日本航空電子工業の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

二つの事業を他社の技術で立て、その一方が二度、経営陣を法廷へ送った。コネクタは1955年に米キャノン・エレクトリック社の技術援助契約を経て自社製造へ移り、航空機搭載機器は1961年8月の米ハネウェル社との技術援助契約から始まって、1971年8月には慣性航法装置の製造にまで達する。ところが1991年7月のミサイル部品の不正輸出事件では、その慣性航法装置とジャイロがミサイル部品の不正輸出の対象になった。当時の会長と社長はともに日本電気の出身である。1998年には防衛庁調達実施本部の背任事件で日本電気から来た社長が起訴され、代金過大請求の返還額76億9000万円が確定して最終赤字へ沈んだ。国策に近い需要と親会社の人事に支えられた事業構造が、7年の間隔で二度、刑事責任という形の代償を求めた。

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