上場は、それ自体が事業を変える決定ではない。1968年から1972年までの4年間に会社が実際に手を付けたのは、水処理工事への参入、首都圏の施工会社の子会社化、住宅事業の立ち上げであり、上場はその費用の出どころを借入から資本へ移し替える作業にあたる。九州電力の工事という安定した収益がありながら、そこで得た信用を担保にした借入だけで拡張を進めなかった点に、この時期の経営の選択が現れている。
速度も目を引く。大阪と福岡の市場に名を連ねてから東京の一部まで4年、東証二部からは10ヶ月で駆け上がった。工事業の売上は受注残に規定され、急に倍増するものではない。それでも資本金は5億円から11億円へ、単体売上高は1971年4月期の269億円から1981年4月期の1,051億円へ伸びた。2022年4月、その株式は市場区分の見直しでプライム市場へ移った。1972年に得た"一部"の二文字は、50年で呼び名を替えている。