住友財閥は1920年、総理事の鈴木馬左也氏が商社設立禁止を宣言[1]し、以後25年にわたり商社事業への参入を自ら封じた。三井が三井物産を、三菱が三菱商事を擁して総合商社機能を確立する[2]なかで、住友は商社を持たない財閥として事業を営んだ。のちに住友商事となる法人の母体も商社ではなく、1919年12月に大阪北港地帯の埋立と港湾修築を目的として設立された資本金3,500万円の大阪北港株式会社[3]である。同社は1927年に住友合資の系列下へ入り[4]、1944年11月に住友ビルディングを合併して社名を住友土地工務へ改め[5]、翌12月には長谷部竹腰建築事務所の営業を譲り受けて、不動産経営と土木建築の設計監理を営む総合不動産会社[6]となった。
1945年8月の終戦で軍需が消滅し、復員した社員の受け皿確保が急務となったため、古田俊之助総理事が禁令の撤回を決断した[7]。同年11月、住友土地工務は社名を日本建設産業へ改め[8]、住友連系各社をはじめ各業界の大手生産会社の製品を扱う商事会社として新発足した。定款の事業目的には土木建築用資材その他各種製品の販売を加えている[9]。社長を兼務していた住友本社常務理事の北澤敬二郎氏が辞任し、後任には竹腰健造専務が就いた[10]。商事部門を主宰する人選では、住友本社の経理部と人事部が全職員から3人の候補を挙げ、住友金属工業取締役伸銅所副所長の田路舜哉氏に決まった[11]。田路氏は12月11日に常務取締役へ就任し、3週間後の1946年1月1日付で営業部を開設[12]できるよう組織と人事を整えた。
本店は大阪[13]に置いた。1945年末の在籍人員は270名だったが、1948年末までに住友本社と連系各社から復員・引揚者を含む350名が転入し、合計720名[14]となった。転入者の内訳は住友本社159人、住友金属工業106人、住友電気工業32人[15]が上位を占めた。営業部が最初に手がけたのは、爆撃で埋没した住友金属工業伸銅所のアルミニウム板やジュラルミン板、枕崎台風の高潮で水没した住友電気工業の電線類[16]を掘り出し、洗浄と手直しを施して売る仕事だった。1947年1月に公職追放令が財界へ及ぶと、戦時中に常務取締役以上だった竹腰健造社長ら3名が該当し、3月27日の取締役会で田路氏が第2代社長[17]に選ばれた。
1949年8月、日本建設産業の名のまま大阪・東京の両証券取引所[18]へ株式を上場した。1950年7月には土木建築の設計監理部門を日建設計工務として独立させ[19]、不動産会社としての出自を切り離している。1952年3月に米国へNikken New York Inc.を設立[20]して海外拠点を置き、同年6月には社名を住友商事へ改め[21]た。住友金属工業や住友金属鉱山などグループ各社の販売機能を担う役割から取扱品目は鉄鋼と非鉄金属に傾き、業界では『金ヘン商社』と呼ばれた[22]。田路舜哉氏は1932年から6年間、住友上海洋行の支配人を務めており、発足時の役員のなかで唯一の商事経験者[23]だった。
1962年12月には大阪・東京の営業部門を一体として商品本部制を導入し、鉄鋼・非鉄金属・電機・機械・農水産・化成品・繊維・物資燃料・不動産の9本部[24]を設置した。資本金は1956年12月の10億円から1967年6月の105億円まで積み増され[25]、1967年度の事業構成は金属52%、機械17%、物資燃料12%、化学品9%、食品8%、不動産その他2%[26]となった。繊維部門の強化やサミットストアなど消費部門への進出にも乗り出し、同年度の取扱高は約7,900億円に達した。東京神田の住友商事ビルは3年で手狭になるほど取扱規模が膨らんだ[27]。1970年8月には相互貿易を合併[28]している。
1979年6月に営業部門制を導入し、商品本部を鉄鋼・機電・非鉄化燃・生活物資の4営業部門[29]へ束ねた。1981年の社長就任にあたり、植村光雄氏は派手な大型案件を狙う必要はなく、10年以上の長期プロジェクトには手を出さないことを原則にすると明言した[30]。三菱商事がブルネイLNGへ、三井物産がのちに巨額損失を招くイランIJPCへそれぞれ資金を投じるなかで、住友商事は海外の大型プロジェクトへの参画を見送り[31]続けた。この方針は業績に表れ、1981年3月期は売上高を27.0%伸ばして業界4位の丸紅に迫り、経常利益率0.38%で業界1位[32]に立っている。
社内では、三菱のブルネイの成功を見てより積極的に動くべきだったとする役員と、三井のIJPCの失敗を見て慎重な方針を支持する役員とに意見が割れていた[33]。長期案件を避ける一方で事業領域そのものは広げており、1963年にリース事業へ参入し[34]、1969年10月には大阪府に住商コンピューターサービスを設立して情報サービス事業に乗り出した[35]。1975年にはマツダ向けの北米自動車販売を開始し[36]、1976年には住友金属工業と共同でサウジアラビア向けのシームレスパイプに投資している[37]。1988年には総合事業会社構想を掲げ、従来のトレーディングに加えて事業投資を本格的に進める方針へ転じ、1991年には中期事業計画『戦略95』[38]を策定した。
