コムシスホールディングス日本コムシス・三和エレック・東日本システム建設の株式移転によるコムシスホールディングス設立
合併して1社になるのではなく、3社を残したまま上に会社を置いた2003年9月の選択
- 概要
- 2003年9月、日本コムシス・三和エレック・東日本システム建設の3社が株式移転により純粋持株会社コムシスホールディングスを設立し、東京証券取引所・大阪証券取引所の市場第一部に上場した。
- 背景
- 統合直前のFY2003は売上高2,490億円のうち1,347億円をNTTグループ向けが占めた。NTTグループの設備投資は1999年3月期の3兆878億円をピークに減少へ向かい、東日本の工事会社では集約が進んでいた。
- 内容
- 3社を合併させず完全子会社として残し、上に持株会社を新設した。以後、NTT向け事業とキャリア系事業の各社間での付け替え、共通業務会社やソフトウェア開発会社の分社を持株会社の下で重ねた。
- 含意
- 統合そのものより、これを2010年のつうけん、2018年の3社など株式交換によるM&Aの受け皿にした点が効いた。NTT設備事業の比率はFY2024に38.5%まで下がった。
先に形を作った15年
2003年9月の時点で、この統合が解いた問題は多くない。3社はいずれもNTTグループ向けを主力とする会社で、足し合わせても発注者は増えなかった。連結売上高2,489億円という初年度の数字も、単体時代からの飛躍を示すものではない。島田博文社長がNTTからの仕事を減らす気はないと語ったとおり、依存の相手を切る計画も持っていなかった。この判断が実際に選んだのは、事業の中身ではなく、あとから会社を足せる形のほうであったとみられる。
その形が働くまでには時間がかかった。外部からの最初の子会社化は7年後のつうけんで、全国の施工体制が揃うのはさらに8年後の2018年になる。合併を選んでいれば、地域会社の法人格ごと引き受けて株式交換で並べていく道は取りにくかった。FY2024にNTT設備事業の比率が38.5%まで下がった結果は、統合の初年度から21年目の数字にあたる。会社を1つにしなかったことが、あとで8つの統括事業会社を並べる構成につながった。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
売上の半分以上が1つの発注者から来ていた
統合の直前にあたるFY2003、日本コムシスの売上高2,490億円のうちNTTグループ向けは1,347億円で、全体の54.1%を占めた。1985年の電電公社民営化から18年を経ても、収益の過半は旧公社系の発注に支えられていた。1951年に電電公社の指定工事会社として設立され、公社の5カ年計画に合わせて受注を積んできた会社の構造が、そのまま残っていたことになる。工事の技術は光ファイバーや携帯基地局へ移っても、発注者の顔ぶれは変わらなかった[1]。
その発注者の投資は下り坂に入っていた。NTTグループの設備投資は1999年3月期の3兆878億円を頂点に減り続け、2011年3月期には1兆8,701億円まで落ちている。工事会社の側から見れば、同じ比率で受注を取り続けても売上は縮む計算になる。2000年以降の業界再編は、この投資規模の縮小に押されたものであった。日本コムシスにとって、発注者の投資計画に業績を委ねる形をどこかで崩す必要が生じていた[2]。
東日本の工事会社から始まった集約
通信工事の再編は、まず東日本で動いた。NTT向け工事会社は2000年代に東日本で集約が進み、大手3社が生まれている。一方、西日本の地域会社にはこの時期ほとんど動きがなかった。コムシスホールディングスを構成した3社も、いずれも東日本を主な地盤とする会社であった。日本コムシスは1951年設立の日本通信建設を前身とし、三和エレックは1947年9月に設立された三和電氣興業を前身とする。東日本システム建設は長野を本拠とし、2012年10月にTOSYSへ商号を変えた[3][4]。
3社の事業は重なっていた。いずれもNTTグループ向けの設備建設と保守を主力とし、営業する相手も工事の種類も近い。単純に足せば管理部門と営業窓口が二重三重になる関係にあり、規模の面では合併が理屈に合う。しかし各社は地域ごとに発注者との取引を積み上げてきた会社でもあり、施工体制と技術者を抱えたまま法人格を消せば、現場の受注関係が切れる恐れがあった。統合の形をどう設計するかが、実際の論点になった[5]。
決断
3社を残したまま、上に会社を置く
