TDK の歴史

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創業 1935年
創業者 齋藤憲三
創業地 東京都
創業
1935年12月7日、齋藤憲三氏が東京市芝区で資本金2万円の東京電気化学工業を設立した。東京工業大学の加藤与五郎氏と武井武氏が1930年に発明した世界初の酸化物磁性体フェライトは、用途も市場も定まらず、発明から5年たっても工業化する会社が現れなかった。齋藤氏は両氏からフェライトの特許実施権を譲り受けて工業化に着手し、社名を同大学電気化学科の英語頭文字から取っている。設備に要る10万円は資本金では足りず、鐘淵紡績の津田信吾社長が私財10万円を出して1936年10月に資本金12万円へ増資し、1937年7月に蒲田工場でフェライトコアの量産へ世界で初めて到達した。1940年に松下電器のラジオへ採用され、1961年9月に東京証券取引所へ上場、1983年3月に社名をTDKへ改めている。
決断
売却した事業の代金が、次の主力の買値になっている。1952年10月に磁気録音テープの生産を始め、1966年6月にはフィリップス規格のカセットテープへ参入して自社ブランドの完成品を持った。新磁性材料アビリンなど素材の独自開発でブランドを押し上げ、1982年に磁気テープの世界シェア31.5%で首位に立つと、同年6月にはニューヨーク上場を機にグローバル電子部品メーカーへ立ち位置を移した。1997年には黒字子会社シリコンシステムズを632億円で売却して磁気ヘッドへ集中投資し、その利益を元手に2005年5月、香港のリチウムポリマー電池会社ATLを約87億円で取得している。小さく取得した会社が次の大きな買収の原資を生んだことが、撤退を損失ではなく次の主力の元手に変えた。
現況
売上の過半は電池が生み、その電池は中国で作られている。2026年3月期の売上高2兆5,048億円のうちエナジー応用製品が1兆3,703億円と54.7%を占め、営業利益2,724億円のうち2,467億円もこの区分から出た。地域別では中国が1兆3,780億円で55.0%にあたり、日本は1,835億円にとどまる。受動部品5,988億円は、2008年に約1,700億円で独EPCOSを買収して高周波部品とセンサ、欧州の販路を補った領域である。磁気応用製品2,632億円、センサ応用製品2,248億円が続く。磁気テープが売上の半分を占めた1982年の構成が、品目を電池へ替えたまま戻っている。
競合
受動部品では追う側にいて、電池では追われる側にいる。携帯電話向けの高周波部品やセンサでは村田製作所などに後れを取り、欧州の販路も手薄だったため、2008年にEPCOSを買収して弱い領域を外から埋めた。一方、2005年に87億円で取得したATLはスマートフォン向け電池で世界シェア5割台の最大手の一角へ育っている。その村田製作所も2017年にソニーの電池事業を取得して、同じ電池市場へ入ってきた。京セラを含め、電子部品で並ぶ相手はいずれも自社にない領域を買収で揃える。弱い領域を外から埋め、強い領域は取得した会社が自ら育てたことが、追う立場と追われる立場を一社の中に同居させた。
TDK:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

創業ストーリー フェライト工業化から磁気テープで世界首位へ至る創業期 (1935年〜)

フェライト工業化と戦後のラジオ部品メーカーとしての急成長

1930年、東京工業大学の加藤与五郎博士と武井武博士が世界初の酸化物磁性体フェライトを発明した[1]。独創性のある工業こそが工業だという加藤博士の信念に共鳴した齋藤憲三は、1935年12月7日に資本金2万円を携えて東京市芝区に東京電気化学工業を設立した。[2]鐘淵紡績の津田信吾社長が私財10万円を提供したことで量産への道が開け、1937年に蒲田工場を新設してフェライトコアの製品化に世界で初めて成功し、これを『オキサイドコア』の商品名で売り出した。[3][4]1940年には平沢工場も稼働させ、[5]終戦までに同社はフェライトコアをのべ500万個ほど軍民向けに出荷する規模に達した。山崎貞一は当時を『この偉大なる発明品もさっぱり売れない』[引用元](経済往来 1963/5)と回想し、1940年に『松下電器によって初めて採用された』[引用元](経済往来 1963/5)と語った。[6]

