住友商事 の歴史

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創業 1945年
創業者 古田俊之助
創業地 大阪府大阪市
創業
1919年12月、資本金3,500万円の大阪北港として設立され、大阪北港地帯の埋め立て・整地・港湾修築にあたった。1944年11月に住友ビルデイングを合併して住友土地工務へ改称し、翌12月には長谷部竹腰建築事務所の営業を譲り受けて総合不動産会社となった。住友財閥は1920年に総理事の鈴木馬左也氏が商社設立禁止を宣言して以来、25年にわたり商社を持たなかった。1945年11月、古田俊之助総理事が25年続いた商社設立禁止を撤回し、社名を日本建設産業へ改めて商事会社として再発足させた。1949年8月に大阪・東京両証券取引所へ上場し、1952年6月に住友商事へ改称している。禁令を自ら解いて生まれた商社であり、他の財閥系より四半世紀出遅れていた。
決断
投資しなかった年数が、そのまま損失を吸収する自己資本になった。1981年1月、植村光雄社長は財務基盤に見合う範囲へ投融資を限り、回収に10年以上かかる案件は原則として手がけないと明示した。三菱商事のブルネイLNGにも、三井物産が撤退できないまま十数年を投じたイランの石油化学にも参画せず、利益剰余金を積み増した。1988年1月には総合事業会社構想を掲げ、事業会社へ資本を入れて価値を高める方向へ主力を移している。1996年6月、非鉄金属部長の浜中泰男氏の簿外取引が表面化し損失の公表と当局への全面協力を最優先し、1997年3月期に銅地金関連損2,852億円を計上した。15年かけて積んだ自己資本がこの一件を吸収し、住友商事は債務超過を免れた。
現況
資源で稼ぐ商社ではない。2026年3月期の売上高は7兆3,372億円、親会社の所有者に帰属する当期純利益は6,003億円である。営業9グループのセグメント利益合計5,668億円のうち、エネルギートランスフォーメーションが1,024億円、輸送機・建機が889億円、都市総合開発が815億円で、資源は823億円と4番目にとどまる。2005年10月にリスク回避路線を転換して資源投資へ参入し、マダガスカルのアンバトビーへ出資比率47.7%で参画したが、建設費は72億ドルへ膨らみ、2015年3月期に資源全般で3,103億円を減損した。2026年5月には保有株式を全て売却して撤退し、利益は自ら運営する事業へ寄った。
競合
争ってきたのは権益の大きさではなく、事業の経営権である。1995年に共同で設立し15年育てたジュピターテレコムへKDDIが筆頭株主として入ると、2010年2月にTOBでJ:COMの筆頭株主を確保し、高いプレミアムを付けたTOBで議決権を上積みした。資源では選び方が違い、三菱商事が1969年にシェルと対等の権益でブルネイLNGへ参画したのに対し、住友商事は参画しなかった。2026年3月期の当期純利益6,003億円は、伊藤忠商事9,003億円・三井物産8,340億円・三菱商事8,004億円に次ぐ4位で、丸紅5,439億円を上回る。2024年5月にエリオットが株式を取得したのを受け中期経営計画2026で株主還元を強化し、ROE12%以上を約束した。権益ではなく経営権を取ってきた結果、利益は市況の年ではなく個々の事業の稼働で決まる。

創業ストーリー 商社を持たない財閥が不動産会社から商社を興すまで (1945年〜)

25年の禁令を解いた復員社員の受け皿づくり

住友財閥は1920年、総理事の鈴木馬左也氏が商社設立禁止を宣言[1]し、以後25年にわたり商社事業への参入を自ら封じた。三井が三井物産を、三菱が三菱商事を擁して総合商社機能を確立する[2]なかで、住友は商社を持たない財閥として事業を営んだ。のちに住友商事となる法人の母体も商社ではなく、1919年12月に大阪北港地帯の埋立と港湾修築を目的として設立された資本金3,500万円の大阪北港株式会社[3]である。同社は1927年に住友合資の系列下へ入り[4]、1944年11月に住友ビルディングを合併して社名を住友土地工務へ改め[5]、翌12月には長谷部竹腰建築事務所の営業を譲り受けて、不動産経営と土木建築の設計監理を営む総合不動産会社[6]となった。

