野高雄がくも膜下出血で倒れ、春名和雄会長が社長代行に回った。竜野の復帰の見通しが立たないなか、同年6月、副社長だった鳥海巌が急きょ社長に就いた。一橋大学を出て丸紅飯田に入り、米国会社の社長などを歴任した生え抜きである。鳥海は「素顔の美しい会社にしよう」を合言葉に掲げ、「時代の流れ以上のスピードでリストラを進めなければ生き残れない」と社内へ危機感を促した[3]。
鳥海が説いたのは、悪い決算を先送りで取り繕うなという戒めでもあった。丸紅にはかつて、ロッキード事件のあと不良資産とコスト増に苦しみながら、償却を先送りして無理に利益を出し、他社より回復が遅れた経験がある。それを繰り返すまいと、鳥海は「悪い時にははっきり決算に出して社員に危機感を持ってもらい、実態を良くするために努力しなければならない」と述べた。含み損を隠さず表に出すという宣言だった[4]。
子会社の清算・統合という具体策
鳥海は連結での利益体質を重んじ、就任後の1992年10月から、営業部門に630社ある子会社の見直しと統廃合計画づくりを命じた。手つかずだった子会社整理に、本社主導で切り込む号令である。中間期にはアパレルの丸紅テキスタイルを清算し、続いて原油ディーリングの丸紅インターナショナル・ペトロリウム(MIPCO)の米英2社を年度内に清算した。1988〜89年に実需を伴わない原油のサヤ取りのため設けた2社は、91年以降の原油安でサヤが取れなくなり、清算に約30億円の整理損が伴った[5][6]。
清算だけでなく、似た事業を束ねる統合にも動いた。石油製品販売の丸紅エネルギーとガソリンスタンド保有の丸石興産を4月1日付で合併し、赤字の丸石興産を黒字の丸紅エネルギーへ吸収して管理部門を絞った。食品では丸紅食料と日本水産との合弁ヒノマル日水を、ハムでは大宮ハムとユニオンハムを、それぞれ一つにまとめた。利益の出る会社と欠損会社を組み合わせ、投資効率を高めつつ、欠損の付け替えで納税額を抑える狙いも重ねた。財テクの含み損を抱えた丸紅リースには、80億円の額面増資で含み損を薄める手当てをした[7][8]。
結果
初期リストラが届かなかった含み損
リストラの号令とは裏腹に、丸紅の収益の落ち込みは上位商社で際立った。得意のマンション開発の低迷も重なり、1992年9月中間期の営業総利益は前年同期比12.3%減、営業利益は55.2%減と、上位商社で最も大きな減益率だった。税引き前利益126億円も、固定資産・有価証券の売却益116億円を除けば実質わずか10億円にとどまった。体力と収益力で三菱商事に劣る丸紅は、株式を現引きして一気に損を出すような思い切った処理ができず、含み損は長く経営の重荷になりそうだと日経ビジネスは見立てた[9]。
通期の数字はさらに厳しかった。連結の当期純利益は、前期の112億円から1993年3月期には11億円へ落ち込んだ。子会社の清算・統合に伴う整理損が損益を押し下げ、鳥海が掲げた含み損を表に出す経営は動き出した。だが、初期のリストラが切り込めたのは投資効率の低い子会社までで、財テクと不動産にたまった含み損、不良資産の核心には届かなかった。処理の遅れは1998年3月期決算で他社との差として再び表に出て、勝俣宣夫社長のもとでの2002年の立て直しへ持ち越された[10]。
- 日経ビジネス 1992年10月19日号「鳥海巌氏[丸紅]登場『素顔の美しい会社』へリストラ推進」(日経BP)
- 日経ビジネス 1992年12月14日号「財テクの後始末で商社間格差拡大 落ち込み目立つ伊藤忠・丸紅」(日経BP)
- 日経ビジネス 1993年2月22日号「子会社の清算・統合に乗り出した丸紅」(日経BP)
- 会社年鑑(丸紅 連結決算)