1930年、東京工業大学の加藤与五郎博士と武井武博士が世界初の酸化物磁性体フェライトを発明した[1]。独創性のある工業こそが工業だという加藤博士の信念に共鳴した齋藤憲三は、1935年12月7日に資本金2万円を携えて東京市芝区に東京電気化学工業を設立した。[2]鐘淵紡績の津田信吾社長が私財10万円を提供したことで量産への道が開け、1937年に蒲田工場を新設してフェライトコアの製品化に世界で初めて成功し、これを『オキサイドコア』の商品名で売り出した。[3][4]1940年には平沢工場も稼働させ、[5]終戦までに同社はフェライトコアをのべ500万個ほど軍民向けに出荷する規模に達した。山崎貞一は当時を『この偉大なる発明品もさっぱり売れない』[引用元](経済往来 1963/5)と回想し、1940年に『松下電器によって初めて採用された』[引用元](経済往来 1963/5)と語った。[6]
戦後は連合国軍総司令部のスーパーヘテロダイン令で、フェライトコアが中間周波トランスの中核部品として不可欠となり、[7]同社はラジオ部品メーカーとして伸びた。1959年の経済時代は『戦後、特にスーパー受信機が発達し、いわゆる無線時代の波が押し寄せた』[引用元]『平沢工場は電子工業部門の本命とされる磁性材料フェライト生産工場』[引用元]と伝えた。[8]1951年に目黒研究所を開設して基礎研究体制を整え、[9]チタン酸バリウムコンデンサ『アルコン』を商品化し、[10]1952年10月に東京・清水工場で磁気録音テープ『シンクロテープ』の生産を開始、[11][12]翌年3月には秋田県の琴浦工場に磁器コンデンサの全生産設備を集約した。[13]フェライトという単一の素材技術から、セラミックコンデンサと磁気テープの二領域を同時並行で切り拓き、材料技術を事業の原点に据える経営スタイルが同社の背骨となった。
1961年6月に事業部制を採用し、[14]同年9月に東京証券取引所へ上場した。1965年に読売新聞が集積回路を『電子計算機の歴史に技術的な革命をもたらした』[引用元]と伝えたように、[15]半導体の台頭は同社の事業基盤を揺るがしかねない変化だった。しかし山崎貞一はICの出現によっても自社はほとんど影響を受けないと断じ、[16]記憶装置用のメモリ・フェライトと磁気テープで記憶分野に主軸を残す方針を示した。1969年12月に長野県佐久市に千曲川工場を竣工して磁気テープ生産を本格化させ、[17]1970年6月に静岡県相良町の静岡工場でマグネット生産も立ち上げた。[18]
1966年に国産第一号のカセットテープを生産し、[19]1968年に世界初の音楽用カセットテープ『SDカセット』を発表した。[20]1977年9月の週刊東洋経済は『磁気テープが利益下支え』(週刊東洋経済 1977/9/10)と伝え、[21]磁気テープが石油不況期の利益を支える柱に育ったと指摘した。オーディオ用カセットテープで月産1千万巻の世界首位に立った同社に、1977年4月、松下寿電子工業の稲井隆義社長からビデオテープ5万巻の緊急要請が舞い込んだ。月産3千巻に満たない生産能力しかなかったにもかかわらず、大歳寛専務は『責任はオレがとる』(永田清寿『TDK世界一の秘密』)と即座に受注を決断し、[22]休日返上の昼夜兼行体制を敷いて夏場までに全量を納入した。不況期に投資で先行する姿勢を素野福次郎社長は『みんなの反対やってきたということじゃないの』[引用元](日経ビジネス 1977/6/6)と語った。[23]
1977年末には月産10万巻に達し、翌年50万巻、翌々年100万巻と4年連続で倍増に近いペースを維持した。1982年10月に大分県日田市の三隈川工場を竣工して磁気テープ量産を立ち上げ、[24]秋田工場と合わせた大量生産体制を築いた。同年、磁気テープの世界シェア3割強を獲得して首位に立ち、[25]テープの売上構成比は1970年の約2割から1982年に約5割へ伸びた。売上高営業利益率は1979年に2割を超えて過去最高を記録し、1982年6月にはニューヨーク証券取引所にも株式を上場するなど、[26]国際的な資金調達基盤も前後して整った。磁気テープの世界市場での優位と厚い財務基盤が相乗効果を生み、国際的な電子部品メーカーとしての地位を決定づけた時期である。