  • 住友商事社史
    • [1]1920年 総理事 鈴木馬左也 商社設立禁止を宣言
    • [2]三井は三井物産・三菱は三菱商事を擁するなか住友は商社を持たない財閥
    • [4]1927年 住友合資の系列下へ編入
  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [3]1919年12月 大阪北港株式会社 設立/資本金3,500万円・大阪北港地帯の埋立と港湾修築
    • [5]1944年11月 住友ビルディングを合併し住友土地工務へ改称
    • [6]1944年12月 長谷部竹腰建築事務所の営業を譲受し総合不動産会社となる

1945年8月の終戦で軍需が消滅し、復員した社員の受け皿確保が急務となったため、古田俊之助総理事が禁令の撤回を決断した[7]。同年11月、住友土地工務は社名を日本建設産業へ改め[8]、住友連系各社をはじめ各業界の大手生産会社の製品を扱う商事会社として新発足した。定款の事業目的には土木建築用資材その他各種製品の販売を加えている[9]。社長を兼務していた住友本社常務理事の北澤敬二郎氏が辞任し、後任には竹腰健造専務が就いた[10]。商事部門を主宰する人選では、住友本社の経理部と人事部が全職員から3人の候補を挙げ、住友金属工業取締役伸銅所副所長の田路舜哉氏に決まった[11]。田路氏は12月11日に常務取締役へ就任し、3週間後の1946年1月1日付で営業部を開設[12]できるよう組織と人事を整えた。

  • 住友商事社史
    • [7]古田俊之助総理事 商社設立禁令の撤回を決断
  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1945年11月 日本建設産業へ改称し商事会社として新発足
  • 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「商事部門の開設準備」
    • [9]定款の事業目的に土木建築用資材その他各種製品の販売を追加
    • [10]北澤敬二郎の社長辞任と竹腰健造専務の社長就任
    • [11]商事部門の主宰者を全住友職員の3候補から選定/住友金属工業取締役伸銅所副所長 田路舜哉に決定
    • [12]1945年12月11日 田路舜哉が常務取締役就任/1946年1月1日 営業部開設

本店は大阪[13]に置いた。1945年末の在籍人員は270名だったが、1948年末までに住友本社と連系各社から復員・引揚者を含む350名が転入し、合計720名[14]となった。転入者の内訳は住友本社159人、住友金属工業106人、住友電気工業32人[15]が上位を占めた。営業部が最初に手がけたのは、爆撃で埋没した住友金属工業伸銅所のアルミニウム板やジュラルミン板、枕崎台風の高潮で水没した住友電気工業の電線類[16]を掘り出し、洗浄と手直しを施して売る仕事だった。1947年1月に公職追放令が財界へ及ぶと、戦時中に常務取締役以上だった竹腰健造社長ら3名が該当し、3月27日の取締役会で田路氏が第2代社長[17]に選ばれた。

