三菱商事の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

運ぶ船と運ぶ荷を、同じ持ち主の下にそろえようとした。1875年10月、郵便汽船三菱会社は太平洋郵便汽船から上海支線と汽船4隻を78万ドルで取得し、同社を上海航路から撤収させた。1881年には後藤象二郎氏から高島炭坑を譲り受け、吉岡銅山の銅と並ぶ自社の貨物を得ている。しかし明治14年の政変の後、政府は共同運輸会社を設けて対抗させ、1885年9月に両社は合併して日本郵船となった。三菱の手元に残ったのは、海運を移した後の炭坑と銅山であった。

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