1951年〜 9電力体制の地域独占と石油危機が促した原子力導入
九州電力の業績推移:単体
- 1951年 電気事業再編成令による九州一円の発送配電一貫会社としての設立 国家管理の電力をどう民営へ戻すか——九州の発電・送電・配電を1社に束ねた1951年5月1日
- 1951年 福岡証券取引所に上場
- 1955年 上椎葉発電所運転開始
- 1956年 苅田発電所1号機運転開始
- 1957年 大村発電所1号機運転開始
- 1972年 西日本共同火力と合併
- 1975年 石油危機後の脱石油と、玄海1号機を先頭に置いた電源多角化 燃料費の変動をどこまで自社の設備で吸収するか——原子力・LNG・地熱・揚水を並べた1970年代の電源選択
電気事業再編成令が生んだ垂直統合の発送配電一貫体制
1951年5月、GHQ占領下で公布された電気事業再編成令により、戦時統制下の日本発送電株式会社と各地域の配電会社が解体され、全国9地域ごとに発送配電一貫の民営電力会社が同時に発足した。九州一円を供給区域とする九州電力株式会社も同年5月1日に資本金7億6,000万円で設立され、九州配電と日本発送電から発電設備・送配電網・営業所を一括継承して発送配電一貫の民営事業者として出発した。9電力体制は同年の福岡証券取引所上場、1953年の東京・大阪証券取引所第一部上場と続き、地域独占で電気料金収入を確保しつつ電源投資を独力で進める枠組みが整った。 [1][2][3][4][5]
- 九州電力 有価証券報告書【沿革】
- [1]1951年5月1日 電気事業再編成令により九州電力株式会社設立(資本金7億6,000万円・九州配電と日本発送電から設備を継承)
- [2]設立時資本金は7億6,000万円
- [3]1951年9月 福岡証券取引所に上場
- [4]1953年2月 東京・大阪両証券取引所市場第一部に上場
- [5]電気事業再編成令の公布は1951年5月(同年5月1日に各9社が発足)
戦後復興期の九州は石炭採掘と鉄鋼・化学を主軸とする工業地帯で、電力需要は短期間に急増した。九州電力は石炭火力中心の電源を旧産炭地に集中配置し、八幡製鐵所や三井三池などの大口需要家へ向けて送電網を整備した。1954年5月には九州火力建設株式会社(後の西日本プラント工業)を設立して発電所建設の自前体制を整え、1972年4月には西日本共同火力との合併、1973年3月には大島電力との合併で経営基盤を拡張した。地域独占で得た料金収入を電源投資に回し、その投資が需要拡大に応えてさらに収入を増やす循環が9電力体制の最初の20年を支えた。 [6][7][8][9]
- 九州電力 有価証券報告書【沿革】
- [6]九州火力建設は後の西日本プラント工業
- [7]1954年5月 九州火力建設株式会社設立(現・西日本プラント工業、1971年3月商号変更)
- [8]1972年4月 西日本共同火力株式会社と合併
- [9]1973年3月 大島電力株式会社と合併
供給区域内で発電・送配電・小売を一体運営する垂直統合は、料金規制と引き換えに投資回収の予見性を最大化する制度設計だった。総括原価方式の下で必要経費と適正利潤を料金へ転嫁できる仕組みは、数百億円から数千億円規模の電源開発投資を可能にした一方、需要家による事業者選択の余地を制度として閉ざした。この構造が3世代後に発送電分離と小売自由化で解体されるまで、九州電力の収益基盤を半世紀にわたり支え続ける。1950年代から1960年代にかけて建設した石炭・石油火力は、1970年代の石油危機で原子力・LNG・地熱への多角化を迫られる前提条件となる。
- 九州電力 有価証券報告書【沿革】
- [1]1951年5月1日 電気事業再編成令により九州電力株式会社設立(資本金7億6,000万円・九州配電と日本発送電から設備を継承)
- [2]設立時資本金は7億6,000万円
- [3]1951年9月 福岡証券取引所に上場
- [4]1953年2月 東京・大阪両証券取引所市場第一部に上場
- [5]電気事業再編成令の公布は1951年5月(同年5月1日に各9社が発足)
- [6]九州火力建設は後の西日本プラント工業
- [7]1954年5月 九州火力建設株式会社設立(現・西日本プラント工業、1971年3月商号変更)
- [8]1972年4月 西日本共同火力株式会社と合併