1995年1月には東京都にケーブルテレビ事業の統括運営を行うジュピターテレコムを設立[39]している。翌1996年6月、非鉄金属部長だった浜中泰男氏が1987年から約10年にわたりロンドン金属取引所で簿外取引を続け[40]、巨額の損失を発生させていた事実が公表された。取引は関係取引先との個人的な関係を使ったもので、会社が承知しないまま続いていた[41]。当初1,900億円と推定された損失は調査の進展で膨らみ、1997年3月期に特別損失『銅地金取引関連損』2,852億円を一括計上して、当期純損失は1,456億円[42]となった。
宮原賢次社長は損失を公表したうえで、米国の弁護士事務所を起用し、外部会計監査人の協力も得て事実の究明にあたった[43]。米商品先物取引委員会と英証券投資委員会の調査には全面的に協力し[44]、国際的な信用の維持を対応の最優先に据えている。連結自己資本比率は13.2%から10.3%へ低下したが債務超過には至らず[45]、長期案件を避けて蓄えた自己資本が損失を吸収した。同社は事業を継続し、以後は法令遵守の徹底を経営の最優先に置いた[46]。事件から20年以上を経てもなお、新入社員研修で違反の重さを語り継いで[47]いる。
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|---|---|---|---|---|
| 大阪北港を設立 | ★ | |||
| 住友財閥が商社設立禁止を宣言 | ★★ | |||
| 住友合資の系列下に移行 | ★ | |||
| 住友ビルディングを合併 | ★ | |||
| 住友土地工務に商号変更 | ★ | |||
| 長谷部竹腰建築事務所の営業を譲受 | ★ | |||
| 1945〜1972年商社を持たない財閥が不動産会社から商社を興すまで | 竹腰健造 | 25年続いた商社設立禁止の撤回と、不動産会社を母体とした商事部門の開設 1945年、住友本社の古田俊之助総理事が、1920年以来25年にわたり自ら封じてきた商社設立の禁令を撤回し、不動産会社の住友土地工務に商事部門を置いた経営判断。同社は同年11月に日本建設産業へ改称し、商事会社として新発足した。 詳細を読む | ★★★ | |
| 竹腰健造 | 日本建設産業に商号変更 | ★ | ||
| 竹腰健造 | 営業部を開設 | ★ | ||
| 田路舜哉 | 田路舜哉氏が社長に就任 | ★ | ||
| 田路舜哉 | 在籍人員が720名に増加 | ★ | ||
| 田路舜哉 | 大阪・東京の両証券取引所に上場 | ★ | ||
| 田路舜哉 | 設計監理部門を日建設計工務として分離 | ★ | ||
| 田路舜哉 | Nikken New York Inc.を設立 | ★ | ||
| 田路舜哉 | 住友商事に商号変更 | ★★ | ||
| 津田久 | 資本金を10億円に増資 | ★ | ||
| 津田久 | 商品本部制を導入 | ★★ | ||
| 津田久 | 東西興業を設立 | ★ | ||
| 津田久 | 資本金を105億円に増資 | ★ | ||
| 津田久 | 住商コンピューターサービスを設立 | ★★ | ||
| 柴山幸雄 | 相互貿易を合併 | ★ | ||
| 柴山幸雄 | 大阪本社・東京本社の二本社制に移行 | ★ | ||
| 1973〜1996年手を出さない20年と、一人の担当者が壊した信用 | 柴山幸雄 | マツダ向けの自動車販売を開始 | ★ | |
| 柴山幸雄 | 住商エレクトロニクスを設立 | ★ | ||
| 柴山幸雄 | 住友金属工業と共同でシームレスパイプに投資 | ★ | ||
| 植村光雄 | 英文社名を SUMITOMO CORPORATION に変更 | ★ | ||
| 植村光雄 | 営業部門制を導入 | ★ | ||
| 植村光雄 | 10年以上の長期プロジェクトを手がけない原則の明示と、体力に見合った経営の徹底 1981年に社長へ就いた植村光雄氏が、10年以上の長期プロジェクトには手を出さないことを原則として掲げ、投融資の可否を体力の範囲で償却できるかどうかで判断する方針を明示した経営判断。三菱商事や三井物産が大型の海外開発案件を抱えるなかで、住友商事は参画を見送り続けた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 植村光雄 | 住商オートリースを設立 | ★ | ||
| 植村光雄 | 経常利益率0.38%で業界1位 | ★★ | ||
| 伊藤正 | 住商リースが大阪証券取引所市場第二部に上場 | ★ | ||
| 伊藤正 | 「総合事業会社構想」——トレーディング依存から事業投資への転換 1988年、住友商事は『総合事業会社構想』を打ち出し、手数料収入を柱とするトレーディングから、事業会社へ資本を入れて価値を高める事業投資へと主力を移す転換を宣言した経営判断。1990年に就いた秋山富一社長が構想の実行に着手し、1991年に中期事業計画『戦略95』を策定した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 伊藤正 | 情報サービス子会社が東京証券取引所に上場 | ★ | ||