  • TDK 有価証券報告書 第129期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1930年に東京工業大学の加藤与五郎・武井武が世界初の酸化物磁性体フェライトを発明(1932年特許)
    • [2]1935年12月7日 齋藤憲三が資本金2万円で東京市芝区に東京電気化学工業を設立(創業者・初代社長)
    • [3]1937年に蒲田工場を新設しフェライトコアの製品化に世界で初めて成功
    • [5]1940年に平沢工場が稼働(沿革は1940年7月 平沢工場新設)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [4]1937年(昭和12年)東京蒲田の新工場でフェライトコアを「オキサイドコア」の商品名で売り出した
  • 経済往来(1963年5月)
    • [6]フェライトコアは1940年に松下電器によって初めて採用(山崎貞一回顧・経済往来1963/5)

戦後は連合国軍総司令部のスーパーヘテロダイン令で、フェライトコアが中間周波トランスの中核部品として不可欠となり、[7]同社はラジオ部品メーカーとして伸びた。1959年の経済時代は『戦後、特にスーパー受信機が発達し、いわゆる無線時代の波が押し寄せた』[引用元]『平沢工場は電子工業部門の本命とされる磁性材料フェライト生産工場』[引用元]と伝えた。[8]1951年に目黒研究所を開設して基礎研究体制を整え、[9]チタン酸バリウムコンデンサ『アルコン』を商品化し、[10]1952年10月に東京・清水工場で磁気録音テープ『シンクロテープ』の生産を開始、[11][12]翌年3月には秋田県の琴浦工場に磁器コンデンサの全生産設備を集約した。[13]フェライトという単一の素材技術から、セラミックコンデンサと磁気テープの二領域を同時並行で切り拓き、材料技術を事業の原点に据える経営スタイルが同社の背骨となった。

  • TDK 有価証券報告書 第129期(2025年3月期)【沿革】
    • [7]戦後GHQのスーパーヘテロダイン令でフェライトコアが中間周波トランスの中核部品として不可欠化
    • [9]1951年に目黒研究所を開設(沿革は1951年4月 目黒研究所開設)
    • [11]1952年10月 東京・清水工場で磁気録音テープの生産開始
    • [13]1953年3月 秋田・琴浦工場へ磁器コンデンサの全生産設備を移転集約
  • 経済時代(1959年11月)
    • [8]経済時代1959/11の論評(平沢工場は磁性材料フェライト生産工場・無線時代の波)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [10]チタン酸バリウムコンデンサを「アルコン」の商品名で商品化(明治百年は昭和26年=1951年)
    • [12]磁気録音テープを「シンクロテープ」の商品名で発売(明治百年は昭和27年=1952年)

1961年6月に事業部制を採用し、[14]同年9月に東京証券取引所へ上場した。1965年に読売新聞が集積回路を『電子計算機の歴史に技術的な革命をもたらした』[引用元]と伝えたように、[15]半導体の台頭は同社の事業基盤を揺るがしかねない変化だった。しかし山崎貞一はICの出現によっても自社はほとんど影響を受けないと断じ、[16]記憶装置用のメモリ・フェライトと磁気テープで記憶分野に主軸を残す方針を示した。1969年12月に長野県佐久市に千曲川工場を竣工して磁気テープ生産を本格化させ、[17]1970年6月に静岡県相良町の静岡工場でマグネット生産も立ち上げた。[18]

