植村光雄

住友商事・元取締役社長

Uemura Mitsuo(敬称略)

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社長就任 1977年6月
生年月日 —
学歴 京都帝国大学法学部
出自 —
社長就任までの出自
出自

日本建設産業の発足時、役員のなかで商事の経験を持つのは住友上海洋行の支配人を務めた田路舜哉氏だけだった。以後の社長は社内から出ており、植村光雄氏も取締役副社長から社長へ進んだ。就任時の住友商事は、住友金属工業や住友金属鉱山などグループ各社の販売機能を担う役割から取扱品目が鉄鋼と非鉄金属に傾き、業界では"金ヘン商社"と呼ばれた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1977年6月、柴山幸雄氏の後任として第5代社長に就任した。1976年3月期は売上高5兆5,095億円、経常利益179億円、当期純利益73億円だった。1975年3月期の大株主は住友銀行8.37%、住友化学工業5.79%、住友生命保険4.85%、住友金属工業4.42%と、住友連系各社が上位を占めていた。

在任中の主な施策
施策

鉄鋼・機電・非鉄化燃・生活物資の4営業部門に商品本部を集約したのは、1979年6月の営業部門制の導入による。1981年3月期には売上高が27.0%増えて業界4位の丸紅との距離が縮まり、経常利益率でも0.38%と業界1位を占めたが、同じ1981年に示した方針は、目立つ大型案件は追わず、仕上がりまで10年を超す案件にも関わらないというものだった。社史によれば、この方針が破られるのは2005年にマダガスカルのアンバトビー案件へ加わったときであり、そこで線を越えたとされる。 10年超の案件を避ける原則

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1977〜1982年
在任中の業績
就任前(FY76)58,254億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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