NTTドコモの株式上場——稼ぎ頭を資金化しつつ過半出資で支配を残した資本政策

支配か資本効率か——公取委の引き下げ指導の下、NTTはなぜドコモを上場させ、なお過半出資を手放さなかったか

更新:

時期 1998年10月
意思決定者 宮津純一郎 NTT社長
論点 稼ぎ頭の資金化と経営権の維持
概要
1998年10月22日、NTTが95%出資する移動体子会社のNTTドコモを東京証券取引所に上場させた経営判断。公募・売り出しで国内外の市場から合計2兆1255億円を調達し、上場時の時価総額は約4兆円に達した。公正取引委員会の持ち株引き下げ指導に対しては「5割以下にはしない」と支配を残す方針を示し、稼ぎ頭を資金化しつつ経営権は手放さない資本政策であった。決定はNTT社長の宮津純一郎氏が主導した。
背景
1992年にNTTから分離したドコモは、携帯電話ブームのなかで累計シェアの過半を握る独り勝ちの状態にあり、突出した企業価値を蓄えていた。一方でNTTは筆頭株主を大蔵大臣とする特殊会社で、政府保有株の放出という課題も抱えていた。稼ぎ頭のドコモは固定電話やマルチメディアで親会社と競合し始めており、子会社の急成長が親会社の収益基盤を揺らしかねない構図にあった。
内容
国内主幹事は当初内定していた山一証券が自主廃業したため日興証券が引き継ぎ、海外はゴールドマン・サックス証券が務めた。公募価格は1株390万円。上場はNTT株の第4次売却を控えた大蔵省の思惑とも絡み、ドコモ株の売却でまずNTTの企業価値を高め、そのうえでNTT株を売るという二段構えの資金化として設計された。NTTには約8500億円の売却益が入った。
含意
稼ぎ頭を市場で資金化しながら過半の出資で支配を残す選択は、資本効率と経営権のどちらを優先するかという緊張をはらんでいた。22年後の2020年、NTTは同じドコモを約4.3兆円のTOBで完全子会社化して上場を解消しており、本件はその「上場から買い戻し」という往復を最初に体現した判断であった。
筆者の見解

支配と資本効率のあいだで

ドコモ上場は、稼ぎ頭をどう扱うかという問いにNTTが最初に出した答えであった。市場で資金化して価値を顕在化させながら、過半の出資で経営権は握り続ける——資本効率と支配を同時に取りにいく設計には、独占の議論をかわしつつ果実は手放さないという計算が働いていたとみることができる。上場子会社という二重構造は、少数株主への配慮と親会社の一体経営とが常に引き合う不安定さをはらむが、当時のNTTはその緊張を抱えたまま前へ進む道を選んだといえる。

興味深いのは、この判断がおよそ四半世紀を経て裏返された点である。2020年、NTTは同じドコモを約4.3兆円のTOBで完全子会社化し、みずから作った上場という器を解いた。市場からの資金化を優先した1998年と、支配の一体化を優先した2020年は、支配と資本効率のどちらを優先するかという同じ問いへの、時代の異なる答えとして向かい合う。稼ぎ頭を切り出し、また買い戻すという往復のなかに、上場子会社をめぐる経営判断の難しさがうかがえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

独り勝ちのドコモと突出した企業価値

NTTドコモは、1992年にNTTの移動体通信部門が分離して生まれた会社である。携帯電話の普及が爆発的に進んだ1990年代後半、ドコモは全国網の先行整備と積極的な料金値下げ、小型端末の連投で他社を引き離し、累計契約シェアの過半を握る独り勝ちの状態に入っていた。1997年初めの首都圏では、新規契約の約89%がドコモに集中していた。競合の新電電各社がなお累積損失を抱えるなかで、その突出した収益力が際立っていた[1]

業績の伸びも著しかった。1998年3月期の連結売上高は前期比23%増の2兆4120億円、純利益は倍増の600億円が見込まれ、規模と成長率の両面で親会社に迫る勢いにあった。株式市場では、1株利益16万円に株価収益率70倍を当てはめた試算で時価総額は約4兆円と見積もられ、上場すれば日本の時価総額上位に一気に食い込むと目された。外資規制の撤廃も重なり、上場前から外国人投資家の関心を集めていた[2]