  • TDK 有価証券報告書 第129期(2025年3月期)【沿革】
    • [14]1961年6月に事業部制を採用
    • [17]1969年12月 長野県佐久市に千曲川工場を竣工し磁気テープ生産を本格化
    • [18]1970年6月 静岡県相良町の静岡工場でマグネット生産を立ち上げ
  • 読売新聞(1965年9月7日)
    • [15]読売新聞1965/9/7が集積回路を「電子計算機の歴史に技術的な革命をもたらした」と論評
  • 証券アナリストジャーナル(1966年10月)
    • [16]山崎貞一「ICの出現によっても当社はほとんど影響を受けない」(証券アナリストジャーナル1966/10)
  • TDK 有価証券報告書 第129期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1930年に東京工業大学の加藤与五郎・武井武が世界初の酸化物磁性体フェライトを発明(1932年特許)
    • [2]1935年12月7日 齋藤憲三が資本金2万円で東京市芝区に東京電気化学工業を設立(創業者・初代社長)
    • [3]1937年に蒲田工場を新設しフェライトコアの製品化に世界で初めて成功
    • [5]1940年に平沢工場が稼働(沿革は1940年7月 平沢工場新設)
    • [7]戦後GHQのスーパーヘテロダイン令でフェライトコアが中間周波トランスの中核部品として不可欠化
    • [9]1951年に目黒研究所を開設(沿革は1951年4月 目黒研究所開設)
    • [11]1952年10月 東京・清水工場で磁気録音テープの生産開始
    • [13]1953年3月 秋田・琴浦工場へ磁器コンデンサの全生産設備を移転集約
    • [14]1961年6月に事業部制を採用
    • [17]1969年12月 長野県佐久市に千曲川工場を竣工し磁気テープ生産を本格化
    • [18]1970年6月 静岡県相良町の静岡工場でマグネット生産を立ち上げ
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [4]1937年(昭和12年)東京蒲田の新工場でフェライトコアを「オキサイドコア」の商品名で売り出した
    • [10]チタン酸バリウムコンデンサを「アルコン」の商品名で商品化(明治百年は昭和26年=1951年)
    • [12]磁気録音テープを「シンクロテープ」の商品名で発売(明治百年は昭和27年=1952年)
  • 経済往来(1963年5月)
    • [6]フェライトコアは1940年に松下電器によって初めて採用(山崎貞一回顧・経済往来1963/5)
  • 経済時代(1959年11月)
    • [8]経済時代1959/11の論評(平沢工場は磁性材料フェライト生産工場・無線時代の波)
  • 読売新聞(1965年9月7日)
    • [15]読売新聞1965/9/7が集積回路を「電子計算機の歴史に技術的な革命をもたらした」と論評
  • 証券アナリストジャーナル(1966年10月)
    • [16]山崎貞一「ICの出現によっても当社はほとんど影響を受けない」(証券アナリストジャーナル1966/10)

ビデオテープ大増産と磁気テープ世界シェア首位獲得への一気呵成

1966年に国産第一号のカセットテープを生産し、[19]1968年に世界初の音楽用カセットテープ『SDカセット』を発表した。[20]1977年9月の週刊東洋経済は『磁気テープが利益下支え』(週刊東洋経済 1977/9/10)と伝え、[21]磁気テープが石油不況期の利益を支える柱に育ったと指摘した。オーディオ用カセットテープで月産1千万巻の世界首位に立った同社に、1977年4月、松下寿電子工業の稲井隆義社長からビデオテープ5万巻の緊急要請が舞い込んだ。月産3千巻に満たない生産能力しかなかったにもかかわらず、大歳寛専務は『責任はオレがとる』(永田清寿『TDK世界一の秘密』)と即座に受注を決断し、[22]休日返上の昼夜兼行体制を敷いて夏場までに全量を納入した。不況期に投資で先行する姿勢を素野福次郎社長は『みんなの反対やってきたということじゃないの』[引用元](日経ビジネス 1977/6/6)と語った。[23]

  • TDK 有価証券報告書 第129期(2025年3月期)【沿革】
    • [19]1966年に国産第一号カセットテープを生産
  • 週刊東洋経済 1977年9月10日号
    • [20]1968年に世界初の音楽用カセットテープ「SDカセット」を発表
  • 週刊東洋経済(1977年9月10日)
    • [21]週刊東洋経済1977/9/10「磁気テープが利益下支え」
  • 永田清寿『TDK世界一の秘密』(東都書房)
    • [22]大歳寛専務「責任はオレがとる」と即決受注(永田清寿『TDK世界一の秘密』)
  • 日経ビジネス(1977年6月6日)
    • [23]素野福次郎社長の不況期投資先行に関する発言(日経ビジネス1977/6/6)

