アルプスアルパイン の歴史

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創業 1948年
創業者 片岡勝太郎
創業地 東京都大田区
創業
1948年11月、片岡勝太郎氏が東京都大田区に資本金50万円で片岡電気株式会社を設立し、ロータリースイッチと可変蓄電器の製造販売を始めた。片岡勝太郎氏は東芝を退社したのち菊名製作所を経て神田で中古部品を商い、市場に出回る可変蓄電器に良品が乏しいことに気づいて独立している。重役以下23名の同族会社で、社長には実兄の片岡信直氏を据え、勝太郎氏自身は専務として経営の実権を握る体制を16年続けた。『アルプス』ブランドの可変蓄電器を秋葉原で売り、1954年に超短波チューナー、1958年にボリュームを加えている。1961年10月に東京証券取引所第二部へ上場し、1964年12月に社名をアルプス電気へ改めた。
決断
品目を増やす判断は創業家が下し、減らす判断は創業家の外から来た。1967年5月、片岡電気は米モトローラとの合弁で完成品へ参入し、1978年に持分を譲り受けて完全子会社のアルパインとする。本体は民生機器の部品を網羅する『部品の総合デパート』へ広がり、品目は12万点に達する。1991年3月期の3,500億円を境に5期連続で減収となり、1993年6月には希望退職1,300人と東北3工場の閉鎖、品種の8万点への削減を決めた。2012年6月、創業家の外から初めて栗山年弘氏が社長へ就任し、車載とスマートフォンへ経営資源を集中して、2013年3月期に68億円だった営業利益を3期で523億円へ戻した。64年続いた創業家経営が先送りしていた事業の取捨を、外から来た社長が3年で数字に変えた。
現況
売上の半分を占める車載事業は、利益ではまだ主力ではない。2026年3月期の連結売上高1兆194億円は、モビリティ5,550億円、コンポーネント3,583億円、センサー・コミュニケーション852億円で構成される。セグメント利益はコンポーネント301億円に対し、モビリティ141億円、センサー・コミュニケーションは35億円の損失。仕向地別は中国2,062億円、アメリカ1,854億円、韓国1,522億円、日本1,189億円。2017年に発表した株式交換によるアルパインとの経営統合を経て2019年1月に商号を改めたが、2024年3月期にはモジュール・システム事業で367億円を減損して298億円の当期純損失を計上した。統合で得た完成品の事業は、部品事業の利益とアルプス物流株式の売却益に支えられている。
競合
同業と違い、自社にしか作れない素材を持たなかった。村田製作所村田製作所はセラミック、TDKTDKはフェライトという自前の素材から部品を起こしたのに対し、アルプス電気は可変蓄電器の品質と、大手セットメーカーを社長自ら訪ねる営業で入った。9割以上が受注生産で、顧客の要望に先回りして新製品を出す機動力が競争優位の源泉となる一方、研究開発の投資は12万点の品目へ分散する。1996年3月期に売上が2,100億円台まで減少したとき、片岡政隆社長は独自素材も独自の生産技術も持たないことを自ら課題に挙げた。海外生産比率も同じ時期は4割で、7割に達していた同業のミツミ電機を下回っている。素材で差がつかない代わりに顧客の設計へ合わせ続けたことが、部品と完成品を同じ会社で持つ現在の形を選ばせた。
アルプスアルパイン:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

創業ストーリー 片岡電気創業から総合電子部品メーカーとして立ち上がった草創期 (1948年〜)

品質重視の創業姿勢と朝鮮動乱特需の洗礼を受けた初期の急成長

創業者の片岡勝太郎氏は東芝を退社したのち[1]、菊名製作所を経て神田でジャンク屋を営むなかで、市場に出回る可変蓄電器の良品があまりに少ないことに気づいた。1948年11月、資本金50万円・重役以下23名の片岡一族の同族会社として片岡電気を設立し[2][3][4]、ロータリースイッチとバリコンの製造販売から事業を起こして[5]、『アルプス』ブランドを冠した高品質の可変蓄電器を秋葉原で販売する道を歩み始めた。社長には実兄の片岡信直氏を据え、勝太郎氏自身は専務として経営の実権を握るという変則的な体制を16年間にわたって続けた。1949年には大阪出張所を開設して販路の拡大に努めている。[6]創業者の品質への強いこだわりと、兄弟による役割分担がこの時期の経営の基本構造を形成した。戦後の混乱期に独立した一介の技術者が、後の大企業の基礎を1948年の時点で築き始めていた。

