重要な意思決定
196811月

ブルネイLNG開発に参画・事業投資に参入

背景

トレーディングから事業投資への転換を掲げた組織改革

1968年に三菱商事は「トレーディング」から「事業投資」へと事業モデルを転換するために、商品本部制を導入する組織改革を実施した。従来の商社機能は、生産者と需要者の間に介在してリスクを負担せずに口銭を得るトレーディングが中心であったが、藤野忠次郎社長(当時)は「トレーディング・アンド・ディベロップメント」という概念を提唱し、資源開発を含む事業投資への参入を打ち出した。

背景には、日本の貿易量が世界平均の2倍のペースで拡大するなか、天然資源に乏しい日本が資源の安定確保を必要とする構造があった。商社がその信用力・資金力・人材を活かして海外資源の開発に関与するという方向性は、三菱商事の事業モデルを根本から変えるものであった。

三菱商事はLNGの取り扱いにおいて先行していた。1957年から東京ガスとLNGの輸入計画を立案し、アラスカ産LNGの輸入を手掛けた実績があった。こうしたLNGの販売知見と大手ガス会社・電力会社との関係が、のちのブルネイLNG開発への参画を可能にする基盤となった。

決断

シェルと対等の45%権益を確保したブルネイLNG開発への参画

1968年11月に三菱商事はブルネイにおけるLNGの共同開発への参画を決定した。開発会社の出資比率はシェル45%・三菱商事45%・ブルネイ政府10%であり、三菱商事はシェルと対等の権益を確保した。採掘などの技術面はシェルが主導し、三菱商事はLNGの日本国内向け販売を担当する役割分担であった。

プロジェクト全体の投資額は2.6億ドル(当時の為替レート1ドル=360円換算で936億円)に達し、三菱商事は45%を負担して約421億円を投じた。三菱商事がシェルと対等の権益を確保できた理由は、日本国内の大手ガス会社・電力会社との販路を保有していたことにある。LNGの需要開拓において三菱商事の国内ネットワークが不可欠であったため、技術を持たない商社でありながら45%の高い権益を得ることが可能となった。

ブルネイLNGへの投資は、三菱商事にとって事業投資の本格的な第一歩であった。単なるトレーディングの口銭ではなく、資源開発に直接資本を投じて権益を取得し、配当収入を得るという事業モデルへの転換を象徴する案件となった。

結果

年間200億円の安定配当と資源投資拡大の原資としての機能

1970年代に入り、オイルショックによる石油価格の高騰がLNGの価格競争力を向上させた。さらに公害問題の深刻化に伴い、クリーンなエネルギー源としてLNGの活用が推進された。これらの追い風により三菱商事が提供するLNGの需要は増大し、ブルネイLNG開発プロジェクトからは年間約200億円の配当収入を確保するに至った。

1970年代当時、三菱商事は日本国内におけるLNG取扱量でシェア77%(825万t)を占めた。このうちアラスカからの輸入が101万t、ブルネイからの輸入が526万tであり、ブルネイが最大の供給源となった。ブルネイLNGの契約期間は1992年までであり、この間、同プロジェクトは三菱商事の全社利益を支える安定収益源として機能した。

ブルネイLNGから得た安定的な配当収入は、三菱商事が他の海外事業投資を展開するための原資にもなった。ブルネイでの利益を元手に新たな資源権益の取得に投資するという循環が形成され、三菱商事はトレーディング中心の商社から事業投資型の商社へと転換していった。この構造は、のちの豪州原料炭や南米銅山への投資にも引き継がれることとなる。