  • 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「商事部門の開設準備」
    • [13]本店は大阪に設置
  • 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「商社活動の開始」
    • [14]1945年末の在籍270名/1948年末までに転入350名・合計720名
    • [15]転入者内訳 住友本社159人・住友金属工業106人・住友電気工業32人
    • [16]営業部の初仕事は被爆・水没した金属材と電線類の回収と再販
  • 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「社長交替と事業活動の展開」
    • [17]1947年1月 公職追放令の財界拡大/同年3月27日 田路舜哉が第2代社長に就任
  • 住友商事社史
    • [1]1920年 総理事 鈴木馬左也 商社設立禁止を宣言
    • [2]三井は三井物産・三菱は三菱商事を擁するなか住友は商社を持たない財閥
    • [4]1927年 住友合資の系列下へ編入
    • [7]古田俊之助総理事 商社設立禁令の撤回を決断
  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [3]1919年12月 大阪北港株式会社 設立/資本金3,500万円・大阪北港地帯の埋立と港湾修築
    • [5]1944年11月 住友ビルディングを合併し住友土地工務へ改称
    • [6]1944年12月 長谷部竹腰建築事務所の営業を譲受し総合不動産会社となる
    • [8]1945年11月 日本建設産業へ改称し商事会社として新発足
  • 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「商事部門の開設準備」
    • [9]定款の事業目的に土木建築用資材その他各種製品の販売を追加
    • [10]北澤敬二郎の社長辞任と竹腰健造専務の社長就任
    • [11]商事部門の主宰者を全住友職員の3候補から選定/住友金属工業取締役伸銅所副所長 田路舜哉に決定
    • [12]1945年12月11日 田路舜哉が常務取締役就任/1946年1月1日 営業部開設
    • [13]本店は大阪に設置
  • 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「商社活動の開始」
    • [14]1945年末の在籍270名/1948年末までに転入350名・合計720名
    • [15]転入者内訳 住友本社159人・住友金属工業106人・住友電気工業32人
    • [16]営業部の初仕事は被爆・水没した金属材と電線類の回収と再販
  • 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「社長交替と事業活動の展開」
    • [17]1947年1月 公職追放令の財界拡大/同年3月27日 田路舜哉が第2代社長に就任

上場と改称を経て固まった金ヘン商社の形

1949年8月、日本建設産業の名のまま大阪・東京の両証券取引所[18]へ株式を上場した。1950年7月には土木建築の設計監理部門を日建設計工務として独立させ[19]、不動産会社としての出自を切り離している。1952年3月に米国へNikken New York Inc.を設立[20]して海外拠点を置き、同年6月には社名を住友商事へ改め[21]た。住友金属工業や住友金属鉱山などグループ各社の販売機能を担う役割から取扱品目は鉄鋼と非鉄金属に傾き、業界では『金ヘン商社』と呼ばれた[22]田路舜哉氏は1932年から6年間、住友上海洋行の支配人を務めており、発足時の役員のなかで唯一の商事経験者[23]だった。

  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1949年8月 大阪・東京両証券取引所へ上場
    • [19]1950年7月 土木建築の設計監理部門を日建設計工務として独立
    • [20]1952年3月 米国にNikken New York Inc.を設立
    • [21]1952年6月 社名を住友商事へ変更
  • 住友商事社史
    • [22]グループ各社の販売機能を担い鉄鋼・非鉄に傾斜/「金ヘン商社」の呼称
  • 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「社長交替と事業活動の展開」
    • [23]田路舜哉 1932年から6年間 住友上海洋行支配人/役員中で唯一の商事経験者

1962年12月には大阪・東京の営業部門を一体として商品本部制を導入し、鉄鋼・非鉄金属・電機・機械・農水産・化成品・繊維・物資燃料・不動産の9本部[24]を設置した。資本金は1956年12月の10億円から1967年6月の105億円まで積み増され[25]、1967年度の事業構成は金属52%、機械17%、物資燃料12%、化学品9%、食品8%、不動産その他2%[26]となった。繊維部門の強化やサミットストアなど消費部門への進出にも乗り出し、同年度の取扱高は約7,900億円に達した。東京神田の住友商事ビルは3年で手狭になるほど取扱規模が膨らんだ[27]。1970年8月には相互貿易を合併[28]している。