1977年末には月産10万巻に達し、翌年50万巻、翌々年100万巻と4年連続で倍増に近いペースを維持した。1982年10月に大分県日田市の三隈川工場を竣工して磁気テープ量産を立ち上げ、[24]秋田工場と合わせた大量生産体制を築いた。同年、磁気テープの世界シェア3割強を獲得して首位に立ち、[25]テープの売上構成比は1970年の約2割から1982年に約5割へ伸びた。売上高営業利益率は1979年に2割を超えて過去最高を記録し、1982年6月にはニューヨーク証券取引所にも株式を上場するなど、[26]国際的な資金調達基盤も前後して整った。磁気テープの世界市場での優位と厚い財務基盤が相乗効果を生み、国際的な電子部品メーカーとしての地位を決定づけた時期である。

  • TDK 有価証券報告書 第129期(2025年3月期)【沿革】
    • [24]1982年10月 大分県日田市の三隈川工場を竣工し磁気テープ量産を立ち上げ
    • [26]1982年6月 ニューヨーク証券取引所に上場
  • 永田清寿『TDK世界一の秘密』(東都書房)
    • [25]1982年 磁気テープの世界シェア3割強(約31.5%)で首位

1983年3月に社名をTDK株式会社へ改め、[27]同年5月にロンドン証券取引所にも上場した。[28]磁気テープで世界首位に立った1983年5月、日経ビジネスは『テープに次ぐ高収益商品をTDKは用意しているのだろうか』[引用元]と問い、素野福次郎会長は『蒔いたタネの実はすべて刈り取ってしまった。いまから捲くタネは育ってもあまり太い幹になりそうもない』[引用元]と答えた。[29]1985年1月には国内初の『完全無担保普通社債』を発行するなど、[30]財務基盤の厚さは国内メーカーのなかでも際立って評価された。1982年11月に山梨県甲西町に甲府南工場を竣工して磁気ヘッドの生産に着手し、[31]磁気テープで得たキャッシュフローを次世代の磁気応用製品への設備投資へ振り向ける事業入替の布石が打たれた。

  • TDK 有価証券報告書 第129期(2025年3月期)【沿革】
    • [27]1983年3月 社名をTDK(ティーディーケイ株式会社)へ変更
    • [28]1983年5月 ロンドン証券取引所に上場
    • [30]1985年1月 国内初の「完全無担保普通社債」を発行
    • [31]1982年11月 山梨県甲西町に甲府南工場を竣工し磁気ヘッド生産に着手
  • 日経ビジネス(1983年5月16日)
    • [29]素野福次郎会長「蒔いたタネの実はすべて刈り取ってしまった…」(日経ビジネス1983/5/16)
  • TDK 有価証券報告書 第129期(2025年3月期)【沿革】
    • [19]1966年に国産第一号カセットテープを生産
    • [24]1982年10月 大分県日田市の三隈川工場を竣工し磁気テープ量産を立ち上げ
    • [26]1982年6月 ニューヨーク証券取引所に上場
    • [27]1983年3月 社名をTDK(ティーディーケイ株式会社)へ変更
    • [28]1983年5月 ロンドン証券取引所に上場
    • [30]1985年1月 国内初の「完全無担保普通社債」を発行
    • [31]1982年11月 山梨県甲西町に甲府南工場を竣工し磁気ヘッド生産に着手
  • 週刊東洋経済 1977年9月10日号
    • [20]1968年に世界初の音楽用カセットテープ「SDカセット」を発表
  • 週刊東洋経済(1977年9月10日)
    • [21]週刊東洋経済1977/9/10「磁気テープが利益下支え」
  • 永田清寿『TDK世界一の秘密』(東都書房)
    • [22]大歳寛専務「責任はオレがとる」と即決受注(永田清寿『TDK世界一の秘密』)
    • [25]1982年 磁気テープの世界シェア3割強(約31.5%)で首位
  • 日経ビジネス(1977年6月6日)
    • [23]素野福次郎社長の不況期投資先行に関する発言(日経ビジネス1977/6/6)
  • 日経ビジネス(1983年5月16日)
    • [29]素野福次郎会長「蒔いたタネの実はすべて刈り取ってしまった…」(日経ビジネス1983/5/16)

