1944年12月、軍需省電力局の電気工事業整備要綱に基づき[1]、九州配電株式会社の下請として個別に配電線工事を請け負っていた[2]株式会社営電社ほか13社が統合し、資本金250万円[3]で九州電気工事株式会社が設立された。本社を福岡市に置き、小倉・大分・延岡・鹿児島・熊本・長崎・佐世保・佐賀に支店を配した[4]。発足直後の1945年2月には株式会社九州電業社ほか3社を第2次統合[5]し、同年3月には原田電気商会ほか3社を第3次統合して、設立から3か月で計19社を束ねた[6]。終戦から2か月後の1945年10月には東京支社を開設[7]し、九州の外に最初の拠点を置いた。
1947年6月、設立から2年半を経て九州配電株式会社と配電工事委託契約を締結[8]し、発注元との関係を契約の形に定めた。1951年の電気事業再編成で九州配電は九州電力株式会社へ移り[9]、契約は引き継がれた。九州電力からの発注には、当初、発電所・変電所の工事と送電線工事、配電線工事が含まれていた[10]。戦後の産業復興で電力需要が増えると、九州電力からの配電線工事の受注が伸び、官公庁や一般民間会社から受ける屋内配線工事も増え[11]た。1954年6月には資材調達を担う株式会社昭電社を設立[12]し、現在の株式会社Q-mastにあたる。
発電所・変電所の工事は、配電線工事と異なり特殊な技術を要した[13]。電源開発が進むにつれ、九州電力ではこれらの分野をそれぞれ専業化する方針が出された[14]。1953年7月、九州電気工事は発電・変電・送電の工事を担っていた建設部を分離し[15]、九州電気建設工事株式会社を設立した。以後、九州電力から発注される工事は配電線工事部門だけとなり[16]、本体に残ったのは配電線工事と屋内配線工事である。分離した会社はのちに株式会社九建となり、持分法適用関連会社として残った[17]。設立時に250万円だった資本金は、1951年8月に1,000万円、1953年12月に2,000万円へ増えている[18]。
九州電力向けの工事が配電線に限られる一方で、戦後の産業復興によって官公庁・一般民間からの屋内配線工事の受注は増えた[19]。1958年9月には、配電線工事の延長として九州電力から電柱等資材の運送受託を始めて[20]いる。配電線工事には特殊な技術と大きな危険が伴うため[21]、1962年6月に社員研修所を設けて新入社員の技術研修に充てた[22]。この研修所は、のちの九電工アカデミー、現在のクラフティアアカデミーにあたる[23]。1963年7月には株式会社大分電設を設立[24]し、県ごとに施工会社を置く体制の最初の1社とした。
1964年7月、空気調和・冷暖房・管工事の営業を開始[25]した。新築ビルの屋内配線工事を受けるのに合わせ、冷暖房や給排水の管工事も引き受ける[26]形で、それまで業域の外にあった建物の内部の設備が受注範囲に入っている。1965年2月には大阪支社(現・関西支店)を設置[27]し、九州・首都圏に続く三つ目の都市圏拠点を置いた。1971年7月には水処理工事、1981年8月には公共下水道工事の営業を始め[28]、電気と空調に続く分野を重ねた。管工事は1971年4月期の完成工事高の13.2%を占めたが、専門業種ではないため外注依存度は50%以上に達して[29]いる。
電気工事の専業から設備一式へという移行は、品目別の売上構成に20年かけて表れ、1971年4月期の完成工事高は屋内配線工事が57.2%、配電線工事が28.7%を占め、電気工事だけで85.9%に達している[30]。1974年10月までの半期では内線工事が62%、配電線工事が23%、空調管工事が16%[31]になっている。1984年4月期の通期では、内線工事563億77百万円が45%、配電線工事386億87百万円が31%、空調管工事274億18百万円が22%を占めた[32]。空調管工事の比率は13年でおよそ9ポイント上が[33]った。
施工は直営を原則とし、1971年4月末で5,246名の現業員を抱[34]えた。完成工事原価に占める外注費の比率は約27%で、社の得意とする電気工事部門に限れば20%にとどまり、同業他社と比べてきわめて低い[35]。現業員数は関東電気工事の7,157名に次いで多く、総資産に占める固定資産の割合32.7%は同業他社で最も高い[36]。1966年には福岡県知事から職業訓練法による事業内職業訓練の認定を受け、1971年8月に『九州電気工事高等職業訓練校』の名称が認可さ[37]れた。従業員には電気工事士3,859名を含め、延べ8,044名の国家試験合格有資格者[38]がいた。
1968年11月、設立から24年を経て大阪証券取引所市場第二部および福岡証券取引所市場へ上場し、資本金は5億円[39]になった。1971年11月には東京証券取引所市場第二部へ上場し、公募150万株を1株350円で発行して資本金を8億2,500万円へ積み増した[40]。翌1972年9月、東証二部上場から10か月・設立から28年で、東京証券取引所および大阪証券取引所の市場第一部へ指定替え上場し、資本金11億円となった[41]。初上場から一部指定替えまでは4年である。上場の幹事は山一証券、野村証券、和光証券が務[42]めた。
東証二部上場の時点で、九州電気工事は電気工事業の完成工事高で第9位、市場占有率2.8%を占めた[43]。首位は関東電気工事の550億65百万円で、同社の208億47百万円はその4割に届か[44]ない。親会社にあたる九州電力への依存度は29.7%にとどまり、関東電気工事51.7%・東海電気工事54.4%・近畿電気工事30.9%・中国電気工事18.4%[45]と並べると、中国電気工事に次いで低い。受注の63.0%は一般民間会社からで、主要な得意先には株式会社竹中工務店、清水建設株式会社、鹿島建設株式会社、株式会社大林組が並[46]んだ。