  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [24]1962年12月 商品本部制を導入し9本部(鉄鋼・非鉄金属・電機・機械・農水産・化成品・繊維・物資燃料・不動産)を設置
    • [28]1970年8月 相互貿易を合併
  • 読売新聞(1967年2月8日)
    • [25]資本金 1956年12月10億円→1967年6月105億円
    • [26]1967年度事業構成 金属52%・機械17%・物資燃料12%・化学品9%・食品8%・不動産その他2%
    • [27]1967年度取扱高 約7,900億円/東京神田の住友商事ビルが3年で手狭に
  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [18]1949年8月 大阪・東京両証券取引所へ上場
    • [19]1950年7月 土木建築の設計監理部門を日建設計工務として独立
    • [20]1952年3月 米国にNikken New York Inc.を設立
    • [21]1952年6月 社名を住友商事へ変更
    • [24]1962年12月 商品本部制を導入し9本部(鉄鋼・非鉄金属・電機・機械・農水産・化成品・繊維・物資燃料・不動産)を設置
    • [28]1970年8月 相互貿易を合併
  • 住友商事社史
    • [22]グループ各社の販売機能を担い鉄鋼・非鉄に傾斜/「金ヘン商社」の呼称
  • 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「社長交替と事業活動の展開」
    • [23]田路舜哉 1932年から6年間 住友上海洋行支配人/役員中で唯一の商事経験者
  • 読売新聞(1967年2月8日)
    • [25]資本金 1956年12月10億円→1967年6月105億円
    • [26]1967年度事業構成 金属52%・機械17%・物資燃料12%・化学品9%・食品8%・不動産その他2%
    • [27]1967年度取扱高 約7,900億円/東京神田の住友商事ビルが3年で手狭に

10年以上の長期案件を原則として避けた経営

1979年6月に営業部門制を導入し、商品本部を鉄鋼・機電・非鉄化燃・生活物資の4営業部門[29]へ束ねた。1981年の社長就任にあたり、植村光雄氏は派手な大型案件を狙う必要はなく、10年以上の長期プロジェクトには手を出さないことを原則にすると明言した[30]。三菱商事がブルネイLNGへ、三井物産がのちに巨額損失を招くイランIJPCへそれぞれ資金を投じるなかで、住友商事は海外の大型プロジェクトへの参画を見送り[31]続けた。この方針は業績に表れ、1981年3月期は売上高を27.0%伸ばして業界4位の丸紅に迫り、経常利益率0.38%で業界1位[32]に立っている。

  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [29]1979年6月 営業部門制を導入し4営業部門(鉄鋼・機電・非鉄化燃・生活物資)へ再編
  • 住友商事社史
    • [30]1981年 植村光雄社長 10年以上の長期プロジェクトには手を出さない方針を表明
  • 日経ビジネス 1981年11月16日号
    • [31]三菱商事はブルネイLNG・三井物産はイランIJPCへ投資するなか大型案件を見送り
    • [32]1981年3月期 売上高27.0%増/経常利益率0.38%で業界1位

社内では、三菱のブルネイの成功を見てより積極的に動くべきだったとする役員と、三井のIJPCの失敗を見て慎重な方針を支持する役員とに意見が割れていた[33]。長期案件を避ける一方で事業領域そのものは広げており、1963年にリース事業へ参入し[34]、1969年10月には大阪府に住商コンピューターサービスを設立して情報サービス事業に乗り出した[35]。1975年にはマツダ向けの北米自動車販売を開始し[36]、1976年には住友金属工業と共同でサウジアラビア向けのシームレスパイプに投資している[37]。1988年には総合事業会社構想を掲げ、従来のトレーディングに加えて事業投資を本格的に進める方針へ転じ、1991年には中期事業計画『戦略95』[38]を策定した。