  • アルプス電気『アルプス50年のあゆみ』
    • [1]創業者の氏名は片岡勝太郎(実質的創業者)
  • アルプスアルパイン株式会社 有価証券報告書 第92期(2025年3月期)【沿革】
    • [2]1948年(昭和23年)11月 片岡電気を設立(資本金50万円)
    • [3]設立時資本金は50万円
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [4]発足時の総員は重役以下23名(明治百年で確認、設立直後の陣容)
    • [5]発足は資本金50万円・重役以下23名の片岡一族の同族会社で、ロータリースイッチとバリコンの製造販売から始めた
    • [6]1949年(昭和24年)に大阪出張所を開設して販路拡大を図った

1950年1月のラジオ生産量は2万台と低迷していたが[7]、同年6月の朝鮮戦争勃発を機に片岡勝太郎氏が3割増産を打ちだして成功し、社業はようやく軌道に乗った。従業員が百名台を突破したのは1952年で[8]、1954年にはテレビ放映にあわせ業界にさきんじて超短波チューナーの生産を始め[9]、1958年には研究開発を進めていたボリュームの生産も開始する。[10]スイッチ、バリコン、チューナー、ボリュームという主要四部門がこのころ顔をそろえ[11]、ロータリースイッチは1958年に防衛庁規格、1959年にアメリカ軍用規格を受けて品質は最高の水準に達した。[12]創業からわずか15年で資本金5億円、従業員2,700人を擁する一流の部品メーカーへと駆け上がった。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [7]1950年(昭和25年)1月のラジオ生産量は2万台で低迷していた
    • [8]従業員が100名台を突破したのは1952年(昭和27年)
    • [10]1958年(昭和33年)に1957年から研究開発を進めていたボリュームの生産を開始
    • [11]スイッチ・バリコン・チューナー・ボリュームの主要4部門がこの頃に出揃った
    • [12]ロータリースイッチが1958年(昭和33年)に防衛庁規格、1959年(昭和34年)にアメリカ軍用規格を取得した
  • 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「アルプス電気」(経済春秋社, 1968年)
    • [9]1954年(昭和29年)にテレビの放映にあわせて業界にさきんじて超短波(VHF)チューナーの生産を開始
  • アルプス電気『アルプス50年のあゆみ』
    • [1]創業者の氏名は片岡勝太郎(実質的創業者)
  • アルプスアルパイン株式会社 有価証券報告書 第92期(2025年3月期)【沿革】
    • [2]1948年(昭和23年)11月 片岡電気を設立(資本金50万円)
    • [3]設立時資本金は50万円
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [4]発足時の総員は重役以下23名(明治百年で確認、設立直後の陣容)
    • [5]発足は資本金50万円・重役以下23名の片岡一族の同族会社で、ロータリースイッチとバリコンの製造販売から始めた
    • [6]1949年(昭和24年)に大阪出張所を開設して販路拡大を図った
    • [7]1950年(昭和25年)1月のラジオ生産量は2万台で低迷していた
    • [8]従業員が100名台を突破したのは1952年(昭和27年)
    • [10]1958年(昭和33年)に1957年から研究開発を進めていたボリュームの生産を開始
    • [11]スイッチ・バリコン・チューナー・ボリュームの主要4部門がこの頃に出揃った
    • [12]ロータリースイッチが1958年(昭和33年)に防衛庁規格、1959年(昭和34年)にアメリカ軍用規格を取得した
  • 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「アルプス電気」(経済春秋社, 1968年)
    • [9]1954年(昭和29年)にテレビの放映にあわせて業界にさきんじて超短波(VHF)チューナーの生産を開始

