日本航空電子工業 の歴史

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創業 1953年
創業者 沼本實
創業地 東京都中央区
創業
1953年1月、沼本實氏が東京都中央区に日本航空エレクトロニクス株式会社を設立した。日本電気を出自とする会社で、同年8月に商号を日本航空電子工業へ改め、本店を東京都港区へ移して営業を始めている。1954年8月には神奈川県川崎市に工場を設け、米軍機の電子機器の修理とオーバーホールを引き受けた。トランス1個の修理が5ドルという受注の積み重ねである。修理の現場は最新の電子技術を学ぶ場でもあり、会社は航空電子機器内のコネクタに将来性を見て、米キャノン・エレクトリック社との技術援助契約による輸入販売を経て1955年8月に自社製造へ移った。1961年4月、工場を東京都昭島市へ新設移転している。
決断
二つの事業を他社の技術で立て、その一方が二度、経営陣を法廷へ送った。コネクタは1955年に米キャノン・エレクトリック社の技術援助契約を経て自社製造へ移り、航空機搭載機器は1961年8月の米ハネウェル社との技術援助契約から始まって、1971年8月には慣性航法装置の製造にまで達する。ところが1991年7月のミサイル部品の不正輸出事件では、その慣性航法装置とジャイロがミサイル部品の不正輸出の対象になった。当時の会長と社長はともに日本電気の出身である。1998年には防衛庁調達実施本部の背任事件で日本電気から来た社長が起訴され、代金過大請求の返還額76億9000万円が確定して最終赤字へ沈んだ。国策に近い需要と親会社の人事に支えられた事業構造が、7年の間隔で二度、刑事責任という形の代償を求めた。
現況
創業の航空機事業は売上の1割に達せず、コネクタが87%を占めている。2026年3月期の連結売上高は2,278億円で、内訳はコネクタ事業1,992億円・営業利益118億円、航機事業204億円・21億円、インターフェース・ソリューション事業76億円・1億円。従業員でも偏りは同じで、コネクタの11,124名に対し航機は422名にとどまる。全社の営業利益は前期の156億円から89億円へ減少した。2026年度からの中期経営計画はインターフェース・ソリューション事業をコネクタ事業へ統合して報告セグメントを2つへ改め、中国のミドル・ローエンド領域から撤退したうえで、2028年度に売上2,600億円・営業利益180億円・ROE8%を目標に置いた。
競合
同じコネクタを売る相手と違い、この会社は資本の持ち主が二度替わった。1973年、ヒロセ電機の酒井秀樹社長は証券アナリスト協会で、大手電機でも自主技術ではコネクタを作れず、日本電気は子会社の日本航空電子工業を設立して技術を導入したと述べている。外資の資本も親会社も持たずに上場したヒロセ電機に対し、日本航空電子工業では日本電気が2017年1月に公開買付けで持分を51%へ引き上げ、親会社になった。その関係は2024年3月の自己株式公開買付けで議決権比率が50.79%から33.35%へ下がって解け、2025年10月には残る株式が京セラへ譲渡された。京セラがMLCCとタンタルコンデンサへ注力するためコネクタを外部へ委ねたと説明したことが、資本の移動を、欧州の生産拠点と車載の顧客基盤を使う取引へ変えた。
日本航空電子工業:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

創業ストーリー トランス1個5ドルの修理受託から始まりコネクタ製造へ広がった創業の10年 (1953年〜)

航空エレクトロニクスの空白期に置かれた設立と商号変更

1953年1月、日本電気の出資により[1]東京都中央区に日本航空エレクトロニクス株式会社が設立[2]された。同年8月には商号を日本航空電子工業株式会社へ改め、本店[3]を日本電気株式会社内(東京都港区)へ移して営業活動を始めている。会社が創業と定めるのは商号を現在のものに変えたこの1953年8月で、2023年に創立70周年を迎えた[4]。設立の狙いは、将来日本に必ず訪れる航空・宇宙産業時代にエレクトロニクス技術で貢献[5]することにあった。当時の日本は戦後の航空機産業の空白期により欧米諸国に後れを取り、航空エレクトロニクスも未知の分野が多い状態だった。有価証券報告書が沿革に記す設立日は1953年1月19日だが[6]、商業登記上の設立日はこれと異なる。1970年4月1日に株式額面変更のための合併を行った結果、登記上は合併会社である旧称『株式会社四国鋼材工業所』の設立日1950年11[7]月28日が残り、日本航空電子工業は事実上の存続会社でありながら被合併会社の側に立った。