  • 日経ビジネス 1981年11月16日号
    • [33]社内は積極論と慎重論に二分(三菱ブルネイLNGの成功/三井IJPCの失敗)
  • 住友商事社史
    • [34]1963年 リース事業へ参入
    • [36]1975年 マツダ向け北米自動車販売を開始
    • [38]1988年 総合事業会社構想を発表/1991年 中期事業計画「戦略95」策定
  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [35]1969年10月 大阪府に住商コンピューターサービスを設立(現SCSK)
  • 産業と経済(1976年6月)
    • [37]1976年 住友金属工業と共同でサウジアラビア向けシームレスパイプへ投資
  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [29]1979年6月 営業部門制を導入し4営業部門(鉄鋼・機電・非鉄化燃・生活物資)へ再編
    • [35]1969年10月 大阪府に住商コンピューターサービスを設立(現SCSK)
  • 住友商事社史
    • [30]1981年 植村光雄社長 10年以上の長期プロジェクトには手を出さない方針を表明
    • [34]1963年 リース事業へ参入
    • [36]1975年 マツダ向け北米自動車販売を開始
    • [38]1988年 総合事業会社構想を発表/1991年 中期事業計画「戦略95」策定
  • 日経ビジネス 1981年11月16日号
    • [31]三菱商事はブルネイLNG・三井物産はイランIJPCへ投資するなか大型案件を見送り
    • [32]1981年3月期 売上高27.0%増/経常利益率0.38%で業界1位
    • [33]社内は積極論と慎重論に二分(三菱ブルネイLNGの成功/三井IJPCの失敗)
  • 産業と経済(1976年6月)
    • [37]1976年 住友金属工業と共同でサウジアラビア向けシームレスパイプへ投資

簿外取引2,852億円の公表と当局への全面協力

1995年1月には東京都にケーブルテレビ事業の統括運営を行うジュピターテレコムを設立[39]している。翌1996年6月、非鉄金属部長だった浜中泰男氏が1987年から約10年にわたりロンドン金属取引所で簿外取引を続け[40]、巨額の損失を発生させていた事実が公表された。取引は関係取引先との個人的な関係を使ったもので、会社が承知しないまま続いていた[41]。当初1,900億円と推定された損失は調査の進展で膨らみ、1997年3月期に特別損失『銅地金取引関連損』2,852億円を一括計上して、当期純損失は1,456億円[42]となった。

  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [39]1995年1月 東京都にジュピターテレコムを設立(現JCOM)
  • 森田政夫「住友商事の巨額損失事件に係る会計監査の問題」(現代監査 No.7, 1997年4月)
    • [40]1996年6月 浜中泰男の銅簿外取引を公表/1987年から約10年間
    • [41]取引先との個人的関係を用い会社の承知しないまま継続
  • 住友商事 有価証券報告書(1997年3月期)
    • [42]当初推定1,900億円/1997年3月期 銅地金取引関連損2,852億円・当期純損失1,456億円

宮原賢次社長は損失を公表したうえで、米国の弁護士事務所を起用し、外部会計監査人の協力も得て事実の究明にあたった[43]。米商品先物取引委員会と英証券投資委員会の調査には全面的に協力し[44]、国際的な信用の維持を対応の最優先に据えている。連結自己資本比率は13.2%から10.3%へ低下したが債務超過には至らず[45]、長期案件を避けて蓄えた自己資本が損失を吸収した。同社は事業を継続し、以後は法令遵守の徹底を経営の最優先に置いた[46]。事件から20年以上を経てもなお、新入社員研修で違反の重さを語り継いで[47]いる。

  • 森田政夫「住友商事の巨額損失事件に係る会計監査の問題」(現代監査 No.7, 1997年4月)
    • [43]宮原賢次社長 米弁護士事務所の起用と外部会計監査人の協力による事実究明
    • [44]米商品先物取引委員会・英証券投資委員会の調査へ全面協力
  • 住友商事 有価証券報告書(1997年3月期)
    • [45]自己資本比率 13.2%→10.3%/債務超過には至らず
  • ニュースイッチ by 日刊工業新聞社(2019年4月4日)
    • [46]事業を継続し法令遵守の徹底を経営の最優先に
    • [47]事件から20年以上を経ても新人研修で違反の重さを語り継ぐ
  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
    • [39]1995年1月 東京都にジュピターテレコムを設立(現JCOM)
  • 森田政夫「住友商事の巨額損失事件に係る会計監査の問題」(現代監査 No.7, 1997年4月)
    • [40]1996年6月 浜中泰男の銅簿外取引を公表/1987年から約10年間
    • [41]取引先との個人的関係を用い会社の承知しないまま継続
    • [43]宮原賢次社長 米弁護士事務所の起用と外部会計監査人の協力による事実究明
    • [44]米商品先物取引委員会・英証券投資委員会の調査へ全面協力
  • 住友商事 有価証券報告書(1997年3月期)
    • [42]当初推定1,900億円/1997年3月期 銅地金取引関連損2,852億円・当期純損失1,456億円
    • [45]自己資本比率 13.2%→10.3%/債務超過には至らず
  • ニュースイッチ by 日刊工業新聞社(2019年4月4日)
    • [46]事業を継続し法令遵守の徹底を経営の最優先に
    • [47]事件から20年以上を経ても新人研修で違反の重さを語り継ぐ

