創業者の片岡勝太郎氏は東芝を退社したのち[1]、菊名製作所を経て神田でジャンク屋を営むなかで、市場に出回る可変蓄電器の良品があまりに少ないことに気づいた。1948年11月、資本金50万円・重役以下23名の片岡一族の同族会社として片岡電気を設立し[2][3][4]、ロータリースイッチとバリコンの製造販売から事業を起こして[5]、『アルプス』ブランドを冠した高品質の可変蓄電器を秋葉原で販売する道を歩み始めた。社長には実兄の片岡信直氏を据え、勝太郎氏自身は専務として経営の実権を握るという変則的な体制を16年間にわたって続けた。1949年には大阪出張所を開設して販路の拡大に努めている。[6]創業者の品質への強いこだわりと、兄弟による役割分担がこの時期の経営の基本構造を形成した。戦後の混乱期に独立した一介の技術者が、後の大企業の基礎を1948年の時点で築き始めていた。
1950年1月のラジオ生産量は2万台と低迷していたが[7]、同年6月の朝鮮戦争勃発を機に片岡勝太郎氏が3割増産を打ちだして成功し、社業はようやく軌道に乗った。従業員が百名台を突破したのは1952年で[8]、1954年にはテレビ放映にあわせ業界にさきんじて超短波チューナーの生産を始め[9]、1958年には研究開発を進めていたボリュームの生産も開始する。[10]スイッチ、バリコン、チューナー、ボリュームという主要四部門がこのころ顔をそろえ[11]、ロータリースイッチは1958年に防衛庁規格、1959年にアメリカ軍用規格を受けて品質は最高の水準に達した。[12]創業からわずか15年で資本金5億円、従業員2,700人を擁する一流の部品メーカーへと駆け上がった。
1961年に電子部品業界で初めて東京店頭市場に株式を公開し、同年10月には東京証券取引所二部にも上場を果たした。[13]このころには資本金も2億4,000万円に達し、横浜工場が第一期工事を終えて第二期工事に着手するなど生産能力の増強も進んでいた。[14]国際取引の拡大に伴い、1964年には片岡電気からアルプス電気へと社名を改め[15]、創業者の片岡勝太郎氏が正式に社長として表舞台に立つこととなった[16]。同年には宮城県に古川工場を新たに開設し[17]、以後は東北各地に生産拠点を展開していく方針を打ち出している。海外市場ではモトローラ向けにチューナーを17万台単位で納入し、米GE社からはバリコン25万個の大量注文を受けるなど、部品の輸出事業を『世界のアルプス』と呼ばれる規模へ拡大させた。[18]創業者が表に出て自ら指揮を執る体制へ移行し、国内外の需要を両面で取り込む経営判断の速度と一貫性が高まった。
片岡勝太郎社長の経営の核心は、大手セットメーカーを自ら精力的に回り歩く、いわゆる『片岡外交』にあった。営業担当の日報・週報を通じて顧客情報を開発・生産部門に翌日中には伝達するという独自のシステムを構築し、パイオニアの松本誠也社長をして『どんな無理でもきいてくれる頼りになる存在』[引用元]と言わしめた。[19]9割以上が受注生産というビジネスモデルにあって、ユーザーのニーズを先読みして次の製品ラインを素早く開発する機動力こそが、同社の競争優位の源泉を形作っていた。部品メーカーとしては異例の営業密着度が、この時期の強さの根幹だった。このきめ細かな顧客対応こそが、長年にわたり業界内で高い評価を支えた源泉である。
超短波チューナーに続き、同社はテレビ受像機用の各種部品やオーディオ機器向けのスイッチ類へと製品群を次々に広げた。発足時のロータリースイッチにスライド式(1953年)とボタン式(1956年)を加え、チューナーもスイッチチューナーからターレット(1956年)、FM(1960年)、UHFコンバーター(1961年)へと刻むように品種を増やした。[20]バリコンから始まった製品ラインナップはタクトスイッチ、ボリューム、ロータリーエンコーダなど[21]、民生用電子機器に組み込まれる部品の大半を網羅する規模にまで拡張された。『部品の総合デパート』という呼び名は、こうした徹底的な多品種戦略と、顧客の要望に応じて迅速に新製品を投入する機動力から生まれたものだった。戦後日本の高度経済成長を支えた電子部品業界の中で、同社は特異な立ち位置を築いた。