1983年3月に社名をTDK株式会社へ改め、[27]同年5月にロンドン証券取引所にも上場した。[28]磁気テープで世界首位に立った1983年5月、日経ビジネスは『テープに次ぐ高収益商品をTDKは用意しているのだろうか』[引用元]と問い、素野福次郎会長は『蒔いたタネの実はすべて刈り取ってしまった。いまから捲くタネは育ってもあまり太い幹になりそうもない』[引用元]と答えた。[29]1985年1月には国内初の『完全無担保普通社債』を発行するなど、[30]財務基盤の厚さは国内メーカーのなかでも際立って評価された。1982年11月に山梨県甲西町に甲府南工場を竣工して磁気ヘッドの生産に着手し、[31]磁気テープで得たキャッシュフローを次世代の磁気応用製品への設備投資へ振り向ける事業入替の布石が打たれた。
1980年代半ば以降、コンパクトディスクや光磁気ディスクの台頭でオーディオカセットの需要が鈍化し、磁気テープ事業の成長にも限界が見え始めた。同社は1986年8月に香港の磁気ヘッド製造会社SAEマグネティクス香港を買収してハードディスクドライブ用磁気ヘッド事業に本格参入し、[32]記録メディア市場の成熟に先手を打った。磁性材料の知見をハードディスク用ヘッドの薄膜形成技術へ転用する素材レベルでの技術応用であり、後年の電池事業参入にまで通じる事業入替手法の原型がここで形を取った。磁気テープ事業で稼いだ資金を磁気ヘッドへ振り向ける手法そのものが、成長期のうちに次の柱を仕込む思想を具体化した。
平成不況下の1992年度は売上高が前期比1割減、経常利益が4割強の減少と減収減益に見舞われた。第五代社長の佐藤博は『重点分野への集中』を掲げ、磁気抵抗効果ヘッド、光ディスク、高周波部品、半導体応用製品の四事業を戦略分野に選定した。1990年5月に千葉県成田市に基礎材料研究所を新設し、[33]同年9月に市川テクニカルセンターも立ち上げて研究開発基盤を強化した。[34]材料技術をキーワードに、次世代事業の仕込みと既存事業の取捨選択を同時並行で進める方針が、この頃からなった。バブル崩壊後の厳しい事業環境のなかで、技術の連鎖を頼りに次の成長領域を探索する独自の経営が、輪郭を帯びる転換点でもあった。
1997年に黒字子会社シリコンシステムズを632億円で売却し、その売却代金を磁気抵抗効果ヘッドへ集中投資した。この意思決定は3期連続の二桁成長をもたらし、記録デバイス部門は連結売上高の3割近くを占めるまでに伸びた。2000年3月には米国の磁気ヘッド製造会社ヘッドウェイ・テクノロジーズも買収し、ハードディスク用磁気ヘッド事業の技術基盤を米国側[35]にも広げた。テープ一辺倒からの脱却と磁気応用製品への主力交代という事業ポートフォリオ転換が形を取った。黒字子会社の売却代金を次世代事業へ振り向ける思い切った資金配分は、以後の同社のM&A戦略の基本型となった。
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|---|---|---|---|---|
| 世界初の酸化物磁性体「フェライト」の発明 | ★ | |||
| 1935〜1997年フェライト工業化から磁気テープで世界首位へ至る創業期 | TDK創業——大学の世界初フェライトを、資本金2万円と私財10万円で工業化するまで 1935年12月7日、連続起業家の齋藤憲三氏が東京市芝区で資本金2万円の東京電気化学工業株式会社を設立し、東京工業大学の加藤与五郎氏・武井武氏が1930年に発明した世界初の酸化物磁性体フェライトの工業化に踏み切った。設備投資10万円の不足を鐘淵紡績の津田信吾氏が私財10万円で補い、1937年に蒲田工場でフェライトコアの世界初量産に到達、戦後はGHQスーパーヘテロダイン令を追い風にラジオ部品メーカーとして伸びた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| フェライトコアの製品化に世界で初めて成功 | ★ | |||
| 蒲田工場を新設 | ★ | |||
| GHQがスーパーヘテロダイン令を交付 | ★ | |||