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住友商事の沿革1919〜2026年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
大阪北港を設立
住友財閥が商社設立禁止を宣言★★
住友合資の系列下に移行
住友ビルディングを合併
住友土地工務に商号変更
長谷部竹腰建築事務所の営業を譲受
1945〜1972年商社を持たない財閥が不動産会社から商社を興すまで竹腰健造25年続いた商社設立禁止の撤回と、不動産会社を母体とした商事部門の開設

1945年、住友本社の古田俊之助総理事が、1920年以来25年にわたり自ら封じてきた商社設立の禁令を撤回し、不動産会社の住友土地工務に商事部門を置いた経営判断。同社は同年11月に日本建設産業へ改称し、商事会社として新発足した。

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★★★
竹腰健造日本建設産業に商号変更
竹腰健造営業部を開設
田路舜哉田路舜哉氏が社長に就任
田路舜哉在籍人員が720名に増加
田路舜哉大阪・東京の両証券取引所に上場
田路舜哉設計監理部門を日建設計工務として分離
田路舜哉Nikken New York Inc.を設立
田路舜哉住友商事に商号変更★★
津田久資本金を10億円に増資
津田久商品本部制を導入★★
津田久東西興業を設立
津田久資本金を105億円に増資
津田久住商コンピューターサービスを設立★★
柴山幸雄相互貿易を合併
柴山幸雄大阪本社・東京本社の二本社制に移行
1973〜1996年手を出さない20年と、一人の担当者が壊した信用柴山幸雄マツダ向けの自動車販売を開始
柴山幸雄住商エレクトロニクスを設立
柴山幸雄住友金属工業と共同でシームレスパイプに投資
植村光雄英文社名を SUMITOMO CORPORATION に変更
植村光雄営業部門制を導入
植村光雄10年以上の長期プロジェクトを手がけない原則の明示と、体力に見合った経営の徹底

1981年に社長へ就いた植村光雄氏が、10年以上の長期プロジェクトには手を出さないことを原則として掲げ、投融資の可否を体力の範囲で償却できるかどうかで判断する方針を明示した経営判断。三菱商事や三井物産が大型の海外開発案件を抱えるなかで、住友商事は参画を見送り続けた。

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★★★
植村光雄住商オートリースを設立
植村光雄経常利益率0.38%で業界1位★★
伊藤正住商リースが大阪証券取引所市場第二部に上場
伊藤正「総合事業会社構想」——トレーディング依存から事業投資への転換

1988年、住友商事は『総合事業会社構想』を打ち出し、手数料収入を柱とするトレーディングから、事業会社へ資本を入れて価値を高める事業投資へと主力を移す転換を宣言した経営判断。1990年に就いた秋山富一社長が構想の実行に着手し、1991年に中期事業計画『戦略95』を策定した。

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★★★
伊藤正情報サービス子会社が東京証券取引所に上場
秋山富一秋山富一氏が社長に就任
秋山富一中期事業計画「戦略95」を策定★★
宮原賢次ジュピターテレコムを設立★★
宮原賢次銅地金の不正取引(浜中事件)——損失の公表と、当局への全面協力を最優先した危機対応