アルプス電気への改称と海外市場への本格開拓を支えた片岡外交

1961年に電子部品業界で初めて東京店頭市場に株式を公開し、同年10月には東京証券取引所二部にも上場を果たした。[13]このころには資本金も2億4,000万円に達し、横浜工場が第一期工事を終えて第二期工事に着手するなど生産能力の増強も進んでいた。[14]国際取引の拡大に伴い、1964年には片岡電気からアルプス電気へと社名を改め[15]、創業者の片岡勝太郎氏が正式に社長として表舞台に立つこととなった[16]。同年には宮城県に古川工場を新たに開設し[17]、以後は東北各地に生産拠点を展開していく方針を打ち出している。海外市場ではモトローラ向けにチューナーを17万台単位で納入し、米GE社からはバリコン25万個の大量注文を受けるなど、部品の輸出事業を『世界のアルプス』と呼ばれる規模へ拡大させた。[18]創業者が表に出て自ら指揮を執る体制へ移行し、国内外の需要を両面で取り込む経営判断の速度と一貫性が高まった。

  • アルプスアルパイン株式会社 有価証券報告書 第92期(2025年3月期)【沿革】
    • [13]1961年(昭和36年)4月に株式を東京店頭市場に公開し、同年10月に東京証券取引所市場第二部に上場
    • [15]1964年(昭和39年)12月に片岡電気からアルプス電気へ商号変更
    • [17]1964年に宮城県に古川工場を開設(沿革では1964年8月に東北アルプスを設立し同年9月に古川工場を開設)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [14]1961年(昭和36年)に資本金が2億4000万円に達し、横浜工場が第一期工事を終えて第二期工事に着工した
    • [18]米GE社からバリコン25万個の大量注文を受け、「世界のアルプス」と呼ばれる規模へ輸出を拡大した
  • 有価証券報告書
    • [16]1964年の商号変更時に片岡勝太郎が正式に社長へ就任

片岡勝太郎社長の経営の核心は、大手セットメーカーを自ら精力的に回り歩く、いわゆる『片岡外交』にあった。営業担当の日報・週報を通じて顧客情報を開発・生産部門に翌日中には伝達するという独自のシステムを構築し、パイオニアの松本誠也社長をして『どんな無理でもきいてくれる頼りになる存在』[引用元]と言わしめた。[19]9割以上が受注生産というビジネスモデルにあって、ユーザーのニーズを先読みして次の製品ラインを素早く開発する機動力こそが、同社の競争優位の源泉を形作っていた。部品メーカーとしては異例の営業密着度が、この時期の強さの根幹だった。このきめ細かな顧客対応こそが、長年にわたり業界内で高い評価を支えた源泉である。

  • 日経ビジネス(1983年7月11日)
    • [19]パイオニアの松本誠也社長の評価コメントは引用資料に同社長名で収録(逐語一致は引用チェックの対象)
  • アルプスアルパイン株式会社 有価証券報告書 第92期(2025年3月期)【沿革】
    • [13]1961年(昭和36年)4月に株式を東京店頭市場に公開し、同年10月に東京証券取引所市場第二部に上場
    • [15]1964年(昭和39年)12月に片岡電気からアルプス電気へ商号変更
    • [17]1964年に宮城県に古川工場を開設(沿革では1964年8月に東北アルプスを設立し同年9月に古川工場を開設)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [14]1961年(昭和36年)に資本金が2億4000万円に達し、横浜工場が第一期工事を終えて第二期工事に着工した
    • [18]米GE社からバリコン25万個の大量注文を受け、「世界のアルプス」と呼ばれる規模へ輸出を拡大した
  • 有価証券報告書
    • [16]1964年の商号変更時に片岡勝太郎が正式に社長へ就任
  • 日経ビジネス(1983年7月11日)
    • [19]パイオニアの松本誠也社長の評価コメントは引用資料に同社長名で収録(逐語一致は引用チェックの対象)

テレビ用部品とオーディオ部品の展開が築いた「部品の総合デパート」

超短波チューナーに続き、同社はテレビ受像機用の各種部品やオーディオ機器向けのスイッチ類へと製品群を次々に広げた。発足時のロータリースイッチにスライド式(1953年)とボタン式(1956年)を加え、チューナーもスイッチチューナーからターレット(1956年)、FM(1960年)、UHFコンバーター(1961年)へと刻むように品種を増やした。[20]バリコンから始まった製品ラインナップはタクトスイッチ、ボリューム、ロータリーエンコーダなど[21]、民生用電子機器に組み込まれる部品の大半を網羅する規模にまで拡張された。『部品の総合デパート』という呼び名は、こうした徹底的な多品種戦略と、顧客の要望に応じて迅速に新製品を投入する機動力から生まれたものだった。戦後日本の高度経済成長を支えた電子部品業界の中で、同社は特異な立ち位置を築いた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [20]スイッチはロータリーにスライド(1953年)・ボタン(1956年)を加え、チューナーもスイッチチューナーからターレット(1956年)・FM(1960年)・UHFコンバーター(1961年)へ品種を増やした
  • 有価証券報告書
    • [21]タクトスイッチは1976年に製造開始(コンポーネント事業の利益柱の一つ)

