この創業が示すのは、特定の起業家が一つの会社を設立した出来事というより、近江商人の家業から出た屋号"紅"の系譜が、時代の変化と外圧のたびに商いの形を分けられ、統合し直されてきた経緯である。1858年の麻布行商と1872年の"紅忠"に遡る家業は、1921年の系統別分割で伊藤忠商事と丸紅商店に分かれ、1941年の三興・1944年の大建産業でいったんひとつに統合され、1949年の分割で再び同じ形に分けられた。分離と統合を往復する家業の系譜のなかに、丸紅の輪郭が置かれていたとみられる。
もう一つ見えてくるのは、二度の分割で丸紅が綿を伊藤忠へ譲り、絹・毛・麻・化繊を受け持った条件の意味である。綿は当時の繊維商材で最も収益性が高く、綿を持たない再出発は不利にも見えたが、1952年の綿価暴落では綿を主力とする商社ほど深く傷ついた。最も稼げる商材を持たなかったことが、市況の急変では損失を相対的に軽くする向きに働いたと読める。個人の才覚の物語としてよりも、家業の分岐と分割条件が事業の性格を決めた創業として跡づけられる。