- [9]1973年3月 大島電力株式会社と合併
玄海1号機が拓いた原子力本格運用と脱石油の電源多角化
1973年10月の第一次石油危機は、火力発電の燃料費を急騰させ、石油火力に依存していた九州電力の収益を直撃した。1980年度時点で石油火力が発電電力量の38%を占める電源構成は、原油価格の変動をそのまま料金原価に持ち込む構造で、安定供給と料金安定の両面で限界を露呈した。経営合理化に踏み込んだ九州電力は1976年7月に緊急経営対策本部、1977年4月に経営効率推進本部を設置し、設備投資・組織制度・要員配置の全般見直しを開始した。同時に脱石油を旗印とする電源多角化計画を策定し、原子力・LNG・地熱・揚水水力の各電源を1980年代に集中投入する方針を固めた。 [10][11][12][13]
- エネ庁 日本のエネルギー150年の歴史
- [10]第一次石油危機は1973年10月
- 九州電力 1980年代のあゆみ
- [11]1980年度の石油火力は発電電力量の38%
- 九州電力公式 1970年代のあゆみ
- [12]1976年7月 緊急経営対策本部設置
- [13]1977年4月 経営効率推進本部設置
1975年10月15日、佐賀県玄海町に建設した玄海原子力発電所1号機(出力55.9万kW)が営業運転を開始し、九州初の原子力発電所として稼働した。同年代の関西電力美浜・東京電力福島と並ぶ加圧水型軽水炉の運用入りで、九州電力は原子力発電の運用知見を電力会社の中で早期に蓄積した事業者となった。玄海1号機の運開で原子力比率は数%台に到達し、石油依存からの脱却に向けて最初の一歩を進めた。1979年には鹿児島県薩摩川内市での川内原発1号機(出力89万kW)建設が動き始め、第二次石油危機(1979年)と相まって原子力主力化が経営方針として固まった。 [14][15][16]
- 九州電力公式 原子力発電所の概要
- [14]玄海1号機は加圧水型軽水炉(PWR)
- [15]1979年に川内原発1号機(出力89万kW)建設が動き始め、第二次石油危機は1979年
- [16]1975年10月15日 玄海原子力発電所1号機(出力55.9万kW)運転開始
電源多角化計画は原子力だけでなく、LNG・地熱・揚水水力まで含む多面的な構成だった。1983年運開の天山揚水発電所(30万kW×2基)はピーク需要への調整電源として原子力の安定運転を支え、1991年運開の新大分発電所1号系列(69万kW)はLNGコンバインドサイクルで熱効率を向上させた。1977年運開の八丁原地熱発電所2号機(5万5,000kW)は世界有数の地熱発電所として地域固有の地熱資源を活用した。石炭火力・LNG・地熱・原子力・揚水・水力を組み合わせた電源ミックスは、燃料調達の地政学リスクを分散する保険として、1990年代以降の九州電力の電源構成の骨格となった。 [17][18][19]
- 九州電力公式 1980年代のあゆみ
- [17]1983年 天山揚水発電所(30万kW×2基)運開
- [18]1991年 新大分発電所1号系列(69万kW・LNGコンバインドサイクル)運開
- 九州電力公式 1970年代のあゆみ
- [19]1977年 八丁原地熱発電所2号機(5万5,000kW)運開
- エネ庁 日本のエネルギー150年の歴史
- [10]第一次石油危機は1973年10月
- 九州電力 1980年代のあゆみ
- [11]1980年度の石油火力は発電電力量の38%
- 九州電力公式 1970年代のあゆみ
- [12]1976年7月 緊急経営対策本部設置
- [13]1977年4月 経営効率推進本部設置
- [19]1977年 八丁原地熱発電所2号機(5万5,000kW)運開
- 九州電力公式 原子力発電所の概要
- [14]玄海1号機は加圧水型軽水炉(PWR)
- [15]1979年に川内原発1号機(出力89万kW)建設が動き始め、第二次石油危機は1979年
- [16]1975年10月15日 玄海原子力発電所1号機(出力55.9万kW)運転開始
- 九州電力公式 1980年代のあゆみ
- [17]1983年 天山揚水発電所(30万kW×2基)運開
- [18]1991年 新大分発電所1号系列(69万kW・LNGコンバインドサイクル)運開