事業所は福岡の本社のほか支社2か所・支店8か所・営業所と出張所125か所を数えた[47]が、東京と大阪に各1支社と1営業所、中国地方に4営業所を置いたほかはすべて九州にあり、1971年4月期の完成工事高は九州が91.2%、関東は4.4%だった[48]。収益性は同業他社を上回り、総資本経常利益率16.5%は同業他社平均11.2%を5.3ポイント、売上高経常利益率8.8%は6.3%を2.5ポイント上回っている[49]。給与体系には能率給制度を入れ、外注依存度の低い電気工事部門では工事の実行予算の合理化を進[50]めた。
1963年7月の株式会社大分電設を最初に、1965年5月の小倉電設、1967年10月の長営電設、1968年11月の南九州電設、1970年4月の有明電設、1971年4月の熊栄電設、1981年9月の福岡電設[51]と、九州各県に地域子会社を置いた。1971年12月には株式会社明光社の株式を取得[52]して首都圏に子会社を持ち、1972年2月には九州電工ホーム株式会社を設立して住宅事業へ入っている[53]。1973年6月には建設業法の改正に伴い建設大臣許可を受け[54]、1976年4月に本社を福岡市南区那の川一丁目へ新築移転した[55]。
1984年10月、グループの総合設備機能を集めた九興総合設備株式会社を設立[56]した。1985年5月には台湾で合弁会社『九連環境開發股份有限公司』を設立し、初めて海外に出て[57]いる。1987年3月には第1回無担保転換社債100億円を発行[58]し、九州の工事会社が全国の資本市場から直接資金を集めた。単体売上高は1973年4月期の386億円から1976年4月期679億円、1981年4月期1,051億円、1984年4月期1,242億円と伸び[59]、経常利益は同じ期に26億円、54億円、79億円、60億円で推移している[60]。
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|---|---|---|---|---|
| 1944〜1963年電気工事業整備要綱による19社統合と、九州配電への専属で立ち上がった創業期 | 電気工事業整備要綱に基づく九州19社の三次統合と九州電気工事の設立 1944年12月、戦時統制経済下で施行された電気工事業整備要綱に基づき、株式会社営電社ほか九州の主要電気工事業者13社が統合し、資本金250万円で九州電気工事株式会社(現クラフティア)が設立された経営判断。翌1945年2月・3月の第2次・第3次統合を含め、設立3ヶ月で計19社の統合を終えた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 九州電業社他3社を第2次統合 | ★★ | |||
| 原田電気商会他3社を第3次統合 | ★ | |||
| 東京支社を開設 | ★ | |||
| 九州配電と配電工事委託契約を締結 | ★★ | |||
| 建設工事部門を分離し九州電気建設工事を設立 | ★ | |||
| 昭電社を設立 | ★ | |||
| 大分電設を設立 | ★ | |||
| 1964〜1988年空調・管工事への参入と、上場4年での東証一部指定替え──業域と資本を同時に広げた25年 | 空調・管工事と水処理工事への参入による総合設備工事会社への転換 1964年7月に空気調和・冷暖房・管工事の営業を開始し、1971年7月には水処理工事へ参入して、電気工事の専業から建物の設備一式を引き受ける総合設備工事会社へ業域を組み替えた経営判断。1972年2月の九州電工ホーム設立による住宅事業への進出も同じ流れに置かれる。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 小倉電設を設立 | ★ | |||
| 大阪証券取引所市場第二部・福岡証券取引所市場に上場 | ★ | |||
| 南九州電設を設立 | ★ | |||
| 水処理工事の営業開始 | ★★ | |||
| 東京証券取引所市場第二部に上場 | ★ | |||
| 明光社の株式取得 | ★ | |||
| 九州電工ホームを設立 | ★ | |||
| 大証二部・福証上場から4年での東証・大証一部指定替え 1968年11月に大阪証券取引所市場第二部および福岡証券取引所へ上場して資本金5億円となり、1971年11月に東京証券取引所市場第二部へ、1972年9月には東証二部上場から10ヶ月で東京・大阪両取引所の市場第一部へ指定替え上場した資本政策。設立から28年、初上場から4年での一部昇格にあたる。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 公共下水道工事の営業開始 | ★ | |||
| 福岡電設を設立 | ★ | |||
| 合弁会社九連環境開發股份有限公司を設立 | ★ | |||
| 第一回無担保転換社債100億円の発行 | ★ | |||
| 1989〜2012年「九電工」への改称と、九州の需要に規模が縛られた停滞の24年 | 九電工に商号変更 | ★ | ||
| 技術研究所を新設 | ★ | |||
| 河部浩幸 | 大阪証券取引所市場第一部の上場廃止 | ★ | ||
| 橋田紘一 | 東京本社設置 | ★ | ||
| 2013〜2026年小口受注への転回から社名変更まで──九州電力色を外し、需要の側へ出資した13年 | 橋田紘一 | シンガポールASIA PROJECTS ENGINEERING PTE. LTD.の株式の一部を取得 | ★ | |
| 西村松次 | 第2回無担保転換社債型新株予約権付社債100億円の発行 | ★ | ||
| 西村松次 | エルゴテックの株式の一部を取得 | ★ | ||
| 佐藤尚文 | セントラル総合開発と資本業務提携契約を締結 | ★★ | ||
| 佐藤尚文 | 中央理化工業の株式取得 | ★ | ||
| 佐藤尚文 | 東京証券取引所プライム市場へ移行 | ★ | ||
| 佐藤尚文 | 監査役会設置会社から監査等委員会設置会社へ移行 | ★ |
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事実根拠:出所(クラフティア)