| セラミックコンデンサーの生産開始 | ★ | |||
| 清水工場を新設・磁気テープ生産開始 | ★★ | |||
| 磁気テープ製品第1号を発売 | ★ | |||
| NHKの放送用テープとして認定 | ★ | |||
| 事業部制組織形態を採用 | ★ | |||
| 東京証券取引所に株式上場 | ★ | |||
| カセットテープ参入とSDカセットによる自社ブランドの世界展開 1966年、フェライトを源流とする素材メーカーの東京電気化学工業(TDK)が、フィリップス社と特許契約を結んでコンパクトカセットの国産第1号を生産し、同年6月にカセットテープの販売を始めた。素野福次郎氏の主導で、消費者と直接つながる自社ブランド商品を手にした経営判断。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 世界初の音楽用カセットテープ「SDカセット」を発表 | ★ | |||
| 千曲川工場を竣工・磁気テープ量産 | ★ | |||
| 米国預託証券(ADR)を発行 | ★ | |||
| VHS用ビデオテープの大増産 | ★ | |||
| 成田工場を竣工・希土類磁石生産 | ★ | |||
| 売上高営業利益率20.1%を記録 | ★ | |||
| 大歳寛 | 磁気テープで世界シェア31.5%、首位を獲得 | ★ | ||
| 大歳寛 | 磁気テープ世界首位とニューヨーク上場を機とするグローバル電子部品メーカーへの転換 1982年、磁気テープの生産金額で世界シェア首位に立った東京電気化学工業(TDK)が、素野福次郎社長のもとで6月にニューヨーク証券取引所へ上場し、翌年には社名をTDKへ改めてロンドンにも上場した。フェライトコアを納める国内の素材メーカーから、自社ブランドを世界の資本市場と消費者に問うグローバル電子部品メーカーへ立ち位置を移した経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 大歳寛 | 社名を「ティーディーケイ」に変更 | ★ | ||
| 大歳寛 | 国内初の「完全無担保普通社債」を発行 | ★ | ||
| 大歳寛 | SAE Magneticsを買収、HDD用ヘッド事業に参入 | ★★ | ||
| 大歳寛 | 黒字子会社を売却 | ★ | ||
| 大歳寛 | 磁気ヘッドに集中投資 | ★★ | ||
| 1998〜2014年デジタル危機を経て電池事業を新たな柱に据え直す転換期 | 大歳寛 | 上場来初の営業赤字に転落 | ★ | |
| 大歳寛 | リチウムイオン電池メーカーATLを買収 | ★★ | ||
| 大歳寛 | Invensysから電源事業ラムダパワーを買収 | ★ | ||
| 上釜健宏 | TDKブランド記録メディア事業の売却と磁気テープ生産撤退 | ★★ | ||
| 上釜健宏 | 独EPCOSの買収による受動部品・センサー領域への事業補完 2008年7月31日、TDKがドイツの電子部品大手EPCOS社と事業統合契約を結び、同社の全株式を対象とする公開買付け(TOB)を表明した経営判断。買い付け総額は約2000億円で、TDKにとって過去最大のM&Aとなった。上釜健宏社長の主導により、手薄だった高周波部品・センサー・自動車向けモジュールと欧州基盤を補完する狙いで実施された。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 上釜健宏 | 磁気テープ事業からの撤退を発表 | ★ | ||
| 2015〜2026年電池を柱とする2兆円企業への飛躍と次の成長軸模索の時代 | 石黒成直 | Qualcommと合弁RF360で高周波部品移管 | ★★ | |
| 石黒成直 | InvenSenseを約1,427億円で買収 | ★★ | ||
| 齋藤昇 | 連結売上高2兆円を突破 | ★ | ||
| 齋藤昇 | 創業90周年、売上高2兆2,048億円 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(TDK)