品質を重視する創業以来の方針と、営業主導で顧客に密着する片岡外交という二面は、この時期の同社にとって競争優位として働いていた。家電メーカー各社がカラーテレビの量産体制を整えるなかで、同社はその陰に回って部品供給の安定化を支える存在となり、昭和40年代を通じて業界内での地歩を固めた。後年のアルパイン事業への進出も、こうした顧客密着の方針の延長線上にあった。独自の素材や生産技術を持たない代わりに、顧客ごとのカスタマイズと納期対応の機動力で勝負するという、戦後日本的な中堅メーカーの一つの完成形がここにあった。成長の裏で育ちつつあった構造的な弱みは、平成期の業績後退で表面化した。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [20]スイッチはロータリーにスライド(1953年)・ボタン(1956年)を加え、チューナーもスイッチチューナーからターレット(1956年)・FM(1960年)・UHFコンバーター(1961年)へ品種を増やした
  • 有価証券報告書
    • [21]タクトスイッチは1976年に製造開始(コンポーネント事業の利益柱の一つ)

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アルプスアルパインの沿革1948〜2026年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1948〜1964年片岡電気創業から総合電子部品メーカーとして立ち上がった草創期片岡電気の設立
バリコンの製造開始と秋葉原での販売
テレビ時代への対応──VHFチューナーの製造開始★★
東京証券取引所第二部に上場
東北アルプス設立──地方生産拠点の展開開始
アルプス電気に商号変更
片岡勝太郎氏が社長に就任
1965〜2010年アルパイン誕生と総合電子部品メーカーの拡大と代償アルプス・モトローラの設立
不況下の大量希望退職──片岡社長が一人一人に面接★★
タクトスイッチ(TACT Switch)の製造開始
米国法人ALPS ELECTRIC (USA)を設立
アルパインに商号変更
欧州法人を設立
売上高1,000億円を突破
世界初のカーナビゲーションシステムを共同開発★★
売上高3,114億円──5年で3倍以上に成長
現地生産を本格化
片岡政隆片岡政隆氏が社長に就任
片岡政隆売上高3,551億円──アルプス電気のピーク
片岡政隆中国・生産拠点NINGBO ALPSを設立
片岡政隆大規模リストラと事業本部制への転換★★
片岡政隆自社ブランド・マイクロドライプリンター発売
片岡政隆アルプス物流が東京証券取引所二部に上場
片岡政隆CIRQUE社を買収──タッチパッド技術の獲得
片岡政隆リーマンショックで265億円の営業赤字★★
2011〜2026年経営統合と構造改革を経て車載部品メーカーへと向かう再出発期栗山年弘創業家外初の社長就任と車載・スマホへの事業構造転換★★
栗山年弘アルプス電気とアルパインの株式交換による経営統合と、合併比率をめぐるオアシスとの攻防

2017年7月に発表されたアルプス電気とアルパインの経営統合をめぐり、アルパイン株の約1割を握る香港の投資ファンド、オアシス・マネジメントが株式交換比率1対0.68はアルパインの少数株主に不利だとして反対した経営判断。2018年12月5日のアルパイン臨時株主総会で統合は承認され、2019年1月1日に共同持株会社アルプスアルパインが発足した。

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★★★
栗山年弘Faitalと資本提携を開始
栗山年弘アルプスアルパインに商号変更★★
栗山年弘アルパインの全事業を吸収分割で承継
泉英男第2次中期経営計画を中止──経営構造改革に転換
泉英男アルプス物流の株式を完全売却──KKRがTOBで取得★★
泉英男売上高1兆円突破の見通し
出典・参考
  • アルプスアルパイン株式会社 有価証券報告書 第92期(2025年3月期)【沿革】
  • 有価証券報告書
  • アルプス電気『アルプス50年のあゆみ』
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
  • 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「アルプス電気」(経済春秋社, 1968年)
  • 日経ビジネス(1983年7月11日)

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