記録メディア市場の成熟と磁気ヘッドへの軸足移動による事業入替の胎動

1980年代半ば以降、コンパクトディスクや光磁気ディスクの台頭でオーディオカセットの需要が鈍化し、磁気テープ事業の成長にも限界が見え始めた。同社は1986年8月に香港の磁気ヘッド製造会社SAEマグネティクス香港を買収してハードディスクドライブ用磁気ヘッド事業に本格参入し、[32]記録メディア市場の成熟に先手を打った。磁性材料の知見をハードディスク用ヘッドの薄膜形成技術へ転用する素材レベルでの技術応用であり、後年の電池事業参入にまで通じる事業入替手法の原型がここで形を取った。磁気テープ事業で稼いだ資金を磁気ヘッドへ振り向ける手法そのものが、成長期のうちに次の柱を仕込む思想を具体化した。

  • TDK 有価証券報告書 第129期(2025年3月期)【沿革】
    • [32]1986年8月 香港のSAEマグネティクス香港を買収しHDD用磁気ヘッド事業に参入

平成不況下の1992年度は売上高が前期比1割減、経常利益が4割強の減少と減収減益に見舞われた。第五代社長の佐藤博は『重点分野への集中』を掲げ、磁気抵抗効果ヘッド、光ディスク、高周波部品、半導体応用製品の四事業を戦略分野に選定した。1990年5月に千葉県成田市に基礎材料研究所を新設し、[33]同年9月に市川テクニカルセンターも立ち上げて研究開発基盤を強化した。[34]材料技術をキーワードに、次世代事業の仕込みと既存事業の取捨選択を同時並行で進める方針が、この頃からなった。バブル崩壊後の厳しい事業環境のなかで、技術の連鎖を頼りに次の成長領域を探索する独自の経営が、輪郭を帯びる転換点でもあった。

  • TDK 有価証券報告書 第129期(2025年3月期)【沿革】
    • [33]1990年5月 千葉県成田市に基礎材料研究所を新設
    • [34]1990年9月 千葉県市川市に市川テクニカルセンターを新設

1997年に黒字子会社シリコンシステムズを632億円で売却し、その売却代金を磁気抵抗効果ヘッドへ集中投資した。この意思決定は3期連続の二桁成長をもたらし、記録デバイス部門は連結売上高の3割近くを占めるまでに伸びた。2000年3月には米国の磁気ヘッド製造会社ヘッドウェイ・テクノロジーズも買収し、ハードディスク用磁気ヘッド事業の技術基盤を米国側[35]にも広げた。テープ一辺倒からの脱却と磁気応用製品への主力交代という事業ポートフォリオ転換が形を取った。黒字子会社の売却代金を次世代事業へ振り向ける思い切った資金配分は、以後の同社のM&A戦略の基本型となった。

  • TDK 有価証券報告書 第129期(2025年3月期)【沿革】
    • [35]2000年3月 米国Headway Technologiesを買収しHDD用磁気ヘッド事業を米国側にも拡大
  • TDK 有価証券報告書 第129期(2025年3月期)【沿革】
    • [32]1986年8月 香港のSAEマグネティクス香港を買収しHDD用磁気ヘッド事業に参入
    • [33]1990年5月 千葉県成田市に基礎材料研究所を新設
    • [34]1990年9月 千葉県市川市に市川テクニカルセンターを新設
    • [35]2000年3月 米国Headway Technologiesを買収しHDD用磁気ヘッド事業を米国側にも拡大

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TDKの沿革1930〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
世界初の酸化物磁性体「フェライト」の発明
1935〜1997年フェライト工業化から磁気テープで世界首位へ至る創業期TDK創業——大学の世界初フェライトを、資本金2万円と私財10万円で工業化するまで