1996年、住友商事が前非鉄金属部長・浜中泰男氏による銅地金の簿外取引と巨額損失を公表した一件。当初1,900億円と推定された損失は、その後の調査で約2,850億円へ拡大したが、同社は事業を続け、以後は法令遵守の徹底を経営の最優先に据えた。

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1997〜2014年トレーディングから事業投資へ主力を移した時代宮原賢次欧州住友商事会社を設立
宮原賢次銅地金取引関連損2852億円を特別損失に計上★★
宮原賢次住友商事北海道を設立
宮原賢次9事業部門28本部の体制に再編
岡素之本店を移転
岡素之住友商事東北を設立
岡素之住商オートリースを株式交換で完全子会社化
岡素之アンバトビーニッケル事業への参画を決定★★
岡素之住友商事九州を設立
加藤進ジュピターテレコム(J:COM)の争奪とTOBによる筆頭株主の確保

2010年、住友商事が国内ケーブルテレビ最大手ジュピターテレコム(J:COM)の株式を公開買付で取得し、KDDIとの争奪を制して筆頭株主の座を確保した経営判断。約1222億円を投じ、議決権比率を40%強へ高めた。

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加藤進ウジミナス鉱山の権益30%を取得
加藤進住商情報システムとCSKが統合しSCSKが発足★★
中村邦晴タイトオイル開発事業に参画
中村邦晴国内ブロック制を廃止
2015〜2026年減損3,103億円と資本効率をめぐる株主への約束中村邦晴リスク回避路線の転換と資源投資の膨張——2005年アンバトビー参画から2015年3月期の3,103億円減損まで

2005年、住友商事は『浮利を追わず』のリスク回避路線を転換し、マダガスカルのニッケル一貫事業アンバトビーに参画した。以後ブラジルの鉄鉱石、米国のタイトオイルへと資源投資を膨らませたが、2015年3月期に3,103億円の減損を計上し、16年ぶりの最終赤字に転落した投資判断。

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中村邦晴コーポレート部門のグループ制を廃止
兵頭誠之本店を移転
兵頭誠之バークシャー・ハサウェイが5%超の株式取得を公表★★
兵頭誠之5大商社で唯一の最終赤字に転落★★
兵頭誠之エネルギーイノベーション・イニシアチブを新設
兵頭誠之プライム市場に移行
兵頭誠之アンバトビー事業の減損が累計2660億円に到達
上野真吾エリオットの株式取得と中期経営計画2026での株主還元強化

2024年4月、米アクティビストのエリオット・マネジメントが住友商事株を数百億円規模で取得し、株式価値の向上策をめぐり会社と協議していることが表面化した。4日後の5月2日、就任間もない上野真吾社長は中期経営計画2026を発表し、ROE12%以上の維持、3年間で総額7,000億円以上という過去最大の株主還元、累進配当、500億円の自社株買いを打ち出した。以後2年連続で800億円の自社株買いを重ね、株価は上場来高値を更新した。

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上野真吾営業部門を戦略ビジネスユニットに再編
上野真吾中期経営計画2024-2026を公表
上野真吾自己株式を取得
上野真吾エア・リース・コーポレーションの共同買収に参画★★
上野真吾SCSKの完全子会社化を決定★★
上野真吾バークシャー・ハサウェイが保有比率10%超に到達
出典・参考
  • 住友商事 有価証券報告書(1997年3月期)
  • 住友商事 有価証券報告書【沿革】
  • 住友商事社史
  • 日経ビジネス 1981年11月16日号
  • 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「商事部門の開設準備」
  • 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「商社活動の開始」
  • 私の住友昭和史(津田久 編著/東洋経済新報社、1988年)「社長交替と事業活動の展開」
  • 読売新聞(1967年2月8日)
  • ニュースイッチ by 日刊工業新聞社(2019年4月4日)
  • 産業と経済(1976年6月)
  • 森田政夫「住友商事の巨額損失事件に係る会計監査の問題」(現代監査 No.7, 1997年4月)

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