竹腰健造
住友商事・元取締役社長
社長就任 1945年
生年月日 —
学歴 東京帝国大学工科大学建築学科
出自 —
社長就任までの出自
出自
住友商事の母体は商社ではなく、1919年12月に大阪北港地帯の埋立と港湾修築を目的として設立された大阪北港である。同社は1927年に住友合資の系列下へ入り、1944年11月に住友ビルディングを合併して住友土地工務へ改称した。翌12月には長谷部竹腰建築事務所の営業を譲り受け、不動産経営と土木建築の設計監理を営む総合不動産会社となった。竹腰健造氏はその建築事務所に名を残す人物で、住友土地工務の専務を務めていた。
社長に選ばれた経緯
抜擢
住友財閥は1920年、総理事の鈴木馬左也氏が商社設立禁止を宣言し、以後25年にわたり商社事業への参入を封じていた。1945年8月の終戦で軍需が消滅し、復員した社員の受け皿確保が急務となったため、古田俊之助総理事が禁令の撤回を決断した。同年11月、住友土地工務は日本建設産業へ改称し、住友連系各社をはじめ各業界の大手生産会社の製品を扱う商事会社として新発足した。社長を兼務していた住友本社常務理事の北澤敬二郎氏が辞任し、後任に竹腰健造専務が就任した。
在任中の主な施策
施策
定款の事業目的には土木建築用資材その他各種製品の販売を加え、本店は大阪に置いた。商事の実務は別に立て、住友本社の経理部と人事部が全職員から3人の候補を挙げ、住友金属工業取締役伸銅所副所長の田路舜哉氏を主宰者に選んだ。田路氏は1945年12月11日に常務取締役へ就任し、3週間後の1946年1月1日付で営業部を開設した。1947年1月の公職追放令が財界へ及ぶと、戦時中に常務取締役以上だった竹腰氏ら3名が該当し、同年3月27日に社長を離れた。 古田俊之助の商社禁令撤回
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1945〜1947年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
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