VHS用ビデオテープの大増産
ポスト・カラーテレビ候補としてのビデオの不透明さ
1970年代後半、日本の家電業界はポスト・カラーテレビとなる超大型商品を模索していた。ソニーの盛田昭夫会長が「昭和51年はビデオ元年だ」と宣言したものの、国内でのビデオの出足は鈍く、ポスト・カラーテレビにはなりえないとの見方が支配的であった。ビデオ機器の普及は対米輸出が先行し、国内需要は盛り上がらない。VTRデッキの国内生産台数は1976年にわずか29万台にとどまり、テープメーカー各社もビデオ用テープの量産には慎重な姿勢を崩していなかった。
TDKは1966年に国産第1号のカセットテープを生産して以来、磁気テープ事業を急成長させ、オーディオ用カセットテープでは月産1,000万巻で世界首位にあった。しかしビデオテープについては、機器の普及テンポに合わせて生産能力を徐々に上乗せする手堅い方針をとっており、月産能力はわずか3,000巻に満たなかった。大歳寛専務(後の第4代社長)は初代テープ事業部長として「供給力を先行させてこそ普及に加速がつく」という持論を持っていたが、社内の慎重論が勝り大増産には踏み切れていなかった。
一方、ビデオ機器の市場は水面下で大きく動いていた。1976年にJVCがVHS方式を発表し、翌1977年に松下電器がVHS陣営に合流したことで規格争いの趨勢が見え始めた。VHS方式を推進する松下グループは対米輸出に全力を投入しており、松下寿電子工業はVTR本体の量産体制を急ピッチで構築していた。しかし、既存のテープサプライヤーが供給するビデオテープに大量の品質トラブルが発生し、対米輸出という最重要チャネルで深刻なテープ供給問題が顕在化していた。
月産3,000巻の能力で5万巻の緊急受注を即決
1977年4月下旬、高松出張中の大歳寛専務は取引先への表敬のため松下寿電子工業を訪問した。電子部品の取引に対する謝意を伝える目的であり、社長に会うまでもなく担当幹部に挨拶すれば十分と考えていた。しかし偶然にも、松下寿の本社入口で稲井隆義社長のベンツと鉢合わせた。TDKの名を聞いた稲井の目の色が変わり、大歳はそのまま社長室に通された。稲井が切り出したのは「助けると思ってすぐ五万巻供給してほしい」というVHSビデオテープの緊急要請であった。
「五万巻!」——大歳は絶句した。月産3,000巻に満たない生産能力で5万巻を受注すれば、全量納入に3年近くかかる計算である。常識的には断るべき依頼であった。しかし大歳はこの瞬間に「こんなチャンスはまたとあるまい。絶対にモノにしてやろう」と腹を決めた。急きょ帰京して素野福次郎社長に報告すると、素野も四国からの電話連絡を受けた時点で既にゴーサインを決断していた。ポスト・カラーテレビの本命はビデオであるという素野自身の読みが、即断の背景にあった。
ゴールデンウィーク前日、磁気テープ事業部の幹部が本社に緊急招集された。澤野事業部長が大増産の緊急命令を伝え、「大歳専務はこういっていました。責任はオレがとる、もし間に合わなかったらオレが松下寿へ行って謝ってくると」と説明した。現場の責任者たちは一瞬沈黙した後、「おやじのためだ、よしやろう!」と応じた。新規に設備を増強する時間的余裕はなく、現有のオーディオテープ用設備をビデオテープ用に転用し、極限まで効率的に稼働させる以外に方法はなかった。
半年で月産33倍、テープ世界首位への直接的契機
休日はすべて返上、昼夜兼行の大増産が開始された。夏場の納期までに5万巻の全量が松下寿電子工業に納入された。品質面でもTDKのビデオテープは既存サプライヤーが抱えていたトラブルとは無縁であり、稲井隆義社長はこの対応に深く感銘を受けた。松下グループ内で松下電子部品がテープの自社生産に乗り出した後も、輸出専門の松下寿電子工業はTDKからテープの大半の供給を受け続けた。1977年にTDKから受けた恩義に報いるため、稲井社長自らが決断した措置であった。
この一件を契機に、TDKのビデオテープ生産は加速度的に拡大した。1977年末には月産10万巻に達し、半年前の月産3,000巻から33倍の増産を実現した。翌1978年には月平均50万巻、1979年には100万巻、1980年には200万巻、1981年には300万巻と、4年連続で倍増に近いペースを維持した。秋田工場(1980年)、三隈川工場(1982年、大分県日田市)を相次いで新設し、ビデオテープの月産能力は最終的に700万巻の水準に達した。
磁気テープの市場シェアは1982年に生産金額ベースで31.5%となり、ソニー(21.5%)、日立マクセル(18.0%)を引き離して世界首位を獲得した。売上高営業利益率は1979年11月期に20.1%と過去最高を記録し、1970年代後半から一貫して19%前後の高収益を維持した。テープの売上構成比は1970年の19.7%から1982年には49.7%に拡大し、6年間の売上増加1,775億円のうち60%を磁気テープが占めた。1977年4月の偶然の出会いと即断が、TDKをテープ世界首位に押し上げた。