    • [1]設立時の商号は日本航空エレクトロニクス株式会社、創業地は東京都中央区。日本電気が出資して設立した
  • 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【沿革】
    • [2]1953年1月に東京都中央区に日本航空エレクトロニクス株式会社を設立
    • [6]事実上の存続会社である日本航空電子工業(被合併会社)の設立日は1953年1月19日
    • [7]株式額面変更のため1970年4月1日に合併を行ったため、商業登記上の設立日は合併会社(旧称「株式会社四国鋼材工業所」)の設立日である1950年11月28日である
  • JAE Report 2021(日本航空電子工業 統合報告書, 2021年10月)
    • [3]1953年8月に商号を日本航空電子工業株式会社と変更、本店を日本電気株式会社内(東京都港区)に移転し営業活動を開始
  • JAE Report 2023(日本航空電子工業 統合報告書, 2023年10月)
    • [4]会社は1953年8月を創業とし、2023年に創立70周年を迎えた
    • [5]将来日本に必ず訪れる航空・宇宙産業時代においてエレクトロニクス技術で貢献したいという思いで創業。当時の日本は戦後の航空機産業の空白期により欧米諸国に後れを取り、航空エレクトロニクスも未知の分野が多い状態であった

1954年8月、神奈川県川崎市(日本電気株式会社玉川工場内)に工場を設置し、航空機用電子機器の修理とオーバーホール[8]を始めた。相手は、当時最新鋭の電子機器を最も多く利用していた米国極東空軍[9]である。初代社長の沼本實氏はトランス1個の[10]修理5ドルという受注から事業を興し[11]、熾烈な競争のなかで年間契約を獲得した。米軍機の修理を請け負うことは、そのまま新技術を習得する手段でもあった。会社は並行して国内外で電子機器に関する調査研究を進め[12]、次に手をつける領域を探している。沼本氏は自らトップ交渉に臨んで海外大手企業との技術提携を実現し、社長と会長として20年以上にわたり経営[13]を担った。創立20周年に際して沼本實会長(当時)が掲げた『開拓、創造、実践』[引用元]の経営理念は、現在も企業理念として引き継がれている。

  • JAE Report 2021(日本航空電子工業 統合報告書, 2021年10月)
    • [8]1954年8月に神奈川県川崎市の日本電気株式会社玉川工場内に工場を設置し、航空機用電子機器の修理、オーバーホールを開始
  • JAE Report 2023(日本航空電子工業 統合報告書, 2023年10月)
    • [9]当時最新鋭の電子機器を最も多く利用していた米国極東空軍から電子機器の修理契約を得ることで新技術を習得した
    • [10]創業者・初代社長は沼本實
    • [11]日本航空電子工業の初代社長としてトランス1個の修理5ドルの受注からスタートした
    • [12]国内外で電子機器に関する調査研究を進めた
    • [13]沼本實は自らトップ交渉に臨んだ海外大手企業との技術提携を実現し、社長・会長として20年以上にわたり経営を担った
    • [1]設立時の商号は日本航空エレクトロニクス株式会社、創業地は東京都中央区。日本電気が出資して設立した
  • 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【沿革】
    • [2]1953年1月に東京都中央区に日本航空エレクトロニクス株式会社を設立
    • [6]事実上の存続会社である日本航空電子工業(被合併会社)の設立日は1953年1月19日
    • [7]株式額面変更のため1970年4月1日に合併を行ったため、商業登記上の設立日は合併会社(旧称「株式会社四国鋼材工業所」)の設立日である1950年11月28日である
  • JAE Report 2021(日本航空電子工業 統合報告書, 2021年10月)
    • [3]1953年8月に商号を日本航空電子工業株式会社と変更、本店を日本電気株式会社内(東京都港区)に移転し営業活動を開始
    • [8]1954年8月に神奈川県川崎市の日本電気株式会社玉川工場内に工場を設置し、航空機用電子機器の修理、オーバーホールを開始
  • JAE Report 2023(日本航空電子工業 統合報告書, 2023年10月)
    • [4]会社は1953年8月を創業とし、2023年に創立70周年を迎えた
    • [5]将来日本に必ず訪れる航空・宇宙産業時代においてエレクトロニクス技術で貢献したいという思いで創業。当時の日本は戦後の航空機産業の空白期により欧米諸国に後れを取り、航空エレクトロニクスも未知の分野が多い状態であった
    • [9]当時最新鋭の電子機器を最も多く利用していた米国極東空軍から電子機器の修理契約を得ることで新技術を習得した
    • [10]創業者・初代社長は沼本實
    • [11]日本航空電子工業の初代社長としてトランス1個の修理5ドルの受注からスタートした
    • [12]国内外で電子機器に関する調査研究を進めた
    • [13]沼本實は自らトップ交渉に臨んだ海外大手企業との技術提携を実現し、社長・会長として20年以上にわたり経営を担った

