齋藤憲三は「2勝98敗」を自認する連続起業家であり、加藤博士は「欧米の模倣ではない日本独自の工業」を志す研究者であった。両者の出会いは偶然だが、フェライトの工業化に踏み切れたのは、鐘淵紡績の津田信吾社長が私財10万円を提供したからである。会社の資金ではなく個人の財産を投じたという…
大歳専務は生産能力の裏付けなく5万巻の受注を決断した。通常のリスク管理からすれば無謀な判断である。しかし、この即断を可能にしたのは、大歳自身が初代テープ事業部長として現場の能力を知悉していたこと、素野社長がビデオをポスト・カラーテレビの本命と読んでいたこと、そして「責任はオレがと…
日本企業にとって黒字子会社の売却は心理的障壁が高い。佐藤博が売却を決断できたのは、1年前に「重点分野への集中」を経営戦略として明文化していたからである。戦略を先に言語化し、その戦略に照らして個別案件の是非を判断するという順序が、感情的な抵抗を抑えた。さらに、売却先のテキサス・イン…
ATL買収のリターンは結果として巨大だが、2005年時点のTDKがスマートフォン市場の爆発的成長を正確に予測していたわけではない。むしろ注目すべきは、約87億円という「失敗しても致命傷にならない」規模で電池市場に橋頭堡を築いたこと自体の設計である。8年前のSilicon Syst…
TDKは2007年に販売事業を売却し、2013年に生産から撤退するという6年間の段階的プロセスで記録メディアから撤退した。ブランドの使用権は買収先に残すことで消費者への影響を最小化し、自社は事業リソースをATLやEPCOSに集中させた。「一気に切る」のではなく「段階的に切り離す」…