| 秋山富一 | 秋山富一氏が社長に就任 | ★ | ||
| 秋山富一 | 中期事業計画「戦略95」を策定 | ★★ | ||
| 宮原賢次 | ジュピターテレコムを設立 | ★★ | ||
| 宮原賢次 | 銅地金の不正取引(浜中事件)——損失の公表と、当局への全面協力を最優先した危機対応 1996年、住友商事が前非鉄金属部長・浜中泰男氏による銅地金の簿外取引と巨額損失を公表した一件。当初1,900億円と推定された損失は、その後の調査で約2,850億円へ拡大したが、同社は事業を続け、以後は法令遵守の徹底を経営の最優先に据えた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 1997〜2014年トレーディングから事業投資へ主力を移した時代 | 宮原賢次 | 欧州住友商事会社を設立 | ★ | |
| 宮原賢次 | 銅地金取引関連損2852億円を特別損失に計上 | ★★ | ||
| 宮原賢次 | 住友商事北海道を設立 | ★ | ||
| 宮原賢次 | 9事業部門28本部の体制に再編 | ★ | ||
| 岡素之 | 本店を移転 | ★ | ||
| 岡素之 | 住友商事東北を設立 | ★ | ||
| 岡素之 | 住商オートリースを株式交換で完全子会社化 | ★ | ||
| 岡素之 | アンバトビーニッケル事業への参画を決定 | ★★ | ||
| 岡素之 | 住友商事九州を設立 | ★ | ||
| 加藤進 | ジュピターテレコム(J:COM)の争奪とTOBによる筆頭株主の確保 2010年、住友商事が国内ケーブルテレビ最大手ジュピターテレコム(J:COM)の株式を公開買付で取得し、KDDIとの争奪を制して筆頭株主の座を確保した経営判断。約1222億円を投じ、議決権比率を40%強へ高めた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 加藤進 | ウジミナス鉱山の権益30%を取得 | ★ | ||
| 加藤進 | 住商情報システムとCSKが統合しSCSKが発足 | ★★ | ||
| 中村邦晴 | タイトオイル開発事業に参画 | ★ | ||
| 中村邦晴 | 国内ブロック制を廃止 | ★ | ||
| 2015〜2026年減損3,103億円と資本効率をめぐる株主への約束 | 中村邦晴 | リスク回避路線の転換と資源投資の膨張——2005年アンバトビー参画から2015年3月期の3,103億円減損まで 2005年、住友商事は『浮利を追わず』のリスク回避路線を転換し、マダガスカルのニッケル一貫事業アンバトビーに参画した。以後ブラジルの鉄鉱石、米国のタイトオイルへと資源投資を膨らませたが、2015年3月期に3,103億円の減損を計上し、16年ぶりの最終赤字に転落した投資判断。 詳細を読む | ★★★ | |
| 中村邦晴 | コーポレート部門のグループ制を廃止 | ★ | ||
| 兵頭誠之 | 本店を移転 | ★ | ||
| 兵頭誠之 | バークシャー・ハサウェイが5%超の株式取得を公表 | ★★ | ||
| 兵頭誠之 | 5大商社で唯一の最終赤字に転落 | ★★ | ||
| 兵頭誠之 | エネルギーイノベーション・イニシアチブを新設 | ★ | ||
| 兵頭誠之 | プライム市場に移行 | ★ | ||
| 兵頭誠之 | アンバトビー事業の減損が累計2660億円に到達 | ★ | ||
| 上野真吾 | エリオットの株式取得と中期経営計画2026での株主還元強化 2024年4月、米アクティビストのエリオット・マネジメントが住友商事株を数百億円規模で取得し、株式価値の向上策をめぐり会社と協議していることが表面化した。4日後の5月2日、就任間もない上野真吾社長は中期経営計画2026を発表し、ROE12%以上の維持、3年間で総額7,000億円以上という過去最大の株主還元、累進配当、500億円の自社株買いを打ち出した。以後2年連続で800億円の自社株買いを重ね、株価は上場来高値を更新した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 上野真吾 | 営業部門を戦略ビジネスユニットに再編 | ★ | ||
| 上野真吾 | 中期経営計画2024-2026を公表 | ★ | ||
| 上野真吾 | 自己株式を取得 | ★ | ||
| 上野真吾 | エア・リース・コーポレーションの共同買収に参画 | ★★ | ||
| 上野真吾 | SCSKの完全子会社化を決定 | ★★ | ||
| 上野真吾 | バークシャー・ハサウェイが保有比率10%超に到達 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(住友商事)