マレーシア第3工場建設(1995年・MARUWAの決断)更新:2026/07/24論点上場資金で海外工場を増設するかMARUWA:業績の推移売上高(億円)経常利益率(%)データ出所日本証券業協会への株式店頭登録と、増資資金による海外第3工場への増産投資何をなぜ決めたか:日本証券業協会への株式店頭登録と、増資資金による海外第3工場への増産投資概要1995年8月22日、丸和セラミック(現MARUWA)は日本証券業協会に株式を店頭登録した。設立から22年での公開であった。同族の会社が外部株主を迎えた最初の判断であった。背景1989年12月のマレーシア生産子会社を皮切りに、台湾・韓国・ドイツへ拠点を広げていたが、投資はほぼ自己資金で賄っていた。1995年3月期の連結売上高は58億円。世界の各ブロック圏に生産と販売を置くという構想を自前で支えるには、まだ小さい会社であった。内容店頭登録にあわせて増資を行い、調達した資金の一部をマレーシア子会社の第3棟目の工場建設に投じた。含意第3棟は1996年3月に稼働し、連結売上高は58億円から74億円へ伸びた。店頭登録は1998年12月の東証・名証二部上場、2000年3月の一部指定へ続いた。一方で筆頭株主は創業家側にとどまり、所有の構造そのものは動かなかった。いつ何が起きたか7件考察:手放したのは株式ではなかった考察考察:手放したのは株式ではなかった判断の芯にあったのは、個人的な感情に左右されるなら株式を公開した意味がない、という言葉のほうである。同族の裁量で動いてきた会社を、外部の株主に説明できる会社へ作り替えることが狙いだったのだろう。この店頭登録を、海外工場向けの資金を集める手段とだけ見るのでは足りない。もっとも、それで創業家の支配が薄まったわけではない。公開から2年半後の1998年3月末でも筆頭株主は丸和合名会社の31.6%で、神戸姓の個人株主が上位に並び、社長も神戸誠氏のままであった。入れ替わったのは所有ではなく、資金の使い道を外へ説明する義務の方だったといえる。同族の会社が株式を公開するとき、最初に手放すのは株式ではなく、説明しないでいられる自由なのかもしれない。Yutaka Sugiura, 2026年7月参考文献参考文献参考証券アナリストジャーナル 1995年 第33巻第10号 別冊付録 『丸和セラミック』(神戸誠)東海総研マネジメント 1996年4月号(通巻99号)「丸和セラミック社長 神戸誠」証券 1999年2月号(第51巻第2号・通巻599号)MARUWA 有価証券報告書【沿革】次に読む決断MARUWAの意思決定2012年MARUWAMARUWAヤマギワ株式を取得企業再生支援機構からの全株式7億円での引き受け2012年同じ問い:上場による資金調達1996年ユニオンツールユニオンツール東証二部に上場店頭登録から2年後の一部指定へ進む資本市場での歩みと香港子会社の設立1996年1998年オービックオービック東証二部への新規上場創業30年での東証二部上場と一度きりの公募増資、1年余りでの市場第一部指定1998年1998年トレンドマイクロトレンドマイクロ米国買収を避け株主還元株式公開で得た資金を米国買収に投じず市場へ返した資本政策1998年1998年NTTNTTNTTドコモの株式上場最大の収益源を資金化しつつ過半出資で支配を残した資本政策1998年1999年GMOインターネットグループGMOインターネットグループJASDAQへの店頭公開独立系インターネット接続事業者として初の店頭公開1999年×出所