東証二部での株式公開(1987年・SMCの決断)更新:2026/07/24論点自己資金で賄える段階で上場するかSMC:業績の推移売上高(億円)当期純利益率(%)データ出所東京証券取引所市場第二部への株式上場と社名のSMCへの変更何をなぜ決めたか:東京証券取引所市場第二部への株式上場と社名のSMCへの変更概要1987年12月23日、空気圧機器専業のSMC(旧・焼結金属工業)が東京証券取引所市場第二部へ株式を上場した。準備は1982年ごろに始まり、1986年4月の社名変更を挟んで5年を費やしている。上場翌月の講演で大村進社長は、1992年3月期までの国内250億円の設備投資を利益と償却で賄えるとの見通しを示しており、資金繰りに追われた公開ではなかった。背景1959年に焼結金属のフィルターから出発した同社は、1971年までに空気圧機器の主要品種を自社で揃え、1986年度の国内シェアは42%へ達していた。海外は主要30カ国に販売とサービスの網を敷き、円高への対処としてシンガポールでの現地生産にも着手していた。内容1986年4月に社名を焼結金属工業からSMC株式会社へ改め、海外で通っていた呼称と国内の商号を一致させたうえで、1987年12月23日に東証第二部へ上場した。1992年3月期までの設備投資は国内だけで約250億円を計画し、その資金は利益と償却で足りるとした。含意上場後の業績は社長自身の見通しを上回り、1989年3月期の売上高772億円は中期計画が1992年3月期に置いた目標を3年早く超えた。1989年9月には東証第一部の銘柄に指定され、釜石工場や筑波技術センターの設置が続いた。いつ何が起きたか8件考察:資金が要る前ではなく、要らなくなった後の公開考察考察:資金が要る前ではなく、要らなくなった後の公開1987年12月の上場を、成長資金を調達するための調達と読むと説明が合わない。同社は1992年3月期までの国内250億円の設備投資を、利益と償却だけで賄える状態にあった。国内シェア42%、経常利益率11〜13%という数字を先に作り、公開はその後に置かれた。1982年ごろから5年をかけた準備は、資金の必要に追われた動きではなく、事業の型が固まった会社が対外的な資格を整える手続きであっただろう。もっとも、自己資金で賄えるという見通しは、その時点の高い利益率に支えられた条件付きのものであった。24万種類の品目を構えて短い納期に応じるやり方は、設備と在庫へ資金を寝かせ続けることを前提とし、海外生産の現地化まで含めれば投資は国内の250億円にとどまらない。上場から3年余りで釜石工場と筑波技術センターが加わった。資本市場に足場を置いた意味は、調達の額よりも、投資を止めずに済む余地を先に確保した点にあったといえる。Yutaka Sugiura, 2026年7月参考文献参考文献参考証券アナリストジャーナル 1988年2月号(日本証券アナリスト協会企業分析部会 大村進社長 講演要旨)あさひ銀総研レポート 1992年10月号(1巻1号・通巻67号)「SMCの社名の由来と空気圧機器の用途、ホロン経営」(高田芳行)SMC 有価証券報告書 第66期(2025年3月期)【沿革】SMC 会社年鑑(単体業績・1988年3月期/1989年3月期)次に読む決断SMCの意思決定1961年SMCSMCエア三点セット製造へ転換焼結フィルターから空気圧補助機器の製造への転換と、主要機構の内製化1961年同じ問い:上場による資金調達1986年東京応化工業東京応化工業フォトレジスト事業で上場東証二部への株式上場と生産能力投資の資金基盤の確保1986年1989年THKTHK株式の店頭公開公開市場からの資金調達に踏み切り、世界市場を狙う体制づくり1989年2004年アルバックアルバック東証一部上場で資金調達調達した資本の半導体・FPD製造装置の生産能力への積み増し2004年1985年加賀電子加賀電子東証二部への株式上場店頭登録から1年での東証二部上場と、無借金・在庫レス経営の公開1985年1995年MARUWAMARUWAマレーシア第3工場建設日本証券業協会への株式店頭登録と、増資資金による海外第3工場への増産投資1995年×出所