1935年12月7日、連続起業家の齋藤憲三氏が東京市芝区で資本金2万円の東京電気化学工業株式会社を設立し、東京工業大学の加藤与五郎氏・武井武氏が1930年に発明した世界初の酸化物磁性体フェライトの工業化に踏み切った。設備投資10万円の不足を鐘淵紡績の津田信吾氏が私財10万円で補い、1937年に蒲田工場でフェライトコアの世界初量産に到達、戦後はGHQスーパーヘテロダイン令を追い風にラジオ部品メーカーとして伸びた。

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★★★
フェライトコアの製品化に世界で初めて成功
蒲田工場を新設
GHQがスーパーヘテロダイン令を交付
セラミックコンデンサーの生産開始
清水工場を新設・磁気テープ生産開始★★
磁気テープ製品第1号を発売
NHKの放送用テープとして認定
事業部制組織形態を採用
東京証券取引所に株式上場
カセットテープ参入とSDカセットによる自社ブランドの世界展開

1966年、フェライトを源流とする素材メーカーの東京電気化学工業(TDK)が、フィリップス社と特許契約を結んでコンパクトカセットの国産第1号を生産し、同年6月にカセットテープの販売を始めた。素野福次郎氏の主導で、消費者と直接つながる自社ブランド商品を手にした経営判断。

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★★★
世界初の音楽用カセットテープ「SDカセット」を発表
千曲川工場を竣工・磁気テープ量産
米国預託証券(ADR)を発行
VHS用ビデオテープの大増産
成田工場を竣工・希土類磁石生産
売上高営業利益率20.1%を記録
大歳寛磁気テープで世界シェア31.5%、首位を獲得
大歳寛磁気テープ世界首位とニューヨーク上場を機とするグローバル電子部品メーカーへの転換

1982年、磁気テープの生産金額で世界シェア首位に立った東京電気化学工業(TDK)が、素野福次郎社長のもとで6月にニューヨーク証券取引所へ上場し、翌年には社名をTDKへ改めてロンドンにも上場した。フェライトコアを納める国内の素材メーカーから、自社ブランドを世界の資本市場と消費者に問うグローバル電子部品メーカーへ立ち位置を移した経営判断。

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★★★
大歳寛社名を「ティーディーケイ」に変更
大歳寛国内初の「完全無担保普通社債」を発行
大歳寛SAE Magneticsを買収、HDD用ヘッド事業に参入★★
大歳寛黒字子会社を売却
大歳寛磁気ヘッドに集中投資★★
1998〜2014年デジタル危機を経て電池事業を新たな柱に据え直す転換期大歳寛上場来初の営業赤字に転落
大歳寛リチウムイオン電池メーカーATLを買収★★
大歳寛Invensysから電源事業ラムダパワーを買収
上釜健宏TDKブランド記録メディア事業の売却と磁気テープ生産撤退★★
上釜健宏独EPCOSの買収による受動部品・センサー領域への事業補完

2008年7月31日、TDKがドイツの電子部品大手EPCOS社と事業統合契約を結び、同社の全株式を対象とする公開買付け(TOB)を表明した経営判断。買い付け総額は約2000億円で、TDKにとって過去最大のM&Aとなった。上釜健宏社長の主導により、手薄だった高周波部品・センサー・自動車向けモジュールと欧州基盤を補完する狙いで実施された。

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★★★
上釜健宏磁気テープ事業からの撤退を発表
2015〜2026年電池を柱とする2兆円企業への飛躍と次の成長軸模索の時代石黒成直Qualcommと合弁RF360で高周波部品移管★★
石黒成直InvenSenseを約1,427億円で買収★★
齋藤昇連結売上高2兆円を突破
齋藤昇創業90周年、売上高2兆2,048億円
出典・参考
  • TDK 有価証券報告書 第129期(2025年3月期)【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • 永田清寿『TDK世界一の秘密』(東都書房)
  • 証券アナリストジャーナル(1966年10月)
  • 週刊東洋経済 1977年9月10日号
  • 週刊東洋経済(1977年9月10日)
  • 日経ビジネス(1977年6月6日)
  • 日経ビジネス(1983年5月16日)
  • 読売新聞(1965年9月7日)
  • 経済時代(1959年11月)
  • 経済往来(1963年5月)

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