キャノン社との技術援助契約が開いたコネクタ製造

調査研究のなかで会社が着目したのは、航空電子機器の中に使われるコネクタの重要性と将来性だった[14]。まず米国キャノン・エレクトリック社との技術援助契約によってコネクタ類の輸入販売業務を始め[15]、そこから技術を取得したうえで、1955年8月に自社でのコネクタ製造へ移った[16]。修理受託で身につけた電子機器の知識を、輸入代理という中間の段階を挟みながら自社製品へ変える経路を選んだ。設立から2年半の判断だが、この1955年のコネクタ製造開始こそが、70年後に売上高の9割弱を占める主力事業の始まりにあたる。航空機の修理会社として出発した会社は、航空機に載る部品そのものを作る会社へ移り始めた。

  • JAE Report 2023(日本航空電子工業 統合報告書, 2023年10月)
    • [14]航空電子機器の中に使用されるコネクタの重要性と将来性に着目した
    • [16]米国キャノン・エレクトリック社との技術援助契約によりコネクタ類の輸入販売業務を開始し、技術取得を経て自社でのコネクタ製造が始まった
  • 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【沿革】
    • [15]1955年8月にコネクタの製造を開始

コネクタの納入先は、当初は防衛関係機器向けが中心だった。ところが1960年頃には民間企業が主力へ入れ替わり、無線通信機、テレビ、ラジオ放送機器、工作機械、電動機と多種多様の分野[17]で使われた。防衛需要で技術を確立し、民需で数量を稼ぐという後年まで反復される型が、創業から7年ほどでかたちを見せている。輸入販売から自社製造へ、防衛から民生へ。この二つの移動が創業の10年に重なって起きたことが、のちに軍需と民需の両方を抱える会社の性格を決めた。国策に近い需要と大衆消費に近い需要を同じ工場で作り分ける構造は、この時期に始まっている。

  • JAE Report 2023(日本航空電子工業 統合報告書, 2023年10月)
    • [17]コネクタは当初は防衛関係機器向けが中心だったが、1960年頃には納入先は民間企業が主力となり、無線通信機、テレビ、ラジオ放送機器、工作機械、電動機と多種多様の分野において使用されるようになった
  • JAE Report 2023(日本航空電子工業 統合報告書, 2023年10月)
    • [14]航空電子機器の中に使用されるコネクタの重要性と将来性に着目した
    • [16]米国キャノン・エレクトリック社との技術援助契約によりコネクタ類の輸入販売業務を開始し、技術取得を経て自社でのコネクタ製造が始まった
    • [17]コネクタは当初は防衛関係機器向けが中心だったが、1960年頃には納入先は民間企業が主力となり、無線通信機、テレビ、ラジオ放送機器、工作機械、電動機と多種多様の分野において使用されるようになった
  • 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【沿革】
    • [15]1955年8月にコネクタの製造を開始

ハネウェル提携が生んだ航機事業と慣性航法装置

1961年4月、工場を東京都昭島市へ新設移転[18]した。翌月には本店を東京都渋谷区へ移し[19]、生産と本社の現在の配置がこの年に定まっている[20]。同じ1961年8月、会社は米国ハネウェル社と技術援助契約を締結した[21]。これにより次期主力戦闘機F104ジェット戦闘機に搭載するジャイロや自動操縦装置[22]などの製造を始め、現在の航機事業の基礎を固めた。有価証券報告書の沿革はこの年の製造開始品目を、航空機用自動操縦装置、ジャイロ機器、燃料計[23]、液体酸素量計等と記している。創業期に米軍機の修理で覚えた技術が、米国メーカーからの技術導入を経て、自社製の航空機搭載機器へ育った。