民営化NTTと政府保有株・公取委の視線

上場をめぐるもう一方の当事者は、親会社のNTTであった。稼ぎ頭のドコモは、固定電話やマルチメディアの分野で親会社と競合し始めていた。契約が携帯へ移るほどNTT本体の通話収入が細り、固定電話の解約が進めば加入時の施設設置負担金も入らなくなる。子会社の急成長がそのまま親会社の収益基盤を揺らしかねない関係にあり、NTTはドコモを放っておけなくなっていた[3]

こうした競合関係を背景に、公正取引委員会はドコモ上場に際してNTTへ持ち株比率の引き下げを求めた。当時のNTTのドコモ出資比率は95%に達しており、突出した支配力そのものが独占の議論を招いていた。これに対しNTTは、比率を下げても「5割以下にはしない」として、過半の支配は手放さないと譲らなかった。宮津純一郎社長は「勝ち過ぎたからそういう議論になる」と述べ、ドコモの強さゆえの制約であるとの認識を示した[4]

決断

支配を残す上場という選択

NTTが選んだのは、ドコモを株式市場で資金化しながら経営権は手放さないという道であった。95%の出資を過半まで薄めて上場益を得る一方、公取委が促す5割割れは拒み、連結子会社としての支配は維持する。稼ぎ頭を切り出して純粋な独立会社にするのではなく、資本効率と支配の両取りをねらう構えであった。上場の時期は当初1998年8〜9月と見込まれ、今世紀最後の大型公開として市場の耳目を集めた[5]

上場を前にした経営陣も動いていた。ドコモを率いる大星公二社長は次世代携帯の旗振り役として会長へ退く意向をにじませ、NTTは1997年6月、無線技術に通じた立川敬二氏を次期社長含みで副社長に送り込んでいた。親会社の統制を効かせたいNTTと、ブランドが浸透して「NTTの冠は要らない」とまで語るドコモとのあいだには、上場を前にした綱引きも走っていた[6]

主幹事の変転と大蔵省の二段シナリオ

上場の主幹事をめぐっては曲折があった。国内の主幹事は当初、大星社長と関係の深い山一証券に内定していた。ところが1997年11月に山一証券が自主廃業に追い込まれ、お鉢は急きょ日興証券へ回った。海外主幹事にはゴールドマン・サックス証券が就いた。ドコモが公募と売り出しで国内外の市場から調達する額は合計2兆1255億円にのぼり、引き受けた日興証券には200億円近い手数料が入るとみられた[7]

この上場には、財政難の大蔵省の思惑も濃く絡んでいた。NTTの筆頭株主は大蔵大臣で、政府は10年ぶりとなるNTT株の第4次売却を控えていた。大型株の相次ぐ放出で市場の需給が崩れることを恐れた大蔵省は、まずドコモ株の公開益と含み益でNTTの企業価値を高め、そのうえでNTT株を売るという二段構えを描いたとされる。ドコモ上場でNTTには売却益が約8500億円入り、続くNTT株放出を側面から支える設計であった[8]

結果

1998年10月の上場とNTT株放出への接続

1998年10月22日、NTTドコモは東京証券取引所に上場した。公募価格は1株390万円と決まり、20世紀最後の大型公開として初値に注目が集まった。未公開株の割り当てをめぐっては、時の首相の実兄や有力政治家の親族の名が取り沙汰され、優先的な取得への批判も起きた。稼ぎ頭を市場に開く判断は、こうした話題性もあって世間の耳目を一身に集めた[9]

上場は、大蔵省が描いた二段シナリオの第一段として機能した。ドコモ株の売却でNTTには約8500億円が入り、企業価値を高めたうえで政府はNTT株の第4次売却へ進んだ。NTTはドコモ売却益の株主還元として自社株消却も取り沙汰された。稼ぎ頭を切り出して資金を得つつ過半出資で支配を残すという当初の狙いは、こうして一連の資本政策のなかに収まった。もっとも、投資家にとってNTT株もドコモ株も将来の値上がりが保証されたわけではなかった[10]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 1997年9月27日号「『圧勝』ドコモ NTTをも脅かす今世紀最後の大物上場が近づいた」
  • 週刊東洋経済 1998年10月24日号「ドコモ上場で真に笑うのは誰か?」
  • 日本電信電話 有価証券報告書(単体)