2003年9月、日本コムシス・三和エレック・東日本システム建設の3社は株式移転により純粋持株会社コムシスホールディングスを設立し、その普通株式を東京証券取引所と大阪証券取引所の市場第一部に上場した。株式移転は、既存の会社を消さずに親会社を新しく作り、3社をそろって完全子会社にする手続きである。合併と違い、各社の法人格・従業員・発注者との契約はそのまま残る。持株会社は工事を施工せず、グループの戦略と資本配分を受け持った[6]。
初年度となる2004年3月期の連結売上高は2,489億円、経常利益は114億円、当期純利益は65億円であった。3社を合わせても、単体時代の日本コムシスから規模が跳ね上がったわけではない。統合の効き目は初年度の数字ではなく、この先どこまで会社を足していけるかにかかった。持株会社という形は、あとから来る会社を子会社として並べるときに、既存の子会社の体制へ手を入れずに済む点で拡張しやすい[7]。
島田博文社長が語った狙い
初代社長に就いた島田博文氏は、2005年1月の業界紙のインタビューで、連結業績が重視される時代には持株会社のもとで事業を営むのが最良だと述べている。同時に、NTTから受注する仕事は継続的かつ安定的で魅力があり、NTTからの仕事を減らす気はないとも語った。統合の目的は発注者からの離脱ではなく、NTT向けの受注を保ったまま別の収益源を足すことに置かれていた。この二正面の構えが、以後15年の子会社化の順序を決めた[8]。
民間の顧客をどう取るかについて、島田社長は、これまでのようにハードだけ、保守サービスだけという構えでは通らないと述べ、セキュリティを理解しなければITビジネスは手がけられないと続けた。通信工事会社が民需で稼ぐには、施工の腕だけでなく設計と運用まで抱える必要があるという見方であった。のちにコムシス情報システムを分社してITソリューション事業を広げる流れは、この時点の認識と重なる[9]。
結果
持株会社の下での事業の入れ替え
設立の翌年から、グループ内の事業の付け替えが続いた。2004年9月に三和エレックの第三者割当増資を引き受け、2005年1月には同社のNTT情報通信エンジニアリング事業を日本コムシスへ集約した。2005年4月、三和エレックはサンワコムシスエンジニアリングへ商号を変え、代わりに日本コムシスの電気通信エンジニアリング事業のうちキャリア系ビジネスを受け入れた。同じ発注者を相手にしていた2社の担当領域を、持株会社の判断で入れ替えたことになる[10]。
共通業務の切り出しも進んだ。2007年4月にコムシスシェアードサービスを日本コムシスから持株会社の直接の完全子会社へ移し、グループ共通業務のアウトソーシング会社という役割を明確にした。2009年4月には日本コムシスのITソリューション事業のうちソフトウェア開発事業を新設分割し、コムシス情報システムとして持株会社の完全子会社にした。工事会社の内側に埋もれていた機能を、それぞれ独立した会社として取り出す作業であった[11]。
あとから来る会社を並べる場所として
持株会社の形が本当に働いたのは、外部の会社を取り込む段になってからであった。2010年10月に株式交換で北海道のつうけんを完全子会社化し、2018年10月には同じ手法でNDS・SYSKEN・北陸電話工事の上場3社を一度に子会社にした。株式交換は現金を使わずに相手の株主へ自社株を渡す手続きで、持株会社の株式がそのまま対価になる。FY11の連結売上高2,959億円に対し有利子負債は15億円にとどまり、財務にも余裕が残っていた[12][13]。
対外的な評価も、統合を経た規模で語られるようになった。2009年8月の株式誌面は、コムシスホールディングスを日本コムシスが三和エレック等を統合した電気通信工事最大手と紹介し、ネットワーク構築の強みを挙げている。そしてNTT設備事業が売上に占める比率は、FY2003の54.1%からFY2024には38.5%まで下がった。売上高自体は同じ期間に2,490億円から6,146億円へ増えており、比率の低下は縮小ではなく他の事業の増加によるものであった[14][15]。
- コムシスホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- コムシスホールディングス 有価証券報告書(連結財務諸表)
- コムシスホールディングス 統合報告書2025
- 週刊BCN+(2005年1月31日)「IP電話システムを武器に 民間企業へアピール」
- 週刊東洋経済 2009年8月15日号「特集 株投資超入門&ランキング 信用好取組かつ高成長ランキング50」
- 週刊東洋経済 2011年11月29日号「通信工事の過当競争 スマホでキャリアは大儲け でも工事会社は“豊作貧乏”」
- 週刊東洋経済 2018年6月2日号「ニュース深掘り 上意下達の再編 「電電ファミリー」いまだ健在」