  • 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【沿革】
    • [18]1961年4月に工場を東京都昭島市に新設移転
    • [19]1961年5月に本店を東京都渋谷区に移転
    • [23]1961年8月に航空機用自動操縦装置、ジャイロ機器、燃料計、液体酸素量計等の製造開始
  • 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【表紙】
    • [20]本店の所在地は東京都渋谷区道玄坂1丁目21番1号
  • JAE Report 2023(日本航空電子工業 統合報告書, 2023年10月)
    • [21]1961年8月に米国ハネウェル社との技術援助契約を締結し、次期主力戦闘機F104ジェット戦闘機に搭載するジャイロや自動操縦装置などの製造を開始、これが現在の航機事業の基礎となった
    • [22]F104ジェット戦闘機に搭載するジャイロや自動操縦装置などの製造を開始し、現在の航機事業の基礎となった

1971年8月、慣性航法装置の製造を[24]始めた。慣性航法装置は、外部からの電波に頼らず加速度とジャイロの検出だけで自機の位置を割り出す装置で、軍用機と旅客機の双方が積む中核の航法機器にあたる。ジャイロと自動操縦装置で10年積んだ技術が、機体を安定させる制御から航法そのものへ届いた。この装置は現在も航機事業の主要製品に並び、2026年3月期の有価証券報告書は同事業の内容を、飛行制御装置、慣性航法装置、電波高度計などの防衛[25]・宇宙用電子機器と説明している。創業から18年で、会社は米軍機を直す立場から、航空機の位置を決める装置を供給する立場へ移った。

  • 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【沿革】
    • [24]1971年8月に慣性航法装置の製造開始
  • 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【事業の内容】
    • [25]航機事業は飛行制御装置、慣性航法装置、電波高度計などの防衛・宇宙用電子機器、及び半導体製造装置向け制振・駆動用機器、油田掘削用センサパッケージなどの産機・インフラ向け製品を製造・販売している
  • 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【沿革】
    • [18]1961年4月に工場を東京都昭島市に新設移転
    • [19]1961年5月に本店を東京都渋谷区に移転
    • [23]1961年8月に航空機用自動操縦装置、ジャイロ機器、燃料計、液体酸素量計等の製造開始
    • [24]1971年8月に慣性航法装置の製造開始
  • 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【表紙】
    • [20]本店の所在地は東京都渋谷区道玄坂1丁目21番1号
  • JAE Report 2023(日本航空電子工業 統合報告書, 2023年10月)
    • [21]1961年8月に米国ハネウェル社との技術援助契約を締結し、次期主力戦闘機F104ジェット戦闘機に搭載するジャイロや自動操縦装置などの製造を開始、これが現在の航機事業の基礎となった
    • [22]F104ジェット戦闘機に搭載するジャイロや自動操縦装置などの製造を開始し、現在の航機事業の基礎となった
  • 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【事業の内容】
    • [25]航機事業は飛行制御装置、慣性航法装置、電波高度計などの防衛・宇宙用電子機器、及び半導体製造装置向け制振・駆動用機器、油田掘削用センサパッケージなどの産機・インフラ向け製品を製造・販売している

無接点スイッチと新幹線電気連結器が広げた民需の裾野

1962年、会社は無接点スイッチおよびリレーの製造[26]を始めた。機械的な接点を持たずに信号を切り替えるこの製品群が、現在のインターフェース・ソリューション事業へつながる。翌1963年12月には、翌年の東海道新幹線開業[27]に向けて新たな電気連結器の生産に入った。航空機のために磨いた接続技術を、高速で走る鉄道車両の連結部へ持ち込んだ判断であり、防衛と航空の外側にある大型の国内需要を初めて取りに行った例にあたる。コネクタ、航機、そして無接点スイッチ。1962年までに、現在まで続く主力3事業の基盤がそろい[28]、会社は米軍機の修理会社という出自から完全に離れた。

  • JAE Report 2023(日本航空電子工業 統合報告書, 2023年10月)
    • [26]1962年に現在のインターフェース・ソリューション事業につながる無接点スイッチおよびリレーの製造を開始
    • [27]1963年12月に翌年の東海道新幹線開業に向けて新たな電気連結器の生産を開始
    • [28]1962年に主力3事業の基盤が確立した

この12年で会社が手に入れたのは、性格の違う3本の柱である。コネクタは点数が出る部品で、民生機器の普及と数量が連動する。航機は数量こそ出ないが、防衛・宇宙という国策の予算に支えられ、単価と技術の要求水準が高い。無接点スイッチは人と機械の接触面を扱い、後年の車載タッチパネルへ延びる。3事業の顔ぶれは、2026年3月期の報告セグメントであるコネクタ事業[29]、航機事業、インターフェース・ソリューション事業とそのまま重なる。60年以上前に定めた事業の輪郭を、会社は基本的に変えずに現在まで運んできた。技術の系譜としては1本でありながら、需要の出どころは民生・国策・操作系に分かれる。この分岐が、後の成長と事件の双方を用意した。

