重要な意思決定
19547月

三菱商事株式会社を創立

背景

財閥解体で分散された三菱商事系各社の再合同

1947年にGHQによる財閥解体の一環として旧三菱商事は解散を命じられ、「三菱」の商号利用も一時禁止された。旧三菱商事の営業権は元社員が経営する複数の会社に分散され、商権やのれんは事実上消滅した。その後、サンフランシスコ講和条約の発効により占領政策が緩和され、元三菱商事系の各社は再合同に向けた動きを本格化させた。

1954年7月に和光実業(1952年に三菱商事へ商号変更済み)・不二商事・東京貿易・東西交易の4社が合同する形で、三菱商事株式会社を創立した。法人としては旧和光実業が3社を吸収する形をとった。同社の定義によれば三菱商事の創立年は「1954年」とされており、財閥解体を経て事実上ゼロから再出発した点が、三菱商事の設立経緯の特徴である。

決断

繊維偏重の他社と異なる鉄鋼・非鉄・機械を軸とした商品構成

1954年の再合同により総合商社としての事業を本格化した三菱商事は、三菱グループの営業部門を担いつつ、主に「鉄鋼・非鉄・機械」の分野で取扱比率を拡大した。多くの大手商社(伊藤忠・丸紅など)が繊維取引に偏重するなかで、三菱商事は非繊維分野を主軸とする希有な商品構成をとった。鉄鋼では海外輸出向けの取り扱いに注力し、1960年12月に「鉄鋼輸出部」を発足して鋼管・鋳鉄管の輸出体制を整えた。主な輸出先は北米と中南米であった。

非鉄金属では海外からの銅鉱石の輸入と三菱化成向けのアルミニウム原料輸入が主流であり、とりわけ銅鉱石の輸入は1970年代以降の南米銅山権益への出資の布石となった。機械に関しては三菱グループ内の営業部門としての役割が色濃く、三菱重工業のプラント機械を三菱化成に販売するなど、グループ内取引に介在するのが主な機能であった。

結果

三菱グループの事業構造が商品構成を規定した構造的優位性

三菱商事の商品構成は、三菱グループ全体の事業ポートフォリオに規定されていた面がある。三菱グループにおける重工業・化学の事業規模が、そのまま三菱商事の機械部門や非鉄部門の取扱比率に反映される構造であった。これは三菱商事自身の戦略というよりも、三菱財閥の事業構造が反映された結果であった。

繊維偏重の他の商社がのちに非繊維分野の拡大に苦闘するのに対し、三菱商事は設立当初から非繊維比率が高いという構造的優位性を有していた。この商品構成は、1960年代以降に三菱商事が資源・エネルギー分野の事業投資へと展開していく際の基盤となった。