田路舜哉

住友商事・元取締役社長

Toji Shunya(敬称略)

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社長就任 1947年3月
生年月日 —
学歴 東京帝国大学法学部
出自 —
社長就任までの出自
出自

1932年から6年間、住友上海洋行の支配人を務め、日本建設産業の発足時の役員のなかで唯一の商事経験者だった。商社発足の直前は住友金属工業の取締役伸銅所副所長にあり、住友本社の経理部と人事部が全職員から挙げた3人の候補のなかから商事部門の主宰者に選ばれた。1945年12月11日に常務取締役へ就任し、3週間後の1946年1月1日付で営業部を開設できるよう組織と人事を整えた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

営業部が最初に手がけたのは、爆撃で埋没した住友金属工業伸銅所のアルミニウム板やジュラルミン板、枕崎台風の高潮で水没した住友電気工業の電線類を掘り出し、洗浄と手直しを施して売る仕事だった。1947年1月に公職追放令が財界へ及ぶと、戦時中に常務取締役以上だった竹腰健造社長ら3名が該当し、同年3月27日の取締役会で田路氏が第2代社長に選ばれた。商事の実務を知る役員が他にいなかったため、後任は事実上ひとりに絞られていたとみられる。

在任中の主な施策
施策

1945年末に270名だった在籍人員は、住友本社と連系各社からの復員・引揚者を含む350名の転入で、1948年末に720名となった。1949年8月、日本建設産業の名のまま大阪・東京の両証券取引所へ株式を上場した。1950年7月には土木建築の設計監理部門を日建設計工務として独立させ、不動産会社としての出自を切り離した。1952年3月に米国へNikken New York Inc.を設立し、同年6月に社名を住友商事へ改めた。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1947〜1956年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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