  • 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【事業の内容】
    • [29]2026年3月期の報告セグメントはコネクタ事業、インターフェース・ソリューション事業、航機事業、その他
  • JAE Report 2023(日本航空電子工業 統合報告書, 2023年10月)
    • [26]1962年に現在のインターフェース・ソリューション事業につながる無接点スイッチおよびリレーの製造を開始
    • [27]1963年12月に翌年の東海道新幹線開業に向けて新たな電気連結器の生産を開始
    • [28]1962年に主力3事業の基盤が確立した
  • 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【事業の内容】
    • [29]2026年3月期の報告セグメントはコネクタ事業、インターフェース・ソリューション事業、航機事業、その他

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日本航空電子工業の沿革1953〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1953〜1960年トランス1個5ドルの修理受託から始まりコネクタ製造へ広がった創業の10年日本航空エレクトロニクスを設立
日本航空電子工業に商号変更
航空機用電子機器の修理・オーバーホールを開始
コネクタの製造を開始★★
1961〜1972年昭島への移転とハネウェル提携で現在の3事業の基礎を固めた12年工場を新設移転
本社を移転
米ハネウェル社との技術援助契約による航空機搭載機器への進出

1961年8月、日本航空電子工業が米国ハネウェル社と技術援助契約を締結し、F104ジェット戦闘機に搭載するジャイロや自動操縦装置の製造を始めた経営判断。現在の航機事業の基礎にあたる。

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★★★
慣性航法装置の製造を開始★★
1973〜1998年東証二部上場から海外展開へ広げた拡大と不正輸出事件が残した代償東京証券取引所市場第二部に上場
富士工業の株式を100%取得
ゼット・マーケティング・カンパニーを設立
弘前航空電子を設立
東京証券取引所市場第一部に上場
信州航空電子を設立
八紘電業の株式を60%取得
富士航空電子を分離し設立
JAE Oregon, Inc. を設立
ミサイル部品の不正輸出事件と、株主代表訴訟が確定させた取締役の責任

1991年7月5日、日本航空電子工業のミサイル部品不正輸出事件が明らかになった。米当局の捜査依頼を受けた警視庁が摘発したもので、対象となったのは同社が20年をかけて育てた航機事業の中核技術であった。

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★★★
ニッコー・ロジスティクス(日本航空電子工業出資60%)を設立
JAE Hong Kong Ltd. を設立
JAE Philippines, Inc. を設立
JAE Europe, Ltd. を設立
1999〜2026年携帯とスマホがコネクタを主力に変えNEC資本が京セラへ移った四半世紀篠崎雅美JAE Wuxi Co., Ltd. を設立
篠崎雅美JAE Wujiang Co., Ltd. を設立
篠崎雅美JAE Shanghai Co., Ltd. を設立
篠崎雅美八紘電業の株式を100%取得
篠崎雅美ニッコー・ロジスティクスの株式を100%取得
秋山保孝JAE Tijuana, S.A. de C.V. を設立
秋山保孝盟友技研の株式を100%取得
小野原勉日本電気による公開買付けと、その他の関係会社から親会社への転換

2016年5月31日、日本電気が持分法適用会社であった日本航空電子工業を公開買付けで子会社化すると公表した。買付けは同年11月28日に開始され、2017年1月23日付で日本電気は『その他の関係会社』から親会社へ移った。

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★★★
村木正行日本電気持分の買い取りを目的とした自己株式の公開買付けを実施★★
村木正行日本電気が親会社からその他の関係会社に
村木正行京セラと資本業務提携★★
村木正行京セラがNEC保有株を譲り受けその他の関係会社に
出典・参考
  • JAE Report 2021(日本航空電子工業 統合報告書, 2021年10月)
  • JAE Report 2023(日本航空電子工業 統合報告書, 2023年10月)
  • 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【沿革】
  • 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【表紙】
  • 日本航空電子工業 有価証券報告書 第96期(2026年3月期)【事業の内容】
  • 証券アナリストジャーナル 1973年2月号(11巻2号)(酒井秀樹)
  • 日経ビジネス 1991年7月22日号

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