品質を重視する創業以来の方針と、営業主導で顧客に密着する片岡外交という二面は、この時期の同社にとって競争優位として働いていた。家電メーカー各社がカラーテレビの量産体制を整えるなかで、同社はその陰に回って部品供給の安定化を支える存在となり、昭和40年代を通じて業界内での地歩を固めた。後年のアルパイン事業への進出も、こうした顧客密着の方針の延長線上にあった。独自の素材や生産技術を持たない代わりに、顧客ごとのカスタマイズと納期対応の機動力で勝負するという、戦後日本的な中堅メーカーの一つの完成形がここにあった。成長の裏で育ちつつあった構造的な弱みは、平成期の業績後退で表面化した。
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|---|---|---|---|---|
| 1948〜1964年片岡電気創業から総合電子部品メーカーとして立ち上がった草創期 | 片岡電気の設立 | ★ | ||
| バリコンの製造開始と秋葉原での販売 | ★ | |||
| テレビ時代への対応──VHFチューナーの製造開始 | ★★ | |||
| 東京証券取引所第二部に上場 | ★ | |||
| 東北アルプス設立──地方生産拠点の展開開始 | ★ | |||
| アルプス電気に商号変更 | ★ | |||
| 片岡勝太郎氏が社長に就任 | ★ | |||
| 1965〜2010年アルパイン誕生と総合電子部品メーカーの拡大と代償 | アルプス・モトローラの設立 | ★ | ||
| 不況下の大量希望退職──片岡社長が一人一人に面接 | ★★ | |||
| タクトスイッチ(TACT Switch)の製造開始 | ★ | |||
| 米国法人ALPS ELECTRIC (USA)を設立 | ★ | |||
| アルパインに商号変更 | ★ | |||
| 欧州法人を設立 | ★ | |||
| 売上高1,000億円を突破 | ★ | |||
| 世界初のカーナビゲーションシステムを共同開発 | ★★ | |||
| 売上高3,114億円──5年で3倍以上に成長 | ★ | |||
| 現地生産を本格化 | ★ | |||
| 片岡政隆 | 片岡政隆氏が社長に就任 | ★ | ||
| 片岡政隆 | 売上高3,551億円──アルプス電気のピーク | ★ | ||
| 片岡政隆 | 中国・生産拠点NINGBO ALPSを設立 | ★ | ||
| 片岡政隆 | 大規模リストラと事業本部制への転換 | ★★ | ||
| 片岡政隆 | 自社ブランド・マイクロドライプリンター発売 | ★ | ||
| 片岡政隆 | アルプス物流が東京証券取引所二部に上場 | ★ | ||
| 片岡政隆 | CIRQUE社を買収──タッチパッド技術の獲得 | ★ | ||
| 片岡政隆 | リーマンショックで265億円の営業赤字 | ★★ | ||
| 2011〜2026年経営統合と構造改革を経て車載部品メーカーへと向かう再出発期 | 栗山年弘 | 創業家外初の社長就任と車載・スマホへの事業構造転換 | ★★ | |
| 栗山年弘 | アルプス電気とアルパインの株式交換による経営統合と、合併比率をめぐるオアシスとの攻防 2017年7月に発表されたアルプス電気とアルパインの経営統合をめぐり、アルパイン株の約1割を握る香港の投資ファンド、オアシス・マネジメントが株式交換比率1対0.68はアルパインの少数株主に不利だとして反対した経営判断。2018年12月5日のアルパイン臨時株主総会で統合は承認され、2019年1月1日に共同持株会社アルプスアルパインが発足した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 栗山年弘 | Faitalと資本提携を開始 | ★ | ||
| 栗山年弘 | アルプスアルパインに商号変更 | ★★ | ||
| 栗山年弘 | アルパインの全事業を吸収分割で承継 | ★ | ||
| 泉英男 | 第2次中期経営計画を中止──経営構造改革に転換 | ★ | ||
| 泉英男 | アルプス物流の株式を完全売却──KKRがTOBで取得 | ★★ | ||
| 泉英男 | 売上高1兆円突破の見通し | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(アルプスアルパイン)